万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

シュワルツェネッガー氏のスピーチは藪蛇では?

2021年01月12日 12時29分24秒 | アメリカ

元カリフォルニア州知事にて俳優であるアーノルド・シュワルツェネッガー氏が、アメリカの国会議事堂占拠事件を受けて公開したスピーチ動画が関心を集めているようです。ハフポストの記事の見出しには、‘議会襲撃とナチス重ねたスピーチが胸を打つ’とあり、‘すべては嘘から始まった’とする同氏の主張を強調しています。しかしながら、トランプ大統領をアドルフ・ヒトラーに擬えたこのスピーチ、藪蛇になるのではないかと思うのです。

 

 同記事に対しては多数の人々からコメントが寄せられており、その大多数はスピーチの内容にいたく感動し、‘魂のこもった覚悟のスピーチ’や‘人の心に届く’といった表現で賛辞を贈っています。‘感動の嵐?’が吹く中に、本記事のような懐疑的な意見を書きますと、袋叩きに遭いそうなのですが、実のところ、巧みなスピーチによって人々の感情に訴え、自らの望む方向に人々を導く手法は、むしろ、ヒトラーの得意技でした。実際に、シュワルツェネッガー氏のスピーチに対する賛同の多くは、事実関係を確かめた上での冷静な評価ではなく、感情的なものです。

 

 藪蛇論の第一は、スピーチの利用という意味において、シュワルツェネッガー氏の方がヒトラーに類似しているということなのですが、第二の理由は、‘すべては嘘から始まった’こと自体が嘘である点です。同氏は、クリスタルナハト事件と呼ばれるユダヤ人襲撃事件を取り上げて、今般の国会議事堂占拠事件を批判しています。しかしながら、クリスタルナハト事件は、全くの嘘から始まったわけではないのです。同事件のきっかけとなりましたポーランド系ユダヤ人青年によるドイツ大使館員暗殺事件は、1938年11月7日に実際に起きた出来事なのです。この夜、ユダヤ人青年のヘルシェル・グリュンシュパンは、パリの在仏ドイツ大使館の三等書記官エルンスト・フォム・ラートを拳銃で殺害し、フランス警察の尋問に対して「迫害されるユダヤ人に代わって復讐したかった」と自白しています。仮に、シュワルツェネッガー氏が言うように‘すべてが嘘から始まった’のであれば、同暗殺事件もナチス側の陰謀であったこととなりましょう(あるいは、案外、これが真相かもしれない…)。

 

 第二点として挙げられるのは、シュワルツェネッガー氏には、不正選挙問題を含めた真偽を判断する立場にはない点です。同氏は既に公職を退いていますし、現職の政治家として全ての情報を入手し、真偽を判断し得る立場にあるわけではありません。裏付けや証拠もなく‘嘘’と決めつける態度は、むしろ、自己を絶対視する全体主義者の傲慢さが垣間見られます。

 

 また、同氏は、「政治家に必要なのは、権力よりも政党よりも偉大なもの、より高い理念に奉仕することです。」とも語っています。こうした政治家としての同氏の姿勢に感動する人も少なくないようなのですが、‘より高い理念’があれば、暴力や違法行為でも容認されるとする解釈も成り立ちます。しかも、‘より高い理念’に関連し、同氏は、自らがカトリック教徒であることを告白しています(宗教戦争も誘発?)。バチカンの目に余る腐敗が明らかにされつつある中、これもまた藪蛇なのですが、同氏には、宗教家やリベラルに固有の独善性が見受けられるのです。そして、同氏の理屈に従えば、不正選挙による‘偽大統領’の誕生を防ぐために議会を占拠する行為も、民主主義という基本的な価値に照らせば容認されることとなりましょう(もっとも、現状では、実行組織の背後関係は不明なのですが…)。第三の藪蛇とは、同氏のポリシーがそのまま相手方の行動を是認してしまう点です。

 

 シュワルツェネッガー氏のスピーチに真剣に感動してしまうようでは、同じ手口で何度でも騙されてしまいます。政治家のスピーチについては、距離をおいて構え、細心の注意を払って聞くべきですし、歴史を教訓とするならば、人々は、きれいごとを並べて言葉巧みに世論を誘導しようとするシュワルツェネッガー氏のスピーチにこそ警戒すべきと言えましょう。‘地獄への道は善意で敷き詰められている’とも申します。


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