万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国民にもワクチン接種を拒む合理的な理由がある

2021年01月26日 12時34分45秒 | 日本政治

 日本国政府が全国民の新型コロナウィルス・ワクチンの接種に前のめりになる一方で、国民の多くは同ワクチンに対して懐疑的です。本来であれば、同ワクチンはコロナ禍に苦しむ国民の‘救世主’となるはずなのですが、歓迎一色とは程遠いようです。

 

 その第一の理由は、医科学的な見地からの不安です。今般、日本国民に接種されるのは、アメリカのファイザー、並びに、モデルナ社が開発・製造したmRANワクチンであり、過去にあって実用化に失敗してきた新しいタイプのものです。つまり、十分な治験を経ていないのですから、両製薬会社でさえ、1年後や10年後、あるいは、50年後といった長期的な副反応については知る由もありません。今般、全世界で相次いで報告されている変異株の存在も不安材料の一つです。これらの製薬会社が薬害発生時の免責を供給先政府に求めたのも、新型のワクチンが、既存のワクチンレベルの安全性を満たしていないリスクを認識していたからなのでしょう。

 

こうした基本情報は、デマでもフェイクニュースでもなく、既に国民の間で広く共有されています。そもそも、発生から1年足らずで開発されたワクチンですので、誰もが、‘人体実験’に供されているような感覚を覚えるのは当たり前のことです。しかも、凡そ生涯にわたって効力を維持するワクチンもあり、全てではないにせよ、ワクチンには、一度の接種が後戻りのできない影響を人体に与えるという、それ特有の不可逆性のリスクもあります。健康や生命にも関わるともなれば、国民は、余計に慎重にならざるを得ません。たとえ、ウィルスや免疫システムのメカニズムを含め、政府が詳細、かつ、科学的な説明に努めても(そもそも、新型コロナウィルス自体が未知のウィルス…)、逆に疑問点が増えてしまい、国民の懐疑心が一層深まってしまうかもしれないのです。

 

因みに、本日の産経新聞の朝刊一面には、ワクチン接種に関する世論調査の結果が報じられていました。同調査の結果によれば、69.2%がワクチンを‘接種する’と回答したそうです。オープン型の世論調査やネット上のコメント等では、接種消極派が圧倒的多数でしたので意外な印象を受けたのですが、‘接種する’の回答には、‘安全性が確認された場合’という、他の世論調査で設けられていた条件別の選択項目がありませんので、この高い数字は、接種に向けた同調圧力を醸し出すための印象操作なのかもしれません。‘安全性が確認されたら接種する’、並びに、‘接種しない’を合計すると、およそ7割となりますので、他の世論調査の結果とも一致します(因みに、「すぐに摂取する」と回答した人は、20%にも満たない)。

 

そして、第二の理由は、政治的なものです。新型コロナウィルスのパンデミック化を前にした段階で、日本国政府は、ワクチン普及の功績によりマイクロソフト社の共同創設者であるビル・ゲイツ氏に旭日大綬章を贈ることを決定しています。この叙勲、少なくとも、同氏が日本国内のワクチン普及に貢献したわけではありませんので、国民に奇異な印象を与えたものです。同氏はビル・アンド・メリンダ財団を創設し、各国の製薬会社に積極的に投資を行っていることから、ワクチン事業は、途上国支援や福祉目的というよりも、ビジネスの一環なのでしょう。しかも、ここ数年、ネット上では、‘同氏は全人類の人口削減計画を目論んでいる’、あるいは、‘全人類の管理のために、ワクチンにマイクロチップを混入している’とする陰謀説も拡散されてきました。

 

これらの説の真偽は判断できないのですが、菅首相が同氏との会見直後から、ワクチン接種に向けてのプロジェクトが急速に動き出した点を考慮しますと、同氏、あるいは、投資先企業のワクチン・ビジネスへの利益誘導も自ずと疑われてしまいます。また、デジタルとワクチンを結び付けた同氏のアイディアに倣って、日本国政府も、ワクチンをマイナンバー制度とシステマティックに一体化することで、国民監視体制(‘デジタル・ディストピア’)の構築のチャンスにしようとしているとする疑いも湧いてきます。このように推測するのも、新型コロナウィルス・ワクチンに限って、政府が一元的に国民の接種状況を管理しなければならないのか、その合理的な理由が見当たらないからです。

 

以上に2点ほど主たる理由を挙げてみましたが、現状では、政府やメディアが声高に安全性を強調しても、国民の多くは二の足を踏んでしまうことでしょう。国民の側にも、ワクチン接種を拒む合理的、かつ、正当な根拠がありますし、自己の生命や身体に関する決定権もあるからです。‘先に接種した人の状況を見てから’、あるいは、監視体制の強化を含め、‘諸外国の成り行きを確認してから’とする、‘様子見’の人、あるいは、積極的に拒絶する人が大半を占めることとなりましょう(相当、長期間にわたって‘様子見’となることも…)。政府としては非協力的な国民に苛立つことでしょうが、国民を責めたり、‘愚民’扱いするのではなく、先ずは、国民のワクチン不信を招いた責任は自らにあることを自覚すべきですし、国民の賛同が得られない以上、諦めも肝心なのではないかと思うのです。


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