蒸気機関車C57 1号機は1937年(昭和12年)3月22日
川崎車両(現在の川崎重工)で完成し当時の鉄道省に納入され
国鉄・常磐線の水戸機関区に配属されたC57形式の1号機でおます。
1939年(昭和14年)4月に東北本線・宇都宮機関区に転属して
あの戦争中は東北本線の上野駅~宇都宮駅間で運行されていたんだって。
最初の苦難は1945年(昭和20年)7月に米軍の艦載機により
宇都宮機関区内で被弾して走行が不能に追い込まれたんだって。
(C57 137号機) (撮影地不明)
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蒸気機関車のC57型は1945年(昭和20年)までに169台が
戦後に170号機から201号機まで合計201台が製造されたとか。
C57 1号機は戦後すぐに修理されて戦列に復帰したそうですわ。
戦後の1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで
宇都宮機関区で東北本線の客車をけん引していたとの記録が。
1949年(昭和24年)から1954年(昭和29年)までは
総武本線の千葉機関区で普通列車をけん引していたとの記録も。
(東海道本線 電化前のSL 近江八幡駅?)(昭和30年前後の画像)
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C57型は当時でもスピードは優れていた物の山岳路線では力不足?
鉄道ファン仲間ではC57型は「シゴナナ」という名前で呼ばれまぁ。
関東地方の国鉄路線が電化されるに及び1954年(昭和29年)に
新潟県の新津機関区に配属されて羽越本線で急行列車などもけん引を。
1958年(昭和33年)にはボイラーを載せ替えてリニューアル化。
1961年(昭和36年)羽越本線で急行「日本海」をけん引中に
新潟県の村上駅と間宮駅間で土砂崩れの現場に進入し脱線転覆の大事故に。
C57 1号機としては最大の危機に陥り現場に2か月間も放置されてたとか。
C57型のトップナンバーである点と3年前にボイラーを載せ替えていた事
それに台枠が損傷してないので、長野工場で5か月間を掛けて大修理を実施。
1972年(昭和47年)3月14日に秋田駅行きの普通821列車として
最後の定期運行を務めて、本来ならこれで引退の予定でしたんや。
その後には植樹祭に臨幸された昭和天皇のお召し列車の栄誉をも体験。
この頃に京都の梅小路機関区でSLの動態保存の話が持ち上がり
C57型の代表としてC57 1号機は京都の梅小路機関へ配属と決まり
新潟の新津機関区に別れを告げて京都へやってきたそうでっせ。
1975年(昭和50年)12月に国鉄はSLの定期運行を終了しました。
それまではSLなんて何処でも見られたので、鉄ちゃん爺やでも関心は
薄かったんですが、いざSLが観れなくなると聞いたら国民的な反響が!
ここから今に続くSLの復活が始まったと、言うことですかな。
1976年(昭和51年)9月に「京阪100年号」として京都駅と大阪駅の
間を1往復する臨時便の為に、C57 1号機に白羽の矢が立ったそうですわ。
SLを懐かしむ群衆が線路に押しかける大盛況の中を「京阪100年号」は
大阪駅までは無事に到着しましたが、帰路の茨木駅手前で線路に立ち入った
小学生と接触し死亡事故となる人身事故で運行が打ち切られる事態になったとか。
この事故の為に大都市でのSL運行は危険であると国鉄は考えたようでんな。
(C57 1号機 SLやまぐち号) (1979年=昭和54年8月)
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新幹線の停車駅が有り観光地にも適する場所として山口県の小郡駅から
島根県の津和野駅まで約63kmに「SLやまぐち号」として企画。
3月から~11月までの土日・祝祭日それにGWとお盆休みに期間を限定し
運行することに成ったんだって、今に続くSLブームの到来でしたかな。
1979年(昭和54年)8月1日に「SLやまぐち号」は運行を開始。
鉄ちゃん爺やは我が子にSLの乗車体験をさせてやろうとお盆休みに
親子4人で山口県の小郡駅まで新幹線で出かけましたんですわ。
JTBの平野町で店長をしていた同級生のF君に、難しい切符を依頼し
お盆休み直後の8月18日に津和野駅~小郡駅間の切符が取れましたんや。
(新幹線の特急券 新大阪駅~小郡駅間)(昭和54年8月)
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(SLやまぐち号 指定席 親子4人分) (昭和54年8月18日)
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現在では小郡駅は新山口駅と名前が変りましたので念のために。
現在の「SLやまぐち号」が走るのは新山口駅~津和野駅間と成りまぁ。
(SLやまぐち号の 蒸気機関車に息子と娘です)(国鉄・小郡駅で撮影)
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まだ息子が小学校の6年生で娘は小学校の1年生だったはず。
現在もこの「SLやまぐち号」に乗ったことは記憶しているようでっせ。
(SLやまぐち号と 国鉄・津和野駅 機関区で撮影)
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(SLやまぐち号 津和野駅から 峠越えを撮影)
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(貨物車に しがみ付いてるのは 息子です)(津和野駅にて撮影)
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右手に写っているのは、当時の「SLやまぐち号」の12系客車のはず。
この12系客車は塗装をレトロ調に変えて長年に渡り使用されていましたが
確か5~6年前に廃車となり現在は残ってないと聞いてまんねん。
(C58 1号機 SLやまぐち号 予備機)
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1980年(昭和55年)に予備機のSLとして同じく梅小路機関区から
C58 1号機が参入したんですが、ボイラーの故障で僅か3年で離脱でした。
1987年(昭和62年)にはC56 160機が代わりに参入しましたんや。
この頃からC57 1号は長年の使用で故障がたびたび、生じてたようでんな。
山岳路線に強いC56 160号機の参加でC57 1号機との重連運転も
話題になってましたが、一足早く2018年(平成30年)に引退したとか。
C57 1号機は今年で製造されてから84年にもなりますので長年に渡り
部品交換やオーバホールがされてますが、珍しいほど長生きをしてますかな。
国鉄時代から稼働している最も古い機関車に成るかもしれまへんな?
(C57 180号機 SLばんえつ号)(2000年=平成12年10月撮影)
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関東に単身赴任中でしたが、会津若松から新潟へ出張時に撮影したはず。
C57型ですが戦後の製造に成りますのでSLやまぐち号の弟分になりますんや。
日本に残るC57型で動態保存にて運行が可能なのはこの2台だけに成りました。
C57 180号機は一時引退し新潟市の小学校の校庭に飾られていましたが
保存状態が良好なのでJR東日本が譲り受けて復活させた経緯がおますんや。
C57 1号機の方は製造されてから1度も廃車されることもなく現在も
走り続けるとは、少し可哀そうな気もする年齢になってますかな。
(SLやまぐち号 乗車記念)(1979年=昭和54年8月18日)
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(SLやまぐち号 記念乗車券)(1979年=昭和54年)
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最後にSLやまぐち号は昨年の10月に津和野駅より峠越えをする際に
蒸気機関車のシリンダーに異常を来し運行を中止してしまいました。
現在は梅小路機関区に戻し大掛かりな分解修理がされているとの情報でおます。
昔SLの時代にもC57型は山口線には使用されることは有りまへんでした。
C57型には山口線のような山岳の峠越えには苦手な面があるように思いまぁ。
今年中は「SLやまぐち号」は運休と決まってますんや。
代わりにディゼルカーで「DLやまぐち号」だそうですわ。
来年にはC57 1号機は復活の予定ですが、傘寿も過ぎたご老体なので
D51型などの補助機と合わせて重連運転させるべきだとも考える次第。
蛇足ながらC57型は優美な車体から「貴婦人」の名前を付けられますが
これは戦前に製造された1号機~169号機までが正しい呼び方ですよ。
「SLばんえつ号」のC57 180号機は戦後に製造されてますので
少し車体の外観が変ってますから「貴婦人」とは呼びませんのや。
それじゃ~ 今日はこれで さいなら~♪
川崎車両(現在の川崎重工)で完成し当時の鉄道省に納入され
国鉄・常磐線の水戸機関区に配属されたC57形式の1号機でおます。
1939年(昭和14年)4月に東北本線・宇都宮機関区に転属して
あの戦争中は東北本線の上野駅~宇都宮駅間で運行されていたんだって。
最初の苦難は1945年(昭和20年)7月に米軍の艦載機により
宇都宮機関区内で被弾して走行が不能に追い込まれたんだって。
(C57 137号機) (撮影地不明)
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蒸気機関車のC57型は1945年(昭和20年)までに169台が
戦後に170号機から201号機まで合計201台が製造されたとか。
C57 1号機は戦後すぐに修理されて戦列に復帰したそうですわ。
戦後の1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで
宇都宮機関区で東北本線の客車をけん引していたとの記録が。
1949年(昭和24年)から1954年(昭和29年)までは
総武本線の千葉機関区で普通列車をけん引していたとの記録も。
(東海道本線 電化前のSL 近江八幡駅?)(昭和30年前後の画像)
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C57型は当時でもスピードは優れていた物の山岳路線では力不足?
鉄道ファン仲間ではC57型は「シゴナナ」という名前で呼ばれまぁ。
関東地方の国鉄路線が電化されるに及び1954年(昭和29年)に
新潟県の新津機関区に配属されて羽越本線で急行列車などもけん引を。
1958年(昭和33年)にはボイラーを載せ替えてリニューアル化。
1961年(昭和36年)羽越本線で急行「日本海」をけん引中に
新潟県の村上駅と間宮駅間で土砂崩れの現場に進入し脱線転覆の大事故に。
C57 1号機としては最大の危機に陥り現場に2か月間も放置されてたとか。
C57型のトップナンバーである点と3年前にボイラーを載せ替えていた事
それに台枠が損傷してないので、長野工場で5か月間を掛けて大修理を実施。
1972年(昭和47年)3月14日に秋田駅行きの普通821列車として
最後の定期運行を務めて、本来ならこれで引退の予定でしたんや。
その後には植樹祭に臨幸された昭和天皇のお召し列車の栄誉をも体験。
この頃に京都の梅小路機関区でSLの動態保存の話が持ち上がり
C57型の代表としてC57 1号機は京都の梅小路機関へ配属と決まり
新潟の新津機関区に別れを告げて京都へやってきたそうでっせ。
1975年(昭和50年)12月に国鉄はSLの定期運行を終了しました。
それまではSLなんて何処でも見られたので、鉄ちゃん爺やでも関心は
薄かったんですが、いざSLが観れなくなると聞いたら国民的な反響が!
ここから今に続くSLの復活が始まったと、言うことですかな。
1976年(昭和51年)9月に「京阪100年号」として京都駅と大阪駅の
間を1往復する臨時便の為に、C57 1号機に白羽の矢が立ったそうですわ。
SLを懐かしむ群衆が線路に押しかける大盛況の中を「京阪100年号」は
大阪駅までは無事に到着しましたが、帰路の茨木駅手前で線路に立ち入った
小学生と接触し死亡事故となる人身事故で運行が打ち切られる事態になったとか。
この事故の為に大都市でのSL運行は危険であると国鉄は考えたようでんな。
(C57 1号機 SLやまぐち号) (1979年=昭和54年8月)
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新幹線の停車駅が有り観光地にも適する場所として山口県の小郡駅から
島根県の津和野駅まで約63kmに「SLやまぐち号」として企画。
3月から~11月までの土日・祝祭日それにGWとお盆休みに期間を限定し
運行することに成ったんだって、今に続くSLブームの到来でしたかな。
1979年(昭和54年)8月1日に「SLやまぐち号」は運行を開始。
鉄ちゃん爺やは我が子にSLの乗車体験をさせてやろうとお盆休みに
親子4人で山口県の小郡駅まで新幹線で出かけましたんですわ。
JTBの平野町で店長をしていた同級生のF君に、難しい切符を依頼し
お盆休み直後の8月18日に津和野駅~小郡駅間の切符が取れましたんや。
(新幹線の特急券 新大阪駅~小郡駅間)(昭和54年8月)
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(SLやまぐち号 指定席 親子4人分) (昭和54年8月18日)
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現在では小郡駅は新山口駅と名前が変りましたので念のために。
現在の「SLやまぐち号」が走るのは新山口駅~津和野駅間と成りまぁ。
(SLやまぐち号の 蒸気機関車に息子と娘です)(国鉄・小郡駅で撮影)
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まだ息子が小学校の6年生で娘は小学校の1年生だったはず。
現在もこの「SLやまぐち号」に乗ったことは記憶しているようでっせ。
(SLやまぐち号と 国鉄・津和野駅 機関区で撮影)
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(SLやまぐち号 津和野駅から 峠越えを撮影)
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(貨物車に しがみ付いてるのは 息子です)(津和野駅にて撮影)
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右手に写っているのは、当時の「SLやまぐち号」の12系客車のはず。
この12系客車は塗装をレトロ調に変えて長年に渡り使用されていましたが
確か5~6年前に廃車となり現在は残ってないと聞いてまんねん。
(C58 1号機 SLやまぐち号 予備機)
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1980年(昭和55年)に予備機のSLとして同じく梅小路機関区から
C58 1号機が参入したんですが、ボイラーの故障で僅か3年で離脱でした。
1987年(昭和62年)にはC56 160機が代わりに参入しましたんや。
この頃からC57 1号は長年の使用で故障がたびたび、生じてたようでんな。
山岳路線に強いC56 160号機の参加でC57 1号機との重連運転も
話題になってましたが、一足早く2018年(平成30年)に引退したとか。
C57 1号機は今年で製造されてから84年にもなりますので長年に渡り
部品交換やオーバホールがされてますが、珍しいほど長生きをしてますかな。
国鉄時代から稼働している最も古い機関車に成るかもしれまへんな?
(C57 180号機 SLばんえつ号)(2000年=平成12年10月撮影)
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関東に単身赴任中でしたが、会津若松から新潟へ出張時に撮影したはず。
C57型ですが戦後の製造に成りますのでSLやまぐち号の弟分になりますんや。
日本に残るC57型で動態保存にて運行が可能なのはこの2台だけに成りました。
C57 180号機は一時引退し新潟市の小学校の校庭に飾られていましたが
保存状態が良好なのでJR東日本が譲り受けて復活させた経緯がおますんや。
C57 1号機の方は製造されてから1度も廃車されることもなく現在も
走り続けるとは、少し可哀そうな気もする年齢になってますかな。
(SLやまぐち号 乗車記念)(1979年=昭和54年8月18日)
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(SLやまぐち号 記念乗車券)(1979年=昭和54年)
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最後にSLやまぐち号は昨年の10月に津和野駅より峠越えをする際に
蒸気機関車のシリンダーに異常を来し運行を中止してしまいました。
現在は梅小路機関区に戻し大掛かりな分解修理がされているとの情報でおます。
昔SLの時代にもC57型は山口線には使用されることは有りまへんでした。
C57型には山口線のような山岳の峠越えには苦手な面があるように思いまぁ。
今年中は「SLやまぐち号」は運休と決まってますんや。
代わりにディゼルカーで「DLやまぐち号」だそうですわ。
来年にはC57 1号機は復活の予定ですが、傘寿も過ぎたご老体なので
D51型などの補助機と合わせて重連運転させるべきだとも考える次第。
蛇足ながらC57型は優美な車体から「貴婦人」の名前を付けられますが
これは戦前に製造された1号機~169号機までが正しい呼び方ですよ。
「SLばんえつ号」のC57 180号機は戦後に製造されてますので
少し車体の外観が変ってますから「貴婦人」とは呼びませんのや。
それじゃ~ 今日はこれで さいなら~♪