鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

爺やの独り言  そろそろ梅雨入りかな?

2016-05-28 14:19:41 | 
我が家のアジサイも見頃が近いようでっせ。

今週から来週にでも関西は梅雨入りでっしゃろな。

大阪の梅雨は湿気が多くて、京都と並んでの
この季節には、住みたくないとの声が。

(我が家の柏葉アジサイ)






葉っぱが柏に似ているので名前が付いたんでしょうな。

もう少しだけ、白くなりますがこれで七分咲き。

(こちらはアナベルと言います)




下のように色が変化して白色になりますんや。

そして枯れるときは元の色に戻っておしまい。





(山アジサイ)




小ぶりのアジサイで、沢アジサイとも呼びまっかな。

鉢植えにして、育てやすい品種かもしれまへん。

(定番の顎アジサイ)




撫子の花に似ているので撫子顎アジサイともよびまぁ。





(雨がえるくん 初お目見え)


普段は顔も見せないのに梅雨が近づくと
やっぱり~ 主役登場でっか?

(内の奥さんです)


あまりブログに載せるような顔じゃおまへんけど。

ブログ友から、最近はお元気かしら?

ご心配をかけましたので、静かに登場でおます。

(ブルーベリーも実が付きました)




昨年からジャムにできるぐらい実が成りますんや。

今年も数百個は実るはず、小鳥は良く知ってまんな。

青く熟すまでは、寄り付きもしまへんで。

(時計草も咲いてます)




(名前は知りません)


(新しく買い替えたエアコン)


昭和60年から使用中のエアコンを買い替えました。

シャープさんを支援した訳じゃおまへんけどね。

こんな粗品をくれました、先月の年金の粗品ですよ。

(くまもんの テッシュ)


今日はこんな感じのブログでおしまいでっせ。

ほんなら、これで、さいなら~♪

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鉄ちゃん爺や  てんしば&利昌の杜を総括

2016-05-21 16:47:18 | 大阪
今回は「大阪都市魅力創造戦略」のお話でっせ。

2015年にオープンした大阪市の「てんしば」と
堺市にオープンした「利昌の杜」を総括しまひょ。

堺市の施設は「りしょのもり」と言いますんや。

まずは「てんしば」でっけど2015年10月1日に
近鉄不動産(近鉄グループ)が大阪市から天王寺公園の
エントランス部分の約25000㎡を賃貸で受託して
7000㎡の芝生ゾーンとカフェやレストランの
ゾーン他を完成して、取りあえずスタートしましたんや。

(てんしば コーポレート)



(てんしばの 出入り口)



地方自治体が観光PR等の文化施設を建設する際には、普通は
委託料を民間業者に支払い事業の運営を任せ、予算を設定して
管理料を払い、利益がでれば自治体の会計に繰り入れるそうですわ。

当然ながら赤字がでれば税金で毎年補填することになりまんな。

全国で自治体が造った施設は殆どが赤字だと聞いてまっけど。

(大阪市の マンホールの蓋)



「てんしば」は新しい方式で、近鉄不動産と契約が結ばれ
年間3000万円の公園使用料を納めてもらえば、20年間
管理や運営には大阪市は一切の介入をしないんだって。

2035年9月30日までの長期契約とか恐れ入りますな。

契約終了の際には、更地に戻して大阪市に返却だって。

だから~黙っていて、年間3000万円が儲かる訳でんな。

今まで従事していた人件費や管理費がゼロで一石二鳥でおます。

人員は他の部門へ異動させ市民サービスの向上に向けるとの事。

地元の近鉄さんが手を挙げたから、特殊の例かもしれないけど。

(昔の天王寺公園 東側出入り口)



2013年(平成25年)までのお話でっけど。

ドーム型の天井が見える所で大人1名150円の入場料でした。

申し訳程度の花壇やベンチが置かれているだけでボッタクリやと
市民からの批判があり、入場者は年間で18万人~19万人前後。

イベントが行われても150円を徴収されるので不評でんがな。

誰が考え出したのかは知りまへんけど、天王寺公園の一部を
民間企業に貸し出して、天王寺・阿部野地区を活性化する。

橋下市長の置き土産の感じで民間に委託を公募しましたんや。

(改修工事中の天王寺公園)





あべのハルカスを中心とする天王寺・阿部野地区に全力を掛ける
近畿日本鉄道が名乗りを挙げたのが2014年10月でした。

「民が主役 行政はサポート役」これが合言葉でしたかな。

流石は民間企業でっせ、1年間で「てんしば」オープンですわ。

近鉄さんは約13億円~14億円を投入したとの噂でっけど。

それに対して大阪市は周辺整備に4億円ぐらいで収まったとか。

トイレなどが凄く綺麗になったのには感心しまっせ。

有料の施設は有るけど、入場料がゼロとは有り難いでっせ。

「あべのハルカス」や通天閣などを含めて、夜景の新しい
スポットとしても、売り出し中とも聞いてまんねん。

(てんしば 内部の画像)









「てんしば」の愛称になっている芝生広場は人工芝じゃなく
天然の芝生を植えて、子供やカップルに喜んでもらうとか。

でも~ 大勢の人が芝生広場に入るので、今後の管理や維持に
近鉄不動産は予想外の経費が増えるのではと心配に?

カフェやコンビニやレストランから賃料などが、近鉄さんに
入るけど年間3000万円なら赤字は間違いないかも。

「あべのハルカス」や天王寺・阿倍野地区が活性化すれば
年間の1000万円~1500万円の赤字は安いかな?

一方、「てんしば」より半年ほど早くオープンした堺市の
「利昌の杜」のお話をさせてもらいまひょ。

(堺市 利昌の杜=りしょのもり)



ここは堺市の市立病院の跡地で20年間ぐらい放置されていた?

反大阪維新の竹山市長の率いる堺市が約40億円を投入して
完成後は民間に委託料や管理費を支払って運営する従来型。

この施設は堺市が生んだ茶人の「千利休」と同じく歌人の
「与謝野晶子」を合わせて「利昌の杜」と名付けたそうですわ。

この建物に隣接する「スターバツクス」のカフェや豆腐料理の
「梅の花」は和風の建物で、凄く人気のある施設になってまっせ。

でも昨年の入館者数が無料含む約45万人に対して有料の方が
約16万人と聞きますので、初年度から赤字ではないかと?

テナント料と駐車料金を含めて年間収入が約1億円ぐらいかな。

この「利昌の杜」に関する堺市の年間予算が約2億円超との事。

差し引き、年間で約1億円ぐらいの赤字が続くようでっせ。

(利昌の杜 館内の展示物)





鉄ちゃん爺やも、一度だけ訪れたんでっけど、殆どが複製ばかり
与謝野晶子の本が展示されているぐらいとの話でスルーしました。

(利昌の杜 反対側が千利休の屋敷跡)





この辺りは、昭和20年のアメリカ軍の空襲で殆どが焼失でした。

こじつけで、井戸や敷石がおますけど、歴史的には疑問符が?

(堺市 利昌の杜PR 花壇)



千利休や与謝野晶子に興味の有る方は一度は訪れるでしょうが
リピーターとなれば、期待は出来ないんではと考える次第。

今から思えば、ホテルの誘致をした方が良かったかもとの噂。

毎年ながら約1億円以上の赤字を、何年ぐらい続けるのかしら?

従来型の「行政が主役 民間がサポート役」の典型でっしゃろ!

再び大阪市の「てんしば」に戻りまひょ。

(天王寺動物園と てんしばの連絡口)



天王寺公園は動物園を含めると約28万㎡もある大阪市の施設。

天王寺動物園も平松元市長の時代に投資がゼロに減らされて
年間入場者が約190万人から約116万人まで急落。

橋下前市長の時代に新しい園長を迎え戦略の練り直しがおました。

「ナイトZOO!」という志向で夜の動物園を一般に公開。

これが~ 人気で「てんしば」の評判と合わさって平成27年度
動物園の入館者は約160万人に盛り返してきたとの事。

平成29年度の目標は約260万人との強気の姿勢でっせ。

「てんしば」が工事中の平成26年度の入場者は約136万人。

近鉄グループとテナント各社さんの腕の見せ処でっしゃろな。

この5月中は「オクトーバーフェスト2016」のイベントで
ドイツのビールを招いて、賑やかな催しをやっているんだって。

昔は10月頃のイベントだったけど細かい事は言いまへん!

(てんしば テナント施設附近)









「てんしば」はオープンした2015年10月の1か月間で
入場者が約45万人に達したと発表されてまんな。

広場は無料なので、どうしてカウントしたのかは不明?

でも~ 子供連れのリピーターは多いように感じまっせ。

有料だけど、子供が安心して遊べるキッズランドや愛犬の
ドッグランやトリミングができる施設などもおますんや。

他にもフットサルの施設やオープンカフェにピッツアや
肉の炉端を売りにするレストラン等。

やはり民間ならではのアイデアが人気を呼んでますかな。

これからも年内にオープン予定のゲストハウス(宿泊施設)に
国際観光案内所と観光バスの待合室などが予定されてまっせ。

あべのハルカスの近くには大型バスを駐車する場所がおまへん。

天王寺公園の南側に路上のスペースを設けている程度で
それも10台前後しか停められないのでこれは良いアイデア。

最後に珍しい画像を2枚だけ貼り付けて置きまひょ。

(現在の JR天王寺駅ビル)



(昭和40年頃の 国鉄・天王寺駅ビル)



鉄ちゃん爺やの高校卒業後に天王寺駅ビルは完成。

当時は天王寺ステーションビルと呼んでましたな。

当時に流行した「民衆駅ビル」で国鉄に近鉄や南海
都ホテル等が参加した大阪では初の駅ビルだっかも?

画像の右手にMIOビルが加わったけど左側は現在も
都ホテルなどで、当時と外壁の色が変わっただけかな。

懐かしい、大阪に市電が走っている風景でっせ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪
























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鉄ちゃん爺や  誉田八幡宮をデジカメ撮影

2016-05-14 16:51:11 | デジカメ散歩
鉄ちゃん爺やの地元では、堺市と藤井寺市との協賛で
「世界文化遺産を大阪に!」 運動をやってますんや。

百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)と我が町の
古市古墳群を統括して世界文化遺産にとの運動でんな。

その一環としてGW中に開催されたのが

「グリーンフェスタはびきの」でっせ。

 ~来て・見て・学ぶ  未来へつなぐ古市古墳群

誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)の境内を利用して
開催され、多くの参加者で賑わいましたんや。

誉田八幡宮の北側には、面積では日本第2位で有り
体積では日本最大の古墳が、応神天皇陵なんでっせ。

(東高野街道の 石碑)



描かれているのは誉田八幡宮の9月15日の大祭で
江戸時代の絵図から拝借したものでしょうな。

東高野街道は生駒山の山麓から我が町を通過して
河内長野市内で西高野街道と合流し、最終は
高野山の金剛峯寺まで続く古い街道なんでっせ。

(東高野街道と誉田八幡宮の土塀)



(誉田八幡宮の 鳥居)





ご存じの通り、全国に在る八幡宮とは応神天皇と
母親の神功皇后をお祀りしている神社でっせ。

何でも日本で一番、数の多いのが八幡宮なんだって。

神社本庁に登録されているのが7817社だそうで
登録されていない八幡神社を合わせると約2万社とも
称されていて、実際の数は不明とのこと。

因みに、別の神様もお祀りしている八幡宮の場合は
通常は、八幡神社と呼ばれることが多いようでんな。

「宮」と付くのは天皇や皇族をお祀りした神社でっせ。

会社や個人宅に在る、お稲荷さんも神社と数えれば
稲荷大社が一番だという説もおますけどね。

(誉田八幡宮=こんだはちまんぐう 拝殿)





(誉田八幡宮の 拝殿の彫刻)





第15代応神天皇は誉田別命(ほんだわけのみこと)と
お呼びし、そのお名前を頂いた由緒ある神社でおます。

日本書紀には欽明天皇20年(559年)に応神天皇の
お墓の前に神殿を設けたと記されているそうです。

だから~ 日本最古の八幡宮なんですが、疑問符も?

実は「八幡さま」が歴史上に現れるのは奈良時代の
東大寺の大仏様を建立する際に九州からやってきた?

道鏡の陰謀を防いだことで、皇祖神に昇格されます。

そんな訳で皇祖神として京都の石清水八幡宮に鎮座。

その過程で応神天皇が八幡さまに崇められたようでっせ。

後に源氏の氏神として、武士階級や庶民にも信仰される
「八幡さま」という親しみのある神様になられたとか。

元々は応神天皇とは別の神様だったのが、平安時代に
神仏習合で「八幡大菩薩」とも呼ばれることになる。

前置きが長くなりましたが、結果論になりまっけど
応神天皇の御陵の奥に鎮座される、誉田八幡宮は
日本最古と言えるのかもしれまへんな。

(石見神楽が 島根県から来訪)









世界遺産の「石見銀山」に伝わる石見神楽の一座が
奉納と応援を兼ねて、島根県から来訪されてますんや。

この日は八岐大蛇(やまたのおろち)退治ではなくて
日本武尊(やまとたけるのみこと)の出し物だった?

それとも八幡神の出し物かは、定かじゃないでっけど。

鉄ちゃん爺やが3月に安芸高田で見損なった神楽と
同じルーツを持つ古い、民俗神楽だそうですわ。

(応神天皇陵古墳の 航空写真)



画像の一番下の辺りに誉田八幡宮がおますんや。

古市古墳群では最大の古墳で墳丘長が425mもあり
堺市の仁徳天皇陵に次ぐ大きさとされてまっせ。

実は鉄ちゃん爺やの興味は別の処にあったんですわ。

この応神天皇陵の墳丘が中世の地震で変形している
そんな話を確認したくて、係りの方との談話。

(応神天皇陵古墳と 活断層)





1枚目の画像で左側上部がいびつに広がっている
そこは、中世に大きな地震が襲い応神天皇陵の
墳丘を崩してしまった、活断層の跡なんだって。

2枚目の右側には、その活断層の一番下の部分が
鉄ちゃん爺やの、お向かいの家の下をかすめて
現在は2~3mぐらいの段丘になってますんや。

地元では誉田断層と呼んで、室町時代にM7.2
直下型の地震があったと記録にも残っているとか。

(グリーンフェスタはびきの 幟)



この日は、熊本・大分の地震による義援金募集の
イベントも兼ねて、軽トラ市と呼ばれるバザーも
ここや、近くの駒ヶ谷公園などで開催されました。

普段は見れない誉田八幡宮の国宝も有料で公開。

9月15日の八幡宮の大祭に写した画像を復元し
ここに、貼り付けて置きまひょ。

(国宝 塵地螺鈿金銅装神輿)





建久年間に源頼朝が奉納した国宝のお神輿だっせ。

源頼朝の祖先はここから南東へ約3kmほど
河内源氏の源頼義や八幡太郎・源義家でんな。

この国宝のお神輿は年に一度だけ無料で観れまつせ。

9月15日の大祭の際には拝殿の前に飾られますんや。

その画像が2枚目の画像でっせ。

(秋の大祭に 渡御するお神輿)









夕方から、神官や氏子さんに担がれるそうで。

年に一度だけ、放生橋(ほうじょうはし)を渡って
応神天皇陵内に入り、神事が行われるそうですわ。

普段は柵で立ち入りは出来ないようになってまぁ。

無断で侵入したら宮内庁や誉田八幡宮によって
逮捕されるかもしれまへんので念の為。

(国宝 金銅製透彫り蔵金具)





江戸時代に応神天皇陵の北側の陪塚から出土したそうで
現在は、誉田八幡宮の所有する国宝になってますんや。

応神天皇陵が造られた頃には、馬具などが朝鮮半島から
伝わり、馬の騎乗が始まっていたと考えられるそうでっせ。

こんな伝説も日本書紀に載っているそうですわ。

(誉田八幡宮の 神馬)





田辺某という豪族が誉田の森を馬で通過しようとしたら
境内に素晴らしい駿馬1頭が繋がれていたんだって。

自分の馬と交換して乗って帰ったところ、翌朝になり
その馬を見たら、大きな埴輪に変わって居たんだって。

改めて、誉田の森に「馬の埴輪」を持って行ったら
そこには、自分の馬が繋がれていたというお話。

5世紀ごろには馬の騎乗があり、埴輪も作られていた。

そんな事を伝える逸話のようでんな。

ついでに、9月の八幡宮の大祭の画像も載せて置きまひょ。

(誉田八幡宮 秋の大祭 9月15日)









巫女さんが日本刀を使ってお神楽を演じておられまっせ。

本当は撮影したらダメだそうですが、ご免なさいね。

(誉田の林古戦場跡の碑)





室町時代には何度もこの辺りを中心にして合戦があり
大坂夏の陣ではテレビで放映中の真田丸に登場する
真田幸村もこの辺りで、伊達政宗軍と衝突し相手に
大きな損害を与えてから、大坂城に撤退したんだって。

(誉田八幡宮の 南大門)



江戸時代まで長野山護国寺と呼ばれる神宮寺がおました。

明治の廃仏毀釈で、現在は唯一のこる、当時の山門でんな。

(古市古墳群の 航空写真)



古市古墳群を、ほぼ網羅して撮影されたような感じ。

やや右寄りの大きな緑色の森が、応神天皇陵だっせ。

中央やや左のお濠で囲まれている古墳は、日本武尊陵
(やまとたけるのみことりょう)でおます。

一番右下の小さな古墳でっけど、墳丘はこれで100m
安閑天皇陵(あんかんてんのうりょう)でおます。

その下、左寄りに鉄ちゃん爺やの自宅の屋根が写ってまぁ。

画像に写っているだけで宮内庁管理の古墳だけで12基
消滅した古墳も含めれば約4km四方に約130基もの
古墳が確認されているのが古市古墳群でおます。

世界文化遺産に登録される頃には、おそらく
鉄ちゃん爺やは、この世に生きてないでしょうな。

今日はこれにて、お仕舞にしまっさ。

これで~ さいなら~♪



コメント (14)
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鉄ちゃん爺や  当麻寺の牡丹を訪ねて

2016-05-07 14:31:26 | デジカメ散歩
當麻寺(たいまでら)正式にはこんな字をかきますんや。

奈良県葛城市當麻(かつらぎしたいま)という地名でんな。

常用漢字の「当麻寺」を使うことも多いようですわ。

(近鉄南大阪線 当麻寺駅)





當麻寺(たいまでら)は関西では有名な「牡丹」の名所で
有名な「中将姫」の曼荼羅(まんだら)伝説が残るお寺でっせ。

非常に古いお寺なんでっけど、分からん事も多いんですわ。

(中将餅 竹本中将堂)





こちらは中将姫の名前を拝借した、よもぎ餅のお店。

駅の近くなのでお土産として店内は賑わってまんな。

それじゃ~ 参道を歩いて當麻寺へ向かいまひょ。

(當麻蹴速=たいまのけはや お墓)



伝説の人物かもしれまへんが、天皇の前で相撲を取り
野見宿祢(のみのすくね)に負けて死亡したとか
日本書紀に言い伝えが残されてますんや。

この地が當麻氏の根拠地だったようで、葛城氏の一族で
奈良時代ごろまでの豪族だったようでんな。

(相撲発祥の地 幟)



(當麻寺の参道)





(當麻寺の参道から 二上山を望む)



山の向こう側は大阪府で鉄ちゃん爺やの街の近くになりまぁ。

この二上山は右側が雄岳(517m)で左側が雌岳(474m)
昔から神聖な山とされ、夕日が雄岳と雌岳の間に沈んでいく
それが西方極楽浄土という信仰に繋がったんかも知れまへん。

昔は「ふたがみやま」と呼ばれ万葉集の和歌にも詠まれる山で
現在は「にじょうざん」と呼んでるようでっけど。

その二上山の東側の裾野に建てられたお寺が當麻寺でっせ。

(當麻寺の楼門)





鉄ちゃん爺やを内の奥さんが撮影したんやけど
楼門にピントが合わさってる感じでっかな。

(葛城市 マンホールの蓋)



當麻寺は伝説によると、聖徳太子の弟が創建したお寺を
當麻国見(たいまのくにみ)と言う方が、白鳳12年に
この地に移して、當麻氏の氏寺としたとされてますんや。

現在は高野山真言宗と浄土宗知恩院の大和本山と呼びまぁ。

現在は真言宗の塔頭が五か寺に浄土宗の塔頭が八か寺の都合
十三か寺が子院になり、兼帯で當麻寺を維持しているんだって。

多くの塔頭が「牡丹」や「シャクナゲ」などを育てている
花の寺として、特に4月下旬から5月中旬は賑わうんですわ。

(當麻寺 説明書き)



(當麻寺 本堂) (国宝に指定)





有名な當麻曼荼羅(たいままんだら)が安置されて現在は
本堂になりまっせ、浄土宗の子院が管理しててるんだとか。

棟木に1161年(永歴2年)の墨書きが残っていて
しかも奈良時代の廃材も利用しての再建であるとの事。

東を正面にして西側に向かって拝むようになってまんな。

西方浄土という信仰から成り立っていることが分かりまぁ。

傘を差して本堂へ向かうのは鉄ちゃん爺やの奥さんの後ろ姿。

国宝の當麻曼荼羅(たいままんだら)は写真撮影が禁止ですわ。

當麻曼荼羅が奉納されているので曼荼羅堂とも呼ぶんだって。

(當麻寺 金堂) (国の重要文化財に指定)



こちらは、昔の本堂で弥勒仏座像が安置されているので
高野山真言宗の子院が管理されるお寺ちゅうことになりまぁ。

奈良時代以前の様式で南側を正面にして建てられてますんで
この画像は裏側から撮影したことになりまんな。

平重衡が興福寺や東大寺を焼き討ちした際にこの金堂や
講堂が焼け落ちたそうで、鎌倉時代の再建だとか。

それでは、鉄ちゃん爺やが昔から好きな塔頭で「西南院」を
紹介しまひょ、高野山真言宗の塔頭の一つになりまんな。

(當麻寺 塔頭の西南院)





(本尊 十一面観音像 他)



(當麻寺 西南院から西塔を望む)



江戸時代の初期に造られた、鉄ちゃん爺やお勧めの庭園。

それでは~ 西南院の牡丹をゆっくりとご覧くださいね。

(當麻寺 西南院の牡丹)















(西南院に咲く シャクナゲ)









(當麻寺 西南院に置かれた水琴窟)





「つくばいから」流れ落ちた水は、土の中に隠された
素焼きの壺の中の水面に落ち、その音が反響して
琴に似た音色を出すように造られてますんや。

江戸時代の文化文政の時代に流行ったと聞いてまんな。

(當麻寺 西南院の庭)











ここの見晴らし台に登ると他所では見れない写真が撮れまっせ。

国宝の東塔と西塔の二つが綺麗に並んで写せますんや。

(国宝の 當麻寺 東塔&西塔)



奥の東塔は奈良時代の創建で手前の西塔は平安時代の創建。

近世以前に造られた三重の塔が二つ並んで観れるのは
ここ當麻寺だけだと聞いてますんや。

(新しい ポケデジ)



新しく買ったデジカメでズームインして見まひょかな。







ついでに反対側の奈良盆地もズームインしましたで。

畝傍山は残念ながらお寺の陰で写せまへんでした。

(大和三山の一部が見えてまんな)



珍しい花を二つほど紹介しまひょかな。

ハナイカダやなんじゃもんじゃの木もおますけど
こちらは、まだ花が咲いてまへんわ。

(黄色いシャクナゲは珍しいかな?)





シャクナゲは白かピンクが殆どでっしゃろ。

黄色のシャクナゲは滅多に見れないと思いまっせ。

次は「ハンカチの木」と言いますんや。

(當麻寺 西南院 ハンカチの木)







(當麻寺 奥院  浄土庭園)

















(中将姫が剃髪した 中之院)





(當麻寺境内 中将姫の銅像)



奈良時代の藤原豊成の娘で継母の迫害から當麻寺に逃れ
一夜で蓮の糸で當麻曼荼羅を織り上げたとされています。

出来た曼荼羅を井戸に浸すと黄金に輝く
當麻曼荼羅に変わったとの伝説でおます。

當麻曼荼羅は現在は国宝で表面が殆ど見えないとか。

台座の厨子には天平宝字という奈良時代の年号が
残っているそうですわ。

阿弥陀三尊を中央に置き左右17体の菩薩を配し
合計37体の仏像と風景を描いた織物だそうですわ。

複製をしたものがパンフレットに載ってましたので
貼り付けて置きまひょ、阿弥陀三尊の部分でしょうな。

(當麻曼荼羅=たいままんだら) (複製?)



こちらは、日本最古の梵鐘と言われる鐘と鐘楼でっせ。

(當麻寺 日本最古の梵鐘) (国宝に指定)





金網で囲われてますんで、はっきりとは見えまへんな。

無銘の鐘だそうですが、国宝に指定されてるそうでっせ。

(當麻寺 塔頭の門前に咲く 藤の花)





帰り道の民家に綺麗な山吹が咲いてました。

我が家ではGW前に枯れてしまいましたけど。

(山吹の花)





(こちらは つるバラかな?)



それじゃ、本日はこれでお仕舞にしまひょ。

ほんなら、これで、さいなら~♪





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