万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”万帯万路”ではなく”一帯一路”とする中国の本音

2017年06月08日 13時48分08秒 | 国際経済
一帯一路、条件付き協力=「潜在力持つ」と評価―安倍首相
 先日、日本国の安倍首相が、中国が提唱する一帯一路構想について条件付きで日本企業の参加を容認する立場を示したことから、中国の国内ネットでは、”中華帝国の復活”を礼賛したり、”日本が遂に中国に屈した”とする内容の書き込みで溢れているそうです。その一方で、この件に関する日本国内でのネットの反応は、至って冷ややかです。

 その理由は、日本国民の間に、中国が主導する一帯一路構想に対してぬぐい難い警戒感があるからに他なりません。それは、国際プロジェクトの名の下で、中国が自国のみに利益を誘導し、周辺諸国を隷属させる広域的中華経済圏を構築しようとしているのではないか、とする根強い警戒感です。この文脈からしますと、首相が付した”参加条件”、即ち、”自由で公正な経済圏の実現”とは、一帯一路構想から中国の覇権主義的要素を払拭せよ、とする対中要求として理解されるのです。

 そもそも、”一帯一路”というネーミングには、中国の覇権主義が色濃く反映されています。何故、”一”なのか、という疑問を掘り下げてみますと、”全ての道はローマに通ず”の如く、中国を唯一の中心国とする思想が見えてきます。つまり、中国を中心点に置いたヴィジョンとしての”一帯一路”なのです。仮に、アメリカがこのネーミングで自国中心の経済圏構想を発表したとしましたら、全世界が身構えることでしょう。当構想に参加した諸国が中国のネーミングに不信感や不快感を持たなかったのは不思議な事でもあります。

 表向きの説明のように、仮に中国が、全ての諸国に開かれ、互恵的な経済圏構想を本心から望んでいるならば、そのネーミングは、”一”ではなく、”多帯多路”、あるいは、中国風に表現すれば”万帯万路”となるはずではないでしょうか。今日の通商関係は多角的ですし、市場もまた、グローバル市場もあれば、地域市場もあり、そして当然に人々の生活と密接に結びついている国内市場もあり、多層性を有しています。国際流通を担うインフラの建設は、中国を中心点とする必然性はないのです。このように考えますと、”一帯一路”というネーミングにこそ、中国の中華思想に起因する本音が現れているように思えるのです。

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コメント (4)
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