「皇室」のニュース
日経新聞では、先日から「危うき皇位継承」のタイトルで皇室問題に関する解説記事を連載しております。ところが、本日の記事を読む限り、この連載、中立・公平な立場からの解説というよりも、皇統を引く女性から生まれた子にも皇位の継承を認める”女系天皇”へと導く世論誘導を目的としているとしか言いようがないのです。
本日掲載された記事は”「男系男子」は明治から”との見出しが付され、今日の皇室典範における男系男子継承の原則は明治から始まったとするイメージを打ち出しています。最初の部分において、1876年以降の皇室典範に関する第一次から第三次までの草案を紹介していますが、特に第三案では、1885年~86年頃の宮内省の「皇室規制」案に「皇族中男系絶ゆつときは、皇族中女系以って継承す」という一文があるとし、あたかも明治期にあって”女系”を容認していたかのように印象を与えています。次いで、男尊女卑の当時の社会状況を鑑みた井上毅が反対し、結局、1889年に公表された旧皇室典範では、男系男子継承の条文で決着したとしています。
この解説記事には、幾つかの問題点があります。第一の問題点は、女系天皇と女性天皇の議論を混在させており、奇妙な”継ぎ接ぎ”によって結論を導こうとしている点です。最初の宮内庁案は女系容認論として扱っていますが、井上の反対理由が男尊女卑の風潮であったとしますと、否定されたのは”女性天皇”であって”女系天皇”ではありません。皇統を引く女子から生まれた子は、男子である可能性もあるからです(第三次宮内省案は、”女系”と表現されつつ、当時の理解では女性天皇案であった可能性もある…)。
第二に、第三次宮内庁案については、宮内庁関係者を登場させ、”皇室は、前例を以って慣習としてきたから、宮内省が女系容認案を作成した以上、過去にも前例があったに違いない”とする意見を掲載しています。しかしながら、皇統譜上の記載のみならず、歴史的な事実としても、過去において女系天皇が即位した事例はありません(母が天皇である子の即位は、父も皇統を継いでいる場合に限る…)。しかも、明治期に作成された皇室典範は、旧来の皇室の慣習を大幅に変えたことは良く知られております。そもそも、第二条の「皇位ハ皇長子ニ伝フ」もまた、典範制定に際して新たに作られた原則です(第三条以下も同様…)。
第三に、同宮内庁関係者は、「天皇家が他姓となるというのは理解し難い。皇室は元より姓がないのだから、婿入りした人も姓がなくなる」と述べ、女性天皇が配偶者を有することを認めると共に、婿入りで父親の姓がなくなることを理由に、その子への皇位継承、即ち、女系天皇を暗に認めています。この発言も、第二の問題点との関連からしますと、支離滅裂です。自ら前例論を持ち出して女系天皇容認の根拠としながら、今度は、前例が一切存在しないケースを自論を以って主張しているのですから(そもそも女系天皇へと繋がる女性天皇の即位は、その在位中に配偶者が存在していないことが条件ですので、仮に女性天皇を認めるならば、前例に従い、該当者は婚姻が禁じられることになる)。
最後の極めつけは、小田部雄次静岡福祉大教授の発言です。「飛車を守って王を捨ててしまう発想はおかしい。世襲が王、男系が飛車だ。男系に固執すると世襲制そのものがダメになってしまう」と述べているからです。確かに、”飛車を守って王を捨てる”のは下手な手ですが、女系天皇論者こそ、この下手な手を打っているように見えます。世襲とは欠陥に満ちた制度であり、”世襲”を勝負を決する”王”と考える日本国民がそれ程多いとは思えません。仮に何としても守るべき”王”に譬えるとすれば、それは、天皇という建国から連綿と連なる国家祭祀を司る位であり、現皇室の血脈は”飛車”に過ぎないのではないでしょうか。真に”危うき”は皇位継承ではなく日本国の伝統としての天皇位であり、地位と血統は分けて考えるべきなのではないかと思うのです。
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日経新聞では、先日から「危うき皇位継承」のタイトルで皇室問題に関する解説記事を連載しております。ところが、本日の記事を読む限り、この連載、中立・公平な立場からの解説というよりも、皇統を引く女性から生まれた子にも皇位の継承を認める”女系天皇”へと導く世論誘導を目的としているとしか言いようがないのです。
本日掲載された記事は”「男系男子」は明治から”との見出しが付され、今日の皇室典範における男系男子継承の原則は明治から始まったとするイメージを打ち出しています。最初の部分において、1876年以降の皇室典範に関する第一次から第三次までの草案を紹介していますが、特に第三案では、1885年~86年頃の宮内省の「皇室規制」案に「皇族中男系絶ゆつときは、皇族中女系以って継承す」という一文があるとし、あたかも明治期にあって”女系”を容認していたかのように印象を与えています。次いで、男尊女卑の当時の社会状況を鑑みた井上毅が反対し、結局、1889年に公表された旧皇室典範では、男系男子継承の条文で決着したとしています。
この解説記事には、幾つかの問題点があります。第一の問題点は、女系天皇と女性天皇の議論を混在させており、奇妙な”継ぎ接ぎ”によって結論を導こうとしている点です。最初の宮内庁案は女系容認論として扱っていますが、井上の反対理由が男尊女卑の風潮であったとしますと、否定されたのは”女性天皇”であって”女系天皇”ではありません。皇統を引く女子から生まれた子は、男子である可能性もあるからです(第三次宮内省案は、”女系”と表現されつつ、当時の理解では女性天皇案であった可能性もある…)。
第二に、第三次宮内庁案については、宮内庁関係者を登場させ、”皇室は、前例を以って慣習としてきたから、宮内省が女系容認案を作成した以上、過去にも前例があったに違いない”とする意見を掲載しています。しかしながら、皇統譜上の記載のみならず、歴史的な事実としても、過去において女系天皇が即位した事例はありません(母が天皇である子の即位は、父も皇統を継いでいる場合に限る…)。しかも、明治期に作成された皇室典範は、旧来の皇室の慣習を大幅に変えたことは良く知られております。そもそも、第二条の「皇位ハ皇長子ニ伝フ」もまた、典範制定に際して新たに作られた原則です(第三条以下も同様…)。
第三に、同宮内庁関係者は、「天皇家が他姓となるというのは理解し難い。皇室は元より姓がないのだから、婿入りした人も姓がなくなる」と述べ、女性天皇が配偶者を有することを認めると共に、婿入りで父親の姓がなくなることを理由に、その子への皇位継承、即ち、女系天皇を暗に認めています。この発言も、第二の問題点との関連からしますと、支離滅裂です。自ら前例論を持ち出して女系天皇容認の根拠としながら、今度は、前例が一切存在しないケースを自論を以って主張しているのですから(そもそも女系天皇へと繋がる女性天皇の即位は、その在位中に配偶者が存在していないことが条件ですので、仮に女性天皇を認めるならば、前例に従い、該当者は婚姻が禁じられることになる)。
最後の極めつけは、小田部雄次静岡福祉大教授の発言です。「飛車を守って王を捨ててしまう発想はおかしい。世襲が王、男系が飛車だ。男系に固執すると世襲制そのものがダメになってしまう」と述べているからです。確かに、”飛車を守って王を捨てる”のは下手な手ですが、女系天皇論者こそ、この下手な手を打っているように見えます。世襲とは欠陥に満ちた制度であり、”世襲”を勝負を決する”王”と考える日本国民がそれ程多いとは思えません。仮に何としても守るべき”王”に譬えるとすれば、それは、天皇という建国から連綿と連なる国家祭祀を司る位であり、現皇室の血脈は”飛車”に過ぎないのではないでしょうか。真に”危うき”は皇位継承ではなく日本国の伝統としての天皇位であり、地位と血統は分けて考えるべきなのではないかと思うのです。
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