鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

我が家の庭も 初夏の彩りになりましたよ。

2017-05-28 16:56:14 | 
そろそろ梅雨入りも近づきましたな。

我が家の庭も、春の花から夏の花に衣替え。

(ブルーベリーの花)






ブルーベリーの花を、ご存じかしら?

GW頃に咲きましたが、花が散り実が付き始めましたで。

昨年が豊作で約500個ぐらいの実が採れましたが
今年は、実がやや少なめになりそな気がしますんや。

(あやめの花)




これもGW頃に咲いて、現在は散ってしまいましたね。

例年よりも早く咲いて、散るのも早かったかもしれまへん。

(大手毬=おおてまり)




一週間ぐらい前に見頃でしたが、これもお仕舞ですわ。

今日現在に咲いている花を貼りつけて見まひょ。

(姫ヒオウギ)




花ニラかと思ったが、内の奥さんに叱られました。

姫ヒオウギという清楚な花で、手入れもいらないし
いくらでも増えて庭一面に咲き乱れてしまいました。

5年ぐらい前にどこかから、飛んできた種が育って
2~3輪咲かせたのが、こんな状態になりましたんや。

(時計草 別名=パッションフラワー)


雄しべが時計の長針・短針・秒針に似ているとかで
日本では「時計草」と呼ばれてるそうでんな。

西洋ではキリスト受難の花と呼ばれ、十字架上の花で
パッションフラワーと呼ばれるんだと聞いてますんや。

(ホタルブクロ=蛍袋)




桔梗科の花ですが、これも初心者でも育てやすい花。

我が家では白色とピンク色の二種類が咲いてまっせ。

(山アジサイ)




我が家では一種類しか咲いてませんが、品種が多くて
200種類を超える色んな形や色の花が有るんだって。

派手さはないが、日本の庭園に似合う花かもしれまへん。

(柏葉アジサイ)






柏の葉っぱに似ているので名が付けられたんでしょうな。

1~2年で鉢植えにしても、こんなに大きくなりますんや。

(アストロメリア 別名=ユリズイセン)




(名前が 不明の花)




内の奥さんが知人から貰ってきた鉢植えの花です。

日持ちが良い花で、1か月以上も咲き続けてまっせ。

(鉄ちゃん爺やも 衣替え)




書斎に置かれたPCの前で自撮りしましたんや。

先週から、半袖に衣替えをしたんですわ。

今日のブログは、これで、お仕舞にしまっさ。

ほな~ さいなら~🎵

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靭公園のバラ園 & 大阪科学技術館

2017-05-20 18:57:12 | 大阪
大阪市内の靭公園(うつぼこうえん)を紹介しまひょ
こちらも読み方では、難解な方になりまっしゃろか?。

地下鉄・四つ橋線 本町駅で下車しましたで。

(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)


大阪市営地下鉄のシンボルカラーを説明しまひょ。

御堂筋は大動脈の意味で「えんじ色」になりまぁ。

対する四つ橋線は大静脈に当たりますんで「青色」

堺筋線は阪急電鉄との相互乗り入れなので「茶色」

因みに谷町線は「紫色」等と区別されてますんや。

(大阪市営地下鉄・御堂筋線 10A系の電車)


そろそろ引退が近い10A系と呼ばれる車両でんな。

そろそろ製造から40年が近づいてきましたんんや。

大阪市営地下鉄は2018年4月1日から民営化!

大阪市議会でこの3月に民営化が可決されたそうですわ。

大阪市が100%の株式を当分は保有するという事で
自民党が歩み寄り、大阪維新の会・公明党の三党で合意。

橋下市長時代からの懸案がやっと解決ということでんな。

大阪高速電気軌道(株)という長い名前になるんだって。

鉄道会社じゃなく、軌道経営者という分類になるようでっせ。

専門的な話になりまっけど、軌道法で出来た地下鉄なんで
鉄道会社とは区別されて、軌道という部類に入りますんや。

詳しいお話は、またの機会に譲ることにしまひょ。

(靭公園=うつぼ公園 東園の絵図)




(靭本町1丁目9の 住居表示板)


東西に約800m 南北は狭くて約150mの公園でっせ。

公園の中央を「なにわ筋」が南北に通り抜けてますんや。

そんな訳で靭公園(うつぼこうえん)は東園と西園に別れ
今回は東園のみを、画像で紹介することにしまひょ。

(靭公園 東園内に 人工で作られた川)




鉄ちゃん爺やが小学生の頃には、ここは進駐軍の飛行場で
日本人が近づけない区域とされてましたんや。

アメリカ軍から返還されて大阪市の公園になりました。

現在はビジネス街のど真ん中で、若い方にはここが昔は
小型飛行機の常設飛行場跡とは考えられないでしょうな。

鉄ちゃん爺やが独身の頃には、夕方ともなれば男女の
格好のデート場所として大阪でも有名な公園でしたで。

平成16年(2004年)にリニューアルされましたが
当時はバラ園といえば靭公園といわれる名所でしたな。

おそらく大阪市内のバラ園では、一番歴史のある場所かも?

それでは、現在の靭公園のバラ園を画像で紹介しまひょ。

(靭公園の バラ園)






(靭公園 バラ園で自撮り)








170種で約3400株のバラが植えられているとか。

5月18日でしたので、春のバラは見頃だったのかも。

バラの他にこんな花も咲いてましたで。

(花の名前が 小さくて読めまへん!)


接写で写すべきでしたな、失敗作でおます。

こんなボランティアさんの花壇もありまっせ。

(ボランティアさんの花壇)




(靭公園の オブジェ)




(靭公園の 日時計)


バラ園だけじゃなく、ケヤキの森も広がってまっせ。

ビジネス街のど真ん中とは、思えないような環境でんな。

(靭公園 ケヤキの並木道)






こんな記念碑を偶然ながら見つけましたで。

野村証券を創業した野村徳七さんのお孫さんが
大阪市の緑化事業に賛同して寄付された像だとか。

(勇者に栄光あれ の像)




昭和43年に立てられた物だから、当然ながら
鉄ちゃん爺やが、デートで散策した頃にはなかった像。

鉄ちゃん爺やの息子が生まれたのは昭和43年ですから。

(大阪科学技術館を 遠くに眺めて)


この日は座談会に出席の予定、午後の3時でしたんや
もう少し時間が有るんので大阪科学技術館へ行きまひょ。

会場までなら、ここから歩いて5分ぐらいでっから。

(大阪科学技術館 入口)




ここは鉄ちゃん爺やが、訪れるのは初めてなんでっけど。

子供にも大人にも、体験観察的な施設だとのことですわ。

(光ファイバーの 説明会場)








(ネッチャの 会場)




(エコキュートで 電気を発電)


お湯で電気を発電して蓄電する新型の装置だって。

大阪ガスとトヨタさんと京セラさんが共同で製造し
最近は大阪ガスさんが売り込みをしているとか。

(クレートル)






時間も迫ってきたので、今回は軽く見渡したぐらい。

機会を見つけて、もう一度ゆっくり訪れることにしまひょ。

(四ツ橋筋から 江戸堀や肥後橋方向を撮影)




靭公園を離れると、周囲はこんなビジネス街なんですわ。

座談会に出席する時間なので、これで失礼しまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵
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山城の国・一之宮  上賀茂神社に詣でる

2017-05-13 20:06:30 | 神社
京都し北区にある上賀茂神社を紹介しまひょ。

11月に掲載しました下鴨神社と二つ並んで
山城の国(現在の京都府)一之宮と呼ばれてまっせ。

鉄ちゃん爺や京阪電鉄の出町柳駅の終点で下車でおます。

(7200系 京阪電鉄の急行)(出町柳駅にて)


(賀茂川と高野川の合流地点)(賀茂大橋で撮影)


右側が高野川で遡れば八瀬から大原方面になりまんねん。

左側が本流の賀茂川で今回はこちらに沿って遡上しまっせ。

中央に見える森は11月に紹介しました下鴨神社のある
糺の森(ただすのもり)になるようでんな。

合流してここから下流は鴨川と名前が変わりますんや。

(バスから賀茂川の流れを撮影)


左に見える出町大橋を渡ってバスは右折しますんや
上賀茂神社へ向かって北西の方へ走ってるようでんな。

京都駅前からやってきたバスでっけど巧く座れましたわ。

(京都市バス 堀川通を走行中)


京都市内をイメージよりも北西に走ってきた感じでんな。

堀川通りが北部で賀茂川に沿ってるとは知りまへんでした。

(賀茂川に沿って北上中)


路線バスなので上賀茂地区をぐるぐる回りながら約30分
やっと終点の上賀茂神社前に到着しましたで。

京都駅前から乗っても、途中からでも230円均一でした。

JR京都駅前からだったら1時間はかかりまっしゃろか?

(上賀茂神社 一の鳥居)




(世界文化遺産の石碑)


それじゃ本殿に向かいまひょ、参道には白砂が撒かれてまっせ。

下鴨神社は糺の森(ただすのもり)の中なので薄暗い感じ
こちら上賀茂神社の参道は明るくて開放的なイメージでした。

(上賀茂神社の参道 & 二の鳥居)


参道だけは白砂が撒かれてまっけど両側は芝生になってまぁ。

右手には見事な枝垂れ桜が植わってまして、市内では散った
桜の花がここ上賀茂神社では、まだ見頃のまま残ってますわ。

京都市内でも北の外れで、標高も100mを超えてるはず
気温も京都駅前より2~3度ぐらい低いんでしょうな。

(上賀茂神社 参道の枝垂れ桜)


(上賀茂神社の回廊にて 自撮り)




(上賀茂神社の由緒とご祭神 説明書き)


正式には賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)と
称され、神代の時代1400年前に北北西にある
神山(こうやま)に、ご降臨されたそうですわ。

平安京を造営する際に北東の鬼門に当たる事から
皇室の崇敬が篤く、毎年5月15日に行われる
例祭は「葵祭」として京都三大祭りで知られてまぁ。

現在も勅使が派遣される勅祭社で伊勢神宮の
例祭に次ぐ、格式の高い神社だそうですわ。

平安時代には未婚の皇女が御杖代として「斎王」の
名前で天皇の代わりに、神にお使えしたんだとか。

だから伊勢神宮と並んで上賀茂神社と下鴨神社は
皇室には非常に大事な神様だという訳でおます。

有名な楼門があるんですが式年遷宮で工事中でした。

これは鉄ちゃん爺や、予備知識の欠如でしたな。

(上賀茂神社の楼門 パネルを撮影)




この楼門をデジカメで写したかったが残念でおます。

第42回式年遷宮の工事中だとは知りまへんでした。

それでは拝殿から、お詣りをさせて頂きまひょ。

(上賀茂神社の 拝殿)




神紋は「二葉葵」で徳川家はこの葵を頂戴してアレンジ
「三つ葉葵」の家紋を考え出したとの説がおますんや。

失礼ながら拝殿から本殿を写させて貰いましたで。

本当は写真撮影などは、禁止だと思いますんやけど。

本殿の内部には特別な神職しか入れないんだって。

(上賀茂神社の 本殿) (国宝に指定)


(上賀茂神社の ご朱印)


(下鴨神社の ご朱印)(昨年11月)


これで山城の国・一之宮は二つ共に参拝完了でんな。

それでは上賀茂神社の境内を散策さてもらいまひょ。

(上賀茂神社 細殿=ほそどの)(国の重要文化財)






結婚式がこの中で行われてましたので、常設の神殿として
重要な場所なんだろうな、と想像した次第。

ネットで見れば普段は吹き抜けに成っているらしいが
結婚式なので神殿が囲われているんだと思いますんや。

細殿(ほそどの)の前には有名な「立砂=たてすな」が

詳しいことは、立て札をお読みくださいね。

(上賀茂神社の 立砂=たてすな)




(立砂=たてすな 説明書き)


細殿(ほそどの)の横には小川を、またいで神殿がおます。

この小川は神山(こうやま)から湧き出て、上賀茂神社の
境内を通り抜けて、明神川に流れ込んでいるとのこと。

(上賀茂神社 舞殿  橋殿とも呼ばれる)(国の重要文化財)




(中央が舞殿 左側が細殿 右側に土舎)




画像の中央が舞殿で、左側の細殿とは方向が逆になってまぁ。

右側には高床式でもう一つの土舎と呼ぶ神殿が並んでまっせ。

(上賀茂神社の 土舎)


(上賀茂神社 境内の絵図)


一番奥が上賀茂神社の本殿で、中央辺りに細殿(ほそどの)
舞殿や土舎などが並んでいるのが、お分かり頂けるかしら?

ネットでは三つとも奥の方へ吹き抜けで見通せる構造になり
上賀茂神社の特徴を示しているような感じもしますんや。

それでは、ご神体の神山(こうやま)から湧き出て
上賀茂神社の境内を流れる御手洗川(みたらいがわ)へ
戻ることにしまひょ。

(御手洗川=みたらいがわ)




御手洗川(みたらいがわ)を拝殿から橋で渡りますんや。

この小川も、神聖なる神事によく利用されるんだって。

(岩上=がんじょう  説明板)




「葵祭」に際し宮司が岩上(がんじょう)に蹲踞(そんきょ)

勅使と対面し、賀茂別雷神(かみわけいかづちのかみ)に
天皇のお言葉を言上した後、神のお告げを返し祝詞(のりと)
する上賀茂神社に於いて、最も神聖なる場所なんだって。

最近の言葉では、パワースポットと言いますんでっしゃろか。

(御手洗川の流れ)






(曲水の宴が 行われる場所)


「葵祭」の女性代表である「斎王代」は下鴨神社の小川と
ここ上賀茂神社の御手洗川(みたらいがわ)で隔年ごとに
禊(みそぎ)の神事が行われるのがテレビで紹介されまっせ。

今年は下鴨神社の御手洗川(みたらいがわ)で厳粛に
5月2日に実施されたと、テレビで放映してましたな。

(上賀茂神社の境内 願い石)






(上賀茂神社境内にある 睦の木)






結婚式を終えた新郎新婦が神職に連れられてこの場所に。

夫婦円満の堅い誓いを告げるんでしょうかな?

(上賀茂神社 神馬舎)


土日だけ白馬に会えるんだけど、神様の馬なので
馬には語りかけないようにとの貼り紙が。

(京都では 和服の女性がお似合い)




(二の鳥居前で 自撮り)




(上賀茂神社の 馬場)


ここはゴール地点になりますんや、約200mおますな。

一の鳥居の横がスタート地点で、二の鳥居の横がゴール。

(賀茂競馬会神事=かもくらべうまえしんじ)






毎年5月5日「葵祭」の直前に、20頭の神馬が左右に別れて
競う神事で、平安時代から続く伝統の行事なんでっせ。

この日は、足汰(あしそろえ)と呼ぶ調教が行わてれましたで。

(馬だしの桜)


ここから二頭の馬がゴールに向けて走り出す場所なんだって。

騎手は左右に分かれて、10組が勝ち負けを争う神事のようでんな。

(むち打ちの桜)


ここで両馬に、むちが入りクライマックスになるんだとか。

左が勝てば太鼓が打たれ、右が勝てば鉦が鳴らされるんだって。

(勝負の楓=かえで ゴール地点です) 


平安時代から続く神事で、6曲屏風にも描かれ当時の
貴族や庶民が、埒外(らちがい)で大勢が見物したとか。

現在の競馬でも埒(らち)という言葉が使われてまっせ。

(足汰=あしぞろえ 調教中の神馬)










長くなりましたので今日はこれぐらいで置きますかな。

(蛇足ながら)

現在の京都御所は、上賀茂神社の南に当たりますが
平安時代の京都御所は二条城の北辺りに存在しました。

だから平安京の北東の鬼門に上賀茂神社がおますんや。

月曜日の5月15日は「葵祭」の本番になりますな。

夏の祇園祭・秋の時代祭と並び、京都の三大祭でっせ。

京都市の観光協会のURLを貼り付けて置きますので
優美な平安絵巻を、是非とも一度ご覧ください。


(京都市観光協会 葵祭URL)
https://www.kyokanko.or.jp/aoi/

それじゃ、これで、さいなら~🎵

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デジカメ散歩 坐摩神社(いかすりじんじゃ) 

2017-05-06 19:18:13 | 神社
4月16日に造幣局・桜の通り抜けの日に
お詣りした摂津の国・一之宮でおます。

坐摩神社(いかすりじんじゃ)(正式名称)

通称は、ざまじんじゃ、又は、ざまさん。

大阪の船場に鎮座する立派な神社でつせ。

(23系 大阪市営地下鉄 四つ橋線)


(大阪市営地下鉄 本町駅名標)


(坐摩神社 一の鳥居)


左右に潜り戸が設けられた三組みの鳥居でっせ。

見たことは有りまっけど、珍しい鳥居ではおます。

それではお詣りさせてもらいまひょ。

(座摩神社=いかすりじんじゃ 本殿)






坐摩神社(いかすりじんじゃ)とは読めまへんわな。

鉄ちゃん爺やも、正式名称を知ったのはこの日が初めて。

親しみを込めて、坐摩(ざま)さんと呼んでましたんや。

坐摩神社「ざまじんじゃ」が名称と思ってましたがな。

(坐摩神社 御由緒略記)




(坐摩神=いかすりのかみ 説明書き)


坐摩(いかすり)の語源は諸説ありますが、土地又は
居住地を、守り給う意味の、居所知(いかしり)が
転じた名称だといわれてるそうでっせ。

五柱の御祭神が記されてますが、あまり知らない神様。

(座摩神社=いかすりじんじゃ ご朱印)


摂津の国 一之宮 住吉神社 坐摩神社

河内の国 一之宮 枚岡神社

和泉の国 一之宮 大鳥大社

これで大阪府の四つの神社は全てお詣りを終えましたで。

(坐摩神社の 回廊)


(坐摩神社境内 末社・五つのお社)


鉄ちゃん爺やが20代から40代まで、船場に長く
勤務していた頃は、毎年7月22日が坐摩さんの夏祭り。

繊維会社は、この日がお休みになってましたんや。

坐摩さんは、繊維の神様だと先輩に教えられてましたな。

(座摩神社境内 末社になる 繊維神社)


本当は坐摩神社の末社の一つが「繊維の神様」だったとは。

恥ずかしながら約50年間も、誤った知識を信じていた訳。

会社の名代で2~3回「夏季大祭」に代参をしてたのにね。

(坐摩神社境内 末社になる 大江神社)


繊維神社・大江神社・天満宮・大国主神社・相殿神社 と

回廊の向こう側に小さなお社が五つ並んでますんや。

(座摩神社の 御神紋)




元々の坐摩神社は淀川南岸に当たる大江の岸に鎮座されていたが
豊臣秀吉の大坂城築城に際して、現在地に移設さされたとの話。

現在も天満橋の西側になる石町に行宮が置かれているそうですわ。

ここは渡辺の地とも呼ばれ、歴史にも登場する渡辺党の本拠地。

現在の座摩神社の住所も明治時代まで大阪市東区渡辺だったとか。

全国の渡辺さんにとっては、苗字のルーツでもおまっせ。

(鷺草の苗を 育成中)






「白鷺」が坐摩神社の御神紋でっさかいに、「鷺草の花」は
7月22日の「夏季大祭」には重要なお使いなんでしょうな。

本殿を囲むようにして、「鷺草の苗」が育成されてまっせ。

(鷺草を描いた 姫路市のマンホールの蓋)


7月22日の「夏季大祭」の頃にはこんな花が咲くのかな?

明治元年に明治天皇が行幸されたという事でっから
当時は大坂でも、有名な神社でしたんでしょうな。

(明治天皇 行幸の記念碑)


実はこの日に、もう一つの新しい発見がおましたや。

これは途中で見つけた案内板でっけど。

(陶器神社への 案内板)


(せともの町 の歴史 説明板)


鉄ちゃん爺やが幼少の頃に、両親に連れられて「せともの市」に
それから「陶器神社」にもお詣りした記憶が残ってますわ。

その「陶器神社」も坐摩神社の末社の一つだったとは驚き!

(陶器神社の拝殿)




当時はもっと、こじんまりしたお社だった記憶がしますんや。

坐摩神社の本殿は大阪大空襲で焼失して当時はまだ再建されず?

だから座摩神社の本殿が再建された1959年(昭和34年)より
昔の話だから、座摩神社など知る由もなかったという訳でっかな。

(陶器神社で 陶器の燈籠)






陶器の神様だけに、燈籠もせともので作られてますんや。

座摩神社側の狛犬までが、せとものとは恐れ入りました。

(狛犬も陶器でっせ~)




散策中に、境内でこんな記念碑も発見しましたで。

ここには江戸時代には上方落語の寄席が在ったんだそうな。

(上方落語寄席 発祥の地 顕彰碑)


上方落語では桂米朝さんが、伝統を引き継いではりましたが
数年前に、惜しまれながら亡くなられてしまいました。

江戸時代に三代目の桂文治が江戸へ出て「桂」を名乗り
江戸と、大坂に「桂」を名乗る落語家が出来たんですわ。

江戸で「桂」を名乗る落語家も元祖は上方でしたか。

それでは船場を歩いて地下鉄の本町駅へ向かいまひょ。

(ツインビルの 元祖?)


(御堂筋 久太郎3丁目 道路標識)


鉄ちゃん爺やが船場に勤務中の頃のお話でっけど。

ここには船場から発展した総合商社の「伊藤忠」の本社が在り
同じく船場出身の「丸紅」さんとが、激しく争ってましたで。

現在は両方共に東京都に本社が変更されて、関西の営業本部も
一昨年には船場を離れて、大阪駅の方へ移転されましたんや。

船場から総合商社が全て撤退したと、話題になりましたかな。

(大阪センタービル 案内表示板)






(大阪センタービル テナントの銘板)


このビルに現在は「ユニチカ」さんが本社で残ってますんや。

船場地区に残る数少ない上場企業としての本社になりまっかな。

(船場センタービル 手前は御堂筋)


(船場センタービル 9号館~8号館)


ここから地下へ潜り込むと地下鉄の本町駅になりまぁ。

本日はこれにてお仕舞とさせて貰いまっさ。

次回は京都の上賀茂神社を紹介しまひょかな。

ほんなら、これで、さいなら~🎵

 






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