「資本主義」については、資本家による労働力の搾取の問題に批判が集中しがちです。しかしながら、これは、共産主義を唱えたカール・マルクスによる一種の誘導であって、‘資本家’の魔の手は労働者のみに向かっているわけではありません。実のところ、企業もまた、労働者と同様に‘搾取のシステム’に組み込まれているかも知れないのです。つまり、株式システムそのものを見直さないことには、極少数の‘資本家’、即ち、今日で言えば世界権力を構成するグローバリストに富が集中する現状を変えることはできないのです。
今日の会社法を読みますと、株式会社が企業の基本モデルとなっていることは一目瞭然です。事業を興そうとすれば、設立時に株式を発行し、外部者から出資を受ける必要があります(創業者が自社株を保有する場合でも、一先ずは、外部の‘株主’という立場となる・・・)。言い換えますと、企業とは、その誕生の時から自らに関する権利を他者である株主に与え、配当金等を支払う義務を負うのです。他者に対する法的義務を負って生まれてくるのですから、人間以上に過酷な条件下で誕生していることとなります。
さて、こうした状況を変えるには、先ずもって、株式会社という形態をなくしてゆく必要があります。その方法については、本記事でも提案してきたのですが、第一に、自己株式消却があります。株式自体を消滅させれば、株主もいなくなります。もっとも、この方法ですと、発行株式数が多い場合には株式数が減少しますので、大株主の影響力が相対的に増し、企業に対する要求を強めるリスクがあります。実際に、株主の利益のために一株当たりの価値を高めることを目的に、自社株買いをする企業も見られます。また、全株式を消却した場合には資本金がゼロとなり、法的な会社の地位を失う可能性があります(因みに、2006年の法改正で、資本金1円でも会社設立は可能なので、資本金1円までの消却は可能?)。このため、自社株買いをした場合には、消却せずに金庫株として保有しておく方が、より安全な方法であるのかも知れません。
これらの方法は、現状にあって実行可能なのですが、それでは、株式の社債への転換はどうでしょうか。こちらの方は、不可能ではないけれども、法改正が望ましいこととなります。企業の基本モデルの変更、すなわち、株式会社という形態の廃止、もしくは、会社形態の自由化を伴うからです。つまり、株式会社の形態を前提として制定されている会社法を改正する必要があるのです。
現状でできる範囲での企業側の措置とは、社債への転換を株主に提案することです。今日の社債には転換社債という種類があり、一定の条件下において株式に転換できる権利が保有者に付与されています。株式から社債への転換は同社債とは逆方向になるのですが、法的に禁止されているわけではないようです(会社法の専門家ではありませんので、間違えましたならばごめんなさい)。企業側が社債への転換に際して株主側が応じ得る条件を提示すれば、全てとは言わないまでも、この申し出に応じる株主も少なくないはずです。また、株式の社債への転換案を株主総会に提示し、過半数の賛成票を得れば同案は通ることとなります(なお、全株式の転換となりますと、同方法も資本金ゼロの問題に直面・・・)。
これらの方法は不可能ではないのですが、より確実性を求めるならば、上述したように法改正を要することとなりましょう。つまり、立法過程を経て、株式を社債に変換する法案を可決・成立させるのです。同法案は、株主の財産を没収するわけでもなく、事業業績等を基準に客観的に算定した妥当な額面価格であれば、国民のみならず株主の多くも受け入れることでしょう(なお、社債の額面価格の決定に際しては、高値転換を狙う投機の影響を排除する必要がある・・・)。あるいは、企業側による一定の配当金の支払い期間を設定し、同期限が到来した時点で、株式を消滅させるという方法も考えられましょう(消却を前提に配当額の上乗せも・・・)。
全世界の諸国において株式会社という存在が消滅した時、それは、世界権力から人類が解放される時となるかもしれません。企業は資本金を必要とせず、個々人も株式の発行なくして会社を設立することができるようになるのです(将来的な企業の在り方については後日論じる予定・・・)。そして、この株式システムの消滅の影響は、経済全体に多大なる影響を及ぼすこととなりましょう。それは、独立した企業群の出現であり、真の自由主義経済が、ようやくその基盤を整えることを意味するのではないかと思うのです。