万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ユダヤ人のメシア願望の問題-普遍性と特殊性

2022年01月19日 10時56分17秒 | 国際政治

 ユダヤ教によれば、神からの試練に耐え忍んできたユダヤ人は、やがてメシア、即ち、救い主の出現により救われるとされます。そして、メシアによる救いは、同時に全人類の救いであり、ユダヤ人が背負ってきた苦難は、いわば、人類が救われるための犠牲として意味付けられるのです。人類のための自己犠牲というポジションは、イエス・キリストの生涯とも通じています。このため、イエス・キリストはメシアであるのか、否か、という問題は、しばしばユダヤ教とキリスト教を分かつほどの宗教論争の論点ともなるのです(イエス自身は自らをメシアとし、イエス・キリストという表記もナザレのイエスをメシアとして認めたことを意味するらしい…)。

 

 ユダヤ人のメシア願望は、やがてイエス・キリストの他にも多くのメシアを称する者を生み出します。例えば、2世紀には、ローマ帝国の支配に抵抗して反して反乱を起こしたバル・コーバ(コクバ)が、ユダヤ教の最高指導者であったラビ・アキバによってメシアとして承認されています。近代に至ると、カバラへの傾斜が強く、ユダヤ教の正統派からは異端とされたシャバタイ派の創始者となったシャブタイ・ツヴィやツヴィの生まれ変わりを称したヤコブ・フランクなどもメシアを称しています(ヤコブ・フランクは1月11付けの本ブログ記事にも登場…)。

 

因みに、ヤコブ・フランクは後にキリスト教に改宗したものの、アムシェル・ロスチャイルドなどとも親交があり、その思想はカール・マルクスにも影響を与えたとする説があります。ヤコブ・フランクを祖として宗派派はフランキストと呼ばれていますが、ツヴィは、異教徒の内部に味方のふりをして入り込み、内側から徹底的に腐敗させた末に、自らメシアとして降臨するという戦略を温めていたとされていますので、フランクの改宗は、キリスト教を内部崩壊に導くためであったのかもしれません(’フランク’は、今日の世界を理解する上で重要となるキーワードかもしれない…)。また、フランキストは、一般のユダヤ人に対しても秘密裡に行動しているとされていますので、そのネットワークは、秘密結社的な性質を有していた、あるいは、’いる’のでしょう。

 

 このように、イエス・キリストに始まり近現代に至るまで、ユダヤ・コミュニティーにあっては数多くのメシアが登場してきているのですが、イエス・キリストを除いて、他のメシア、あるいは、偽メシアが全人類に、神が’ユダヤ人’に託した愛と正義と平和を齎そうとしたようには見えません。バル・コーバは、ローマ帝国の支配からの解放こそがユダヤ人の解放と捉えていましたし、近代以降の宗教上のメシア達も、ユダヤ人、否、自らが属している異端的一派による世界支配を目指しています。何れも世俗的なユダヤ人、あるいは、ユダヤ系勢力の’救い’ではあっても、全人類の’救い’では決してないのです。その理想は、ユダヤ系勢力による他の人類に対する一方的な支配に過ぎないのでしょう。そして、メシア思想は、独裁との間にも親和性が高い点にも注意を要しましょう。

 

 『旧約聖書』における「十戒」は、それが人類社会共通の基本的な倫理・道徳律を示しているという点において普遍性が認められますが(イエス・キリストの言葉や行動を介して人々の善き心の在り方を説いた『新約聖書』もまた、この側面において普遍性が認められる…)、メシア思想は、その対象が特定の民族や集団の救いや解放に限定されている限り、あくまでも特定のアイデンティティーと結びついた特殊なものと言わざるを得ません(’選民意識’に根差している…)。言い換えますと、『旧約聖書』がユダヤ人の歴史を語るように、ユダヤ思想には、普遍性と特殊性が混在しているのです。グローバル時代にあって、ユダヤ系勢力の影響力が全世界に及ぶ今日、その深奥に潜むモロク(モロコ)教やフランキスト等の存在を含め、日本国政府と国民、否、全世界の人々は、ユダヤ人に内在する問題により関心を払う必要があるように思えるのです。


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