万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

現金30万円給付問題について考える―危機の本質に即して

2020年04月06日 11時19分50秒 | 日本政治

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、観光業やサービス業といった対面を要する業種を中心に経済的なダメージが広がっています。利用客の急減という現象は経営危機をもたらし、事業者のみならず社員や取引先にまでその影響は及んでいるのです。所得の減少も避け難く、国民の生活困窮を危惧した日本国政府も、所得が著しく減少した世帯に対して現金30万円を支給する方針を固めたようです。しかしながら、この政策、疑問がないわけではありません。

 30万円の現金給付に対する一般的な批判は、海外諸国と比較した場合の支給額や対象世帯の少なさに集中しているようです。30万円という額によって全ての損失が補填できるはずもなく、また、対象世帯は外国人世帯を含む凡そ1000万世帯とされ、大半の世帯は対象外となるからです。さらに、自己申告制という方法では、減収を証明する提出書類のチェックなどにも相当の時間を要しますし、逆に給付を急ごうとすれば不正受給を見逃すかもしれません。職種不問とすれば、むしろ反社会勢力や夜間営業の公序良俗に反する職種に支給資金が流れるリスクやモラルハザードもありましょう。こうした諸問題点を考慮すれば、国民一律給付にした方が簡易かつ、公平ですので、国民の間から不満の声が上がるのも頷けます。

とは申しますものの、一律給付という諸外国の手法が常に正しいとは限りません。一律給付方式は個々の間で損害幅に開きがありますので必ずしも公平とは言えませんし、○○%の給与所得を補償するという手法も所得レベルの違いを考慮すれば不公平となる可能性もあります。何れの政策であれ一長一短はあるものですので、諸外国をモデルにする必要はないのですが、30万円現金支給策には、もう一つ考えてみなければならない問題があるように思えます。それは、新型コロナウイルスの危機の本質に関わる問題です。

日本国政府も含め、経済対策を打ち出した各国政府は、何れも新型コロナウイルス禍は短期間で収束するものと想定しています。あくまでも‘緊急’であり、「3密」を避けるべく人と人との接触機会をできる限りなくし、対人距離を広げれば、数か月以内で収まると見なしているのです。30万円という額も、標準世帯がギリギリに家計を切り詰めて一か二か月は生活できる額なのかもしれません。しかしながら、今後については、別の可能性も考えておく必要があります。

第一の問題は、新型コロナウイルス禍が短期間では収まらず、長期化する、あるいは、終息不可能となる可能性です。同ウイルスには未知な部分が多いものの、ウイルス検査の結果、陽性判定を受けた感染者が陰性に転じた後、再度陽性となるケースが相次いで報告されています。また、無症状の感染者の全員、あるいは、一部が健康体でありながらウイルスを保有した状態を維持している可能性もあり(‘チフスのメアリ’の類例…)、水疱瘡のようにウイルスが生涯にわたって体内から消えずに潜伏するタイプであるならば、隔離や封鎖措置等で一時的には感染拡大を止めることができたとしても、以後、感染者が現れる度に何度も‘振出し’に戻り、同じサークルが繰り返されることとなりましょう(現在、医学が進歩したとはいえ、水疱瘡のウイルスさえ完全に体内から除去することができず、ましてや変異性の高い新型コロナウイルスの撲滅は簡単ではないのでは…)。

第二の問題点は、画期的な治療薬やワクチンの開発等により、たとえ新型コロナウイルス禍が終息したとしても、経済状況は元の状態には戻らない可能性です。今般の感染症の拡大により、中国の覇権主義や一党独裁体制に由来する政治的リスクのみならず、経済の中国依存体質のリスクが顕在化しましたし、グローバル化にも限界が見えてきました。観光業を例にとりましても、数千万単位の中国人観光客を呼び込む形でのインバウンド追及路線は見直しを迫られるでしょうし、民間の事業者等もまた経営方針の変更を余儀なくされるかもしれません。経済全体を見ましても、ポスト・コロナの時代は、プレ・コロナの時代とは様変わりし、国内経済が重視される方向へと移行してゆくことが予測されます。

第三に、可能性として指摘しておくべきは、有事体制が恒常化してしまう事態もあり得ないわけではないことです。米中対立が昂じて軍事的衝突に至り、同盟国を含め、各国において戦時体制が敷かれるかもしれませんし、あるいは、新型コロナウイルス禍そのものが一種の‘有事’ですので、国民の基本的な自由や権利が制約を受け、中国ほどではないにせよ、自由主義国でもITのより広範な導入により国民監視体制が強化されるかもしれません。つまり、オーウェルの『1984年』に描かれているように、‘非常事態’が永続化してしまうのです。国民一律に給付金を支給する政策を決定した諸国は、ベーシックインカム制度への移行を想定しているとも推測されます。

以上に3つの主要な将来予測を挙げてみましたが(未来は未定なので、他にもあるかもしれない…)、現状を見る限り、何れのシナリオも短期終息論よりも可能性としては高いようにも思えます。言い換えますと、コロナウイルス禍への対策は、長期化を前提として策定した方が、経済的な被害を受ける国民の痛みを緩和することができるということにもなりましょう。

この観点からしますと、現金給付政策よりも、給付目的を所得補償ではなく失業対策や起業支援に定め、失業保険制度の拡充、非保険加入者を対象とした手当金支給制度、あるいは、起業資金支援制度の設置とすべきなのかもしれません。同時に、政府は、ハローワークを介した転職の斡旋や職業訓練にも予算を振り向けると共に、収益源に直面している民間の人々も、座して死を待つのではなく知恵を絞って対応策やアイディアを出し合い、積極的に情報を発信・交換すべきとも言えましょう。インターネットは、多くの人々が有益な情報やアイディアを共有し、広く拡散するツールとなってこそ、人類に貢献するテクノロジーとなるのではないでしょうか。

活力ある経済を維持するためには、危機の本質を見極め、それに的確、かつ、臨機応変に対応する政策こそ必要とされています。単純な給付政策では持続性がなく、一つ間違えますと‘分配’を権力の源とする共産主義体制へのステップにもなりかねませんので、国民の自助努力やサバイバル戦略をも促し、かつ、全体としては経済構造の円滑なる移行に資するような政策こそ望まれるのではないかと思うのです。


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