ドイツ侵攻で57兆円賠償請求を ポーランド議会が試算
報道に拠りますと、ポーランド下院の調査チームは、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツによる同国が受けた被害を57兆2000億円と試算し、同国政府に対して対独請求を求めたとされております。この対独賠償請求、やはり無理があるように思えます。
ポーランドの対独賠償請求に対して、ドイツは、1953年8月22日にソ連邦とポーランドとの間で締結された協定において、東西両ドイツを含む“ドイツ”に対する請求権は放棄されたと主張しています。1970年12月7日に署名され、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)とポーランドの両国間の関係正常化をもたらしたワルシャワ条約でも、ポーランドによる請求権放棄は確認されたとする立場にあるのです(同条約第4条?)。
ドイツの主張の背景には、第二次世界大戦におけるポーランドに対する賠償支払いは、ソ連経由であったとする特殊な事情があります。1945年8月2日に締結されたポツダム協定によって、ポーランドに対する賠償支払いは、ソ連に対する賠償としてソ連占領地域から徴収された分から充てられるとされたからです。敗戦当時、ドイツは、経済の疲弊は著しく、賠償の支払いは、在外資産やデモンタージュと称された工場・機械設備の接収によって行われました。ソ連による賠償徴収は苛烈を極め、デモンタージュが1948年に終了した後も、東ドイツ(ドイツ民主共和国)から現物による賠償支払いが継続されたそうです。
戦前にあっては現在のイメージとは逆に、東西分裂後に東ドイツ地域となるドイツ東部のほうが、旧プロイセン領であり、かつ、首都ベルリンが所在したこともあり、西部地域よりも産業が格段に発展していました。その東ドイツが、戦後は工業生産力の低い後進国に転落するのですから、ソ連邦の賠償取立ての過酷さが窺われます。長期にわたって蓄積されてきた工業生産力が根こそぎドイツから徴収されたのですから、その額は、現在の価値で換算すれば、今般の賠償請求額を上回るかもしれません。
こうした戦後史を考慮しますと、仮に、ポーランドが賠償を請求するのであれば、その請求先は、ソ連邦、即ち、現ロシアではないか、という疑問が生じます(ドイツとソ連邦の両面侵攻によりポーランドは分割されており、ポーランドは、同侵略行為に基づく対ソ(ロ)賠償請求権もあるのでは…)。ソ連邦は、自らはドイツ領内から賠償を強制的に取り立てながら、ポーランドに対しては被害を償うに足る賠償分配を行わなかった可能性があるからです。また、ソ連邦のポーランドに対する賠償分配が十分な額であったとすれば、今般のポーランドの請求は、ドイツに対する二重請求となりましょう。果たして、今般の問題に対して、ポーランドに出自を遡るメルケル首相は、どのような対応を見せるのでしょうか。
戦争被害に対する賠償問題とは、それが法的な権利である以上、国際社会における国際法秩序の成立を前提としております。そうであるからこそ、賠償請求は事実、及び、法的関係に基づくべきであり、請求先や根拠を誤ってはなりませんし、ゆめゆめ勝者による敗者からの掠奪や“被害者ビジネス”と化してはならないと思うのです(もっとも、真の戦争責任はどこにあるのか、という道義をも含む歴史上の難問が残る…)。
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ポーランドの対独賠償請求に対して、ドイツは、1953年8月22日にソ連邦とポーランドとの間で締結された協定において、東西両ドイツを含む“ドイツ”に対する請求権は放棄されたと主張しています。1970年12月7日に署名され、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)とポーランドの両国間の関係正常化をもたらしたワルシャワ条約でも、ポーランドによる請求権放棄は確認されたとする立場にあるのです(同条約第4条?)。
ドイツの主張の背景には、第二次世界大戦におけるポーランドに対する賠償支払いは、ソ連経由であったとする特殊な事情があります。1945年8月2日に締結されたポツダム協定によって、ポーランドに対する賠償支払いは、ソ連に対する賠償としてソ連占領地域から徴収された分から充てられるとされたからです。敗戦当時、ドイツは、経済の疲弊は著しく、賠償の支払いは、在外資産やデモンタージュと称された工場・機械設備の接収によって行われました。ソ連による賠償徴収は苛烈を極め、デモンタージュが1948年に終了した後も、東ドイツ(ドイツ民主共和国)から現物による賠償支払いが継続されたそうです。
戦前にあっては現在のイメージとは逆に、東西分裂後に東ドイツ地域となるドイツ東部のほうが、旧プロイセン領であり、かつ、首都ベルリンが所在したこともあり、西部地域よりも産業が格段に発展していました。その東ドイツが、戦後は工業生産力の低い後進国に転落するのですから、ソ連邦の賠償取立ての過酷さが窺われます。長期にわたって蓄積されてきた工業生産力が根こそぎドイツから徴収されたのですから、その額は、現在の価値で換算すれば、今般の賠償請求額を上回るかもしれません。
こうした戦後史を考慮しますと、仮に、ポーランドが賠償を請求するのであれば、その請求先は、ソ連邦、即ち、現ロシアではないか、という疑問が生じます(ドイツとソ連邦の両面侵攻によりポーランドは分割されており、ポーランドは、同侵略行為に基づく対ソ(ロ)賠償請求権もあるのでは…)。ソ連邦は、自らはドイツ領内から賠償を強制的に取り立てながら、ポーランドに対しては被害を償うに足る賠償分配を行わなかった可能性があるからです。また、ソ連邦のポーランドに対する賠償分配が十分な額であったとすれば、今般のポーランドの請求は、ドイツに対する二重請求となりましょう。果たして、今般の問題に対して、ポーランドに出自を遡るメルケル首相は、どのような対応を見せるのでしょうか。
戦争被害に対する賠償問題とは、それが法的な権利である以上、国際社会における国際法秩序の成立を前提としております。そうであるからこそ、賠償請求は事実、及び、法的関係に基づくべきであり、請求先や根拠を誤ってはなりませんし、ゆめゆめ勝者による敗者からの掠奪や“被害者ビジネス”と化してはならないと思うのです(もっとも、真の戦争責任はどこにあるのか、という道義をも含む歴史上の難問が残る…)。
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お知らせまで。またクラインさんのブログにもメールマガジンと同じ文があります。今、確認しました。http://d.hatena.ne.jp/eschborn/
クラインさんと私は考え方は違いますが、お互いに尊重して認め合っています。クラインさんは倉西先生のブログお読みなのですね。嬉しくなってお知らせしました。
クライン孝子氏がご自身のブログ等で、本エントリを紹介なさっておられるとのこと、身に余るものと恐縮いたしますと共に、大変うれしく思っております。今後とも、お役にたてるような記事を認めるよう、心がける所存でございます。