万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ヘブライ語と中国との共通点の問題-何故、かくも両者は未来を決めつけるのか?

2022年01月17日 19時06分12秒 | 国際政治

ヘブライ語(ユダヤ人の言語)と中国語との間に共通点がある、と申しますと、多くの方は驚かれるかもしれません。世界地図を広げましても、カナンの地と中国大陸との間には相当の距離がありますし、シルクロードを介して両者が行き来していたとしても、言語空間を共有しているとは思えません。中国語の表現手段である文字は表意文字である漢字ですが(もっとも、現代の漢字は表音化している面もある…)、ヘブライ文字はセム語系のアラム語から派生した表音文字ですので、この点にも大きな違いがあります。ヨーロッパ言語のように筆記の方向が’左から右へ’ではなく’右から左へ’である点は共通していますが、それでも前者は横書きであり、後者は縦書きです。ところが、両者との間には、人々の世界観に関わる部分で重要な共通点あるらしいのです。

 

ヘブライ語と中国語との間の共通点に気が付くきっかけとなったのは、アンドレ・シュラキ氏の『ユダヤ思想』でした。同書の冒頭に設けられている緒言には、「イスラエル思想の性格」が記されているのですが、そこには、以下のような文章を見出すことができます。

 

「時制に対して根本的に無頓着なセム語系のおかげで、ヘブライ語は比類ない喚起力を得ている。例えば、定過去はいつも不定過去の予示に過ぎず、未来形は現在を知らせてやまない。こうしてセム語系の言語で表された思想はあたかも命令形のように上から与えられる。その思想は観念によってではなく事実を以ってわれわれに迫り、それらの事実がわれわれの意識の中に動詞の焔を燃え上がらせる。…」

 

この文章から読み取れることは、セム語系であるヘブライ語には、’時制がない’という重要な特徴です。時制とは、動作や存在の時間軸における位置を明確にするためにありますので、時制がないということは、ユダヤ人の意識にあって過去、現在、未来の区別、あるいは、時間感覚が曖昧になることを意味します。このため、ユダヤ人の世界観にあっては、時というものは行き来が可能であると共に、過去や現在が未来を定めてしまうこともあり得るのでしょう。預言者とは、まさに未来を語る人でありながら、ヘブライ語にあってはその予言が未来を決めてしまうのです。そして、上記の文章が示すように、「命令形のように上から与えられる」のであれば、それは、あたかも神の言葉の如くに響くこととなりましょう。ここにヘブライ語における未来拘束性という問題が見受けられるのです。

 

この’時制がない’という特徴は、中国語とも共通しています。中国語もまた、ヘブライ語と同様に、明確に時を表す文法が備わっていませんので、時間軸における認識が曖昧です。そして、この特徴に照らしますと、共産党一党独裁体制にあって、習近平国家主席は、国民に向けて自信満々に中国の未来を語る理由も理解されてくるのです。あたかも、既に未来は決まっているかのように。中国人にとりましては、現代は過去であると共に未来なのでしょう。

 

その一方で、文法に自制を有する言語を有する人々にとりましては、こうしたヘブライ語や中国語をベースとした世界観には困惑させられてしまいます。本来、未来は様々な可能性に満ちており、誰もが正確に予測したり、決めることはできないものなのですから。ユダヤ人が渇望する神の国も中国共産党が絶対視する共産主義社会も、その他の人類にとりましては、数ある可能性の一つに過ぎないのです。

 

このように考えますと、今日、人類は、言語に時制を持たないユダヤ人や中国人が独善的に決めつけた世界像に拘束されているのかもしれません。固定化された未来から脱し、人類が真の自由を取り戻すためには、先ずもって、ユダヤ人や中国人が、自らの思考をも縛る未来拘束性から解放されるべきではないかと思うのです。


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