万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”国籍で国境を引く時代は過去のもの”?-参政権は純粋に個人的な権利ではない

2014年10月11日 15時49分08秒 | 国際政治
ノーベル賞に寄せて、「国籍」の意味とは? 国籍で境界線を引く時代は、過去のものに(東洋経済オンライン) - goo ニュース
 MITに6年間留学し、現在、NASAジェット推進研究所に職を得て活動している日本人研究者による、”日本国も二重国籍を認めるべきではないか”とする問題的提起の一文が、ネット上に掲載されているのを目にしました。今日は、もはや国籍で国境線を引く時代ではない、と…。

 しかしながら、この提言、説得力に乏しいと思うのです。筆者は、日米韓の国籍に対する認識の違いを指摘し、アメリカ流の”市民権”、つまり資格や権利の面に注目すれば、ふぐの調理師の資格を取得したからといって、他の資格を放棄する必要はないのと同様に、多重国籍も問題ないと主張しております。しかしながら、たとえ国籍を資格や権利として理解したとしても、専門的な職業資格と国籍とでは、権利内容の本質が違っています。職業資格は、個人的な権利であり、一人の人が複数の資格を取得したとしても、他者に影響を与えることはありません。一方、市民権とは、政治に参加する権利を意味しますので、個人の権利行使であっても、国家、並びに、他の国民の運命を左右します。つまり、国籍、あるいは、市民権に伴う政治的な権利は、純粋に個人的な権利ではないのです。百歩譲って、一人の人が、会社、親族、趣味のサークル、出身校の同窓会などの組織に同時に属することができるとしても、ここでも、一つの組織における権利行使は、通常は、他の組織とは無関係です(ままに会社と家族の板挟み、という状況に至ることはある…)。ところが、政治に関しては、国家間関係の如何によっては、多重国籍者が、その内の一国の国民として行使した権利が、他の国籍国に対して悪影響を及ぼす場合があります。特に、国家間に国益をめぐる政治的対立がある場合には、この問題は深刻化します。筆者は、仮に、将来、アメリカ国籍がなければ就けない仕事に就くチャンスがあれば、躊躇なく、日本国籍を放棄してアメリカ市民権を取得すると述べておりますが、国籍がなければ就くことができない職務こそ、まさしく、アメリカの国益に関わる、米国民にしか任すことができない仕事なのです。

 科学の世界では、国籍といった政治的な問題は関心外なのでしょうが、研究室から一歩足を踏み出しますと、世の中が、政治的な対立や摩擦に満ちていることに気づくはずです。多重国籍がもたらすマイナス面を無視しますと、むしろ、国際社会の混乱と人々の不安を増大させることになるのではないでしょうか。

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コメント (2)
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