鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や 大阪をデジカメ散歩

2017-02-19 17:06:02 | デジカメ散歩
先週の17日(金)は生憎の雨でしたんや。

やっぱり雨でしたかと、言われそうでっけど。

鉄ちゃん爺やが呑み会に出かけると不思議に
雨が多いんですわ、雨男かも知れまへんな。

そんな訳で屋内や地下街の画像でやりまひょ。

(大阪市営・地下鉄 梅田駅名標)


JR大阪駅と阪神百貨店を挟んで地下通路に
各県の名産品を売る店舗がおましたんや。

地元では「アリバイ横丁」とか呼んでましたな。

浮気旅行を隠すために、出張してましたでと
この「アリバイ横丁」でお土産を買って帰る。

逆に土産を買い忘れた時に、ここでという
便利な使い方もおましたんや。

今は宅配便の時代なんで必要がおまへんけど。

一昨年からその地下通路が改修されてますんや。

地下街のルーツとして戦前にできたとの噂。

でも現在の地下街のイメージとは違ってまっけど。

(懐かしい! 立ち飲み「松葉」さん)(平成26年撮影)


この串カツと居酒屋で有名だった「松葉」さんは
鉄ちゃん爺やが高校生の頃には、ここにおました。

「アリバイ横丁」が全て撤去された後も最後まで
頑張っていた当時の懐かしい写真でおます。

この「松葉」さんの先の階段を登って行くと
JR大阪駅の東口やバスターミナルに出ますんや。

大阪に住む飲んべ~さんなら一度は訪れたかも?

(JR大阪駅 駅名パネル)




(JR大阪駅 時空の広場 金の時計)


JR大阪駅が新しく改装された際に橋上駅の連絡通路に
「時空の広場=ときのひろば」と名付けて北側に
「金の時計」を南側に「銀の時計」を設置して
待ち合わせや、大阪駅のシンボルゾーンにしたんですわ。

オープンカフェもあって人通りも多くJR大阪駅の
新しい名所として、常に賑わってまんねんで。

(JR大阪駅 ノースゲートビル)


(JR大阪駅 サウスゲートビル)


北側のノースゲートビルと南側のサウスゲートビルを
ビルの5階に相当する連絡通路で結んでますんや。

天井は大きなドーム式で駅全体を囲っている感じでんな。

(JR大阪駅 時空の広場 銀の時計)


「銀の時計」は雨が降る夕方なので写りが悪いでっけど。

この広場からは大阪駅を発着する電車が見えますんや。

電車好きの子供さんやマニアには格好の広場でっしゃろな。

(黄昏のJR大阪駅を 時空の広場から撮影)


左側のオレンジ色の電車はJR大阪環状線の外回りで
201系のこれらの車両は2年後にはすべて引退予定。

昨年末から323系の新しい通勤型電車が走り始め
2019年度末までに全てが切り替わるそうですわ。

JR大阪駅で国鉄時代の電車が見られるのも後少し。

103系や201系の引退に、そろそろ鉄道マニアが
想い出の写真を撮ろうと押し掛けるかもしれまへんで。

(同じく 黄昏のJR大阪駅のホーム)


右の気動車は特急「スーパーはくと」で京都駅から
鳥取県の倉吉駅までを最短で結ぶ列車でっせ。

この時期は「松葉かに」を求めて関西から鳥取県へ
「かに喰いツアー」なんてのが人気なんですわ。

(JR大阪駅北側 梅田貨物駅の懐かしい風景)


鉄ちゃん爺やが社会に出た頃はまだトラック輸送が
発達してなくて、国鉄の貨車が物流の中心でしたんや。

この画像は廃止が決まり最後の頃を迎えた際に撮影。

平成24年頃に大阪駅の5階から写した物だったかな?

(グランフロント大阪 JR大阪駅方向から撮影)


(元梅田貨物駅跡 懐かしい画像)


こちらはグランフロント大阪が完成して廃止となった
梅田貨物駅のドーム式のホームを撮影したものです。

おそらく平成27年頃の撮影だったと記憶してまぁ。

現在はドーム式の貨物ホームも取り壊されてしまい
JR大阪北駅地下ホームを造る工事が始まってますんや。

完成は平成30年頃とか言われてまして、この広場は
大阪市内に残る最後の一等地なんだそうですわ。

(元大阪中央郵便局 懐かしい画像)


これもJR大阪駅西口の先におましたけど、数年前に
取り壊されて、新しく高層ビルを建てるとの噂でんな。

それでは大阪駅の地下街へ入って行きまひょ。

(梅田の 地下街)




大阪の地下街は「大阪地下街(株)」という大阪市が株式の
約54%を保有する関連会社が経営してまんねんで。

名古屋や東京は民間企業が共同して経営体を作っているとか。

毎年約6億円ぐらいの利益を出しているのはご立派。

(大阪市 本庁舎)


大阪には別に「クリスタ長堀」と称する単体の面積では
日本一の地下街がおますんやけど、これも大阪市が99%
株式を保有する関連団体だそうですわ。

「クリスタ長堀」は一度経営危機に見舞われたけど
最近は立ち直って毎年の利益を計上するようになったとか。

(クリスタ長堀の 地上は心斎橋筋)


ここは昔の長堀川を埋め立てた後に、B2~B4の部分に
約1030台を収容できる長堀駐車場とB1の部分に
「クリスタ長堀」という地下街になってますんや。

駐車場が半分を占めているので地下街としての面積は
店舗だけなら全国で12番目に当たるそうでっけど。

大阪で一番古い地下街を紹介しまひょかな。

(NAMBAなんなんタウン)




鉄ちゃん爺やがまだ高校生だった1957年(昭和32年)
大阪で一番古い地下街としてスタートしましたんや。

先程紹介した「大阪地下街(株)」が手掛けた最初の物で
その後、ウメダ地下街・アベノ地下街・ミナミ地下街など
現在では6つの地下街を経営する企業に成ってまっせ。

(元の新歌舞伎座 & なんばマルイ)


右側が現在の「なんばマルイ」ですが鉄ちゃん爺やが若い頃
この敷地には当時の大阪で一番大きな「南街劇場」という
映画館がおましたんや、確か座席が1488席だったはず。

(南海ビル & 難波高島屋)




(登録文化財の銘板)


この大阪で一番古い地下街は南海電鉄の終点である
南海ビルと高島屋や地下鉄の御堂筋線の難波駅と
大阪一の映画館だつた南街会館を結んだ物で
完成した当時は珍しさもあって大いに賑わいました。

地下道の暗いイメージを一新して、華やかな店舗と
流行の先端を行く地下街のスタートでしたかな。

地下街の大きさは延べ面積で比較する場合と、店舗の
数と面積で比較することがおますんや。

店舗の面積で比較すると首位は東京の八重洲地下街
第二位がNAMBAなんなんタウンを含めての
なんばウオークがほぼ同じ面積になるんだとか。

名古屋駅地下や栄駅地下は通路が広いので延べ面積では
八重洲地下街や大阪のなんばウオークを上回るそうで
どこが日本一だとか、ネットでは賑わってまっけど。

延べ面積では大阪の「クリスタ長堀」が一番なんでっせ。

それでは、本日はこれにて終了としまっさ。

ほな~ さいなら~🎵





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奈良公園を デジカメ散歩

2017-02-11 19:38:28 | 京都・奈良
春日大社は有名なんで皆さんも訪れたことが~

有名な和歌の碑をみながら春日大社を後にしまひょ。

(安倍仲麻呂の 有名な和歌)




今回はあまり知られてない奈良公園の名所を
三つばかり選んで紹介してみまひょ。

(春日大社の神苑 万葉植物園)


ここは藤の花が咲く頃が見事でっけど今の時期は
冬枯れの万葉植物だけなんでパスしまっせ。

春日大社の「神紋」は藤の花なんですけどね。

まずは春日大社の境内を南の方へ外れまひょ。

樹木が途切れて「飛火野=とびひの」と呼ばれる
見通しのいい場所に出てきましたで。

(飛火野=とびひの & 御蓋山=みかさやま)




元々は御蓋山(みかさやま)を仰ぐ古代祭祀の地で
「春日野=かすがの」と呼ばれてたそうですわ。

奈良時代の貴族が蹴鞠(けまり)や花摘みなどで
楽しんだ場所だとも記されてますかな。

現在は芝が植えられて大きな広場になってますわ。

(飛火野=とびひの & 高円山=たかまどやま)




(鹿寄せの 看板)


冬の大和路の風物詩なんですよ、朝の10時ごろに
ホルンで「田園」の曲を奏でたら約100頭もの
鹿が林から飛び出して、ここに集まってくるんだって。

観光客に人気の写真スポットとして話題になってまぁ。

2月9日 ~ 3月12日 期間限定の催し!

(奈良公園の 案内標識)


(奈良公園 鷺池 & 浮見堂)




水面に写った六角形の東屋、ここも写真スポットでっせ。

建物の内部は休憩所になってますんや。

(浮見堂への 渡り橋)


(浮見堂の 内部)




カルガモかな? 見事な編隊で泳いでましたで。

この鷺池は春日山から湧き出た水が溜まったようで
周りには川らしきものが見当たりまへんな。

(カルガモ 編隊での遊泳)


(浮見堂を背景に 自撮り)


それでは再び春日大社の境内へ戻りまひょ。

途中でこんな土塀の遺跡を見つけましたで。

(奈良公園内の 古い土塀の跡)


やはり奈良には古い歴史を醸し出す雰囲気がおますな。

奈良公園ではあちこちで鹿に出会いますんや。

(奈良公園の鹿)


(生まれて間もない 小鹿が母鹿と散歩)


(奈良公園にて 東大寺の甍を眺める)


今回は奈良の大仏さま申し訳ないが他へ回りまっせ。

奈良市と言えば一番が東大寺の大仏さまだそうで
二番目は奈良公園の鹿と春日大社なんだって。

次は何十回も奈良市内を訪れたことが有るのに
鉄ちゃん爺やが初めて知った旧跡の地を紹介しまひょ。

(菩提院大御堂前の 説明板)


(伝説 三作石子詰之旧跡)


恥ずかしながら鉄ちゃん爺やの知らない伝説なので
戻ってからネットで色々と調べてみましたんや。

時は江戸時代のお話? ここ菩提院大御堂で興福寺の
子供僧侶が習字を習っていたそうですわ。

三作(みのさく)という子供僧侶が席を外した際に
鹿がやってきて習字の紙を食べてしまったんだって。

怒った三作(みのさく)が文鎮を鹿に投げつけた処
急所に当たって鹿が倒死してしまったんだとか。

当時は春日大社の鹿は神様の使いで殺傷したならば
石子詰めの刑で、死刑になるのが決まりだったそうな。

実際の記録では寛永5年(1628年)に春日社の
狛犬を盗んだ山伏が石子詰めの刑に処されたの記録。

(菩提院大御堂 外側から撮影)


まだ13歳の子供であっても法の裁きは死刑だとのこと。

ここ菩提院大御堂の境内で穴を掘って三作(みのさく)を
埋めてその上から、小石を詰めて死刑にしたんだって。

このお寺では明け七つと暮れ六つに「十三の鐘」を突き
市民に時を告げていたようですわ。

この鐘を撞く時刻に死刑が執行されたそうで、母親は
嘆き悲しんだとのことで、この伝説を浄瑠璃にして
近松門左衛門が「十三鐘」というのを創作したんだって。

画像の奥に見えるのが鐘楼で「十三鐘」が見えるとか
現在は興福寺管長の自宅だとのことで非公開なんだって。

伝説との話もありますが、奈良市内では江戸時代まで
鹿が自宅の前で死んだ時は死刑になることもあったとか。

此処を少しだけ下ると有名な「猿沢の池」に出ますんや。

(猿沢の池と 興福寺の五重塔)


この風景は奈良市を訪れた方なら、一度は見覚えがある
絵葉書にも登場する有名な観光スポットですかな。

でも池の南側にある率川(いさがわ)にある地蔵尊は
鉄ちゃん爺やも初めて気が付いた珍しいものですわ。

(率川=いさがわ地蔵尊)




川の中州を舟形に囲い約40体の地蔵さんが安置!
しかもすべての地蔵尊の、首がおまへんがな。

明治初めの廃仏毀釈に際して壊された地蔵尊だとか。

幕末に川を改修した際に出土した地蔵尊だとの説も。

現在は奈良町の皆さんが大事に保存維持しているそうで
夏の盂蘭盆には精霊流しの真似事もやるそうですわ。

(奈良町の 古い民家)








それでは、夕方も近づきましたんで帰ることにしまひょ。

大通りへ出た処で、こんな看板を発見しましたで。

(興福寺 中金堂再建完成図)


一昨年から工事が続けられてますけど完成は
平成30年(2018年)までかかるんでんな。

来年なら鉄ちゃん爺やもなんとか生きていて
完成した中金堂を拝観させてもらえるかも。

(奈良県庁前を 通過)


(近鉄奈良駅方向を撮影)


それでは甘党の内の奥さんに奈良の和菓子を
買って帰ることにしまひょかな。

(和菓子 萬勝堂)






関西では「三笠饅頭」と言いますんや、関東だったら
「ドラ焼き」とでもいうんでしたかしら?

(奈良市 マンホールの蓋)


(近鉄電車 通勤電車の塗装)


近鉄奈良駅からは2回乗り換えで自宅まで約1時間。

電車賃は片道で750円、近鉄は距離の割に高いでんな。

競争相手がJRだけなんで、相手にならないようですわ。

奈良県は近鉄電車の王国で鼻息が荒いんでっせ。

それじゃ、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵
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春日大社を デジカメ散歩

2017-02-05 17:03:41 | 京都・奈良
(近鉄電車 & 阪神電車の並列)(近鉄奈良線・西大寺駅にて)


(近鉄・奈良線 西大寺駅名標)


この日は近鉄電車で奈良の春日大社へデジカメ散歩でおます。

西大寺駅は近鉄電車が奈良線と京都線がクロスする駅で
阪神電車も神戸の三ノ宮から相互乗り入れしてますんや。

(関西で 大評判・駅のベンチ)


線路とベンチを90度向きを変えたら転落事故が減少!

この向きを変えたベンチでの転落事故は聞いてまへんで!

酔っぱらい客の多い駅から優先してるんだって!

そんな訳で関西ではJRも近鉄さんも急ピッチで改良中!

(近鉄 奈良駅前)




(行基菩薩像) (近鉄奈良駅前)


(春日大社 祝・正遷宮の提灯)


伊勢神宮では式年遷宮(せんぐう)と言いまっけど
春日大社では式年造替(ぞうたい)と呼びますんや。

でも~ 横幕には祝・正遷宮と書かれてまんな?

細かいことなど、どっちでもよろしおますけど。

2015年~2016年秋に完了したそうですわ。

前回に訪れた際には工事中でしたので、今回は
本殿まで入場して、デジカメ散歩をと考えましたんや。

(春日大社 一の鳥居)






(国道169号線 道路標識)


一の鳥居の前は国道169号線で左手の県庁前から
吉野・熊野を経由し和歌山県新宮市まで続いてまぁ。

一の鳥居を潜ると春日大社の参道が約1.5kmぐらい
両側の広大な森は全て春日大社の敷地なんだって。

奥の方では春日山原始林となる貴重な森になってまぁ。

(節分の万燈籠 が残ってまぁ)






(節分 万燈籠の 飾り門)




奥へ歩くうちに、やっぱり観光客が増えてきましたで。

中国語や英語が飛び交って外人さんが多いようでっせ。

関西は2016年だけで観光客が1000万人を超えて
今年も大阪・京都・奈良では減る気配もないそうですわ。

(春日大社 参道の灯篭)


(春日大社 神鹿の群れ)




奈良市では「鹿」は昔から春日大社の「神鹿」と呼ばれ
国の天然記念物になっているんだって。

奈良公園や東大寺や春日大社の境内では「鹿」が優先で
車は青信号でも停車しないといけませんのや。

のんびりと道路を横切る姿を見てると微笑ましいでっせ。

総数で「鹿」が何頭いるのか詳しいことは不明かも?

(春日大社 二の鳥居)


(奉納された 日本酒のこもかぶり)


(春日大社 伏鹿の手水場)


手水場も春日大社では「鹿」さんがお迎えでっせ。

二の鳥居から奥が正式には表参道と呼ぶそうですわ。

(春日大社 南門)


この南門を潜ると参拝所が目の前に現れますんや。

本殿には四神がお祀りされているそうですわ。

(春日大社の 四神の説明書き)


12月に大阪の枚岡神社で紹介しましたが鹿島の神
香取の神に、枚岡神社から天児子屋根の命(男神)と
そのお后である比売神(ひめがみ)を合わせて
「春日四所明神」として四神さまが祀られてますんや。

元々は平城京を鎮護する「藤原氏」の氏神様だったのが
国家や国民を守る平和の神さまになられたようでんな。

(春日大社の 参拝所)




普段はここで参拝して引き返すんでっけど、久しぶりに
新しい丹塗も鮮やかな本殿へお詣りすることにしまひょ。

(本殿 特別参拝 入口)




ここで500円を支払って入場しないと、春日大社の
本殿が正面から写せない構造になってますんや。

参拝所からでは少しだけ本殿が覗いているだけですわ。

春日大社さん良いアイデアを考え出したもんでんな。

(参拝記念の栞)


20年に一度の式年造替(しきねんぞうたい)に際して
舞われる舞楽で「太平楽」と呼ばれるんだって。

昨年が平安時代から続く第60次・式年造替だったとか。

本殿は国宝に指定されている貴重な建物でっせ。

各地に見られますが「春日造り」と呼ばれるんだって。

(春日大社 本殿を正面から撮影)


(春日大社 本殿前で撮影)


遠方から来られた同じぐらいの年齢の老夫婦さんと交代で
交互にデジカメ撮影をお願いしたのがこの画像でおます。

それでは本殿の各所をデジカメで写すことにしまひょ。

(本殿の説明書き)


(春日大社 本殿で結婚式のお二人)


本殿内部は写真撮影が禁止と大きな文字で書いてまっけど
中国人のようなふりして、失礼をばさせて頂きました。

観光中の中国人がデジカメを盛んに写してましたんや。

普通なら遠慮するところですが、ご免なさいね~

(本殿に奉納された 燈籠)




鉄ちゃん爺やが本殿にお詣りしたのは40年ぶりかも。

昨年の式年造替(しきねんぞうたい)で丹塗りが鮮やかで
国宝なのに新しい建物と間違えそうなイメージ。


(本殿 裏側から撮影)


四つの本殿が一列に並んでいるんでっけど、三つしか
鉄ちゃん爺やのデジカメでは写せまへんでしたわ。

(第5代将軍 徳川綱吉公 奉納の燈籠)


春日大社に約2000基の石灯籠や鐘燈籠がおます。

2月3日の節分と8月14~15日のお盆には
全ての燈籠に浄火を献じて、諸願成就や祖先の冥福など
「万燈籠」の行事が毎年続けられているそうです。

関西では有名な春日大社の神事なんですよ。

(直江兼続 奉納の燈籠)


慶長五年と銘が刻まれてますので西暦1600年でんな。

関ヶ原の戦いの後に、上杉家の安寧を祈願して直江兼続と
記載せずに、単に山城守とのみ書かれいるそうですが
春日大社の奉納記録には直江兼続と記されているとのこと。

(宇喜多秀家公 奉納の燈籠)


鉄ちゃん爺やの実家のご先祖に当たる方との伝説がおます。

半分は作り話だと考えてますが、江戸時代には徳川幕府を
憚って「浮田」と苗字を変更していたと言われてますんや。

幕末に菩提寺が水害で流失してますんで証拠は不明ですけど。

宇喜多秀家の叔父に当たる方が直系のご先祖だったとか?

(桂昌院 奉納の燈籠)




徳川綱吉公のご生母で京都や奈良の寺社に造詣が深く
この燈籠にも、葵の紋と本庄家の丸九ケ紋が燈籠の
頭の部分に描かれているのが写ってまつしゃろ。

(御蓋山 遥拝所)




現在は「三笠山と呼ぶことが多いようですが正式には
御蓋山(みかさやま)と書くのが正しいんだって。

ここから山上にある本宮を遥拝するそうですが、現在も
ここから先は立ち入りが禁止されているそうですわ。

伝説で鹿島の神様が白い鹿に乗ってこの山に下りられた
それが春日大社のルーツとされているようでんな。

(春日の大杉 樹齢約1000年) (高さ約23m)




(春日大社の 巫女さん)


頭の上に「藤の花」の飾りを付けておられるようでっせ。

確かに春には見事な「藤の花」が観られますけどね。

藤原氏の「藤」と兼ね合わせているんでしょうな。

(春日大社の ご朱印)


(春日大社の回廊にて 自分撮り)




(竈殿=へついどの) (国の重要文化財)




(酒殿=さかどの) (国の重要文化財)




この二つは式年造替(ぞうたい)に際しても建て替えは
されなかったので古風な感じが良く出ていますかな。

鉄ちゃん爺やとしては歴史の古い建物はこんな感じで
素朴な感じを残して欲しい気もしますんやけど。

酒殿(さかどの)では現在も春日の四神に捧げる為の
「濁り酒」がここで醸造されているようだっせ。



長くなりますので今日はこれでお仕舞にしまっさ。

次回は奈良公園の「浮見堂」や「飛火野」を紹介しまひょ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵

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