新型コロナウイルスのパンデミック化により、今日、世界経済の減速感が増してきております。その理由は、各国政府が敷いた都市封鎖や外出・営業自粛要請等の措置により、とりわけ都市部を中心に経済活動そのものが半ば停止状態にあるからです。国民生活への影響も甚大であり、所得の減少を補うべく、休業補償や給付政策を導入した政府も少なくありません。こうした中、全ての国民に一律に給付金を支給するベーシック・インカム制度の支持派の勢いも増しており、誤報とはいえ(実際には、貧困層向けの給付制度…)、スペインではナディア・カルビニョ経済相が永続的な措置として同制度の導入を宣言したとする報道も駆け巡りました。
同宣言の背景に、都市封鎖から3週間余りにして90万人が職を失ったスペイン経済の危機的状況を指摘することができます。1986年のEU加盟国当時は前途有望な投資先として脚光を浴びたものの、その後の冷戦終結による中東欧諸国の加盟、並びに、グローバル化の波に乗った中国の台頭により、スペインは製造業拠点としての魅力が薄れていました。製造業が弱く、人と人との接触を要するサービス業頼りのスペイン経済の脆弱性が、都市封鎖による失業者の激増として現れたのかもしれません。
スペインにはそれ固有の国内事情があったとしても、コロナ禍を機としたベーシック・インカム制度の導入の主張は同国に限られたことではなく、日本国内を初め、各国の政界やメディア等においても散見されています。実のところ、フランシスコ法王も支持を表明していますし、イスラエルの歴史家であるユヴァル・ノア・ハラル氏に至っては、同制度の導入は人類の‘進化’における既定路線であり、いわば、コロナ禍が他の選択肢を封じる役割を担ったかの如くに論じています。あたかも一つの計画が存在しているかのように…。一斉に同一の方向に向かって影響力のある人々がメディアを動員しながら動き出しますと、常識という名のセンサーが働き、どこかに怪しさが感知されるのですが、この警戒感はどこから来るのでしょうか。
ベーシック・インカムの導入を主張する人々は、同制度の導入によって‘この世の楽園’が実現するかのように語っています(北朝鮮のプロパガンダのよう…)。人々は生きるために働く必要はなく、貧困層もなくなり、生計を気にすることなく好きな職業にも就け、加えて行政コストも削減できるのですから、良い事尽くめのように聞こえるかもしれません。しかしながら、デメリットに目をつむってメリット面ばかりをピックアップして列挙する手法は説得力に欠けますし(詐欺の常套手段でもある…)、必ずしも絵に描いたような理想が実現するわけではないことは、現実を見れば誰もが予測はつきます。例外や反証を挙げれば切りがありませんし、怠惰な性向の人々が多数であれば、一日中、何らの生産的な活動を行うことなくオンラインゲームで遊び暮らす人々も現れることでしょう。そもそも、人々の個性や多様性を考慮すれば、ベーシック・インカムを‘この世の楽園’と決めつけ、その幸福感を押し付けること自体が傲慢なのであり(幸福感は人によって違う…)、そこには、人類を画一的なものと見なす全体主義的な思考傾向が読み取れるのです。
そして、何よりも、ベーシック・インカム制度には、今日の経済システムの基盤を根底から崩壊させかねないリスクが潜んでいます。人類は、集団を生存形態としてきましたし、自給自足ができる人は極めて稀です。人は一人では生きられませんので、人類の経済発展のプロセスを観察しますと、個々の間の自由な‘交換’が極めて重要な役割を果たしてきたことに気付かされます。全ての職業は他者に役立つものを提供することで成り立っており、その相互交換による非ゼロ・サム的な価値の創出によって富も生み出されているのです。ところが、ベーシック・インカムの基礎は、‘交換’ではなく、‘配分’にあります。
すなわち、同制度は、人々の自由意思に基づく生産や消費という観点が抜け落ちており、社会・共産主義と同様に、‘上’から与えられる状況を以って経済の基盤と見なしているのです。おそらく、その思想的な源流は、集団の長が構成員たちに獲物の分け前を与える役割を果たしていた狩猟・牧畜社会、あるいは、略奪を生業とする‘賊’集団にあるのかもしれず(独裁体制との親和性も高い?)、人類の生存形態としては、構成員各自の生命維持という最低限の条件は満たしているのかもしれませんが、しかし、それが人類に物心両面における豊かさや精神性を含めた発展をもたらすのか、と申しますと、それには大いに疑問であります。壮大なる実験とも称された社会・共産主義が失敗に終わったように(もっとも中国は、失敗とは認めていないかもしれない…)、政府への依存度が高まるベーシック・インカムの導入は、人々が自立性や自由を失う配分型の全体主義体制への入り口となるのかもしれないのです。
もっとも、資本主義もまた、経済システムの基礎を‘借金’に置き、人と人との関係が債権者と債務者という非対等な関係となり、かつ、その破裂によって人々の生活基盤を壊してしまうバブルを制御できない点等において重大な欠陥があり、こちらもまた今日にあって経済システムとしての問題が露わとなっています(もっとも、近年におけるIT大手の登場は、‘貨幣’から‘情報’への富の源泉の移行を想定した、プラットフォーマーとユーザーとの間の新たなスタイルの支配・被支配関係を意味するかもしれない…)。新型コロナウイルス禍が経済システムの転換点となるならば、ポスト・コロナ時代にあって目指すべきは、社会・共産主義でも既存の資本主義でもない、人々の間の相互交換性を基礎とする、より公平であり、他害性がなく、相互の自立性や個性が尊重されるシステムではないかと思うのです。