万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

コロナ禍を増幅させる政治不信

2020年04月23日 13時21分16秒 | 日本政治

 新型コロナウイルスの感染拡大を阻止するために、目下、多くの諸国では強制力を伴う都市封鎖といった強硬な措置が採られています。海外諸国の厳格な都市封鎖と比較しますと、日本国政府の措置は甘く、感染リスクの高いサービス業についても営業停止を命じるのではなく、自粛要請という形態に留めています。日本国政府の対応の緩さについては、経済的な打撃の回避や国民の自由に対する制限への躊躇といった様々な要因が指摘されています。中にはそれを日本国の国民性に求め、‘政府が規律正しい日本人に期待していたから’とする見解も見受けられます。政府が敢えて法律を以って強制しなくとも、社会的な規律を重んじる日本国民の多くは自発的に政府の要請に応じるはずである、とする…。

 確かに、過去の自然災害の事例を見ますと、被災地にあって食糧や支援物資を受け取るに際しても、被災者の方々は整然と列をなして並び、我先を争うのではなくお互いに譲り合う姿が見られました。その一方で、全てではないにせよ、今般のコロナウイルス禍に際しては外出の減少が殆ど見られない地域もあり、また、マスクや消毒剤、果ては紙製品等の買占めといった忌々しき行為も後を絶ちませんでした。3月お彼岸連休では、各地で例年通りのお花見の光景が見られたとされましたし、緊急事態発令後に至っても、いつもと変わらない賑わいを見せていた街も少なくないそうです。同じ国の出来事とは思えないのですが、政府の要請に対する国民の非協力的な行動の背景には、根強い政治不信というものもあるように思えます。

 武漢のみならずイタリアやニューヨーク等の医療崩壊が起きてしまった諸外国からの情報や映像は、目を覆わんばかりの惨状を伝えています。明日の我が身かもしれず、日本国民もより高い危機意識を持たなければならないのでしょうが、新型コロナウイルスの発生以来、甘い政策を採り続けてきた日本国政府に対する国民の不信感が、ここに来て裏目に出ているように思えるのです。初期段階にあっては、習主席の国賓訪日、東京オリンピック、並びに、中国人訪日客のインバウンドに配慮し、極めて危険なウイルスであったにも拘わらず、厳しい入国規制を課さずに事態を半ば放置しています。ところが、自粛要請という形であれ、今に至って危険なウイルスであると政府が声高に叫んでも、国民としては、その言葉をそのまま信じてもよいのか戸惑ってしまうのです。また初動体制の不備に加え、その後も救済策については迷走を続けており、全国民マスク配布事業も情報公開を拒んだことから新たな疑惑を招く原因ともなりました。

 死亡者数こそ比較的少ないものの、政府が公表する感染者数は増加傾向が収まらず、累計で遂に1万人を超えています。マスメディアでも、連日の如く著名人の感染や死亡を報じています。ところが、道端で突然に通行人がばたばたと倒れたり、サイレンを鳴らした救急車が頻繁に行きかうなど、人々が直接に感染の危機を実感する光景に遭遇することは殆どありません。マスク不足や衛生用品の不足は実際に起こってはおりますが、ご近所や親族・知人が感染したとするお話もほとんど耳にしないとなりますと、‘政府が主張するほどのことではないのではないか’、あるいは、‘政府はまた現実とは逆のことをしているのではないか’、とする猜疑心が国民の心に湧いてしまうのも不思議ではないのです(かく言うわたくしも、政府に対して半信半疑…)。

 しかも、ネット上では新型コロナウイルス禍そのものが国際的に仕組まれた事件であるとする陰謀論も散見されます。否、米中対立が先鋭化する国際政治の表舞台でも、コロナ問題は既に国際紛争の様相を呈してきているのです。同ウイルス禍の背景には、感染病の蔓延による経済の弱体化、経済・社会の抜本的な変革への誘導といった政治的な目的が潜んでいる可能性もあるからです。このように考えますと、日本国に出現した日本人らしからぬモラルハザードさえも、何れかの国や組織の動員による演出であるかもしれず、コロナウイルス禍にあって真に信じるに足る情報は皆無に近いのです。

 誰もが認識しえる地震や津波などの自然災害の時であれば、多くの人々がその災害の只中にあるのですから、日本国民本来の国民性から規律を重んじ、皆が協力し合って危機を乗り切ろうとすることでしょう。しかしながら、人災、しかも、様々な政治勢力が関与している可能性が高く、しかも、真偽が入り乱れた様々な情報も錯綜しているともなりますと、前者と同様の行動を国民に期待するのは難しくなります。新型コロナを共通の敵とみなし、一致団結して闘うように促されても、政府の言うことを信じてよいのか迷いますし、一次情報から遮断されている国民にとりまして、広大な情報の海から事実だけをピックアップすることはほとんど不可能なのです。

 信用とは一旦失われますと取り戻すのは困難なものです。政府もまた例外ではなく、国民の深刻な政治不信という現実を認識しませんと、たとえ高い効果が期待できる政策や措置であったとしても、国民の協力を得られない可能性があります。国民全般に協力を求める以上、政府には、でき得る限り正確、かつ、誠実な情報の開示、並びに、事実に基づく道理に適った政策説明など、国民からの不信感を払拭する努力が必要とされているのではないでしょうか。


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