鉄ちゃん爺やがまだ小学生の頃から計画されていた鉄道路線が
何と~ 69年ぶりに全線開通を迎えることに成りましたんや。
元々は城東貨物線として戦前から使われていた路線を旅客用の
電車を走らせることを大阪府や東大阪市が中心になり要請して
平成31年3月16日にやっと全線が開通に成るんですわ。
計画が廃止に成らなかったのだけでも幸いですかな。
(JR西日本 ロゴマーク)
約70年近い年月が経過していく中で色んなことがおました。
最初は片町線と城東貨物線を結んで尼崎駅へ繋ぐ計画でした。
尼崎ーー放出ーー加美ーー杉本町ーー大阪南港
昭和39年に東海道新幹線が開通して尼崎方面は現在の
学研都市線となる片町線を利用する案にルート変更ですわ。
関西線の久宝寺駅から片町線の放出駅を経由して新大阪駅で
東海道新幹線に連絡する路線に計画が変更されましたんや。
1979年(昭和54年)には関西空港への乗り入れとして
阪和貨物線を利用して新線の計画も浮上したんですわ。
何とか採算を取れるようにと右往左往してまんな。
1981年(昭和56年)に当時の国鉄が運輸大臣の認可を
受けて城東貨物線を複線化して旅客鉄道と併用する案が決定。
当時の国鉄は採算が取れないとの考えから計画は遅らされて
民営化されたJR西日本に引き継がれましたんや。
1989年(平成元年)JR西日本は大阪環状線と阪和線と
紀勢本線の直通運転を開始し関西空港への運行はこちらへ。
関西空港へのルートも絶たれてしまい中途半端な路線に
利用価値が有るのか無いのかの議論さえ有りましたんや。
一時は開業が危ぶまれる事態も考えられたとの話も。
(JR久宝寺駅 駅名標)
おおさか東線は紆余曲折をしながらも新大阪駅~久宝寺駅間
2006年(平成18年)の完成を目指して工事がスタート。
それでも、新大阪駅まで全線開通とはなりまへんでした。
2008年(平成20年)3月に南側の半分だけになる
JR久宝寺駅~JR放出駅間のみが先行して開業でした。
(JR久宝寺駅停車中の おおさか東線の電車)
(おおさか東線 3番のりば 案内板)
今後も利用客は、そんなに増加するとは思えまへん。
鉄ちゃん爺やが利用するとしても近鉄電車の道明寺駅と
JR大和路線・柏原駅で二度の乗り換えが必要なんですわ。
おまけにJR久宝寺駅で三度目の乗り換えとなりまんねん。
JR新大阪駅までは乗り換えがホームの横で凄く便利なんで
時間的にはJR天王寺駅からJR大阪駅経由の乗り換えより
スムースで大阪メトロを使用するよりも安いのかも?
どのように成るのかは3月16日の開業を待ってからですけどね。
(おおさか東線 奈良へ直結 PRのポスター)
3月16日以降は朝夕にJR奈良駅からJR新大阪駅間に
直通快速電車を4本だけ、都合8本を走らせるんだつて。
現在はJR尼崎駅ヘ走っている直通快速は廃止だそうです。
(現在の おおさか東線の路線図)
中央の下の方にJR久宝寺駅がそこから上に伸ばして
JR放出駅までが現在の営業区間になりますんや。
3月16日にそこからやや左にカーブして終点が
JR新大阪駅になるんでっけど、分かりまっか?
採算を疑問視するJR西日本に大阪府と大阪市に
東大阪市が下記のような案を提案したとか。
第三セクター方式で開業を早めるとの提案。
1996年(平成8年)に第三セクター方式で
鉄道の施設や線路は「大阪外環状鉄道株」が
鉄道事業免許を取得してスタートしたそうですわ。
車両と運行はJR西日本が受け持つという
上下分離方式でやっと開業の折り合いがついたとか。
おおさか東線 総延長距離 20.3km
JR久宝寺駅 ~ JR放出駅 9.2km
JR新大阪駅 ~ JR放出駅 11.1km
(201系 通勤型電車)
新しく全線開通するのに車両は国鉄時代のロートル
大阪環状線から昨年に引退したのをJR大和路線用に
色を塗り替えて、数年間だけ使用するとのこと。
217系電車を製造して新しく投入するとの話も。
現行区間を車内からデジカメで撮影してみまひょ。
(JR久宝寺駅を発車)
この辺りは地上を走ってますが前方の橋梁が見えるのが
国道で中央環状線と呼び大阪市の外側を南北走ってまぁ。
これを潜り抜けると、おおさか東線は高架になりますんや。
(おおさか東線 新加美駅に接近中)
鉄ちゃん爺やが「おおさか東線」に乗ったのは今回で
3度目だったかな、あまり利用価値がおまへんのや。
6両編成で走らせてまっけど通勤時間帯でも満員に
成るとは考えられないと思いまんねんで。
大阪府民の過半数が有っても無かっても良い鉄道路線かも。
(JR俊徳道 駅名標)
西側に日本一高い「あべのハルカス」が見えてまっせ。
ここから約4kmぐらい離れてまっかな。
(あべのハルカス 高さ300m)
反対側の東側にカメラを移すと生駒山が見えてますわ。
高さ645mで生駒山の向こう側は奈良県になりまっせ。
山頂には関西圏に放映される各社のテレビ塔がおます。
山上には生駒遊園が有り大阪方面が一望できますかな。
(生駒山を 遠くに望む)
(JR河内永和駅に 入線中)
前方のガードは近鉄の奈良線で同じく近鉄線の「永和駅」と
乗り換えの連絡が出来るような駅の配置になってますんや。
(おおさか東線 高井田中央駅を走行中)
この駅で大阪メトロの中央線に連絡をしてますんや。
近くのJR関西線に高井田駅が先に出来てますんで
こちらは高井田中央駅と名前を付けたようですわ。
(おおさか東線で 放出駅へ)
(第二寝屋川の鉄橋を通過)
(JR学研都市線と立体交差)
ここでJR学研都市線がオーバークロスしてますな。
JR学研都市線の真ん中を走行して間もなく
現在の終点に成るJR放出駅に進入していきます。
1番ホームと4番ホームがJR学研都市線用となり
2番ホームと3番ホームが おおさか東線用ですわ。
同じホームで乗り換えが出来る工夫は良いことでんな。
(前方が JR放出駅)
(JR放出駅 駅名標)(JR学研都市線のカラー)
昔は大阪でも難解な駅名とされてましたが、30年ぐらい前に
中古車センターのCMで有名に成り難解な駅から脱却しました。
(JR放出駅 駅名標) (JRおおさか東線のカラー)
ここで鉄ちゃん爺やは下車しましたが電車はここから
試運転でJR新大阪駅まで走っていくようでっせ。
これから先は3月16日が過ぎたら乗って見まっさ。
(おおさか東線 試運転で新大阪駅へ)
JR学研都市線に乗り換えて次の駅へ行きまひょ。
この路線も鉄ちゃん爺やには縁の薄いルートなんですわ。
現役時代に仕事関係の得意先もおまへんでしたさかい。
(JR鴫野駅 駅名標)(JR学研都市線のカラー)
(JR学研都市線の 鴫野駅のオーバークロス)
おおさか東線はここJR鴫野駅で北側へ移動して行きます。
JR鴫野駅の先で二つの路線は離れていくことになりまぁ。
おおさか東線の鴫野駅も既に完成しているようでんな。
(おおさか東線 鴫野駅 開業前のホーム)
ここから先はまだ開業してまへんので画像がおまへん。
実は北半分のJR新大阪駅への乗り入れが11年間も
遅れたのには、次のような理由が有ったんですわ。
(JR東淀川駅の 開かずの踏切)(2013年に撮影)
(踏切警手さんが居る 珍しい画像)(2013年に撮影)
昔は踏切には警手さんが居たもんですが、最近は自動遮断機。
このような警手さんが居る踏み切りは全国でも珍しいとか。
貴重な踏切だったので6年ぐらい前に撮影したものなんですよ。
他には鉄ちゃん爺やも名古屋の金山駅付近で見かけただけ。
昨年にこの開かずの踏切は廃止になったそうですけど。
(JR東海道本線 東淀川駅)
実は当初の計画ではJRおおさか東線は新大阪駅の一番東側に
到着させる予定でしたが、大阪駅裏側のグランフロント西側に
地下駅を建設することに成り、JRおおさか東線はここを
起点駅にするように最終計画で変更に成りましたんや。
(JR東淀川駅から JR新大阪駅方向を撮影)
画像の左側の予定が一番右側に変更に成りましたんや。
何せJR東海道本線にJR貨物までが走行する関西でも
有数の過密ダイヤのJR東淀川駅付近なんですわ。
そこへ「おおさか東線」の1日134本の電車が通過したら
開かずの踏切が完全にアウトになってしまいまんがな。
開かずの踏切も廃止して、おおさか東線を高架で西側へ
オーバーブリッジさせることに決まりましたんや。
大変な難工事で10年以上も遅れに遅れてやっと
平成31年3月16日に全線開通を迎えることに。
鉄ちゃん爺やが生きている内には、これから先の
なにわ筋線やJR大阪地下駅(仮称)からさらに
関西空港への新ルートは出来ないと思いまんねん。
(JR西日本の 待合いす)
最後に関西ではホームの待合いすを線路と平行に設置し
転落防止に大きな効果が出ているので参考のため。
この2~3年でほとんどの駅で改修がされてますんや。
今回はこれで、お仕舞にさせて貰いぁ。
腰痛の為にブログの更新が減少してます。
3月の北九州への旅行に備えて腰痛を早く
治して頑張るつもりですのでご容赦ください。
それでは~ さいならです~🎵
何と~ 69年ぶりに全線開通を迎えることに成りましたんや。
元々は城東貨物線として戦前から使われていた路線を旅客用の
電車を走らせることを大阪府や東大阪市が中心になり要請して
平成31年3月16日にやっと全線が開通に成るんですわ。
計画が廃止に成らなかったのだけでも幸いですかな。
(JR西日本 ロゴマーク)
約70年近い年月が経過していく中で色んなことがおました。
最初は片町線と城東貨物線を結んで尼崎駅へ繋ぐ計画でした。
尼崎ーー放出ーー加美ーー杉本町ーー大阪南港
昭和39年に東海道新幹線が開通して尼崎方面は現在の
学研都市線となる片町線を利用する案にルート変更ですわ。
関西線の久宝寺駅から片町線の放出駅を経由して新大阪駅で
東海道新幹線に連絡する路線に計画が変更されましたんや。
1979年(昭和54年)には関西空港への乗り入れとして
阪和貨物線を利用して新線の計画も浮上したんですわ。
何とか採算を取れるようにと右往左往してまんな。
1981年(昭和56年)に当時の国鉄が運輸大臣の認可を
受けて城東貨物線を複線化して旅客鉄道と併用する案が決定。
当時の国鉄は採算が取れないとの考えから計画は遅らされて
民営化されたJR西日本に引き継がれましたんや。
1989年(平成元年)JR西日本は大阪環状線と阪和線と
紀勢本線の直通運転を開始し関西空港への運行はこちらへ。
関西空港へのルートも絶たれてしまい中途半端な路線に
利用価値が有るのか無いのかの議論さえ有りましたんや。
一時は開業が危ぶまれる事態も考えられたとの話も。
(JR久宝寺駅 駅名標)
おおさか東線は紆余曲折をしながらも新大阪駅~久宝寺駅間
2006年(平成18年)の完成を目指して工事がスタート。
それでも、新大阪駅まで全線開通とはなりまへんでした。
2008年(平成20年)3月に南側の半分だけになる
JR久宝寺駅~JR放出駅間のみが先行して開業でした。
(JR久宝寺駅停車中の おおさか東線の電車)
(おおさか東線 3番のりば 案内板)
今後も利用客は、そんなに増加するとは思えまへん。
鉄ちゃん爺やが利用するとしても近鉄電車の道明寺駅と
JR大和路線・柏原駅で二度の乗り換えが必要なんですわ。
おまけにJR久宝寺駅で三度目の乗り換えとなりまんねん。
JR新大阪駅までは乗り換えがホームの横で凄く便利なんで
時間的にはJR天王寺駅からJR大阪駅経由の乗り換えより
スムースで大阪メトロを使用するよりも安いのかも?
どのように成るのかは3月16日の開業を待ってからですけどね。
(おおさか東線 奈良へ直結 PRのポスター)
3月16日以降は朝夕にJR奈良駅からJR新大阪駅間に
直通快速電車を4本だけ、都合8本を走らせるんだつて。
現在はJR尼崎駅ヘ走っている直通快速は廃止だそうです。
(現在の おおさか東線の路線図)
中央の下の方にJR久宝寺駅がそこから上に伸ばして
JR放出駅までが現在の営業区間になりますんや。
3月16日にそこからやや左にカーブして終点が
JR新大阪駅になるんでっけど、分かりまっか?
採算を疑問視するJR西日本に大阪府と大阪市に
東大阪市が下記のような案を提案したとか。
第三セクター方式で開業を早めるとの提案。
1996年(平成8年)に第三セクター方式で
鉄道の施設や線路は「大阪外環状鉄道株」が
鉄道事業免許を取得してスタートしたそうですわ。
車両と運行はJR西日本が受け持つという
上下分離方式でやっと開業の折り合いがついたとか。
おおさか東線 総延長距離 20.3km
JR久宝寺駅 ~ JR放出駅 9.2km
JR新大阪駅 ~ JR放出駅 11.1km
(201系 通勤型電車)
新しく全線開通するのに車両は国鉄時代のロートル
大阪環状線から昨年に引退したのをJR大和路線用に
色を塗り替えて、数年間だけ使用するとのこと。
217系電車を製造して新しく投入するとの話も。
現行区間を車内からデジカメで撮影してみまひょ。
(JR久宝寺駅を発車)
この辺りは地上を走ってますが前方の橋梁が見えるのが
国道で中央環状線と呼び大阪市の外側を南北走ってまぁ。
これを潜り抜けると、おおさか東線は高架になりますんや。
(おおさか東線 新加美駅に接近中)
鉄ちゃん爺やが「おおさか東線」に乗ったのは今回で
3度目だったかな、あまり利用価値がおまへんのや。
6両編成で走らせてまっけど通勤時間帯でも満員に
成るとは考えられないと思いまんねんで。
大阪府民の過半数が有っても無かっても良い鉄道路線かも。
(JR俊徳道 駅名標)
西側に日本一高い「あべのハルカス」が見えてまっせ。
ここから約4kmぐらい離れてまっかな。
(あべのハルカス 高さ300m)
反対側の東側にカメラを移すと生駒山が見えてますわ。
高さ645mで生駒山の向こう側は奈良県になりまっせ。
山頂には関西圏に放映される各社のテレビ塔がおます。
山上には生駒遊園が有り大阪方面が一望できますかな。
(生駒山を 遠くに望む)
(JR河内永和駅に 入線中)
前方のガードは近鉄の奈良線で同じく近鉄線の「永和駅」と
乗り換えの連絡が出来るような駅の配置になってますんや。
(おおさか東線 高井田中央駅を走行中)
この駅で大阪メトロの中央線に連絡をしてますんや。
近くのJR関西線に高井田駅が先に出来てますんで
こちらは高井田中央駅と名前を付けたようですわ。
(おおさか東線で 放出駅へ)
(第二寝屋川の鉄橋を通過)
(JR学研都市線と立体交差)
ここでJR学研都市線がオーバークロスしてますな。
JR学研都市線の真ん中を走行して間もなく
現在の終点に成るJR放出駅に進入していきます。
1番ホームと4番ホームがJR学研都市線用となり
2番ホームと3番ホームが おおさか東線用ですわ。
同じホームで乗り換えが出来る工夫は良いことでんな。
(前方が JR放出駅)
(JR放出駅 駅名標)(JR学研都市線のカラー)
昔は大阪でも難解な駅名とされてましたが、30年ぐらい前に
中古車センターのCMで有名に成り難解な駅から脱却しました。
(JR放出駅 駅名標) (JRおおさか東線のカラー)
ここで鉄ちゃん爺やは下車しましたが電車はここから
試運転でJR新大阪駅まで走っていくようでっせ。
これから先は3月16日が過ぎたら乗って見まっさ。
(おおさか東線 試運転で新大阪駅へ)
JR学研都市線に乗り換えて次の駅へ行きまひょ。
この路線も鉄ちゃん爺やには縁の薄いルートなんですわ。
現役時代に仕事関係の得意先もおまへんでしたさかい。
(JR鴫野駅 駅名標)(JR学研都市線のカラー)
(JR学研都市線の 鴫野駅のオーバークロス)
おおさか東線はここJR鴫野駅で北側へ移動して行きます。
JR鴫野駅の先で二つの路線は離れていくことになりまぁ。
おおさか東線の鴫野駅も既に完成しているようでんな。
(おおさか東線 鴫野駅 開業前のホーム)
ここから先はまだ開業してまへんので画像がおまへん。
実は北半分のJR新大阪駅への乗り入れが11年間も
遅れたのには、次のような理由が有ったんですわ。
(JR東淀川駅の 開かずの踏切)(2013年に撮影)
(踏切警手さんが居る 珍しい画像)(2013年に撮影)
昔は踏切には警手さんが居たもんですが、最近は自動遮断機。
このような警手さんが居る踏み切りは全国でも珍しいとか。
貴重な踏切だったので6年ぐらい前に撮影したものなんですよ。
他には鉄ちゃん爺やも名古屋の金山駅付近で見かけただけ。
昨年にこの開かずの踏切は廃止になったそうですけど。
(JR東海道本線 東淀川駅)
実は当初の計画ではJRおおさか東線は新大阪駅の一番東側に
到着させる予定でしたが、大阪駅裏側のグランフロント西側に
地下駅を建設することに成り、JRおおさか東線はここを
起点駅にするように最終計画で変更に成りましたんや。
(JR東淀川駅から JR新大阪駅方向を撮影)
画像の左側の予定が一番右側に変更に成りましたんや。
何せJR東海道本線にJR貨物までが走行する関西でも
有数の過密ダイヤのJR東淀川駅付近なんですわ。
そこへ「おおさか東線」の1日134本の電車が通過したら
開かずの踏切が完全にアウトになってしまいまんがな。
開かずの踏切も廃止して、おおさか東線を高架で西側へ
オーバーブリッジさせることに決まりましたんや。
大変な難工事で10年以上も遅れに遅れてやっと
平成31年3月16日に全線開通を迎えることに。
鉄ちゃん爺やが生きている内には、これから先の
なにわ筋線やJR大阪地下駅(仮称)からさらに
関西空港への新ルートは出来ないと思いまんねん。
(JR西日本の 待合いす)
最後に関西ではホームの待合いすを線路と平行に設置し
転落防止に大きな効果が出ているので参考のため。
この2~3年でほとんどの駅で改修がされてますんや。
今回はこれで、お仕舞にさせて貰いぁ。
腰痛の為にブログの更新が減少してます。
3月の北九州への旅行に備えて腰痛を早く
治して頑張るつもりですのでご容赦ください。
それでは~ さいならです~🎵