鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  京都御所を訪ねる    (後編)

2013-11-30 16:00:14 | 日記
京都御所の後編をやらせてもらいまっさ~♪

(京都御苑 見取り図)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

京都御所の一番下に白く写っている処が
紫宸殿(ししんでん)の南庭でっせ。

この画像で上に見える建物が紫宸殿で
その右上にやや大きく見えるのが小御所(こごしょ)で
前回はここまで、お話させてもらいました。

今回の一般公開では京都御所の南側のほぼ半分ぐらいを
拝観できたちゅうことになりまんねん。

(京都御所 & 大宮御所の築地)(左=大宮御所 正面=京都御所)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

現在の京都御所は歴史の勉強で教わった桓武天皇の
平安京の内裏ではおまへんで。

桓武天皇が造営された平安京は現在の
JR二条駅の東側近くに在ったんやそうな。

何度も火災に会いその度に天皇は貴族の邸宅に移り
「里内裏」(さとだいり)と
呼ばれる仮の御所に移られたそうですわ。

その内に平安時代の末には桓武天皇の造られた平安京の内裏は
再建されずに里内裏(さとだいり)が
京都御所になってしまったようでんな。

現在の京都御所は「土御門東洞院殿」(つちみかどひがしのとういんどの)
と呼ばれる鎌倉時代に両統が並立した頃の持明院派の里内裏でしたんや。

1331年(元弘元年)光厳天皇(こうごんてんのう・北朝初代)が
ここで即位されて以後、1869年(明治2年)明治天皇が東京へ
遷られるまで皇居とされたのが現在の京都御所でおます。

江戸時代初期から整備されて京都御所の規模は大きくなったようでっけど。

京都御所は江戸時代だけで8回も焼失しその都度再建されたようで
現在の建物の大半は1855年(安政2年)に再建されたと書かれてましたで。

前置きが長くなりましたけど、京都御所の小御所(こごしょ)へ戻りまひょ。

(京都御所 小御所=こごしょ) (飾られていた雅楽の人形)


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小御所(こごしょ)の北側に小さい広場がおますんや。

丁度、小御所と御学問所(おがくもんじょ)の合間になりまんな。

(京都御所 蹴鞠の庭)


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ここで蹴鞠が行われ天皇も御学問所(ごがくもんじょ)から見物されたとか。

現在でも外国から要人が来られたときには宮内庁の蹴鞠担当が
この庭で優雅な蹴鞠の実演をしてお見せするそうでっせ。

(京都御所 御学問所=ごがくもんじょ) (蹴鞠の庭 付近から撮影)


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ここは御読書始めの儀や和歌の会など学芸関係のほか、天皇が臣下と
対面される行事にも用いられた建物だそうでんな。

入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)で書院造りの建物になってますわ。

この御学問所と小御所の両方に面して東側は日本庭園になってますんや。

(京都御所 御池庭=おいけにわ)


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池を中心にした回遊式庭園で手前の洲浜から舟着の飛び石を配置し
対岸には樹木を配し欅橋が架かり様々な景色を楽しめる工夫がされてますんや。

回遊式庭園でっけど写真を写せるだけで、庭園には立ち入りが禁止されてまんな。

10年前に拝観した時はここでお仕舞いでしたが、今回は
もう一つさきの「御常御殿」(おつねごてん)まで見学させてもらえましたで。

(京都御所 御常御殿=おつねごてん)


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16世紀末に清涼殿(せいりょうでん)から移し替えて天皇が日常のお住まいに
使用される御殿として独立して建てられる様に成ったそうですわ。

京都御所内では最大の面積を持ち、内部は15部屋からなる
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の書院造りになってますな。

東側は御内庭(ごないてい)が配されているので全体を画像に収めるのは無理。

(京都御所 御常御殿=おつねごてん)


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明治天皇は東京へ遷られるまでは、この御常御殿にお住まいをされていたとか。

この建物は1855年(安政2年)の完成なのでその当時のままで
現在も保存されているちゅうことになりますんや。

(京都御所 御内庭=ごないてい)


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この御内庭(ごないてい)を含めて御常御殿(おつねごてん)から先は(北側)
天皇の私的な奥向の御殿と称されていますよ。

この奥には「皇后宮御常御殿」(こうごうきゅうおつねごてん)などが有り
これから奥には一般の人は入れないようになってますんや。

通路の折り返し地点にこんな立札と建物がおました。


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(京都御所 御涼所 & 迎春)


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普段はここ迎春(こうしゅん)の北の間に設置されている「花鳥図」と呼ぶ襖絵が
今回は特別に展示されていて今回しか見れない物なので貼り付けて置きまひょ。

御常御殿(おつねごてん)を通り越して御学問所の裏手に展示されてましたな。

(京都御所 花鳥図の襖絵)


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(京都御所 御三間=おみま)


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ここは天皇家の私的な行事に使われた建物で「七夕」「雛祭り」「盂蘭盆会」等が
行なわれたようで裏側で御常御殿(おつねごてん)と繋がっているような感じ。


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ここで京都御所の拝観はお仕舞いで出口の方へ向かうことになりまっせ。

振り返ったら御常御殿(おつねごてん)と御三間(おみま)の屋根が
夕日を浴びて綺麗に見えてましたので写しましたんや。


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その右手には御学問所(おがくもんじょ)の屋根だと思いまんねんけど。


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(京都御所 青所門=せいしょもん)


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春と秋の一般公開ではこの青所門(せいしょもん)が出口になりますんや。

普段に申し込んで平日に拝観すると時はここが入口と出口になりまっせ。

この門は年間を通して開門されていて皇宮警察の方が門前に控えてますんや。

この青所門(せいしょもん)は京都御所の通用門という感じですな。

皇子・皇女が初めて参内するときはここから入場したんだって。

六位以下の身分の低い者や下級役人もここが入口だったんでしょうな。


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御所善哉っちゅうのは、お餅は入ってない小豆と汁だけでしたわ。

(京都御苑の松林から 青所門を撮影)


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(京都御所 蛤御門=はまぐりごもん)


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1864年(元治元年)長州藩の軍勢がこの辺りで御所を警備していた
会津藩・薩摩藩と激突し歴史上で有名な「蛤門の変」と呼びますな。

長州藩が負けて南へ引き揚げる際に長州びいきだった京都の町屋を
会津と薩摩が焼き払った「どんどん焼け」という大火になりましたんや。

御所の南から現在のJR京都駅付近まで東は寺町通りから堀川通まで
現在の京都市内の中心部が丸焼けになりましたんや。

その当時の銃弾の跡が蛤御門の柱に今でも残ってまっせ。

この蛤御門は江戸時代には閉まってましたんで「禁門」とも呼ばれ
この「蛤門の変」を「禁門の変」と書かれた書物もおますかな。

これでわての~ 京都御所訪問のブログはお仕舞いでっせ。

次回は四国・讃岐の旅から岡山は吉備路の旅と称し続きをやらせてもらいまひょ。

ほんなら、今日はこれでさいなら~♪




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鉄ちゃん爺や  京都御所を訪ねる

2013-11-24 20:02:13 | 日記
(我が家の庭に  皇帝ダリア)


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昨年は失敗した皇帝ダリアが今年はやっと咲いてくれましたんや。

お隣の屋根よりも高いおそらく4mぐらいの高さの所に花が咲いてまっせ。

話は、変わりまっけど四国・讃岐の旅を中断して今回は
京都御所の一般公開に行った時の画像を紹介しまひょ。

(スルットKANSAI) (3000円)


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ご存知かも知りまへんけど、京都御所は春と秋に各々一週間だけ
一般公開されますんや。

ネットやハガキで宮内庁京都事務所へ申し込めば平日なら予約で
見学できるが、紫宸殿(ししんでん)は確か除外されているはず。

だから紫宸殿(ししんでん)を間近で見たいんだったら
春と秋の一般公開しかおまへんのや。

(京都御所 一般公開のパンフレット)


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わてが~京都御所の一般公開に行くのは10年ぶりで2回目ですわ。

この日は他にも三十三間堂なども廻り2万歩以上は歩きましたで。

今、考えたら大腿二頭筋を痛める直前の11月2日の土曜日でしたんや。

(京都市営地下鉄 今出川駅)


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バスも通ってまっけど、地下鉄の今出川駅が一番最寄りの駅でっしゃろな。

ここから歩いて10分ぐらいの乾御門(いぬいごもん)か
15分ぐらいの中立売御門(なかたちうりごもん)へ向かいまんねんで。

ほんなら~ ぼちぼち行きまひょか。

(京都御苑 乾御門)


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この乾御門(いぬいごもん)は烏丸通(からすまとおり)に面し四つある
御門の中で一番北側にある入口になりますんや。

この御門を潜ったらそこは京都御苑と名付けられた広大な敷地で
東西700m 南北1300m もある国の所有地でっせ。

京都御所・大宮御所・仙洞御所だけが宮内庁の管轄で
あとは環境省の管轄なんだって。

京都御所だけで11万㎡ 京都御苑全体では91万㎡ にもなりまんな。

(京都御所の 築地塀) (東西249m 南北451m)


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京都御所はこの築地(ついじ)と呼ばれる塀で四方が囲まれてますんや。

外側の道は環境や風景に合わせて砂利の道が続いてまっせ。

この画像からは一般公開の入口である「宣秋門」(ぎしゅうもん)は見えまへん。

手前に見える門は「皇后門」で江戸時代にはここから入れるのは皇后さんと
若宮や姫宮さまだけで、奥には「皇后宮常御殿」(こうごうきゅうつねごてん)が
現在も残ってますがここは一般に公開はされてまへん。

(京都御所 宣秋門=ぎしゅうもん)


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元々は公家衆や宮家の親王さん又は門跡が御所に参内する際に
使われた公卿門(くぎょうもん)なので立派な造りになってまっしゃろ。

この門を老齢になった五摂家の大臣でも牛車で通り抜けるには
天皇の発する「牛車の宣旨」がなければ許可されなかったんだって。

毎年5月に行われる「葵祭」の行列はこの門から出発するんだっせ。

ここで手荷物の中身を検査されてから、参観することになりまんねん。

(京都御所 御車寄=おくるまよせ)


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宣秋門(ぎしゅうもん)を潜って右へ曲がるとこの御車寄(おくるまよせ)に
なってますんや、昔は参内する人は履物を脱いで玄関から上がったんでんな。

この玄関から先は「諸大夫の間」や「小御所」や「清涼殿」と廊下で
繋がっているようですわ。

(諸大夫の間=しょだいぶのま)


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昔は五位以上の位を持たないと御所に参内し御殿に上がることが出来ませんでした。

春日局が無位無官で参内し後水尾天皇に拝謁した事件がおましたな。

六位以下の位しか持たなかったら、この部屋にも入れないんだっせ。

(諸大夫の間 桜の間)


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従五位下という昇殿するのに最低の資格しか持たない大名や京都所司代などは
この桜の襖絵が描かれた「桜の間」で控えることになりますんや。

本来の諸大夫の間とは、この「桜の間」の事なんですが次に掲げます
「鶴の間」「虎の間」も合わせて諸大夫の間と呼んでいるようでんな。

(諸大夫の間 鶴の間)


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赤穂義士に登場する吉良上野介は四位の位を持つ身分なので
おそらく、この「鶴の間」で控えてから殿上へ上がったんと違いまっしゃろか。

(諸大夫の間 虎の間)


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三位でも無官の者や五摂家の後継予定者や並みの公家衆はここで控える
こんな想像で正解でっしゃろかしら。

この奥には「殿上の間」と言うのが有ると書かれてますんで
関白や大臣それに大納言クラスは、ここを使ったんでしょうな。

(京都御所 新御車寄=しんみくるまよせ)


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1915年(大正4年)大正天皇の即位の礼に際して新しく造られた車寄せで
大正以降は天皇皇后両陛下が京都御所へこられたときはここが玄関になります。

(京都御所 月華門=げっかもん)


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紫宸殿(ししんでん)とその前にある南庭を取り囲む形で朱塗りの回廊が
続いていますので、その回廊を先の方へ歩いて進むことになりまんねん。

(京都御所 承平門=しょうへいもん)


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江戸時代にはもう使われなくなり形だけが残る門ですが、本来はこの奥にある
紫宸殿(ししんでん)で行われる重要な儀式に文官がこの門を潜ってから
南庭に整列すると言うのが平安時代初期までは実施されたんでしょうな。

(京都御所 建礼門=けんれいもん)


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建礼門(けんれいもん)は京都御所の南側中央にある正門で元は天皇陛下しか
通れない重要な門でしたが
戦後は天皇陛下と同伴ならば皇后陛下も通れるようになったそうですわ。

それに国賓で訪れる元首にも開門することが認められているんだって。

この門を外から撮影した昨年の画像がおますんで貼り付けて置きまひょ。

(京都御所 建礼門=けんれいもん)  (外側から 2012年6月撮影)


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この建礼門を見ながら朱塗りの回廊を左に曲がると遠くに
建春門(けんしゅうもん)が見えてますな。

(京都御所 建春門=けんしゅうもん)


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この門は本来は天皇の使いである勅使が出入りしたので「勅使門」とも呼ばれ
正門である建礼門に次ぐ立派な構造で出来てますんや。

現在は皇后陛下や皇太子の出入りする御門となっているそうで
諸外国の首相クラスの訪問の際にも開門される事があるんだって。

同じようにこの健春門も昨年に外から写しているので貼り付けて置きまっさ。

(京都御所 建春門=けんしゅうもん)  (外から 2012年6月撮影)


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朱塗りの回廊には朝廷ゆかりの寺院から生花が飾られてますな。

(大本山・大覚寺 嵯峨御流)


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嵯峨野の大覚寺で平安時代の嵯峨天皇が生み出した華道の流派だそうです。

(総本山・仁和寺 御室流)


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(御寺・泉涌寺 月輪未生流)


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現在の天皇家は仏教には帰依されてませんが、江戸時代にはこの泉涌寺が
天皇家の菩提寺で歴代の天皇陵もこの近くに多く埋葬されてますんや。

それでは~ 普段は見れない紫宸殿(ししんでん)へ向かうことになりまっせ。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん)


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朱塗りの回廊の東側に在る「日華門」(にっかもん)から入場しますんや。

大きく立派な宮殿が見えて来ましたで、紫宸殿(ししんでん)と言いますんや。

手前に見える木が「左近の桜」で天皇が南面して左側という事になりまっせ。

日華門から入場して左近衛の武官がこの前に整列したという由来ですわ。

わてのデジカメでは紫宸殿の全景が入らないのでパンフレットから拝借。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (宮内庁の資料より拝借)


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この紫宸殿(ししんでん)は重要な儀式に使われるので「正殿」と呼ばれます。

大正天皇・昭和天皇はこの紫宸殿で即位の礼を行われました。

戦前の皇室典範には即位の礼は京都御所で執り行うと記載されてたそうです。

(紫宸殿から 南庭を通して承平門を望む)


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(京都御所 紫宸殿の編額)


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江戸時代末の著名な書家が書いた扁額だそうですが名前は忘れましたけど。

奥に見えるのが天皇陛下が座られる「高御座」(たかみくら)ですよ。

ズームアップしてみましょう。

(京都御所 紫宸殿の高御座)


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「高御座」の右側には皇后陛下が座られる「御帳台」(みちょうだい)も
置かれていますが画像には写っていまへん。

戦後の皇室典範では即位の礼は何処で執り行うかの記載がありません。

今上天皇の即位の礼に際しこの「高御座」と「御帳台」は解体の上
東京へ移送し皇居の正殿の間で即位の礼に使用されたんでっせ。

即位の礼が終わったら元の京都御所へ戻されたという訳でんな。

都は東京へ遷都されても天皇家の本籍は今も京都御所に有り
紫宸殿という大事な宮殿に天皇の「高御座」が置かれている事になりまんねん。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん)  (南西側から撮影)


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画像の男性の頭越しに見える木が「右近の橘」で同じように月華門から入場した
右近衛の武官がこの橘の木の前に整列したんでっせ。

二つ合わせて「左近の桜」「右近の橘」は紫宸殿だけじゃなくて日本の
お雛飾りにも伝統として今も残されてまっしゃろ。

(京都御所 紫宸殿=ししんでん) (西側の側面を撮影)


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紫宸殿は入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の高床式宮殿と言う
建築方法で横から見るとその特徴が良く分かりまんな。

それじゃ~ 次の清涼殿(せいりょうでん)という宮殿へ向かいまひょ。

(紫宸殿と殿上の間を 結ぶ回廊を超えて進む)


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(京都御所 清涼殿=せいりょうでん)


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平安時代には天皇が日常生活をされる場所でしたが、江戸時代には
別の「御常御殿」(おつねごてん)などが出来て変化したそうでんな。

それでも源氏物語などにも登場する「清涼殿」は形式化したと言えども
京都御所では重要な建物として再建が続けられたようです。

入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)寝殿造りという建て方になってますな。

(京都御所 清涼殿=せいりょうでん) (御帳台と厚畳)


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清涼殿(せいりょうでん)の中央にはご休息用の「御帳台」(みちょうだい)が
置かれていて、その前にある厚畳は「昼御座」(ひのおまし)と呼ぶ御座である。

屏風の前の漆喰で固めた「石灰の壇」(いしばいのだん)と呼ばれる所で
天皇は地面になぞらえ伊勢神宮などを遥拝されたそうでっせ。


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清涼殿(せいりょうでん)の東に面する所に二種類の竹が植えられてますんや。

(清涼殿前に植えられた 呉竹 & 漢竹)


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(京都御所 清涼殿の全景)


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清涼殿(せいりょうでん)を後にして歩き出したら紫宸殿の裏手にこんな
場所を見つけましたで。

(清涼殿の裏手に 陣の座)


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平安時代にはここで参議や大納言クラスの公卿7~8人が重要な人事や法律を
施行する前に協議して賛否を決めたんだそうでんな。

江戸時代には形式だけに成りましたんやけど、征夷大将軍の官職も討議した上で
天皇がその「陣の座」の結論を踏まえて勅令や宣旨を発したそうですわ。

徳川将軍も形式的にはこの「陣の座」で決められたという事になりますんや。

(十六弁菊の 御紋が入った瓦)


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又もや回廊をくぐり抜けて今度は明治維新の王政復古の舞台になった
小御所(こごしょ)の方へ向いまっせ。

(庭園越しに 小御所の屋根を撮影)


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小御所(こごしょ)は寝殿造りと書院造りの両要素が混合した様式の建物ですな。

江戸時代には諸種の儀式が行われ武家との対面にも用いられたそうですわ。


(京都御所 小御所=こごしょ)


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1867年(慶応3年)12月9日にこの小御所で王政復古の大号令が発せられ
その夜に「小御所会議」がここで行われたそうでっせ。

徳川幕府討伐の密勅が決まり鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へと
時代が大きく変化した歴史の舞台がここ小御所(こごしょ)でしたんや。

残念ながら1954年(昭和29年)に焼失し現在の小御所の建物は
1958年(昭和33年)に再建された物やそうですわ。

長くなりますので今日はこれでお仕舞いにして、後半は次回にさせて貰いまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~
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鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        屋島を訪ねて

2013-11-17 14:58:25 | 旅行
三日前の古新聞(実際は1カ月)になりまっけど今回は
高松市の屋島を紹介しまひょ。

平成25年10月16日の朝一番ホテルの朝食を済ましてスタート。

この日の夜明けに伊豆大島で台風による大きな被害が有った日ですわ。

(JR高松駅前で通勤客をかき分けて)


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(JR高松駅の改札口)


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JR高松駅発7時52分の普通列車に走り込んだのには訳がおますんや。

この列車に乗ってJR屋島駅前からの始発のバスに乗ろうと思ったんですわ。

(JR屋島駅舎)


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屋島へは現在では日曜・祝日はJR高松駅前からバスも出てますんやけど
わてが、訪れた平日にはJR屋島駅前から約1時間に1往復の便がおますんや。

それにJR屋島駅と、ことでん屋島駅から屋島山上まで100円とは
屋島ハイウエーを通るのに、この料金とは凄く良心的な設定でっしゃろ。

(JR屋島駅 名誉駅長さん)


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後ほど詳しく紹介しますんやけど屋島寺の大三郎狸の子供ちゅう想定やそうだす。

そんじょそこらの狸やおまへんで日本三大狸の一つが大三郎狸なんだって。

では~ ことでんバスで山上へ向かうことにしまひょかな。

(ことでんバス 屋島山上行き) 
 

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高松市を代表する景勝地なんでっけど、平日はほとんど人影がおまへんわ。

栗林公園へ行く人は多くても屋島へ登った事のある観光客は少ないかもしれまへん。

屋島は溶岩台地が侵食されて山頂が屋根のようになっているので
屋島と名付けられたと言われてるようでんな。

前回の高松港を出て行く赤いフリーの背景がその屋島でっせ。

屋島と言えば源平の屋島合戦(1185年)その中でも絵になる場面と言えば
那須与一が平家方の女官の指し示す扇の的を打ち落とすところでっしゃろな。

ほな~ 遊歩道を歩いて展望の良い所へ向かいまひょ。

(屋島 談古嶺) 


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(談古嶺=だんこれい から五剣山を眺める)


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入江を挟んで手前の民家が並んでいる辺りが源平の古戦場なんですよ。

当時は細い水路で隔てられた離れ島が屋島だったようですが現在は
南側で四国と繋がって半島のようになっていますね。

佐藤継信の墓や菊王丸の墓などが在りますが歴史に興味の有る方しか
山裾の古戦場へ足を延ばす方はまず~ 居らないでしょう。

那須与一の物語も現在の風景を見ればイメージダウンかもしれまへんな。

五剣山は四国八十八ヶ所の第85番札所である名栗寺が在るので
現在も中腹まではケーブルカーで登れるそうですわ。

頂上は風化して危険な為に頂上には立ち入りが禁止されているようだっせ。

この五剣山一帯の岩石は「庵治石」(あじいし)といわれ青緑の名石で
高級な墓石として有名ですが、最近は庭園の名石にも使われてるんだって。

鉄ちゃん爺やが修学旅行で来た時に、ここから五剣山を背景に
集合写真を写したのが今も自宅に残ってまっせ。

(談古嶺にて自分撮り)


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(談古嶺から 平家の舟隠しの方向を撮影)


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画像の中央に右手から半島が延びてきているのが源平・屋島の合戦時に
「平家の舟隠し」と呼ばれ平家方は主力の軍船をこの島影に隠した場所だとの伝説。

水軍の少ない源氏は屋島では補足できず長門の壇ノ浦へ逃がしてしまう訳でんな。

一番奥に横に広がっている山々は「小豆島」で映画二十四の瞳で有名になり
現在はオリーブなどの特産物で観光の島となってるようですね。

台風明けでまだこの時間は雲が多くて遠くは見え難い感じですわ。

(屋島山上の 遊歩道)


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屋島の山上は遊歩道で展望台などを巡りながら約1時間で一周できるように作られてまんねんで。

落ちているドングリの実などは拾わないで自然に任せて放置してくださいとの立札も。

でもイノシシが出たら怖いから早足で一周することにしましたんや。

(屋島の西側から 女木島と男木島を撮影)


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画像の中央から左手へ大きな島が桃太郎の鬼退治の伝説が有る女木島(めぎじま)で
その右側に一つだけ山があるように見えるのが男木島(おぎじま)だっせ。

高松港から岡山県の宇野港へ向かうフェリーはこの島の向こう側を航行しますんや。

男木島をズームアップしてみまひょ。

(男木島=おぎじま)


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この島には明治時代の灯台があって映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台になった
年配の方なら懐かしい映画かもしれませんよ。

この島までが高松市でその向こう側には直島というやや大きな島が見えています。

この直島は高松港から13kmの沖にあり対岸の岡山県玉野市の宇野港までは
たった3kmしかないんですが香川県の直島町という住所だそうですわ。

(大槌島=おおづちじま)


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晴れておれば瀬戸大橋が大槌島の向こうの方に見えるんですが今日はダメですわ。

この円錐形の島は無人島なんですは、それなのにこの島は南半分が香川県坂出市
北側半分が岡山県玉野市という珍しい県境が在る島なんでっせ。

こんな小島に県境が在るのは宇野港沖にもう一つだけおますけど。

それでも全国的に小さい島に県が並立するのは珍しいんと違いまっしゃろか?

この辺りは鰆(さわら)の産卵場として江戸時代から有名で島の帰属を願って
高松の松平藩と岡山の池田藩が争った結果が現代に残っているようでんな。

この辺りの海は瀬戸内海でも備讃瀬戸(びさんせと)呼ばれるんですが90%の
島々が現在も香川県に所属しているのにはこんな伝説がおますんや。

昔、島々の帰属を決める為に樽を流したところ、岡山側が有利と考えたのに
結果は岡山側の海岸近くを樽が流れてしまったんやそうな。

だから~ 現在も瀬戸大橋の一番北側の島さえも香川県になってまんねんで。

まあ~ 伝説なので信じるか信じないかは別でっけどな。

徳川・水戸家の分家である高松・松平藩に有利な様に幕府が決めたとの説の方が
わては~ 真実に近いんだと思いまんねん。

(屋島展望台から 高松ベイエリアを撮影)


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画像の中央に高く聳えているのがサンポート高松のシンボルタワーでっせ。

一つ手前が神戸からやってくるフェリーの着く高松東港のようでんな。

少しアングルを変えて紫雲山から栗林公園方向へ移動してみまひょ。

(紫雲山と高松市の中心街  遠くに象頭山)


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一番手前の山が紫雲山でこの手前の山裾に栗林公園が広がってますんや。

一番遠くに高いテーブル状の山が見えてますが金毘羅宮のある象頭山ですわ。

その右側に凸凹した山が頭だけ見えてますが善通寺の五岳山も見えてますがな。

中間に山並みがありますので讃岐富士は残念ながら写ってまへん。

(高松港ですれ違うフェリー)


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高松港から出航したのは内海フェリーのブルーライン号のように見えますな。

前回にブログに載せた小豆島と高松港を往復しているフェリーだと思いまんねん。

入港しようとしているのは一回り小さいので判別ができません。

ほな~ 展望台から遊歩道を通って屋島寺へ向かいまひょ。

(四国八十八ヶ所 第84番札所 屋島寺)


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(屋島寺の本堂)


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この本堂の横に簑山大明神という小さい神社がおますんや。

ここに地元では有名な「大三郎狸さん」が祀られているんだって。

なんでも霧に迷った弘法大師さんを助けたとかの伝説もおますそうな。

現在では家内円満・子宝の霊験あらたかな「狸さん」でおます。

(屋島寺の 大三郎狸)


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昔から、狸と狐は人を騙したり化けたりすると言われてまっしゃろ。

狐の方は陰湿やけど狸にはどこか愛嬌があって化けても尻尾が残ってたり
狐よりも人間には親しみを覚えさせるような気がしまへんか。

この「屋島の大三郎狸」は佐渡の「団三郎狸」それに淡路島の「芝右衛門狸」と
合わせて日本三大狸と称するんだと初めて知りましたで。

日本人は何でも三つに括って「日本三○○」とか「日本三大○○」なんて
名前を付けるのが好きな国民のようでんな。

(右横に雌の狸  大三郎の愛妻だそうな)


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子宝に恵まれない方には霊験あらたかなお狸さまで、願掛けに訪れる夫婦も多いそうでっせ。

鉄ちゃん爺やは無事に卒業しましたから頭だけ下げて失礼させてもらいましたわ。

(屋島山上  源平・屋島の合戦 錦絵のパネル)


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総大将・源義経が弓を海中に落とし危険を顧みずに平家方に接近し諫められる場面ですな。

自分の非力な弓を平家方に渡したくなかったとの逸話でしたかな。

(屋島の合戦  主な登場人物)


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(瑠璃宝の池  別名=血の池)


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屋島合戦が終わって源氏方の武者が刀を洗ったために池が赤く血で染まったとかの伝説。

でも~ 色んな所見を読んだけど屋島の戦いではそんなに多くの兵士が死んだとは思えないんだけど。


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それじゃ~ バスの到着する時間なので駐車場へ戻ることにしまひょ。

何せ、1時間に1本しかない路線バスでっさかいに乗り遅れたら1時間も待ちぼうけでんがな。

やれやれ~ 何とか間に合いましたわ。


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(ことでんバス 屋島ドライブウエーの車窓)


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(床が木張りのバス)


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もう、大阪など都会では見れなくなった床が木張りのバスでした懐かしくて1枚だけ撮影。

(JR高松駅前 親切な青鬼くん 石像)


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JR高松駅まで戻ってきました、このモニュメントも女木島へ渡る観光客へのPRかしら。

屋島はお天気さえ良かったら備讃瀬戸(びさんせと)と呼ばれる瀬戸内海の島々が望めて
展望が優れているので鉄ちゃん爺やのお勧めコースでっせ。

もう少し待っておれば瀬戸大橋や岡山県側まで見えたんだと思いますが
お土産も買って次の岡山市内へ移動の為に下山しましたんですわ。

ほな~ 今回はこれでお仕舞いだっせ  さいなら~












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鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        雨の高松市内を散策

2013-11-10 13:06:36 | 旅行
琴平を後にしてJRの鈍行で高松へ向かいましたんや。

途中の車中より絵になる風景といえばやはり讃岐富士でっしゃろな。

(讃岐富士  正式名 飯野山 標高421m)


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けして高い山ではおまへんけど讃岐路を通れば写真に撮りたくなる風景ですわ。

この山は坂出市と丸亀市との境界になるんだって。

この写真は坂出市に入った処の画像だったと思いま。

(高松市内  JR予讃線  JR鬼無駅のモニュメント)


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何せお隣りの岡山県とここ讃岐地方には桃太郎伝説があちこちにおますんや。

ここ鬼無(きなし)にも桃太郎伝説がありゲームソフトのハドソンという会社が
桃太郎電鉄なんて名前で石像を寄贈したそうですわ。

ここまで来たら讃岐の旅も高松市内に入ったようでんな。

(JR高松駅舎)


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わてが~ 高松駅にやってきたのは平成の4年か5年以来でっかな。

その当時はまだ宇高連絡船の船着場や国鉄の貨物駅が残ってましたんや。

それがベイエリアの再開発とかで見違えるような駅前に変わってしまいましたがな。

(シンボルタワー  サンポート高松)


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このシンボルタワーは四国では一番高い高層ビルなんだって。

右側の丸い屋根が見える辺りが昔の宇高連絡船の船着場だったそうでんな。

わてが~ 学生時代には大阪からも関西汽船や加藤汽船が運航されていて
四国への玄関口と言えばここ高松港しか考えられまへんでした。

国鉄の宇高連絡船もここで本土の岡山県の宇野港と繋がってましたんや。

(JR高松駅構内  連絡船うどん)


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この立ち喰いうどんの店は昭和の時代から国鉄・高松駅構内の名物でしたんや。

宇高連絡船待ちや国鉄の列車待ちで「讃岐うどん」を食べながら
四国の想い出を味わった方も多いでっしゃろな。

現在は宇高連絡船のイカリがモニュメントで残るだけで
この連絡船うどんが昭和の雰囲気を感ずる唯一の場所になってしまいましたで。

ただ~ 場所は駅舎の改築で少しだけ北の方へ移動してまつけど。

(高松市の マンホールの蓋)


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やはり~ 源平の屋島の戦い、那須与一が扇の的を狙う姿は有名な逸話でっしゃろ。

実は雨が降らなければ、このまま屋島へ向かうつもりでしたんや。

処が天気予報が当たり、このマンホールの写真を写した頃から雨になりましたがな。

何せ台風26号とやらが四国沖から東へ向きを変えたとか。

あの~ 伊豆大島に大きな被害を与えた台風でっけど
そんなこととは知らない一人旅の鉄ちゃん爺やでしたんや。

この辺りは一人旅の気楽さでコース変更なんて、自由自在になりまっせ。

予定を変更して荷物をホテルに預けて高松城へでも行きまひょかな。

(旧 高松城址 玉藻公園)


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60歳以上は無料で入場できるんだって。

証明書を忘れたと言ったら、生年月日をどうぞだって~

昭和1X年1月XX日 です~♪

どうぞ~ お入りくださいだって~

なんだか~ おおらかな高松市の係員さんでしたね。

(高松城址 天守台改修工事中)


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ここ高松城は三方から海の水を引き込んでお濠にした水城だったとか。

万葉の時代から玉藻の浦と呼ばれたので、別名を玉藻城とも呼んだそうだっせ。

生駒親正が豊臣秀吉から領地を与えられたそうで、後に徳川家光の時代
徳川光圀の兄君である松平頼重が12万石で入り明治維新まで続いたそうでんな。

だから讃岐・松平家は水戸・徳川家の分家として格式のある大名だったんでっせ。

(旧高松城 月見櫓)


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天守閣は残念ながら明治維新後に解体されて残ってないんだって。

「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」

こんな歌が当時は謡われたようでんな。

この月見櫓は当時の物らしく国の重要文化財に指定されてますわ。

(旧 高松城 水手御門 & 渡櫓)


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(月見櫓 & 水手御門を 外側から撮影)


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水手御門を出ると江戸時代には、瀬戸内海になっていたようでんな。

天守台の石垣が工事中の為か、お濠の水が抜かれているようでっせ。

お濠の外は埋め立てられて海岸道路と駐車場になってまんな。

雨も降ってきましたんで高松の港の方へ行ってみまひょ。

高松港は現在でも岡山県の宇野港とを結ぶ宇高国土フェリーや
小豆島や女木島・男木島などの離島を往復する定期船のターミナルでっせ。

(高松港を出航したフェリー) (めおん2  264トン) 


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可愛らしいフェリーですが桃太郎の鬼退治で有名な女木島とお隣の男木島を
1日6往復している雌雄島海運(しゆうじまかいうん)の定期フェリーなんだって。

地元では女木島と男木島を合わせて雌雄島(しゆうじま)と呼ぼそうでっせ。

遠くに見える半島が源平の古戦場である屋島で
本日に鉄ちゃん爺やが行きたかった所でっけど、この雨では諦めましたんや。

(高松港に到着した フェリー)(内海フェリー ブルーライン号 999トン)


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小豆島の草壁港とここ高松港を約1時間で結んでいる定期船だそうです。

高松沖にはこの他にも離島が多く点在するので、
色んなフェリーが発着するようでんな。

「めおん2」の停泊している画像の向こうの方にクレーンが写ってますやろ
関西の神戸港から来る直行便がこの高松東港に着くそうですわ。

この高松東港は交通の便がやや悪いんでっけど、片道2000円ぐらいで
神戸港から高松港まで来れる割安料金設定があるそうでっせ。

これならJRよりも時間はかかるけど、お得なんと違いまっしゃろか。

(JR高松駅ビル2階  讃岐うどん 艶 艶)


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(梅おろし うどん)


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やはり讃岐うどんを食べてから、午後のコースを決めまひょ。

本当は釜揚げうどんを食べたかったんですがこの日はまだ暑かったんですわ。

讃岐うどんは、ぶっかけと、釜揚げが本流のようでんな。

結局、午後からは雨の栗林公園を巡ることにして、屋島は明日に回しましたんや。

(JR高松駅構内の PR立て看板)


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(JR高松駅にて 1500形 気動車)


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(JR四国 高徳線 栗林公園北口)


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栗林公園はJR高松駅から約4kmぐらい南におますんや。

普通はバスで来ることが多いので、わても北口から入場すろのは初めて。

(特別名勝 栗林公園 北門)


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(栗林公園 入場券) (大人 400円)


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入場した頃から雨が本降りになってきましたで。

雨男だから諦めて傘でもさしてゆっくり見物でもしまひょ。

負け惜しみやないけど雨の庭園巡りもよろしおまっせ。

(栗林公園 鶴亀松)


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栗林公園には1000本を超える松の木が植え込まれてますんやけど
この「鶴亀松」が一番美しいとパンフレットにも書かれてましたわ。

下に見える岩石を亀に見立てて松の木で鶴をイメージしているんやそうな。

(掬月亭 = きくげつてい)


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この掬月亭(きくげつてい)は四方正面が数寄屋造りで回遊式大名庭園である
栗林公園の中でも代表的な建物でっしゃろな。

歴代藩主がここを大茶屋と呼び南湖を望む景観を、こよなく愛したそうでっせ。

この横で、わてらが中学校の修学旅行で来た時に集合写真を撮った場所ですわ。

(鉄ちゃん爺やが 集合写真を撮った池)


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もう少し右へよって背景の紫雲山が写るような位置だったような気もするけど
池や松の木などの姿かたちは当時の面影が残ってますな。

では南湖の周りを歩いて代表的な景色の築山へ向かいまひょ。

(栗林公園 南湖から掬月亭を望む)


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(栗林公園  南湖&偃月橋)


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(飛来峰 = ひらいほう)


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(飛来峰から 掬月亭方向を撮影)


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栗林公園を訪れたことの無い方でもこの画像は
見た覚えがあるんと違いまっしゃろか?

栗林公園の入場券や観光パンフレットにも採用されている風景でっせ。

栗林公園は寛永年間(1625年~)に生駒高俊公によってこの南湖辺りの
造園が行われ現在の公園の原型が形作られたそうです。

生駒氏が出羽の国へ転封に伴い1642年(寛永19年)新しく入封した
松平頼重公(水戸光圀公の兄君)が造園を引き継いだんだって。

5代藩主・松平頼恭(よりたか)公の時代に完成したようで
1745年(延亨2年)園内六十景 命名で完成したとされてますんや。

明治維新まで歴代藩主はこの庭園を下屋敷として使用したんだって。

1875年(明治8年)から県立公園として一般に公開。

1953年(昭和28年)文化財保護法により「特別名勝」に指定され
今日まで四国の高松市を訪れるほとんどの観光客が入場する公園でしょうかな。

(飛来峰から 偃月橋を見下ろす)


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偃月橋(えんげつきょう)は栗林公園内では一番大きい橋で
弓張り月(半月)が湖面に影を映す姿から名付けられたんだって。

(栗林公園の 背景を司る 紫雲山)


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わてが~ 中学校の修学旅行で訪れる前の年だったと記憶してますんや。

紫雲山の名前を採用した宇高連絡船「紫雲丸」が高松港を出港した直後に
「第三宇高丸」と衝突して修学旅行生が109名も亡くなったんですわ。

紫雲丸=死運丸だなんて呼ばれたこの船は2回も沈没しそのたびに引き上げられ
「瀬戸丸」の名前で1971年(昭和41年)まで航行してましたんや。

この大事故の前年には青函連絡船の「洞爺丸」の事故もあってか
関西では四国への修学旅行がほとんど無くなってしまったそうですわ。

だから中学校の修学旅行で四国を訪れる最後の年が、わてらの学年だったとか。

(栗林公園 北湖の景観)


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(商工奨励館)  (明治時代に作られた博物館)


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現在は香川県の特産品の展示発売や製作の実演が行われていますね。

所で~ 松ばかりの栗林公園なのに、栗の木がないのがガテンいきまへんがな。

そこで栗饅頭を売っている店の添え書きを発見しましたで。

なんでも第10代藩主・松平頼胤(よりたね)公が鴨狩りに邪魔だと
栗の木を3本だけ残して伐採してしまったんだそうな。

だから江戸時代には沢山の栗の木が植わっていたのが正解やそうですわ。

こんなバカ殿さんも、幕末には出てきたんでっしゃろな。

だから今では栗林公園というより松林公園のような感がするのも
わてばっかりじゃないと、思いまんねんけど。

(栗林のくり  湊屋さんの栗饅頭)


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だから~ 栗林公園で栗を思い出させるのは、この和菓子だけですな。

内の奥さんの好物なので1個だけ買ってしまいました。

(商工奨励館前から 撮影)


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もっとゆっくり栗林公園を見たかったんだけど何せ台風26号の
雨と風が強くなって来ましたので退散することにしましたがな。

(栗林公園の正門  通称は東門)


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夜は雨も強いのでホテルから近いJR高松駅の横にある居酒屋へ入りましたんや。

(骨付き鳥)


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これは~ 鉄ちゃん爺やの大失敗の夕食になりましたわ。

本来は讃岐うどんに匹敵する人気商品の「骨付き鳥」を注文したんでっせ
出たきたのは大阪でも食べられる普通のチキンでんがな。

本来はスパイスを利かしてもっと焦げ目が付くほど焼くもんなんですわ。

やはり~ 雨でも専門店を探して行くべきだったと反省。

仕方がないのでキヨスクで缶ビールと乾き物を買って引き揚げることにしましたわ。

(香川県 限定ビール)


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次回は源平の古戦場である屋島をしょうかいしまひょ。

ほんなら~ 今日はこれでお仕舞いでっせ、さいなら~












































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鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        金刀比羅宮へ参詣

2013-11-05 09:10:32 | 旅行
ことぶき旅館で7時過ぎに朝食を用意して貰いましたんや。

今日は785段の石段に挑戦でっさかいにな。

しっかりと~ ご飯を食べてスタートしまひょ。

(ことぶき旅館の朝食)


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ほんなら~  元気をだして行ってきまっさ~♪

この日は台風26号が四国沖を通過するそうで午後からは雨でしたんや。

往復の2時間ぐらいで登って下りてこようと考えたんですわ。

(金刀比羅宮 神紋の入った提灯)


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(金刀比羅宮への石段 100段目)


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別に疑ってた訳じゃおまへんけど石段を勘定してたら
丁度100段 合ってましたで。

この辺はまだ石段もそんなにキツくないので楽でっせ。

(金刀比羅宮への 石段から振り返れば)


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(金刀比羅宮への石段 294段目)


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遠くに大門が見えてきましたけど、石段も少しキツなってきましたわ。

あの大門までは観光用の駕籠もおますんやけど、最近は地元のバスも
一時間に一往復するのもできたとか。

でも石段がキツイのは大門から先でっさかいに
メリットはそんなにおまへんやろな。

(琴平町 マンホールの蓋)


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琴平名物の観光用の駕籠と石段が描かれてますやろ。

街中の参道から大門までは駕籠も使えますんやけど
それから先は自分の足でしか金刀比羅宮へ行くことは叶いまへんのや。

(金刀比羅宮 大門に到着)


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石段を勘定してたらここで丁度、365段でしたわ。

実はここから先が金刀比羅宮の境内になるんだって。

(金刀比羅宮の 五人百姓)


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江戸時代の昔から金刀比羅宮の神事や資金面で大きな支えをしてきた
地元の5軒の家が境内で「加美代飴」を売ることを認められたんだって。

なんでも三百数十年も昔から続く「琴平の 五人百姓」なんだそうでっせ。

まだ朝が早いので5軒の内で2軒だけしか店を出してはりまへんでしたわ。

帰りに立ち寄ることにして本宮を目指し頑張って行きまひょ。

(金刀比羅宮の 境内)


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北海道を始め全国からの寄付金が多く寄せられているようでんな。

海運・造船・漁業・流通他 色んな業界や著名な会社も多く並んでましたで。

(こんぴら狗の 説明書き)


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(こんぴら狗の 銅像)


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京都や大坂ならばともかく、江戸からは金比羅大権現は遠かったんですわ。

そんな訳で、皆でお金を集めてクジを引いて当たった者が金比羅さんへお参り
でもクジに当たらないので、犬に代参(だいさん)させることを
考え出した人がいはりましたんやて~

犬の首に旅費と餌代にお賽銭も入れて金毘羅宮と書いて放したんでしょうな。

道中で見かけた人が駅伝の中継のようにして金毘羅宮までリレーしたんだっせ。

(金刀比羅宮の 神馬)  (月琴号 八歳馬)


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(金刀比羅宮の 旭社)


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立派なお社でっしゃろ~   

森の石松が清水次郎長親分の代参(だいさん)でここが本殿だと勘違いして
持ってきた刀を奉納して帰ってしまったとの逸話がおますんや。

現在は御本宮は右手奥との立札がおますな。

(金刀比羅宮 本宮へのキツイ石段)


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遠くに本宮と鳥居が見えてきましたんやけど、胸突き八丁のキツイ石段でっせ。

勘定するのは辞めましたんやけど200段前後はおますやろな。

最後の難所でっけどここで引き返す人は居まへんやろ。

わても~ 途中で小休止だけして一気に785段を登りきりましたで。

(金刀比羅宮 本宮の拝殿)


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祭神は大物主の神だから、大国主の尊の子供さんに当たるお方になりますな。

奈良桜井にある大神神社(おおみやじんじゃ)と同じ神さんが祀られているんですわ。

こちらは昔から海の神様で瀬戸内海から縄文時代には海がこの辺りまで
入り込んでいたという説がおますんや。

保元の乱で讃岐に流された崇徳上皇(すとくじょうこう)が当時ここに在った
松尾寺の金毘羅大権現を敬われたので合わせてお祀りされたようでんな。

現在・金比羅大権現さまは明治の廃仏希釈で麓の松尾寺へ追い出された感じで
ご本尊も転々として岡山の西大寺に安置されているとの話もおますんや。

だから明治以降は「金刀比羅宮」と呼ぶ国つ神系の神社ちゅうことになりますな。


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金刀比羅宮の本宮の北東側は見晴らしが素敵な場所でんねん。

わても~ 56年前?の中学校の修学旅行以来になりますんやけど。

(金刀比羅宮 本宮の境内からの展望)


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中央が讃岐富士ですけど台風の前触れで霞んでますな。

晴れておれば讃岐富士の左手に瀬戸大橋も見えると書かれてますんや。

でも今日のお天気では讃岐富士ぐらいまでしか見通せませんな。

(金刀比羅宮 本宮の境内から 東の方向を撮影)


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(ズームアップ でもこれが限界)


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こちら側は高松市内の方角になりますんや。

晴れておれば高松の屋島が見えるんでっけど手前の山並みが限界ですわ。

それでも讃岐平野はなんとか見えている感じでんな。

(金刀比羅宮の 本殿を南側から撮影)


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(金刀比羅宮に 奉納された絵馬)


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(日本郵船 豪華客船 飛鳥Ⅱ の絵馬)


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流石に海の神様だから絵馬も船のが多いですよ。

現在の大型船にも海上航海の安全を願って金刀比羅宮の神棚とお札が
操舵室か艦橋に置かれているそうでっせ。

(奉納された 樽流し神事の樽)


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この樽流しも江戸時代から伝わる風習だったそうでっせ。

樽に幟を付けて海に流すんだそうです、通りかかった船人が見つけたら
金毘羅宮へ持って行って奉納すると
樽を流してお願いをした人と同じぐらいのご利益が頂けるんだって。

この画像の樽はおそらく~ 海に流す真似事をして直ぐに拾い上げ
金刀比羅宮へ奉納されたんでしょうな。

海上自衛隊でこんな神事が今も続けられているとは面白いでんな。

この日は雨が近づいているので奥社には登らずに下山することにしましたんや。

(下向道の 標識)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


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金刀比羅宮・本殿の前後の石段は急なので登りと下りが別になってますわ。

下りの途中で大きなモニュメントを発見。

自動車運搬船に使用する大型のスクリュウが奉納されてますんや。

(奉納された プロペラ)


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わては~ 旅館を7時30分ぐらいにスタートしましたんで
途中で人とすれ違うことがおまへんでした。

ひょっとしたら~ わてがこの日の一番乗りの参詣客だったのかしら?

(旭社の近くで 初めて参詣客とすれ違い)


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持っておられる杖は土産物店や旅館が貸してくれますんや。

でも~ 土産物店だったら返す時に何か買わない訳にはいきまへんがな。

わては~ 雨が心配でしたので旅館から杖の代わりにジャンプ傘を借りましたわ。

(五人百姓さんの 所まで戻ってきました)


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話のタネに「加美代飴」を二つだけ買うことにしましたんや。

やはり~ 試食させてくれはった店で買わしてもらいまひょ。


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この二枚の写真は大阪へ戻ってから開封したときのものでっせ。

小さい小槌が入っているので叩いて飴を割って食べるようでんな。

昔ながらのベッコウ飴で少しだけ柚の香りがしまっせ。

(登ってくる参詣客)


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わては~ 降りてるところでっけど登る人が段々と増えてきましたな。

黄色い衣装の人は地元の案内する人で、面白可笑しく説明してくれるので
キツイ石段も苦にしないで登れるとの評判なんだって。


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江戸時代から琴平の名物だった「灸まん」を紹介しておきまひょ。

お灸の形をした白餡の上品な和菓子でっせ。

なにせ~ 琴平の土産物店ならどこにでも並んでる銘菓だそうな。

(琴平の銘菓 灸まん本舗 本店)


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この「灸まん本舗さん」まで来たら石段はお仕舞いでっせ。

旅館へ戻って次の目的地である高松市内へ動くことにしまひょ。

(参道の喫茶店にも 灸まんの饅頭)


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(土産物店に並べてあった 日本手拭い)


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(JR琴平駅近くの 並び灯篭 & 狛犬)


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(気を付けて 帰りや~)


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悠然と構えて高い塀の上からお見送りしてくれた猫ちゃん。

それにしても~ 器用な格好で木の塀によじ登ったもんでんな。

(JRの車中より 象頭山ともお別れ)


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左側は「ことでん」の高松行の線路でんな、わては~ JRの鈍行で行きまっせ。

ほんなら~ 金刀比羅宮へのお参りはこれでお仕舞い。

次回は雨の高松市内をやらせてもらいまひょ、 さいなら~





コメント (17)
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