ユダヤ人が何故、神から与えられた使命を放棄した、あるいは、曲解したのか、という問題については、トーラーに関する解釈が必ずしも一つではない点にも起因しています。神は単一なのですが、人々の間で神の言葉の解釈が分かれますと、唯一絶対であるはずの神が、事実上、複数存在してしまうという深刻な問題を、神との契約のその日からユダヤ人は抱えてきたことになりましょう。このため、ユダヤ教には、サドガイ派、ファリザイ派、エッセネ派などの様々な宗派が生まれ、しかも、今日至るまで、イスラム教や新プラトン主義といった外部の宗教の影響をも受けてきました。所謂ユダヤ教と称される宗教は、タルムードやカバラを含めるとしますと、案外、それ程歴史を古く遡るわけではないようなのです。ヤコブ・フランクに至っては、「現世の生活を重視し、もろもろの信仰、習慣、掟の廃止(メシアが来ないのならば、ユダヤ人はせめて勝手気ままに楽しむように…)」を主張したとされます。この問題につきましては、後日扱うといたしまして、本日は、昨日の記事の文末で言及したユダヤ教とは別系譜のユダヤ人の宗教について認めたいと思います。
ユダヤ人につきましては、今日にありましても、ネット上などでも陰謀論が後を絶たないのが現状です。中には、幼児の人身供養を指摘する向きもあるのですが、同陰謀論、単純に反ユダヤ主義による‘作り話’とは思えない節があります。昨日ご紹介いたしましたアンドレ・シュラキ氏が著した『ユダヤ思想』(白水社、クセジュ文庫)のむすびには、以下のような一文があります。
「近代社会の偶像崇拝、すなわち近代社会が正当と認めているさまざまな形の隷従―それは程度の差こそあれ、いずれも抜け目なくものである―は、モロクの神(訳注:子供を生贄に捧げて祭ったセム族の神)への崇拝よりもいっそう残忍で、おぞましく、恐ろしく、非人道的なものではないだろうか。」
というものです。おそらく、ここで言う近代社会の偶像崇拝とは、共産主義体制等に見られるパーソナルカルト(個人崇拝)、あるいは、隠れた悪魔崇拝を意味するものと推察されるのですが、ここに、モロクの神という言葉を見出すことができます(マックス・ヴェーバーの『古代ユダヤ教』にも記述がある…)。モロクの神とは、モロコやマルクートとも称されますが、ユダヤ教の成立以前にあってユダヤ人(特に北アフリカから中近東)の間で崇拝されてきた半人半獣の神です(頭部は牛…)。ソロモン王が密かに崇拝していたとされつつも、新旧の両聖書にあっては拝んではならない異教の神とされています。いわば、正統のユダヤ教にとりましては、排除すべき神といえましょう。
ところが、このモロクの神への信仰、今日まで維持されていた可能性がないわけではありません。アメリカでは、2019年8月に、ユダヤ人の大富豪でありながら、刑事事件の被告人となったジェフリー・エプスタインという人物が謎の死を遂げています。同氏の交友関係は広く、アメリカのクリントン元大統領夫妻やイギリスの元ブレア首相、さらには、イスラエルのバラック元首相の名前も挙がっています。また、ロスチャイルド家やロックフェラー家といった金融財閥一族とも親交があり、英王室のアンドリュー王子との関係も取沙汰されています。いわば、超国家権力体の中枢部に身を置いていた人物であることは疑い得ないのです。そして、同氏が問われた罪とは、未成年の少女たちの虐待を伴う人身売買なのです(カニバリズムの噂も…)。
今日にあって、ディープ・ステートとも呼ばれるユダヤ系の超国家権力体にまつわる陰謀論にあっては、児童の人身供養の噂が絶えません。そして、エプスタインのような人物が実在していた事実を目の当たりにしますと、多くの人々は、モロクの神が密かに崇拝されつづけてきた可能性を頭から否定はできなくなりましょう。そして、同組織が全世界の諸国に及ぼす絶大なるパワーを考慮すれば、その存在は、全人類にとりまして深刻な脅威となりかねないのです(あるいは、バビロニアン・タルムードとも結びつき、シュラキ氏が指摘するように、モロコ教よりもより一層冷酷非道思想へとパワーアップしているかも・・・)。日本国内ではこうした情報は報じられることは殆どありませんが、自国、並びに、自国民の安全を護るためには、モロク教、あるいは、それ以上に恐ろしい存在を想定した上での対策を講じる必要があるのではないかと思うのです。