万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

天皇元首化は日本国の危機

2017年06月09日 09時21分01秒 | 日本政治
退位特例法案きょう成立へ 退位の期日など検討本格化の方針
 本日、参議院本会議における可決を以って、天皇退位特例法案が成立する見通しです。”国民の共感”が強調されつつも、その実、国民的議論もなく、国民不在のまま”お気持ち表明”から僅か10か月あまりで法案成立となり、何とも後味の悪い結果となりました。

 その一方で、衆議院憲法審査会では、天皇の地位等に関しても議題に上ったと報じられております。自民党の憲法改正案では天皇を元首と位置付けており、自民党の議員からはこの案に沿った発言もあったそうです。極めて不自然なことに、出席した各党議員の意見にも伝統的な国家祭祀の役割に関する言及が見られず、”忖度”であれ、先の天皇発言が政界全体に影響を与えているとしますと、空恐ろしさを覚えます。

 天皇退位問題は、日本国の民主主義の危機という予期せぬ事態をもたらしましたが、自民党の天皇元首化案は、この危機をさらに深めるように思えます。何故ならば、元首という職名は(the Head of State)、西欧の統治機構に起源を遡る、極めて政治的な名称であるからです。おそらく、自民党は、大日本帝国憲法制定時を前例として、今般も西欧諸国の立憲君主制を模したのでしょうが、日本国の歴史における天皇の役割とは、西欧の君主制とは全く異質のものです(立憲君主制の諸国でも君主を元首と明記していない憲法もある…)。百歩譲って、天皇を封建制度における軍事的役割に由来する西欧型の”元首”となるならば、護国の責務を第一とし、戦前と同様に、皇族も軍服を着用して軍務に就くべきともなります(一方、国家祭祀を司る天皇は、祭祀長として護国を祈る…)。あらゆる制度は、定められた職務において権利と義務がバランスしていませんと、安定性を欠くものです。

 加えて、国民主権、並びに、民主主義の時代にあって、今日の日本国憲法に見られるような”準立憲君主制”が相応しいのか、と申しますと、この点にも疑問があります。皇位継承については、男系男子継承の原則は論理的必然性はないとする意見も聞かれますが、世襲の君主制の方が、余程、論理的な必然性を欠いています。共和制において国家運営がなされいる国が多数を占める中、誰が、日本国憲法における天皇の国事行為の必然性を合理的に説明できるというのでしょうか。制度的な進化によって、現代にあっては、天皇であれ、君主であれ、統治における存在意義を失っており、そうであるからこそ、統合という統治とは別の場に敢えて位置付けたのではないでしょうか。

 婚姻の自由によって皇室の権威は著しく失墜し、伝統的な国家祭祀も疎かにされています。一部のカルト教団(創価学会・統一教会…)、外国(北朝鮮・中国・韓国・ロシア…)、国際組織(ユダヤ系組織)、そしてこれらの下部組織としての左翼勢力に支えられている現皇室が元首一族となることは、国民にとりましては悪夢としか言いようがありません。すなわち、’天皇’を通して、一般の日本国民は、一部のカルト教団、外国、国際組織、左翼勢力によって支配されることになるからです。

 このように考えますと、天皇元首化は、日本国の民主的な統治体制の発展という側面から見ても退化でしかなく、憲法改正の国民投票において過半数の賛成を獲得できるとも思えないのです。今や保守=皇室支持という構図は崩れ、これまで、皇室制度に対する批判を専売特許としていた共産党も、異質なる’天皇’を支える側となっており、また、北朝鮮系を含む大日本国帝国憲法復活派こそ、日本国の支配を目論む外国勢力であると言うことができます。こうした危機的状況にあって、伝統的保守、否、一般の常識的国民こそ、異形化した現皇室のあり方に異を唱えるべきではないかと思うのです。


 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

 
コメント (19)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする