万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日韓政略結婚の泥沼の離婚劇

2010年08月16日 15時17分11秒 | アジア
菅首相談話 将来への禍根を憂う産経 他紙は「共感」、「妥当」も(産経新聞) - goo ニュース
 どの資料に掲載されていなのかは忘れてしまったのですが、1910年の韓国併合当時の日本国政府が作成したポスターの写真を見たことがあります。それは、紋付羽織はかまを着た新郎を日本に見立て、韓国は、新郎に手をひかれてしずしずとしとやかに歩く花嫁として描かれていました。当時にあって、日本国政府の韓国併合に対する意識は、他家から花嫁を迎えるといった感覚であったのかもしれません。

 歴史学の世界でも、日韓併合当時は、日韓同祖論など、時機に合わせた説が登場しています。また、『魏志倭人伝』には、狗邪韓国は倭人の国とあり、『日本書紀』にも任那日本府の記述に見られるように、半島南部には、かつて日本領があって倭人が居住しており(継体天皇の時代に百済に割譲)、新羅や百済には倭人系の王も存在していました。韓国側は、こうした記述を虚構として否定し、むしろ、逆の説を展開していますが、日本国政府は、かつて半島南部に統治権を及ぼしていた事実を、日本国側の併合の根拠として意識していたようです。合併当時、政府は、積極的な両民族間の婚姻を進めてもおり、朝鮮を植民地化して搾取しようといった雰囲気は、感じられないのです。

 とは言いますものの、やがて、日本国政府は、日本への渡航に制限を設けたり、婚姻の奨励を撤回したりと、分離政策へと転じてゆきます。その理由は、おそらく、両民族の気質の違いにあったのかもしれません(日本人はモラルにうるさい)。これは、政略結婚ゆえの悲劇であり、花嫁の気質を全く知らなかったのです(元寇後の半島における民族構成の変化を過小評価していた・・・)。今日でも、日韓の両国の国民性は、正反対と評されています。いわば、家庭内別居の状況に至ったのであり、第二次世界大戦の敗北の結果、ついに、晴れて両者は離婚することになったのです。

 さて、離婚はしたものの、日本国は、日韓基本条約で慰謝料を支払い、生活保護などの養育費も負担しました(併合に際しては、持参金どころか、実家の借金までも肩代わりし、立派な家も建てている)。それどころか、戦後の混乱期には、殴るけるの暴行を受け、領土の一部や土地といった財産も奪われました。未だに、様々な要求が後を絶たず、離婚後も泥沼状態が続いていますが、果たして、韓国と政略結婚をしてしまった日本国は、一方的な加害者なのでしょうか。

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