鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの一人旅   秋の高山祭 & 高山陣屋を訪ねて 

2014-11-22 19:02:57 | 旅行
前回は秋の高山祭の「布袋台」を中心に紹介しましたが
今回は残りの9台をまとめて貼り付けまひょ。

高山祭の山車は屋台(やたい)と呼びますんで、各々の名称も
○○台=まるまるたい と呼ぶのが正式なんだって。

まずは屋台曳き廻しの先頭を勤める「神楽台」から行きまひょ。

(神楽台=かぐらたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

秋の高山祭では宵宮である10月9日にはこの神楽台を先頭にして
通常は4台の屋台が下町とよばれる氏子の町内を曳き廻しされますんや。

この「神楽台」は普段に保管する「屋台蔵」も八幡宮の境内になる
一之鳥居の側と云う神聖な場所が選ばれてまっせ。

大太鼓は高山藩3代藩主・金森重勝の寄進だと伝えられてまんな。

屋台曳き廻しの際に「神楽台=かぐらたい」と次に紹介する
「鳳凰台=ほうおうたい」は常に登場するんだって。

残りの2台は毎年交代で「金鳳台=きんぽうたい」と
「仙人台=せんにんたい」が今年は参加したようでんな。

(鳳凰台=ほうおうたい) (重要有形民俗文化財)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この「鳳凰台=ほうおうたい」は春と秋の高山祭の屋台で
最も大きくて、屈指の美しい屋台だと云われてますんや。

この「鳳凰台」も表参道の入口に「屋台蔵」を持つ事から
11台ある下町の屋台の内でも別格の位置を占めているんでしょうな。

下町は「上一之町~上三之町」他が秋の高山祭の氏子に当たるので
地元では春の高山祭の方を上町と呼び、こちらを下町と呼ぶんだって。

(鳳凰台の 最上部の飾り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この「鳳凰=ほうおう」は数年前に屋台曳き廻しの際に電線に
引っ掛かり破損したことがあったようでっせ。

和紙を30枚重ねて下地を作り芯には竹を通してから漆を塗り
その上から金箔を貼り付けて昔通りに新調したんだって。

このように高山では屋台を修復する技術者で協同組合を作り
7分野の匠集団で全国の山車や山鉾なども修復してるようでっせ。

(鳳凰台の前で 写して頂きました)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

次は今年の屋台曳き廻しに参加した「金鳳台=きんぽうたい」と

「仙人台=せんにんたい」を紹介しまっさ。

(金鳳台=きんぽうたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この屋台は神功皇后と赤ん坊を抱いた武内宿禰(たけのうちすくね)

赤ん坊は神功皇后の子供で後の応神天皇だとされてますんや。

全国の八幡宮の祭神はこの応神天皇と神功皇后とされてまっしゃろ。

此処のお祭りも桜山八幡宮の「八幡祭」だから納得の屋台でおます。

(仙人台=せんにんたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

最上部の屋根が「唐破風=からはふ」に成っている屋台はこれだけで
古い屋台の形式を残していると云われてますんや。

屋台の祭神である白ヒゲの仙人人形が飾られてまんな。

(神馬台=じんばたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

神の使いである白馬と烏帽子姿の白丁人形が名称の由来だそうですわ。

刺繍の胴幕には般若のお面が描かれているユニークな屋台でっせ。

(鳩峯車=きゅうほうしゃ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

四方が綴れ錦で飾られている奇麗な屋台でっせ。

側面の明人遊苑図=みんじんゆうえんず 前面の雲竜
いずれも、ため息がもれるほどの美しさですわ。

(行神台=ぎょうじんたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

祭神は「役の行者=えんのおずね」でその昔、この地を
繁栄させたと云う伝説から来ているようでっせ。

朱塗りの玉垣や密教の法具など個性的な屋台でんな。

(豊明台=ほうめいたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

応神天皇の幼名である豊明宮(とよあけのみや)から付けられたようで
輝く大きな鳳凰や菊花の彫刻など豪華な屋台になってまっせ。

(宝珠台=ほうじゅたい)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

最上部の棟飾りに雄と雌一対の大亀が乗っている面白い屋台でっしゃろ。

名前の通り屋根飾りは宝珠が光り輝いているように見えますんや。

これで本年屋台曳き揃えに表参道に並んだ9台を全て紹介しましたで。

修理中の「大八台=だいはちたい」だけ今年は見れまへんでしたが
大きな車輪が特徴で御所車の大八車をイメージしているんだって。

それでは高山の古い街並みを散策しながら高山陣屋へ向かいまひょ。

(八幡宮の表参道 甘党の店 甚兵衛)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この店で5年前に息子の家族とドライブに来て内の奥さんと
田舎ぜんざいを食べたことを思い出しましたで。

覗いたらさすがにお祭りで満員のようでしたわ、パスしまひょ。

(国の重要文化財 吉島家住宅) (高山市大新町)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

昭和41年(1966年)に明治時代に作られた民家としては
初めて国の重要文化財に指定された建物なんだって。

内部は梁と束柱が縦横の無尽に交差したダイナミックな構造でっせ。

それよりも外の珍しい物を紹介しまひょ。

(火垣の 説明板 国の重要文化財)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(吉島家住宅 外側の火垣)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

お隣りの日下部民芸館と此処にしか無い珍しい物と書かれてまんな。

何処となく見たような感じもするんやけど野暮な詮索は止めときまひょ。

重要文化財に指定されるぐらいだから貴重な物なんでしょうな。

(高山市 下二之町 古い街並み)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(屋台蔵 下二之町 神馬台)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

普段は高山祭の屋台は最上部の三階に当たる部分を二階部分に収容し
この屋台蔵に各々の町内で保存されているんだって。

秋の高山祭で屋台は桜山八幡宮へ出払ってるのでお神酒などを
入口にお供えして屋台蔵は解放された状態になってますな。

(高山市 下三之町 お祭りの大提灯)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

安川通りを挟んで北側を歩いて来ましたがここが下三之町ですが
安川通りを越えて南側は上三之町と住所が変わりまんねんで。

上一之町~上三之町は春の高山祭の氏子さんの住む街でおます。

(高山市 上三之町 酒造メーカーさん)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

今までは軒先に高山祭の提灯が各々の家に掲げられてましたでしょ。

上三之町を含めて上町に入ると普段の高山の街並みに成りましたで。

秋の高山祭から人が流れて来て、何時もより人出は多い感じですわ。

(飛騨牛 にぎり寿司の店)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

5年前に通った時は飛騨牛のコロッケの店じゃなかったかしら?

回転寿司では牛のにぎり寿司が見られるけど飛騨牛もやりだしたんだ。

こんな行列までして飛騨牛のおにぎり寿司を食べたいとは思わないな。

(高山 上三之町 標識)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(赤い中橋で 自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

高山へ観光で来られた方なら高山陣屋の前から眺めた赤い中橋でっせ。

春の高山祭にはこの辺りで「からくり人形」の屋台が3台並ぶそうですわ。

春の高山祭は中橋を渡る屋台が桜と共に写した写真が有名でっかな。

(高山陣屋 周囲の画像)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

今まで高山市には観光で4回ぐらい来てますんや。

古い街並み保存地区に眼が行き高山陣屋は見学をする機会がおまへんでした。

今回は高山市内のホテル泊りなので入場してみまひょ。

江戸時代の代官や郡代の建物はここ高山にしか残って居ないんだって。

貴重な建物だと云うんで今回は430円を払って入場しましたで。

(高山陣屋 入場券 430円)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(高山陣屋 玄関)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(高山陣屋跡 説明板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

江戸時代の元禄5年(1695年)から172年間に渡り飛騨の国は
天領として初期は高山代官が後には高山郡代が置かれたんだって。

飛騨一国の全てが天領だったのは、記憶では此処だけのはず。

飛騨は殆んどが山林でお米は約5万石ぐらいしか取れないとか
そんな訳でお隣の越前の国の天領を加え10万石にしたようだっせ。

まあ~ 飛騨の木材と飛騨の匠を支配するのが狙いだったんですな。

(高山陣屋 玄関の間)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

床の間には青海波模様が描かれているのは10万石の格式を誇る
陣屋の玄関だと云う事を示しているんだって。

お代官様なら5万石クラスだけど飛騨一国となれば10万石で
郡代さまが統治する江戸幕府でも位の高い役職だったようでっせ。

陣屋の内部を写しましたので紹介しまひょ。

(高山陣屋 御役所=おんやくしょ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

江戸幕府から派遣された郡代(代官)や手付・手代が勤務した部屋で
幕府からの指令を飛騨の国に伝える執務室ちゅう感じでんな。

壁の向こうにも部屋が見えてまっけど、あちらは地元の小役人や町役が
控えていて、この御役所(おんやくしょ)から命令が出されたそうですわ。

(高山陣屋 大広間)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット



photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

公式の儀式や行事を行う時にだけ使用した部屋だそうですわ。

三つのランクに分かれていて郡代(代官)は一番奥の間に座り役職や
位によって中の間そして一番下の間と座る位置が決まって居たそうな。

全部で49畳の広さがあるとパンフレットには書いてますわ。

(高山陣屋 郡代の私的な居間)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

隣に奥方様の部屋も在るので郡代(代官)さまは夫婦同伴で赴任してたんだ。

他は大部屋しかないので警護の武士や事務方は単身で赴任していたのかしら?

それとも高山の街中に小さい屋敷を借りていたのかな。

(高山陣屋 御白州=おしらす)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

なるほど~ 砂利を敷き白く見えるから御白州と云うんだね。

此処は刑事関係の吟味だけに使用された北側の御白州で、もう一つ
南側に民事を専門に吟味する簡単な御白州もありまんねんで。

こちらは拷問に使う器具なども置かれていて恐ろしい画像でっしゃろ。

(高山陣屋 御蔵=おんくら)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

元禄8年に高山城から移された日本一古い御蔵(おんくら)なんだって。

8つの蔵から出来ていて各々が年貢米2000俵を保管出来たとか。

でも、ここから年貢米を江戸に運ぶのには苦労したんじゃないのかしら?

御蔵の内部は古文書などが展示されているので撮影禁止でしたわ。

珍しいものを見つけましたで。

(石置長榑葺=いしおきながくれぶき) (屋根の模型)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

5年前に息子がこの高山陣屋の横の駐車場に車を止めたことがあり
高山陣屋の建物の屋根に石が載せてあるのは知ってましたんや。

でも何故なのかは分からない状態での再訪問でした。

飛騨地方では昔から「榑=くれ」と呼ばれる栗や桜などの板を
何層にも重ねて屋根に使用することが続いたんだって。

雪深い土地なので手に入りやすい木材の板を均一に加工して
屋根に使う事が生活の知恵だったようでんな。

確か洛中洛外絵図と云われる室町時代を描いた絵巻物にも
同じような石を載せた家屋を見たような記憶がおますな。

大事な蔵には「榑=くれ」」の板で作った屋根に石を載せると云う
風習があるんだね、現在はここ高山陣屋の御蔵でしか見れないけど。

(高山駅前 広小路通りの道路標識)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(今夜のホテル 桜庵=おうあん)  (高山市花里町)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

今回は長く成りましたがこれでお仕舞いにしまひょ。

次回は飛騨の高山から越中富山への旅を紹介しまっさ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪





鉄ちゃん爺やの一人旅   飛騨の高山を目指して  

2014-11-16 19:22:07 | 旅行
10月10日(金)この日は毎年ながら秋の高山祭が催されますんや。

今回の旅行を早めてのスケージュルで一週間前にネットで検索したら
まさか高山市内のホテルが予約できるとは、ほんまにラッキーでんな。

御嶽山さんの風評被害がこんな処まで影響するとは意外でおました。

本物を見れなかった高山祭が今回初めて見れるなんて、嬉しかったでっせ。

下呂温泉のホテルで早めの朝食をお願いしてスタートしまひょ。

(モーニング コーヒー)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

最近のビジネスホテルではフロントのロビーなどで
無料のコーヒー飲み放題、こんなサービスが急速に増えてまんな。

別に高く付くコーヒー豆じゃなくても良いアイデアだな、と思いまぁ~。

コーヒーを飲んでAM7時45分にホテルをチェクアウトでおます。

(JR下呂駅前の 土産物店)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR下呂駅 改札口)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

待合室には観光客は多いけど殆んどが特急「ワイドビューひだ」らしい。

鉄ちゃん爺やにしたら、特急料金を払って高山駅に到着が10分早いだけ。

これじゃ座席は少し硬いけど鈍行列車の方を選びまっけどな。

あんのじょう~ 普通列車はガラガラでしたわ。

(JR高山本線 車中にて自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR上呂駅に停車) (下呂市萩原町上呂)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

下呂駅があって上呂駅もある、ほんなら中呂はおますんか?

帰ってネットの地図で検索したら下呂市萩原町中呂、ありまんがな。

地名だけでっけど少し山手に入った処に小さい集落がありましたで。

実はこの駅で35年ぐらい大昔の話でっけど、息子と二人で
チャレンジ2万キロの旅行中に駅前で「かき氷」を食べたんですわ。

何せすれ違い列車待ちで35分間停車、てなことがありましたんや。

まだ国鉄さんの時代でっけど、笑い話のようなお話しでっしゃろ。

(JR高山本線の 車中より撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

少しづつ列車は山間部を高度を上げながらそろそろ下呂市ともお別れですな。

この辺りで標高はそろそろ500mを超えてまっしゃろか?

(飛騨川の上流) 


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

昨日の美濃太田からお供してくれた飛騨川ともそろそろお別れ。

飛騨川は列車から右へそれて行き乗鞍岳の西南の斜面が源流ですわ。

もうそろそろ高山市に入ってきたような感じがしまっせ。

でもこの辺りは何処が両方の市の境界かは定かじゃおまへんのや。

(JR高山本線 久々野駅にて自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

何で~ こんな駅で25分間も停車させるのかしら?

後、15分ぐらいで高山駅に到着できるんだもの。

JR東海さんの陰謀やと考えたくなりましたで。

ここで後から来る特急「ワイドビューひだ」に追い越される
挙句の果てに名古屋行きの特急にもすれ違い待ちのおまけまで。

特急料金を貰ったから10分だけ早く着けようと云うことでんな。

(JR高山本線 宮峠の登り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

久々野駅を発車したらJR高山本線は宮峠の登りに掛かりますんや。

この峠が飛騨川と富山へ流れる神通川とを分ける大分水嶺でんな。

JR高山本線ではこの辺りが最も高い地点を通過中でしょう。

はっきりとは調べてまへんけど標高が700m前後かしら?

列車は約2kmぐらいの宮トンネルを抜けると下りに変りまっせ。

今までは山が迫った谷筋を走ってきたけど視界が急に開けてきましたで。

(飛騨の高山 盆地に入りました)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

間もなくJR高山駅に到着の時間ですわ。

この駅で普通列車は殆んどの乗客が入れ替わりまんな。

列車は三つ先の飛騨古川駅まで行くようでした。

(JR高山駅構内の 標識)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR高山駅舎)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

眺めた感じではJR高山駅舎は昭和50年代のままの姿に見えまっせ。

駅前に観光客が行列してるけど高山祭へのシャトルバスを待つ人かな?

鉄ちゃん爺やは高山市内は何度も訪れているから歩いて行きまひょ。

からくり人形の見物はAM11時からと書いてあるから寄り道しまひょ。

(飛騨国分寺 山門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

このお寺の東側を南北に通る道は平湯や上高地へ抜けるメイン道路。

何度か通り過ぎながら奇麗な三重塔が在るのを見てましたんや。

今日は高山市内泊りだから高山祭の前に立つ寄りしますかな。

(飛騨国分寺 本堂)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

奈良時代に創建されたお寺だけど何度も兵火で焼けているようだね。

宝物は平安時代の太刀や鎌倉時代の観音菩薩像など残っているんだって。

拝観料は300円だけど、写真撮影はダメとのことなのでパスしまひょ。

(国の天然記念物 大イチョウ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

樹齢が約1200年と書かれているから奈良時代末か平安時代初期だね。

まだまだ元気で枯れる恐れも無いとはご立派なもんでんな。

京都の西本願寺にも水を噴き出して御影堂や阿弥陀堂を守ったと云う
大きなイチョウが在ったけど、こちらの方が幹の周りは大きい感じ。

この大イチョウの葉っぱが散ったら飛騨には雪が降るんだって。

私が見たのは10月10日だったから、そろそろ散って居る頃かな?

(飛騨国分寺 三重塔)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

昔は七重の塔だったようで、大きな基礎石が本堂の真下に在るんだって。

何度も焼けたり大風で倒れて現在のは1821年(文政4年)に再建だとか。

やはり飛騨の匠が造り上げた三重塔だから素晴らしい出来栄えでっせ。

(飛騨国分寺 鐘楼門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この鐘楼門も立札を読んで初めて古い物なんだと分かりましたがな。

そろそろAM10時45分を過ぎたようでっから高山祭へ向かいまひょ。

(宮前橋の 八幡宮の鳥居を撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

下を流れるのは神通川の支流で宮川でっせ、富山湾の日本海へ流れてまぁ。

画像の右手一帯が秋の高山祭を受け持つ氏子さんの集落なんだって。

鉄ちゃん爺やの勉強不足で、高山祭は春の4月14日~15日で山王祭と呼び
秋は10月9日~10日で八幡祭と別々のお祭りなんだと初めて知りました。

国分寺通りから歩いて来て、この川を渡ると安川通りと名前が変るそうですわ。

この安川通りから北側が秋の八幡祭の氏子さんで、逆に南側が山王祭の氏子さん
だから写真で良く見かける「屋台=やたい」は春と秋では別々の物なんだって。

そうそう~ あの山車を飛騨地方では「屋台=やたい」と呼ぶんだそうな。

(秋の高山祭 町内の提灯)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

秋の高山祭は下三之町とか下二之町あるいは大新町と云うように町内で
「屋台=やたい」を保有しているので、提灯もデザインが違いますんや。

(屋台曳き揃え会場 案内標識)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

秋の高山祭は桜山八幡宮の参道に「屋台=やたい」が並べられますんや。

宵宮の10月9日は氏子の町内を曳き廻しで練り歩き、10月10日は
今年では1台が修理中で9台の「屋台=やたい」が曳き揃えとのこと。

この町内には11台の「屋台=やたい」が有るんですがその中で1台
「布袋台=ほていたい」だけが、からくり人形を演じることが出来ますんや。

この「布袋台=ほていたい」だけは特別に桜山八幡宮の境内に入場し
からくり人形の妙技を見せて観光客の人気を呼んでいるんだって。

(屋台曳き揃え 八幡宮の参道にて)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(桜山八幡宮 一之鳥居)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(八幡宮の境内)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

「布袋台=ほていたい」のからくり人形の演技を見物する人で境内は
身動きが出来ないぐらいの混雑になってきましたで。

秋の高山祭では、からくり人形の妙技を観れるのはこの1台だけ。

(布袋台 からくり人形の妙技)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

布袋さんに唐子2体が飛び乗ったり、失敗して落ちたりとユーモラスな
妙技が続きます30分ぐらいで布袋さんが唐子を肩に2体載せて
成功の軍配を振った処で、観光客から拍手喝采でお仕舞いになりました。

(布袋台の前で 撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

からくり人形の実演は午前と午後の2回行われるようでした。

八幡宮へお参りだけはしてきまひょ。

(桜山八幡宮 拝殿への階段)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(桜山八幡宮 本殿)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

参拝を終えて境内の「布袋台=ほていたい」の屋台へ戻ってきました。

細かい彫刻などを撮影してみましたで。

(布袋台=ほていたい 説明書き)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(布袋台を バックから撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(布袋台 側面を撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(布袋台を 最後にもう一度前から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

長く成りますので今回はこの辺りでお仕舞いにしまひょ。

次回は曳き揃えに並んでいる屋台9台を詳しく紹介しまっせ。

高山祭を日本三大曳き山祭とか云いますんや。

高山祭・祇園祭・秩父夜祭 だったと記憶しまぁ。

同じく日本三大美祭と呼ぶ説もおますかな。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪
















鉄ちゃん爺やの一人旅   下呂温泉を目指して飛騨路を行く  

2014-11-08 16:42:11 | 旅行
まだ現役で働いていた頃に富山からの出張帰りに「特急ひだ」が
すれ違い待ちで飛騨金山駅に停まったことがありましたんや。

一度、途中下車したいなと考えながら、とうとう今日に実現ですわ。

(JR高山本線 飛騨金山駅舎) (岐阜県下呂市金山町)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR飛騨金山駅 プラットホーム内の表示板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

昔もこんな感じで木の札が架かって居たような記憶がおます。

この町がJR高山本線で北上したら飛騨の国の入口だとは知ってましたんや。

実は現在の岐阜県下呂市に落ち着くまでには色んな事がおましたんやてぇ。

確かにJRの駅の辺りは昔から飛騨の国で下原村ちゅう集落だったとか。

(金山橋)  (下呂市金山町)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この橋は1928年(昭和3年)に国鉄の高山本線が延伸されて
飛騨金山駅が出来るのに際し
金山町の市街地と国鉄の飛騨金山駅を結ぶ為に造られたようでんな。

駅の辺りは飛騨の国でっけど町の中心地は美濃の国に成るんだって。

江戸時代には複雑に領地が絡み合って境界争いも有ったそうですわ。

(旧・金山町時代の マンホールの蓋)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここが下呂市と云われても少し違和感がおますんやけど。

2004年(平成16年)3月1日に5町村が合併して下呂温泉が
この辺りで一番名前が通っているので下呂市に成ったようでっせ。

このマンホールの蓋は昔の益田郡金山町時代の物かな?

(飛騨川 大船渡の渡し跡)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

昭和3年に金山橋が出来るまではここが唯一の渡し場だったそうな。

こちら側は江戸幕府の天領で高山の代官が統治する飛騨の国でおます。

川の対岸は尾張徳川家の領地で飛騨街道が南北に通る宿場町だったとか。

平安時代の西暦820年に金山の渡しの船頭二人には徭役を免じる様に
との文書が残っているそうで金山という名前は古くから在ったんだね。

(同じく下流側を 大船渡の渡し跡)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

画像の左側・山の向こう側は苗木藩1万石は遠山家の領地だったそうな。

そこは、もう美濃の国で加茂郡の田島村と呼ぶ集落が在ったとか。

苗木藩はたったの1万石なのに城持ち大名だったという珍しい藩だっせ。

現在の岐阜県中津川市の苗木城を関ヶ原の戦いの前に豊臣秀吉から
追い出された遠山氏が奪い返して徳川家康が認知した小藩でおます。

前の領主が城を奪い返してそのまま大名に成った珍しいケースでんな。

その後は明治維新まで領地替えもなく続いた中世からの名門だっせ。

江戸城内で小大名の入る「柳の間詰め」では陣屋しか持たない
小大名を押しのけて「柳の間」の最上席に座る格式だったとか。

(馬瀬川と飛騨川の合流地点)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

画像の左側を流れる川を「馬瀬川=まぜがわ」と呼びまんねんてぇ。

そこに橋が写ってますやろ~ 「境橋=さかいはし」ですわ。

名前の通り橋の左側が美濃の国で右側が飛騨の国に成りますんや。

前回もブログに書き込みましたんやけど昭和の30年代までは
この合流地点から下流を飛騨川と呼んでましたな。

画像の右手が現在の飛騨川の本流でっけど昔は益田川(ましたがわ)と
鉄ちゃん爺やなどは人文地理の勉強では教えられたもんですわ。

デジカメを左に振ったら飛騨街道は金山宿と云う地区に成りまんねん。

(現在の 下呂市金山地区)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

こちらは尾張徳川家の領地に成り江戸や名古屋へ送る荷物の
抜け荷を防ぐためのお役所が置かれていたんだって。

この町の先でも郡上藩や江戸時代後半には旗本二家の領地があり
現在でも尾張徳川藩との境界を定めた石碑が残っているそうですわ。

このように飛騨の国は一国全てが元禄時代以降は天領だったけど
美濃の国は四つの藩が入り組んで村民同士の争いが絶えなかったとの事。

(飛騨川の 上流方向を撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

こちら側は昔の「益田川=ましたがわ」で江戸時代には高山代官所の
出先機関が置かれていたそうで、飛騨川に流す材木には厳しいチェックが
されて材木の1本1本に記号が入れられて下流に流していたんだって。

その出先検査場は白い建物の見える向こう側に在ったとのこと。

ここから先は尾張徳川藩の領地を通過するので全てを記帳しないと
木曽谷からくる尾張藩の材木と区別する必要が有ったんでしょうな。

飛騨川から木曽川を経由して伊勢湾の中島港まで材木を流して
それから幕府は江戸まで材木を輸送していたようでっせ。

(下呂市金山支部の 交通安全幟)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

だから飛騨の国ではお米は一国合わせても5万石前後しか取れないのに
江戸幕府が飛騨一国全てを天領にしたのは良質な飛騨の木材と
飛騨の匠の技を独占したかったからだ、との説が書かれてまんな。

それでは駅前まで戻ってコーヒータイムとしまひょ。

(JR飛騨金山駅前  みのや)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

JR飛騨金山駅前は飛騨の国だと、何度もお話してまっしやろ。

でも屋号が「みのや」と掲げてあるのは飛騨川の向こ側の
私は金山集落からやってきたと云う意味なのかも?

途中で出会った古老の方にお聞きした話によると昭和の40年代までは
飛騨金山駅は高山本線では高山駅や美濃太田駅に次ぐ大きな主要駅で
貨物の取り扱いも多くSLが方向転換する駅でもあった様でんな。

(下呂市営 げろバス)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

JR飛騨金山駅から金山町の市街地まで約2kmぐらいでっしゃろな。

小型のコミュニティ・バスで確か片道が100円だったと記憶しまぁ。

(ギフチョウのパネル)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

そうなんだ~ ここで発見されたからギフチョウと名付けられてるんだ。

実物は見たことも無いんだけど名前だけは聞いたことは有るね。

それでは次の列車が間もなく到着だから改札口から構内へ入りまひょ。

(JR飛騨金山駅構内で 自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR飛騨金山駅 下り線ホーム)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

それでは本日の宿泊地・下呂温泉へ向かうことにしまひょ。

目指す下呂駅は二つ目の駅でっけど20kmぐらいおますかな。

この辺りは中山七里と呼ばれる殆んど村落も無い処を走ってまっせ。

(JR高山本線 車内から飛騨川を撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR高山本線 普通列車内にて 自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

前回と同じように飛騨川の渓谷とダム湖を交互に繰り返しながら
JR高山本線は一路、下呂温泉を目指して走りますよ。

(飛騨川の ダム湖の横を通過中)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR焼石駅 駅名標)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

最近に噴火した御嶽山さんはここから東へ約30kmぐらい
だけど「焼石」なんて意味深な名前が付いているのは何故かしら?

勿論、東側に高い山が有るので御嶽山が見える事はおまへん。

(国道257号線 が見えました)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

飛騨川を挟んで国道41号線から分離して右手へ行くと付知を経由して
岐阜県の中津川市へ抜ける国道でっせ、一度だけ走ったことが有るけど。

まもなく下呂温泉が見えてくるはずでっせ。

(JR高山本線 下呂町に入りました)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

右手に下呂温泉の街並みが見えて来ましたね。

でも二両編成の普通列車には観光客は乗ってない感じ。

観光客はやはり特急「ワイドビューひだ」をご利用でっしゃろな。

(特急ワイドビューひだ 高山駅から到着)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

私の乗ってきた普通列車は下呂駅で下車したのは鉄ちゃん爺や含めて4人。

対する特急列車では数百名の観光客が下呂駅で下車しはりましたで。

やはり天下の名泉「下呂温泉」だから平日でも宿泊客は多いでんな。

(JR下呂駅前 観光協会の看板)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(下呂温泉の由来)  (JR下呂駅前広場にて)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

それじゃ飛騨川の「いで湯大橋」を渡って温泉街の方へ行きまひょ。

ホテルのバスが駅前にはお出迎えでっけど、わては歩いて行きまぁ。

(飛騨川 いで湯大橋のガス灯)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

下呂温泉に泊ったのは何せ47年前のことだから風景は一変してまんな。

こんな奇麗な橋じゃなくて、記憶ではありふれた田舎の橋だったはず。

(飛騨川の 露天風呂)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

水着着用の男性だけでっから失礼して1枚だけ写させてもらいまひょ。

昔はもっと情緒があって温泉らしい感じだったけどな~

これじゃご婦人方は水着でも入るには躊躇するよね。

(いで湯大橋から 飛騨川の上流を撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

斜めに飛騨川を渡っているのはJR高山本線の鉄橋でっせ。

普通は川を渡るときは直角に交わるように鉄橋は架けるんですわ。

JR高山本線の橋梁はほとんどが山が迫っている関係で
こんな斜めに川を渡るケースがほとんどでんな。

白い建物は下呂温泉の有名ホテルの1軒でおます。

(橋の欄干 飾り金具)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

駅前の由来の碑にも書かれてましたが白鷺が見付けた温泉。

橋のあちこちに白鷺を描いた欄干の飾り金具が目立ちまんな。

(林羅山の銅像)  (下呂温泉の白鷺橋にて)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

江戸時代初期の陽明学者林羅山が摂津の有馬温泉・下野の草津温泉
それに飛騨の下呂温泉を天下の三名泉と称する本を残してますんや。

下呂温泉が年間150万人の宿泊客を記録した平成の初め頃に
記念碑として立てたんやそうな、他の2箇所にはおまへんけど。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(下呂温泉のホテル前から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

遠くに見える白い建物が下呂温泉では有名な水明館と呼ぶホテル。

ホテルの手前が飛騨川で逆にホテルの向こう側がJR下呂駅ですわ。

こんな高級なホテルは鉄ちゃん爺やには縁がおまへんけど。

(下呂温泉の マンホールの蓋)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(本日の宿泊ホテル)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

建物はいささか古いけど宿泊客の安くて料理が美味しいとの書き込み
それでこのホテルをネットで予約したんですわ。

御嶽山の噴火で風評被害が続出しキャンセルが増大したそうでっせ。

この日も鉄ちゃん爺やを含めて宿泊客は8組18名だけでしたがな。

これじゃホテルは幾ら平日だと云っても赤字でっしゃろな。

(白樺ホテル 夕食)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

飛騨牛のすき焼きコースに生ビールが中ジョッキで2杯。

これで1泊2食付きで税込の12800円はお安いですね。

これなら次回もここに泊りたくなりましたよ。

ほんなら、今回はこれでお仕舞いでっせ。

次回は秋の高山祭りを2回ぐらいに分けて紹介しまひょ。

それじゃ、さいなら~♪






鉄ちゃん爺やの一人旅   今日は飛騨路を目指して  

2014-11-01 17:32:52 | 旅行
犬山市ともお別れして再びJR高山本線に乗り 出発! 進行!

今夜の泊りは下呂温泉だけど、どっかで途中下車をしまひょ。

(JR高山本線 車窓からの木曽川)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

右手に見えるのは木曽川で日本ラインと呼ばれる景勝地。

2011年までは日本ライン下りで凄く賑わったんでっせ。

2011年・天竜川の川下りで死者5名の事故が有ったんで
ここの日本ライン下りもコースの変更で今は見れまへんわ。

昔はJRの列車と川下りの船がお互いに手を振りながら
すれ違う風景が見られたんやけど、それも昔話でっしゃろな。

(JR高山本線 車窓からの風景)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

横を走る国道21号線は鉄ちゃん爺やと滋賀県の米原市から
離れたり近づいたりしながらの道中でしたが、まもなくお別れ。

坂祝町(さかほぎちょう)から次の美濃加茂市に入ったら
木曽川の本流と共に右手にカーブして離れて行きますんや。

(JR美濃太田駅舎)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(美濃加茂市 マンホールの蓋)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

美濃加茂市は人口5万5千人の小さい町ですが江戸時代には
中山道は太田宿と呼ばれる町で賑わったんやそうでっせ。

ここの名物は平安時代から伝わる「堂上蜂屋柿」と呼ばれる
干し柿の王様なんだって。

売店で尋ねたら12月以降しか買えないとのことでしたわ。

丁度、お昼になったのでキヨスクでサンドイッチと缶コーヒー
美濃太田駅が始発の列車なので車内で食べることにしました。

(キハ48系 国鉄色に塗装されてます) (美濃太田駅にて撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

国鉄時代の塗装に塗り替えたディゼルカーだっせ 懐かしい~♪

この同じ車両に二日後の高山駅からも乗ることになりまんねん。

それじゃ、12時40分になりましたで 出発! 進行!

(JR高山本線 車窓から)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

国道41号線が名古屋市からやって来て、美濃加茂市で
国道21号線と交代して、富山まで鉄ちゃん爺やのお供をしまっせ。

鉄ちゃん爺やは昔から、渓谷を走る鉄道の旅が大好きなんですわ。

鉄橋を渡りトンネルを抜け峠を越えて行くそんな風景でっかな。

今回も3日間を掛けて太平洋側から日本海側へ抜ける旅でおます。

(最近じゃ 扇風機の付いた珍しい列車)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

JR東海さんの為に補足しときまひょ。

クーラーもJRに成ってから取り付けられてますんや
でも、少しだけ暑いぐらいの時は今でも扇風機が動きますんや。

何せ能力が一杯一杯のキハ48系のディゼルカーでっしゃろ。

少しでも登り坂でのエンジンの助けになれば、ちゅう感じでっかな。

(JR下麻生駅)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この辺りまでは、のどかな美濃の国の農村風景でおます。

この駅を過ぎて次の上麻生駅に近づくと飛騨川が右手の
車窓に見えてきますんや、JR高山本線も登り勾配に入り
キハ48系のエンジンは唸り声を上げ、もがいている感じ。

飛騨川ちゅうのは現在では源流の乗鞍岳南西斜面から
木曽川に合流するまでを称する木曽川の一番大きな支流。

でも鉄ちゃん爺やが学生時代には飛騨の金山で馬瀬川と
合流してから先、木曽川までを飛騨川と教えられましたで。

現在の下呂温泉の在る辺りは益田川(ましたがわ)と呼び
地名も益田郡下呂町だったと記憶しますんや。

(飛騨川の渓谷 飛水峡)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

飛騨川の主役登場でおます、一帯は飛騨木曽川国定公園だっせ。

特にこれから先の白川口駅までは「飛水峡=ひすいきょう」と云い
特急のワイドビュー飛騨に乗れば車掌さんの説明がおます。

深く険しく切り立ったV字谷の美しい渓谷なんでっせ。

狭い処では走り幅跳びの選手なら飛び越えられるぐらいの
川幅の箇所も有りJR高山本線の人気スポットの一つでっかな。

国道41号線は画像の右手に見える集落を通ってますんや。

(飛騨川の渓谷 飛水峡)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

実はこの美しい「飛水峡=ひすいきょう」には悲しい出来事がおました。

1968年(昭和43年)8月18日 飛騨川バス転落事故 死者104名

日本バス史上最悪の事故で愛知県の観光バス2台が土砂崩れに巻き込まれ
大雨で増水した飛騨川に転落し生存者はたったの3名でしたかな。

奥様ジャーナルと云う名古屋市の団地の主婦向け無料新聞社が主催した
「海抜3000m乗鞍雲上大パーティ」今でも人気のコースでっけど。

756名もの参加希望でバス15台を連ねる車中1泊のツアーでしたんや。

8月17日に台風7号が通過し翌日は天候も回復するとの気象台の発表。

夕方の17時15分には大雨雷雨注意報も解除された状況だったとの事。

奥様ジャーナルと運営する名鉄観光も計画通りツアー実施と決めたそうな。

15台の観光バスが犬山市の成田別院駐車場に21時30分集合。

皮肉なことに乗鞍岳を目指して観光バス15台がスタートした直後の
22時30分に岐阜地方気象台が大雨警報を発令。

まさか解除された大雨注意報が再びこんどは大雨警報で発令になるとは
関係者は予想も出来なかったのでスタート後は確認をしなかったとの事。

現在ならおそらく携帯などで情報を得て事故は防げたでしょうね。

白川町でこの時間1時間に100mmを超える雨量を記録したそうですわ。

現在のような携帯電話や無線などがまだ無い不幸な出来事でした。

(飛騨川バス転落事故 当日Uターンした金山町)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

大雨の中を8月17日の23時過ぎ頃に飛騨の金山町でトイレ休憩。

そこで進路の中山七里と呼ばれる飛騨川沿いの景勝地で土砂崩れの一報。

安全を期して奥様ジャーナルと名鉄観光は旅行の中止を決めたそうです。

結果的には、ここからなら3時間弱で安全な犬山市まで戻れるとの判断。

23時30分にツアー中止となり国道41号線を戻ることに成ったとか。

この際に1号車から7号車(4号車欠番)までの岡崎観光自動車6台が
第一グループとして先頭を走っていたようでんな。

(白川町の 飛泉橋 国道41号線)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

鉄ちゃん爺やが今回のJR高山本線から写した画像です。

6台の第一グループの観光バスがこの橋を通過中に5号車のドライバーに
白川町の消防団員が土砂崩れの恐れが有るので引き返すべきとの呼びかけ。

だけど既に1号車から3号車までは通過したし交通規制が掛かる前に
「飛水峡=ひすいきょう」の難所を抜けようと考えたんだって。

交通規制は出ていないので走行することは違反じゃなかったようでんな。

後続の8号車から16号車までは消防団の説明に様子を見る為にストップ。

(JR高山本線 白川口駅舎)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

鉄ちゃん爺やが今回に車内から駅舎を撮影した画像でっせ。

第二グループの観光バス9台はこの駅前広場で朝まで待機したとか
からくも事故には遭遇せず難を逃れることになったようですわ。

前進を続けた第一グループ6台は上麻生ダムを通過して約1km
小さい土砂崩れで進行不能になり7号車から順番に方向転換をして
白川町の方向へ戻ろうとした処が大規模な土砂崩れが再び発生。

ダンプカー250台分とも称される土砂が7号車・6号車・5号車を
直撃し7号車だけはガードレールで転落を免れたようですが。

5号車と6号車は赤いテールランプを見せながら15m下の
飛騨川に転落し折からの増水で車体は水没したとのことですわ。

5号車のドライバーと名鉄観光の添乗員1名それに中学生の乗客1名
107名の内で3名だけが転落の途中に車外に投げ出されて生存。

日付が変わって8月18日AM2時11分で亡くなられた方の
腕時計が停まっていたとのことでしたね。

(上麻生ダム 事故現場の上流)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この画像も鉄ちゃん爺やが今回のJR高山本線から写した物です。

翌日から自衛隊約9千100名それに警察や消防に名鉄グループ
延べ約3万6千名以上の関係者で救出作戦が実施されました。

険しい地形と流れの激しい飛騨川で遺体の収容は難航しましたんや。

記録によれば損傷したバスの車内で発見されたのは幼児1名のみ。

他は凄い飛騨川の濁流に下流まで流されてしまったんだそうな。

そこで上麻生ダムの放水を止めて「飛騨川の水位ゼロ作戦」と称し
川底が見えるまで水量を落として救出が行われたと聞いてますんや。

でも上麻生ダムは大正15年完成の水力発電用のダムなので最大
24万トンしか貯水出来ないので、そのたびに放水したり止めたり
それも2~3時間しか止められない状況だったとのこと。

事故翌日には伊勢湾の知多半島に遺体が流れつき救出作戦は
飛騨川から木曽川を経て伊勢湾まで広げることになったんだって。

DNA検査もまだ無い時代でご遺体の確認にも混乱があったとか。

それほど、ご遺体の損傷が激しかったとの記録が残ってますんや。

最終的に104名の内で9名のご遺体は収容できなかったそうです。

生存した中学生も孤独感から数年後に自殺されたとの悲劇も。

一家が全滅したケースが4家族も有ったとの事でっせ。

現在は雨量が一定の数値に達したら国道や県道は通行止めになります
このルールも104名もの事故被害者を出したこの事故を契機に
厳しく定められたと聞き及んでますんや。

当時はゲリラ豪雨の予報も困難で土砂崩れの責任も問う事が出来ず
関係者は事故責任では不起訴となる判決に成っているようですね。

一時は事故は無過失で自賠責保険も出せないとの状況でした。

せめてもと国が4億円と自賠責保険約9千万円を特例として認め
当時の佐藤首相と中曽根運輸大臣の元で閣議決定がされたそうです。

当時の方々は鉄ちゃん爺やより少し年長者の方が多かったのかな。

今回もJR高山本線の車内から黙祷をして現場を通過しましたよ。

若い方はこんな大きな事故があったことはご存知ないかもしれませんね。

(JR高山本線 車窓から)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

「飛水峡」を通過して白川口駅を出ると風景は落ち着いた山村ですな。

白い建物は中部電力の名倉水力発電所で飛騨川バス転落事故の後で
「水位ゼロ作戦」を実施した際に、この水力発電所と名倉ダムも
協力して上麻生ダムへの放流を遅らせるのに活躍したそうでっせ。

手前の道は国道41号線でこんな場所なら、あんな大事故も起きない
不幸な事故と思えるだけに交通規制は今後も重要でおますな。

実はあの事故の約2ヶ月前に鉄ちゃん爺やは会社の慰安旅行で現場を
観光バスで通過して下呂温泉へ行った記憶がおますんや。

「飛水峡」の美濃レストランで休憩して渓谷を眺めたんですが
あの大事故から会社の慰安旅行も長距離バス旅行はダメと成りました。

(JR高山本線 車窓から)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

飛騨川は昔から水量が豊富で発電用のダムと水力発電所が
JR高山本線の車窓からも眺められるんですわ。

ダムと貯水湖が見えてると思ったらトンネルを潜ると、こんどは
渓谷や大きな川原に変わるとか、風景の変化も楽しいもんでっせ。

ここは岐阜県の加茂郡だから昔で云えばまだ美濃の国でおます。

(JR高山本線 車窓から)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

飛騨川の向こう側に国道41号線と砂防用のトンネルが見えてまぁ。

国道41号線はほとんどがJR高山本線の川と反対側を通ってますんや。

ここから飛騨金山駅ぐらいまではこんな風景が続いてまっけど
その先では中山七里と呼ばれる飛騨川の景勝地に又も変わりまっせ。

(JR高山本線 キハ48系 車内風景)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

美濃太田駅を発車した時はそこそこの乗客が座っていたけど
白川口駅を出たら、ガラガラで地元の方が数名ぐらいかな。

眺めた感じでは旅行客は鉄ちゃん爺やのみかもしれまへんで。

普通は特急ワイドビュー飛騨で下呂温泉か高山市へ行きはりまぁ。

のんびりした普通電車の旅はそろそろ飛騨路に入ってきそうですわ。

(JR高山本線 車窓から)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR飛騨金山駅 構内)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

(JR飛騨金山駅にて 自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

ここ飛騨金山駅は昔で云う美濃の国と飛騨の国を分ける境界の駅でっせ。

なにせ飛騨川を挟んで江戸時代には飛騨の国は高山の代官が
統治する幕府の天領で飛騨の材木を独占するのが目的でおます。

一方で飛騨川の対岸は尾張徳川藩に郡上藩やら幕府旗本領がおました。

こちらは美濃の国で当時は大船渡の渡しが昭和まで残って居たとか
現在のJR飛騨金山駅の在る地域を大船渡地区と今でも呼ぶそうな。

本来の金山町は美濃の国で江戸時代には金山宿があったそうで
平成の合併でこの辺りが岐阜県下呂市に統一された関係で
飛騨金山町と現在は呼ばれるようになったんだって。

長く成りましたんで飛騨金山町は次回にさせてもらいまひょ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪