万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国民の関心事が‘公約除外’とされる問題

2024年10月25日 12時23分05秒 | 日本政治
 各政党が公約を掲げて選挙戦を闘うスタイルは、一見、公約の比較により国民が政策を選べるという意味において民主的制度を進化させたように見えます。国民による単なる人事権の行使ではなく、間接的であれ、国民が政策形成過程に関与する形となるからです。しかしながら、これまでの記事でも述べてきたように、公約には様々な問題が潜んでいます。本日提起するもう一つの問題は、国民の関心が高い重要問題が‘公約除外’とされる問題です。

 各党の公約の要旨を読み比べてみますと、あたかも示し合わせたかのように特定の政策領域に公約が集中しています。もちろん、これらの公約を編集したメディア側が予め恣意的に取捨選択している可能性もあり、詳細な政策綱領にあってはより幅広い政策領域について記載されているかも知れません。しかしながら、投票に際して多くの有権者が判断材料とする比例代表区の選挙公報を読みましても、何れの政党も、自民党の裏金問題に端を発した政治改革、減税案を含む税制、社会保障政策、教育無償化等の子育て・教育支援、日米同盟の在り方を問う安全保障政策などに集中しているのです。しかも、その殆どが箇条書きであり、詳しい説明が付されているわけでもありません。

 それでは、国民の政治的関心は、政治サイドが設定した政策領域に限定されているのでしょうか。紙面や文字数が限られているため、重要な問題しかピックアップできなかったとする理由付けもあるかもしれません。しかしながら、昨今の社会状況や世論の動向からしましても、公約に掲げるべき重要問題は山積しています。例えば、近年の急増を受けて治安の悪化も懸念される移民問題は、既にアメリカやヨーロッパ諸国のみの政治課題ではなくなっています。川口市のクルド人問題のみならず、外国人や中国系マフィア等による犯罪事件が頻繁に報じられるようにもなりました。本来であれば、欧米諸国と同様に、日本国にあっても活発に議論し、選挙を介して国民が判断すべき問題と言えましょう。

 また、移民問題に劣らず、政府によるコロナ・ワクチンの接種事業に対しても、国民の間から疑問や反対の声が上がっています。厚生労働省が認定しただけでも、800名を超える人々が命を落としており、その健康被害は甚大です。安全性が疑問視されているレプリコン型ワクチンの接種も始まってもおり、国民の不安は募る一方です。マスメディアは、‘反ワクチン’については、あたかも極端な思想の持ち主が集まった‘陰謀論者’の集団であるかのように報じていますが、自公政権によるワクチン接種推進政策については、多くの国民が、抜本的な見直しと時間をかけた客観的かつ科学的な検証を望んでいるのではないでしょうか。

 さらには、現政権が積極的に推進しているマイナンバー制度をはじめとしたデジタル化やカーボンニュートラル政策も、国民監視の強化やデジタル全体主義化、並びに、環境破壊やエネルギー価格の高騰等の危惧もあり、国民から積極的な支持を受けているわけでもありません。これらの他にも、東京メトロの政府保有分の売却やNTT法の見直しを含む民営化政策やその他の新自由主義政策、国民の生活水準の低下を意味する物価高、矛盾に満ちた農政への懸念、さらには、憲法改正に際しての緊急事態条項の扱いなど、国民は、自らに直接に関わる政治問題を多数抱えています。あるいは、曲がり角を迎えている象徴天皇や皇族の問題も、その存在意義を含めた既に国民的な議論を要する時期に差し掛かっているように思えます。

 これらの重要課題については、公約にあって積極的に自らの党の立場や方針を明らかにしている政党は皆無に近く、むしろ、申し合わせたかのように議論を回避しているようにも見えます。何れの政党も、当たり障りのない一般受けするような公約ばかりを並べており、政策選択としての争点らしい争点も見当たらないのです(敢て言えば、自公政権存続の是非をめぐる選挙・・・)。国民の負担減を訴えるという意味では評価されるのでしょうが、上述したような国民の関心が高い重大な問題については議論を避けるという、一種の‘談合’が政党間に成立しているとも言えましょう。

 こうした政党間に観察される画一的な公約対象の事前選択は、有権者の選択を無意味にする多頭作戦を採用してきた世界権力が、日本国の主要政党を外部からコントロールしている証でもあるのかも知れません。単独であれ、連立であれ、選挙の結果として何れの政党が政権与党となろうとも、同勢力の基本方針から大きく外れることはなく、各政党の公約にちりばめられている自らの政策を実行させれば、日本国をグローバルレベルでの自らの支配体制によりしっかりと組み込むことが出来るからです。しかもそれは、誰からの命令や指示でもなく、民主的選挙を介して日本国民が‘自らの自由意志で選択した結果’と見なされるのです。

 以上に述べてきた公約の問題は、結局、国民の発案権が弱いという現状の制度的欠陥にも行き着きます。選挙における公約とは、政策決定手続きの入り口である提案の権限を政党や政治家が独占していることを意味するからです(しかも、公約に掲載されていない部分は白紙委任になりかねない・・・)。このように考えますと、グローバリストのコントロールの外にあり、独立的かつ広く民意を代表する政党の出現、否、政党に拘わらず、より民意を反映し得る政治システムの構築こそ、今日の日本国民は必要としているのではないかと思うのです。

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