今日では、就任して日の浅いイギリスの首相の名を知らなくでも、ビル・ゲイツ氏やイーロン・マスク氏の名は誰もが知っています。政治家は、任期を終えると表舞台から去って行きますが、巨万の富を手にするグローバリスト達は、あたかも終身の指導者のごとくであり、その意向一つで世界を自らのヴィジョンに合わせて変えてしまうのです。そして、これらの人々が、民間人の一人に過ぎないことに思い至りますと、現代とは、マネー・パワーを握る極一部の私人に支配されている時代と言っても過言ではないかも知れません。そしてそれは、権力を私物化する政治的独裁者と然して変わりはないのです。
マネー・パワーによる私的独裁が成立するに至った主たる原因は、今日の経済システムの欠陥にあります。この問題は、オランダ東インド会社由来の株式会社という組織形態に組み込まれており、同企業形態では、株主に一定の権利を与えるため、株式の取得が企業の独立性を失わせ、私的独占・寡占を促すメカニズムとして働くのです(今日、競争法が機能しているとも思えない・・・)。そして、グローバル化と共に国境を越えてマネーが自由に移動できる時代を迎えますと(資本移動の自由化)、マネー・パワーは瞬く間に全世界に及び、富裕な私人達、即ち、非合法な世界権力による新たな植民地支配の如き様相を呈していると言えましょう。
それでは、世界権力に富も権力も集中する現状を変えることはできるのでしょうか。共産主義の信奉者の人々は、現政府を革命によって転覆し、政府が全面に経済を管理・統制する共産主義体制を樹立すればよい、と主張するかも知れません。しかしながら、国家による独占も私人による独占もその本質において変わりはなく、共産主義国家の実態は、共産党幹部による富と権力の私物化でしかありません。これでは改悪ですので、‘変えれば良い’というものでもないのです。なお、資本主義か共産主義下の二者択一の構図は、選択者がどちらを選んでも不幸になるという、世界権力お得意の二頭作戦なのでしょう。
かくして、真っ先に共産革命が選択肢から外れるのですが、変化を求めた結果、経済システムが根底から破壊され、人類の生活水準が著しく低下するのでは元も子もありません。そこで、考えられる一つの案が、株式の社債への転換です。今日のシステムでは、株主の権利は企業に対する貢献度からしますと強過ぎます。株式の発行とは、本来、企業の資金調達の手段に過ぎませんので、株主が、一般の債権者以上の権利を有するのは、貸借関係からすればバランスを欠いているのです。
株式を社債に転換すれば、株主の権利は、一般の債権者と同程度にまで縮小されます。これまで株主に支払われていた配当も、利払いの形態に転換されます。その一方で、企業にとりましての株式発行の利点は、償還の満期日が定められておらず、返済圧力を免れる点にあります。このため、社債に変換しますと、償還金額が準備できずに債務不履行の状態に直面するリスクが高まりまるのですが、同リスクについては、20年や30年といった超長期社債の形態として発行するのも一案となりましょう。この点、償還までの利払い並びに償還金総額と同期間における配当金の支払い総額とを比較して、前者が低コストとなれば、社債への転換は企業にとりましてメリットとなり、社員の給与額のアップや設備投資等への投資に繋がります。その一方で、前者が高コストとなるのであれば、企業は、社債の発行を控える方向に判断することとなりましょう(少なくとも、今日のように、グローバリストに強いられてDXやGXなどへの無理な投資を行なうような経営判断はしなくなる・・・・)。
また、株式の社債への転換は、投機的行為を抑制する作用も期待されます。これは、「資本主義」の致命的な欠点ともされてきたバブルの発生を抑える効果でもあります。何故ならば、債権の場合には、金額が券面に明記されているために、額面の額を超えての取引にはセーブがかかります。ところが、株式の場合には、株価は証券取引所での売買によって成立しますので、株価(価格)には天井がないに等しいのです。言い換えますと、株式制度とは、投資家、否‘投機家’の思惑も加わって価格が乱高下しますので、経済にとりましては不安定要因と言わざるを得ないのです。このため、一人の投機家が自らの個人的な利益のために世界恐慌や金融危機を仕掛ける、という事態もあり得るのです(このリスクは、為替市場にも見られる・・・)。
そして何よりも、株主が有する運営介入の権利、即ち株主総会における議決権も消滅すれば、各々の企業は、融資を受け、返済義務のある債務者ではあっても株主による介入を受けずに済みます。この企業の独立性こそ、規律ある自由主義の前提条件なのです(つづく)。