万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

忘れられたタイタニック号沈没の教訓

2023年06月23日 10時43分56秒 | 国際政治
 1912年4月15日、世界最大級の豪華客船にして最先端の造船技術を以て不沈ともされたタイタニック号が、北大西洋上にあって巨大氷山群に衝突し、沈没するという忌まわしい事故が発生しました。同事故において乗員乗客2224名の内凡そ1500名の乗客がマイナス2℃ともされる冷たい海で命を落としています。犠牲となられた方々の遺体のうち200体ほどはカナダのハリファックスに埋葬されているもの、その他の多くの人々は海に沈み、タイタニック号が沈没した海底の現場は墓標なき海の墓場となったのです。

 タイタニック号の悲劇的な沈没事故は人々に強い衝撃を与え、二度にわたり映画化されたことに加え、1914年に「海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS条約)」が締結される契機ともなりました。何故ならば、タイタニック号の沈没は、人為的な要因による人災という側面が強かったからです。言い換えますと、事前に安全性を正確に評価し、これに基づくリスク対策を施し、かつ、責任者が状況に対して的確に判断を下していれば防ぐことができた事故であったのです。

 同船体の沈没原因は複合的ではあるのですが、(1)最先端の造船技術に対する過信(隔壁4区画の浸水には耐えられるけれども、それを越えると沈没する・・・)、(2)船体のプレートを接合するリベットの寒冷時における応力低下、(3)全乗員乗客を収容できない救命ボートの搭載数、(4)スミス船長並びに無線オペレータまたは機器のトラブルによる氷山警告の無視または軽視、(5)見張りによる氷山群の見落とし、(6)スケジュール優先の高速航行、(7)氷山との衝突回避のための「左舷旋回」における減速・・・などが指摘されています。これらの中には立証が不十分な要因があるものの、何れもが人為的なものでした。それ故に世論は憤慨し、イギリスとアメリカでは、事故原因と責任を追及するための調査も実施されたのです。

 かくしてタイタニック号の沈没事件は、人災による悲劇的海難事故として人々の記憶に刻まれることとなったのですが、同事故の教訓は、今日にあっても十分に活かされてはいないように思えます。本日も、タイタニック号の沈没現場を見学するために潜水艦ツアーに参加した5名の方々の生存は絶望的、とするニュースが報じられております。今般の事故も、タイタニック号の誤りを繰り返してしまった感が拭い去れないのです。

 事故を起こした潜水艇‘タイタン’についても、以前から安全性に関する脆弱性が指摘されておりました。(1)ゲーム用コントローラーによる操縦、(2)窓枠の強度、(3)電気系統のトラブル、(4)不安定な通信状態(数度の行方不明事件あり・・・)、(5)安定化チューブのブラケット破損の前例、(6)96時間分の酸素供給量、(7)遭難時に固定位置情報の提供するビーコンの不搭載など、事前に把握されていた問題点を挙げれば切がありません。ドイツ紙ビルトが、ドイツ人冒険家アルトゥール・ロイブル氏の談として「あれは自殺行為だった」と報じるほどです。リスクが十分に認識されていながらも、ツアー料金3500万円というのですから、タイタンの運営会社のオーシャンゲート・エクスペディションズが、ビジネスによる利益を優先させた結果が、今回の事故を招いたとも言えましょう。タイタニック号についても、事故の遠因としては、国際海運商事や同号の所有者であったホワイト・スター・ラインの安全性を軽視した利益中心主義の姿勢が問われています(もっとも、上述した事故調査では、両者の過失は認められなかった・・・)。

 そして、ビジネス優先による悲劇は、タイタニック号やタイタン号の事故のみに留まらないように思えます。太陽光発電の普及にせよ、mRNA型ワクチンの接種推進にせよ、デジタル化やマイナンバーカードの利用拡大にせよ、安全性よりも利益が優先されるケースが後を絶たないからです。事前にリスクが指摘されながらも、先端的なテクノロジーの先進性を前面に掲げ、スピードアップこそすれ、決して立ち止まろうとはしないのです。およそ1世紀を隔てて起きた二つの海難事故は、同じ誤りを繰り返す人々への警告と見なすべきなのではないかと思うのです。

 なお、タイタニック号沈没に際して世論が激しく憤慨した背景には、富裕層である一等船客が優先的に救助されたという事情もありました。とは申しますものの、優遇されたとはいえ男性乗客の死亡率は67%であり、同号の惨事の凄まじさを物語っています(男性の二等船客の死亡率は実に92%に達し、三等船客では84%であった・・・)。今般のタイタン事故で亡くなったとされるのは、操縦士を務めたオーシャンゲート・エクスペディションズのCEOを含め、高額のツアー料金を支払ってでも海の底に横たわるタイタニック号の見学を楽しもうとした富裕層の人々なのですが、同海域が未だに救いを求める魂の彷徨う海の墓場であることも忘れていたのかもしれません。

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