万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘2050年CO2排出ゼロ目標’で地球温暖化が加速?-自己矛盾の問題

2021年01月29日 12時29分22秒 | 国際政治

 カーボンニュートラルへのグローバルな圧力が全世界の諸国に迫る中、バイデン政権の登場により、最後の砦でもあったアメリカも今や陥落しつつあります。同大統領は、就任早々にパリ協定への復帰に関する大統領令に署名したとも報じられており、2060年に目標年を設定した中国を含め、少なくとも主要な産業国はカーボンニュートラルで足並みを揃えることとなったのです。しかしながら、このドミノ倒しのようなカーボンニュートラル化には、重大な自己矛盾が認められるように思えます。

 

 その矛盾とは、全世界の諸国が一斉に再生エネや原子力発電への転換に走った場合、逆に、二酸化炭素の排出量が増加してしまうという問題です。地球温暖化問題の解決策として温暖化ガスの排出規制が叫ばれるようになった際に、その背景として指摘されてきたのが、‘産業潰し’というものです。地球温暖化問題は、人類が政治的な対立関係を越えて協力し合える数少ない平和的な課題というイメージがありますが、その実、国際会議の舞台裏では、自国の産業を護るための熾烈な国家間の闘いが繰り広げられておりました。何故ならば、温暖化ガスの削減は、即、生産力の削減を意味したからです。

 

地球温暖化の‘大義’にヒロイックに殉じる、あるいは、外圧に負けて迂闊に削減を受け入れてしまいますと、自国の経済力は削がれてしまいます。それ故に、各国とも、他国には高い削減率を要求する一方で、自国に対しては低い削減率に留めることに躍起となり、遂に、トランプ政権下のアメリカのように国際的枠組みそのものからの離脱を選択する国も現れたのです。しかも、二酸化炭素犯人説は科学的に証明されているわけでもありませんので、地球環境問題とは、‘きれい事’では済まされない、極めて政治的できな臭い側面があるのです。

 

 国際的な合意によって決定された二酸化炭素の排出枠、即ち、国家ごとの生産量をも決めてしまう手法は、配分型の経済を特徴とする社会・共産主義の統制経済に類似しており、同分野においてリベラル勢力が主導権を握ってきた理由も、その近似性にあるのでしょう。そして、地球環境問題もまた、その政治性において‘ポリティカルコレクトネス’の色彩をも帯びているのです。

 

 ところが、今般、日本国の菅政権をはじめ、各国や地域とも、‘逆転の発想’と言わんばかりにカーボンニュートラルは経済成長のチャンスとする立場を表明しています。これまで二酸化炭素削減は生産量の削減やコスト増を意味しますのでマイナス影響が強く懸念されていたのですが、どの政府も、マイナスイメージの払拭、あるいは、産業界や国民からの反発や抵抗の回避を狙ってか、カーボンニュートラルを、デジタル化と並んで新な成長戦略の一環として位置づけたのです。経済成長と結びつけた点においても、全ての諸国の政府が足並みを揃えています。

 

 カーボンニュートラルの目標は、先進国のみならず、新興国や後進国にも押し付けられるでしょうから、仮に、全ての諸国が、今後30年から40年という短い期間でエネルギー源の大転換を図るとすれば、この間、全世界において、太陽光発電所、風力発電所、原子力発電所など、膨大な数の発電所をキューピッチで建設する必要が生じます(たとえ火力発電の使用が継続されても、二酸化炭素を排出するタイプは建て替えや除去装置等の設置が必要…)。自動車のEV化をはじめとしたオール電化やデジタル化が同時進行するとしますと、必要発電所数はさらに増加することでしょう。加えて、同プロセスにあっては、電化やデジタル化によって旧式の機器は使用できなくなりますので、‘電化製品’あるいは‘デジタル製品’の大量生産も予測されます。つまり、ここに、二酸化炭素排出量の削減を進めた結果、逆に、同ガスの排出量を増やしてしまうという自己矛盾が見出せるのです。

 

 そもそも、排出規制を誠実に順守しながら、同生産に応える能力を有する国は存在しているのでしょうか。生産国として有利となるのは、クリーンで安価な電力を安定的に大量に供給し得る国となるのですが、中国でさえ今冬に大規模停電を起こしていますので、カーボンニュートラルの時代に‘世界の工場’を維持し得るかどうかは定かではありません。もっとも、同国の2060年目標の設定は表向きに過ぎず、二酸化炭素の排出量規制を実施しなければ、同国は、生産拠点として高い国際競争力を得ることとなりましょう。現状にあってさえ、太陽光パネルや風力発電機などの再生エネ関連の企業は中国生産が大半を占めていますので、カーボンニュートラルの流れは、中国の‘一人勝ち’を帰結するかもしれないのです。

 

 何れにしましても、2050年、あるいは、2060年までの間にカーボンニュートラル関連の生産が集中しますので、むしろ、同期間の間に二酸化炭素の排出量が急増することも予測されます。百歩譲って二酸化炭素犯人説が科学的にも正しいならば、この期間に地球は激しい気温上昇と気候変動に見舞われるかもしれないのです。地球を救おうとした結果、地球が破滅するという皮肉な結果にもなりかもしれません。同問題については急いではならず、科学的議論も含め、より慎重であるべきではないかと思うのです。


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