富山市内での宿泊は何年ぶりかしら?
現役時代は1泊の出張で市内のホテルに良く泊まったもんです。
(県鳥 雷鳥のモニュメント)(特別天然記念物)
ホテルの前にこんなモニュメントが置かれていました。
1981年に設置だから当時も数回は宿泊したんだけど
気が付かなかった、仕事だったのでカメラ持たずだしね。
(ホテルのすぐ北側 松川の流れ)
(ガス灯も有ります)
桜並木が植わってますが花はやはり少し早すぎましたね。
遊覧船で川面から満開の桜を一度だけ見たかったけど残念でした。
(能登半島地震の復旧工事中)
今年元日の能登半島地震に近かったので富山市内でも
道路のひび割れや河川敷の損壊が有ったようですね。
ここから少し歩くと富山城址公園になりますんや。
(富山城の 千歳御門)
富山市内は昭和20年8月の大空襲で大きな被害を受けたと聞きます。
富山城も明治維新で破却されてしまったので、江戸時代の建造物として
この千歳御門が江戸時代の様式を伝える唯一の貴重な文化財との事。
(富山城の天守閣)
現在は郷土博物館として城内が公開されています。
昭和29年に産業大博覧会に合わせて再建された模擬天守閣との事。
天守閣の南側へ出たかったが能登半島地震で破損し立ち入り禁止
外堀からの写真が写せなくて元の千歳御門の方へ逆戻りでおます。
(日本庭園から富山城を望む)
江戸時代の寛永年間に加賀前田藩2代藩主前田利常公が次男の
前田利次に10万石を与えて支藩として設立したのが富山藩前田家。
これは前田利次が2代将軍秀忠公の次女である珠姫の子供だったので
優遇されたとの噂で、支藩でも10万石とはご立派ですこと。
城址公園の外れに松川茶屋がありその館内に滝廉太郎記念館が。
明治時代には富山県庁がこの辺りに在ったそうです。
(滝廉太郎記念館 滝廉太郎の肖像)
(有名な荒城の月 歌詞)
父親が富山県庁の書記官で赴任し小学生時代を富山城の横で育った
そんな由緒もあり松川茶屋の一部を滝廉太郎の記念館にしたとか。
荒城の月の歌詞は豊後の竹田城だとか、流転の歴史である富山城など
本人は何処の城とは説明をしていないが日本人なら誰でも知る歌のはず。
ホテルに戻りチェックインし久しぶりに大浴場で入浴でした。
ホテル横の料理店の優待券を貰ったので、飛び込みの入場でおます。
(日本料理店 鯛家 調理場を見ながら)
(まずは~ 生ビールで乾杯!)
左側は富山名物の「ほたるいかの黒作り」が出てきました。
大阪で食べるようなボイルした物じゃなくて生ですからね。
やはり富山は海産物なら日本一だと言われるほどの宝庫ですよね。
(日本酒 大吟醸 立山)
飲みやすい日本酒で平成2年~9年頃まで近くの桜木町で
地元メーカーの部長さんと飲む際はこの「立山」でしたんや。
二人で一升を空けたもんですが今じゃとてもダメですけど。
(鰤と甘海老の 刺身の盛り合わせ)
(名物の ぶり大根)
これが飛び切りの絶品でして鰤の骨からエラまで口の中で
とろけるような感じで、考えられないような柔らかい食感ですわ。
一かけらも残さずに全て鉄ちゃん爺やの胃袋に収まりましたで。
当店自慢の一品でございますと仲居さんのお言葉でした。
(ご満悦の 鉄ちゃん爺や)
(日本料理 鯛家の店内風景)
(富山名物 シロエビの刺身)
お値段は張りますが、大阪でもこれは食べれない一品ですからね。
天婦羅にして食べたことは有るけど、刺身で食べるのは初めて。
(日本酒 純米吟醸 黒部峡)
(山菜の天婦羅です)
ほろ酔い加減でホテルへご帰還でございました。
今回の旅行ではこれが最後の夜で少しばかり贅沢な夕食でおました。
ほな~ 今日はこれにてお仕舞にしまひょ。
次回は新しく延伸した北陸新幹線の敦賀駅他を紹介します。
それじゃ、これで、さいなら~♪