所謂「資本主義」に対する批判として、しばしば投機に起因する恐慌の発生が挙げられてきました。それは、「資本主義」の宿命のように語られるのですが、近代以降の経済を振り返りますと、周期的とまでは言えないまでも、確かにバブル発生⇒バブル崩壊⇒経済危機が繰り返されています。とりわけ、ニューヨーク証券取引所の株価暴落が引き金となり、瞬く間に全世界に波及した1929年の世界恐慌は第二次世界大戦の遠因とされ、恐慌の発生は人類に禍をもたらしてきたのです。昨日、日本国の東京株式市場でも、リーマンショックの際のブラックマンデーを越える4451円28銭という過去最高の下げ幅を記録しています。
下落の理由としては、アメリカの景気減速の観測並びに日銀の利上げに伴う円高傾向が輸出関連株の‘売り’を招いたとされています。同説明が現実を説明しているとすれば、今般の日本株価の暴落は、恐慌を懸念するほどのことではないということになりましょう。近年の超円安からしますと調整局面に入ったと見ることができますし、株価を下げたとしても超円高以前、あるいは、FRBの利上げ日米間の金利差が拡大する以前の状態に戻るに過ぎないからです。慌てる必要はないのですが、同暴落が、投機筋による‘仕掛け’であるとしますと、お話は別となりましょう(1929年の世界恐慌には、底値で株を買い漁った投機筋説があり、逆張りという言葉もあるように、投機筋が一般投資家の投げ売りによる安値買いを期待しているならば、売らない方が賢明・・・)。
かくして、今日の経済は、株価の変動に振り回されているのですが、「資本主義」の最大の問題点は株式にあるのではないか、とする記事を、以前、本ブログに掲載いたしました。株式の問題は、上述した株価暴落による金融・経済危機を引き起こすのみではありません。かつては、‘企業は株主の所有物’とする見方も見受けられたのですが(封建時代における荘園の私有のごとくであり、一種の‘人身売買’ともなりかねない・・・)、株主、すなわち債権者(出資者)が、あまりにも過剰な権利を持つことが、自由な経済を著しく歪めているからです。
否、株式制度は、自由主義経済を私的独占へと移行させてしまう元凶とも言えます。資本関係や買収等により企業の独立性を失わせ、結果として、自由競争による経済発展のメカニズムを機能不全にしてしまうのですからです。実際に、独立的なスモール・ビジネスは、大手に買収され、今では、変わり映えのしないグローバルなチェーン店の看板がグローバルな都市風景となっています(先端技術分野におけるスタートアップスも成功すれば大手に買収されてしまう・・・)。また、経済においては、とりわけ価格において規模が圧倒的な有利性を与えますので、規模の大きな企業、あるいは、プラットフォームを構築した企業はますます巨大化して競争力を増す一方で、不利な競争を強いられる中小企業は、市場から撤退するか、大手に吸収されるかの道を歩まざるを得なくなるのです。そして、同買収や合併には、株式取得という手段がしっかりと用意されているのです。
加えて、株主権の行使は、株主が経営に介入するルートともなります。近年、メディア等では、物言う株主としてアクティビストの活動を好意的に報じていますが、部外者であるはずの株式の保有者は、それが誰であれ、株主として権利行使によって、企業の人事や運営にも口を出せるのです。同権利は、あまりにも過剰です。今日、グローバル企業の大半が一斉にDXのGXに向かって歩調を合わせるのも、‘グローバルな大株主’の意向を受けてのことなのでしょう(自由主義経済の計画経済化でもある・・・)。そして、グローバル市場に君臨するこの‘大株主連合’こそ、マネー・パワーで全世界の政治家達を絡め取っている世界権力なのでしょう。
以上に、株式の問題について主要な点を述べてきました、悪しき「資本主義」とは、株主至上主義、あるいは、株式経済と言えるかも知れません。今後の経済システムの改革には、会社法の改正等も必要なのですが、現状にあって今般の株価暴落をチャンスに変えることができるとすれば、それは、企業による自己株式の消却です(2001年の商法改正により解禁)。株式が株主に権利を与えているのですから、その権利の源泉をなくしてしまえば、企業は株主から解放されて‘晴れて自由’になれるのです。真に自由な経済を実現するには、企業の独立性こそ確保されるべきであり、‘新しい資本主義’を目指すのではなく、先ずもって、悪しき「資本主義」の中核ともなる株式という存在事態を見直し、自由経済の名に相応しい経済システムへと方向転換を図るべきではないかと思うのです。