先週の17日(金)は生憎の雨でしたんや。
やっぱり雨でしたかと、言われそうでっけど。
鉄ちゃん爺やが呑み会に出かけると不思議に
雨が多いんですわ、雨男かも知れまへんな。
そんな訳で屋内や地下街の画像でやりまひょ。
(大阪市営・地下鉄 梅田駅名標)
JR大阪駅と阪神百貨店を挟んで地下通路に
各県の名産品を売る店舗がおましたんや。
地元では「アリバイ横丁」とか呼んでましたな。
浮気旅行を隠すために、出張してましたでと
この「アリバイ横丁」でお土産を買って帰る。
逆に土産を買い忘れた時に、ここでという
便利な使い方もおましたんや。
今は宅配便の時代なんで必要がおまへんけど。
一昨年からその地下通路が改修されてますんや。
地下街のルーツとして戦前にできたとの噂。
でも現在の地下街のイメージとは違ってまっけど。
(懐かしい! 立ち飲み「松葉」さん)(平成26年撮影)
この串カツと居酒屋で有名だった「松葉」さんは
鉄ちゃん爺やが高校生の頃には、ここにおました。
「アリバイ横丁」が全て撤去された後も最後まで
頑張っていた当時の懐かしい写真でおます。
この「松葉」さんの先の階段を登って行くと
JR大阪駅の東口やバスターミナルに出ますんや。
大阪に住む飲んべ~さんなら一度は訪れたかも?
(JR大阪駅 駅名パネル)
(JR大阪駅 時空の広場 金の時計)
JR大阪駅が新しく改装された際に橋上駅の連絡通路に
「時空の広場=ときのひろば」と名付けて北側に
「金の時計」を南側に「銀の時計」を設置して
待ち合わせや、大阪駅のシンボルゾーンにしたんですわ。
オープンカフェもあって人通りも多くJR大阪駅の
新しい名所として、常に賑わってまんねんで。
(JR大阪駅 ノースゲートビル)
(JR大阪駅 サウスゲートビル)
北側のノースゲートビルと南側のサウスゲートビルを
ビルの5階に相当する連絡通路で結んでますんや。
天井は大きなドーム式で駅全体を囲っている感じでんな。
(JR大阪駅 時空の広場 銀の時計)
「銀の時計」は雨が降る夕方なので写りが悪いでっけど。
この広場からは大阪駅を発着する電車が見えますんや。
電車好きの子供さんやマニアには格好の広場でっしゃろな。
(黄昏のJR大阪駅を 時空の広場から撮影)
左側のオレンジ色の電車はJR大阪環状線の外回りで
201系のこれらの車両は2年後にはすべて引退予定。
昨年末から323系の新しい通勤型電車が走り始め
2019年度末までに全てが切り替わるそうですわ。
JR大阪駅で国鉄時代の電車が見られるのも後少し。
103系や201系の引退に、そろそろ鉄道マニアが
想い出の写真を撮ろうと押し掛けるかもしれまへんで。
(同じく 黄昏のJR大阪駅のホーム)
右の気動車は特急「スーパーはくと」で京都駅から
鳥取県の倉吉駅までを最短で結ぶ列車でっせ。
この時期は「松葉かに」を求めて関西から鳥取県へ
「かに喰いツアー」なんてのが人気なんですわ。
(JR大阪駅北側 梅田貨物駅の懐かしい風景)
鉄ちゃん爺やが社会に出た頃はまだトラック輸送が
発達してなくて、国鉄の貨車が物流の中心でしたんや。
この画像は廃止が決まり最後の頃を迎えた際に撮影。
平成24年頃に大阪駅の5階から写した物だったかな?
(グランフロント大阪 JR大阪駅方向から撮影)
(元梅田貨物駅跡 懐かしい画像)
こちらはグランフロント大阪が完成して廃止となった
梅田貨物駅のドーム式のホームを撮影したものです。
おそらく平成27年頃の撮影だったと記憶してまぁ。
現在はドーム式の貨物ホームも取り壊されてしまい
JR大阪北駅地下ホームを造る工事が始まってますんや。
完成は平成30年頃とか言われてまして、この広場は
大阪市内に残る最後の一等地なんだそうですわ。
(元大阪中央郵便局 懐かしい画像)
これもJR大阪駅西口の先におましたけど、数年前に
取り壊されて、新しく高層ビルを建てるとの噂でんな。
それでは大阪駅の地下街へ入って行きまひょ。
(梅田の 地下街)
大阪の地下街は「大阪地下街(株)」という大阪市が株式の
約54%を保有する関連会社が経営してまんねんで。
名古屋や東京は民間企業が共同して経営体を作っているとか。
毎年約6億円ぐらいの利益を出しているのはご立派。
(大阪市 本庁舎)
大阪には別に「クリスタ長堀」と称する単体の面積では
日本一の地下街がおますんやけど、これも大阪市が99%
株式を保有する関連団体だそうですわ。
「クリスタ長堀」は一度経営危機に見舞われたけど
最近は立ち直って毎年の利益を計上するようになったとか。
(クリスタ長堀の 地上は心斎橋筋)
ここは昔の長堀川を埋め立てた後に、B2~B4の部分に
約1030台を収容できる長堀駐車場とB1の部分に
「クリスタ長堀」という地下街になってますんや。
駐車場が半分を占めているので地下街としての面積は
店舗だけなら全国で12番目に当たるそうでっけど。
大阪で一番古い地下街を紹介しまひょかな。
(NAMBAなんなんタウン)
鉄ちゃん爺やがまだ高校生だった1957年(昭和32年)
大阪で一番古い地下街としてスタートしましたんや。
先程紹介した「大阪地下街(株)」が手掛けた最初の物で
その後、ウメダ地下街・アベノ地下街・ミナミ地下街など
現在では6つの地下街を経営する企業に成ってまっせ。
(元の新歌舞伎座 & なんばマルイ)
右側が現在の「なんばマルイ」ですが鉄ちゃん爺やが若い頃
この敷地には当時の大阪で一番大きな「南街劇場」という
映画館がおましたんや、確か座席が1488席だったはず。
(南海ビル & 難波高島屋)
(登録文化財の銘板)
この大阪で一番古い地下街は南海電鉄の終点である
南海ビルと高島屋や地下鉄の御堂筋線の難波駅と
大阪一の映画館だつた南街会館を結んだ物で
完成した当時は珍しさもあって大いに賑わいました。
地下道の暗いイメージを一新して、華やかな店舗と
流行の先端を行く地下街のスタートでしたかな。
地下街の大きさは延べ面積で比較する場合と、店舗の
数と面積で比較することがおますんや。
店舗の面積で比較すると首位は東京の八重洲地下街
第二位がNAMBAなんなんタウンを含めての
なんばウオークがほぼ同じ面積になるんだとか。
名古屋駅地下や栄駅地下は通路が広いので延べ面積では
八重洲地下街や大阪のなんばウオークを上回るそうで
どこが日本一だとか、ネットでは賑わってまっけど。
延べ面積では大阪の「クリスタ長堀」が一番なんでっせ。
それでは、本日はこれにて終了としまっさ。
ほな~ さいなら~🎵
やっぱり雨でしたかと、言われそうでっけど。
鉄ちゃん爺やが呑み会に出かけると不思議に
雨が多いんですわ、雨男かも知れまへんな。
そんな訳で屋内や地下街の画像でやりまひょ。
(大阪市営・地下鉄 梅田駅名標)
JR大阪駅と阪神百貨店を挟んで地下通路に
各県の名産品を売る店舗がおましたんや。
地元では「アリバイ横丁」とか呼んでましたな。
浮気旅行を隠すために、出張してましたでと
この「アリバイ横丁」でお土産を買って帰る。
逆に土産を買い忘れた時に、ここでという
便利な使い方もおましたんや。
今は宅配便の時代なんで必要がおまへんけど。
一昨年からその地下通路が改修されてますんや。
地下街のルーツとして戦前にできたとの噂。
でも現在の地下街のイメージとは違ってまっけど。
(懐かしい! 立ち飲み「松葉」さん)(平成26年撮影)
この串カツと居酒屋で有名だった「松葉」さんは
鉄ちゃん爺やが高校生の頃には、ここにおました。
「アリバイ横丁」が全て撤去された後も最後まで
頑張っていた当時の懐かしい写真でおます。
この「松葉」さんの先の階段を登って行くと
JR大阪駅の東口やバスターミナルに出ますんや。
大阪に住む飲んべ~さんなら一度は訪れたかも?
(JR大阪駅 駅名パネル)
(JR大阪駅 時空の広場 金の時計)
JR大阪駅が新しく改装された際に橋上駅の連絡通路に
「時空の広場=ときのひろば」と名付けて北側に
「金の時計」を南側に「銀の時計」を設置して
待ち合わせや、大阪駅のシンボルゾーンにしたんですわ。
オープンカフェもあって人通りも多くJR大阪駅の
新しい名所として、常に賑わってまんねんで。
(JR大阪駅 ノースゲートビル)
(JR大阪駅 サウスゲートビル)
北側のノースゲートビルと南側のサウスゲートビルを
ビルの5階に相当する連絡通路で結んでますんや。
天井は大きなドーム式で駅全体を囲っている感じでんな。
(JR大阪駅 時空の広場 銀の時計)
「銀の時計」は雨が降る夕方なので写りが悪いでっけど。
この広場からは大阪駅を発着する電車が見えますんや。
電車好きの子供さんやマニアには格好の広場でっしゃろな。
(黄昏のJR大阪駅を 時空の広場から撮影)
左側のオレンジ色の電車はJR大阪環状線の外回りで
201系のこれらの車両は2年後にはすべて引退予定。
昨年末から323系の新しい通勤型電車が走り始め
2019年度末までに全てが切り替わるそうですわ。
JR大阪駅で国鉄時代の電車が見られるのも後少し。
103系や201系の引退に、そろそろ鉄道マニアが
想い出の写真を撮ろうと押し掛けるかもしれまへんで。
(同じく 黄昏のJR大阪駅のホーム)
右の気動車は特急「スーパーはくと」で京都駅から
鳥取県の倉吉駅までを最短で結ぶ列車でっせ。
この時期は「松葉かに」を求めて関西から鳥取県へ
「かに喰いツアー」なんてのが人気なんですわ。
(JR大阪駅北側 梅田貨物駅の懐かしい風景)
鉄ちゃん爺やが社会に出た頃はまだトラック輸送が
発達してなくて、国鉄の貨車が物流の中心でしたんや。
この画像は廃止が決まり最後の頃を迎えた際に撮影。
平成24年頃に大阪駅の5階から写した物だったかな?
(グランフロント大阪 JR大阪駅方向から撮影)
(元梅田貨物駅跡 懐かしい画像)
こちらはグランフロント大阪が完成して廃止となった
梅田貨物駅のドーム式のホームを撮影したものです。
おそらく平成27年頃の撮影だったと記憶してまぁ。
現在はドーム式の貨物ホームも取り壊されてしまい
JR大阪北駅地下ホームを造る工事が始まってますんや。
完成は平成30年頃とか言われてまして、この広場は
大阪市内に残る最後の一等地なんだそうですわ。
(元大阪中央郵便局 懐かしい画像)
これもJR大阪駅西口の先におましたけど、数年前に
取り壊されて、新しく高層ビルを建てるとの噂でんな。
それでは大阪駅の地下街へ入って行きまひょ。
(梅田の 地下街)
大阪の地下街は「大阪地下街(株)」という大阪市が株式の
約54%を保有する関連会社が経営してまんねんで。
名古屋や東京は民間企業が共同して経営体を作っているとか。
毎年約6億円ぐらいの利益を出しているのはご立派。
(大阪市 本庁舎)
大阪には別に「クリスタ長堀」と称する単体の面積では
日本一の地下街がおますんやけど、これも大阪市が99%
株式を保有する関連団体だそうですわ。
「クリスタ長堀」は一度経営危機に見舞われたけど
最近は立ち直って毎年の利益を計上するようになったとか。
(クリスタ長堀の 地上は心斎橋筋)
ここは昔の長堀川を埋め立てた後に、B2~B4の部分に
約1030台を収容できる長堀駐車場とB1の部分に
「クリスタ長堀」という地下街になってますんや。
駐車場が半分を占めているので地下街としての面積は
店舗だけなら全国で12番目に当たるそうでっけど。
大阪で一番古い地下街を紹介しまひょかな。
(NAMBAなんなんタウン)
鉄ちゃん爺やがまだ高校生だった1957年(昭和32年)
大阪で一番古い地下街としてスタートしましたんや。
先程紹介した「大阪地下街(株)」が手掛けた最初の物で
その後、ウメダ地下街・アベノ地下街・ミナミ地下街など
現在では6つの地下街を経営する企業に成ってまっせ。
(元の新歌舞伎座 & なんばマルイ)
右側が現在の「なんばマルイ」ですが鉄ちゃん爺やが若い頃
この敷地には当時の大阪で一番大きな「南街劇場」という
映画館がおましたんや、確か座席が1488席だったはず。
(南海ビル & 難波高島屋)
(登録文化財の銘板)
この大阪で一番古い地下街は南海電鉄の終点である
南海ビルと高島屋や地下鉄の御堂筋線の難波駅と
大阪一の映画館だつた南街会館を結んだ物で
完成した当時は珍しさもあって大いに賑わいました。
地下道の暗いイメージを一新して、華やかな店舗と
流行の先端を行く地下街のスタートでしたかな。
地下街の大きさは延べ面積で比較する場合と、店舗の
数と面積で比較することがおますんや。
店舗の面積で比較すると首位は東京の八重洲地下街
第二位がNAMBAなんなんタウンを含めての
なんばウオークがほぼ同じ面積になるんだとか。
名古屋駅地下や栄駅地下は通路が広いので延べ面積では
八重洲地下街や大阪のなんばウオークを上回るそうで
どこが日本一だとか、ネットでは賑わってまっけど。
延べ面積では大阪の「クリスタ長堀」が一番なんでっせ。
それでは、本日はこれにて終了としまっさ。
ほな~ さいなら~🎵