万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ミス日本問題から読む政治化するコンテスト

2024年01月30日 11時46分34秒 | 国際政治
 先日、ミス日本に両親ともにウクライナ人であり、5歳で日本国に移住してきた女性がミス日本に選ばれるという出来事がありました。人種・民族、即ち、容姿はコーカサイド系で遺伝的にはウクライナ人なのですが、出場資格となる日本国籍は取得しており、審査員並びにご本人自身も、内面は日本人であると主張しています。美の基準、人種、民族、居住国、国籍、国民性、当事者のアイデンティティーといった複数の要素が複雑に絡むため、内外にあって議論を呼ぶこととなったのです。

 この問題、ジレンマやトリレンマどころではない、‘マルチレンマ’となりますので、‘ある国で最も○○な人’を選ぶことが、殆ど不可能なほどに難しくなったことを示しています。今般のコンテストで賛否両論が渦巻いたのも、複数の基準が混在しており、しかも、それが相互に矛盾するからなのでしょう。

 そもそも美の基準は一つではなく、民族、国、地域、年代さらには個人などにより違いがあり、これらに審査者の主観も加わるのですから、‘最も美しい人’を選ぶのは難しい作業です。とは申しましても、同コンテストが、グローバル・スタンダードを美の基準としたことは容易に想像されます(コーカサイド系の方が、普遍的な比例美としての黄金律に近いのかも知れない・・・)。ここに、ナショナル・チャンピオンをグローバル・スタンダードを基準にして選ぶと、その国の人が悉く落選してしまうという問題が生じます。各国のマラソンの選手がアフリカ系で凡そ独占され、卓球の国際大会が、殆ど中国系の選手で占められてしまうのと同じ現象です。

 仮に、同コンテストの美の基準をナショナル・スタンダード、すなわち日本基準に変えるとしますと、平安時代や鎌倉時代の引目鉤鼻とは言わないまでも、上村松園、鏑木清方、伊東深水等が描いた日本画の美人画あたりが基準となるのかも知れません。江戸期の浮世絵を引き継いで明治以降に描かれた美人画は、およそ日本美人の表現が形式化されており、色白の細面に切れ長の目、細くて筋の通った高い鼻、そして、富士額に小さな口元といった共通の特徴をもった顔立ちで描かれています。どこか儚げな着物姿も、日本美人の基準と言えましょう。こうした美人画の要素を美の基準としますと、外国人からは、同コンテストは差別的として糾弾されるのでしょうか。一方、上述したように、グローバル・スタンダードが採用されますと、美人画風の日本代表は逆差別を受けかねないのです。

 そして、この問題をさらに複雑にしたのは、審査員の判断並びにミス日本の自己認識です。ミス日本に選ばれたウクライナ出身の女性は、5歳から日本に住み、日本社会に慣れ親しんでいるため、自らのアイデンティティーを日本人に定めています。審査員も、同女性の日本人らしさを強調しています。しかしながら、美人コンテストの第一の基準は、上述したように美ですので、内面は二の次なはずです。内面が評価基準であるならば、他の出場者達は、‘日本人らしくなかった’ということにもなりますし、‘日本人ではないのに日本人らしい’と言う点が特に評価されたならば、やはり、外国にルーツを持つ出場者の方が有利となりましょう。

 また、優勝者の方は両親ともにウクライナ人ですので、家庭における日常生活は、ウクライナ語が話され、ウクライナの伝統的な慣習や習俗を継承したものであったものと推測されます(もっごも、ウクライナには、ロシア系やユダヤ系をはじめ異民族も多いので、‘ウクライナ人’とは限らない・・・)。自己のアイデンティティーの形成期においてウクライナ人の両親からの影響が全くなく、親子間でアイデンティティーが断絶してしまうということは、現実にあり得るのでしょうか。優勝者の女性は、今後、何かにつけて‘日本人’であることを強く求められますので、むしろ、自らのウクライナ・ルーツを意識して消さなければならなくなるかもしれません。

 以上に、主要な矛盾点並びに疑問点を述べてきましたが、ある程度は理屈で同コンテストが混乱要因を分析できるものの、やはりどこか違和感が残ります。そして、この違和感こそ、政治的意図なのではないかと思うのです。この政治的意図とは、定住者としてのウクライナ難民の日本国による受け入れです(加えて、親ウクライナ国としての日本国のアピール・・・)。否、ウクライナ難民のみならず、その他全ての移民や難民も含まれているのかも知れません。目下、イスラエルが、諸外国に対してパレスチナ難民の受け入れを要求していますので、来年の優勝者は、パレスチナから来日した女性となるシナリオもあり得ましょう。国籍と主観的な自己認識が重視された理由も、移民受け入れ政策の一環とすれば説明が付くのです。

 今年の芥川賞も生成AIを用いた作家が受賞しており、最近のコンテストは、世界経済フォーラムが目指す‘グレートリセット’に象徴される未来ヴィジョンの方針に沿った選考が行なわれているように見えます。美人コンテストについては、既に時代錯誤とする批判もあるのですが、選考にあって政治色が強まるほどに、かつての‘権威’も輝きも色褪せてゆくように思うのです。

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