京都御所の後編をやらせてもらいまっさ~♪
(京都御苑 見取り図)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
京都御所の一番下に白く写っている処が
紫宸殿(ししんでん)の南庭でっせ。
この画像で上に見える建物が紫宸殿で
その右上にやや大きく見えるのが小御所(こごしょ)で
前回はここまで、お話させてもらいました。
今回の一般公開では京都御所の南側のほぼ半分ぐらいを
拝観できたちゅうことになりまんねん。
(京都御所 & 大宮御所の築地)(左=大宮御所 正面=京都御所)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在の京都御所は歴史の勉強で教わった桓武天皇の
平安京の内裏ではおまへんで。
桓武天皇が造営された平安京は現在の
JR二条駅の東側近くに在ったんやそうな。
何度も火災に会いその度に天皇は貴族の邸宅に移り
「里内裏」(さとだいり)と
呼ばれる仮の御所に移られたそうですわ。
その内に平安時代の末には桓武天皇の造られた平安京の内裏は
再建されずに里内裏(さとだいり)が
京都御所になってしまったようでんな。
現在の京都御所は「土御門東洞院殿」(つちみかどひがしのとういんどの)
と呼ばれる鎌倉時代に両統が並立した頃の持明院派の里内裏でしたんや。
1331年(元弘元年)光厳天皇(こうごんてんのう・北朝初代)が
ここで即位されて以後、1869年(明治2年)明治天皇が東京へ
遷られるまで皇居とされたのが現在の京都御所でおます。
江戸時代初期から整備されて京都御所の規模は大きくなったようでっけど。
京都御所は江戸時代だけで8回も焼失しその都度再建されたようで
現在の建物の大半は1855年(安政2年)に再建されたと書かれてましたで。
前置きが長くなりましたけど、京都御所の小御所(こごしょ)へ戻りまひょ。
(京都御所 小御所=こごしょ) (飾られていた雅楽の人形)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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小御所(こごしょ)の北側に小さい広場がおますんや。
丁度、小御所と御学問所(おがくもんじょ)の合間になりまんな。
(京都御所 蹴鞠の庭)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここで蹴鞠が行われ天皇も御学問所(ごがくもんじょ)から見物されたとか。
現在でも外国から要人が来られたときには宮内庁の蹴鞠担当が
この庭で優雅な蹴鞠の実演をしてお見せするそうでっせ。
(京都御所 御学問所=ごがくもんじょ) (蹴鞠の庭 付近から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは御読書始めの儀や和歌の会など学芸関係のほか、天皇が臣下と
対面される行事にも用いられた建物だそうでんな。
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)で書院造りの建物になってますわ。
この御学問所と小御所の両方に面して東側は日本庭園になってますんや。
(京都御所 御池庭=おいけにわ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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池を中心にした回遊式庭園で手前の洲浜から舟着の飛び石を配置し
対岸には樹木を配し欅橋が架かり様々な景色を楽しめる工夫がされてますんや。
回遊式庭園でっけど写真を写せるだけで、庭園には立ち入りが禁止されてまんな。
10年前に拝観した時はここでお仕舞いでしたが、今回は
もう一つさきの「御常御殿」(おつねごてん)まで見学させてもらえましたで。
(京都御所 御常御殿=おつねごてん)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
16世紀末に清涼殿(せいりょうでん)から移し替えて天皇が日常のお住まいに
使用される御殿として独立して建てられる様に成ったそうですわ。
京都御所内では最大の面積を持ち、内部は15部屋からなる
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の書院造りになってますな。
東側は御内庭(ごないてい)が配されているので全体を画像に収めるのは無理。
(京都御所 御常御殿=おつねごてん)
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明治天皇は東京へ遷られるまでは、この御常御殿にお住まいをされていたとか。
この建物は1855年(安政2年)の完成なのでその当時のままで
現在も保存されているちゅうことになりますんや。
(京都御所 御内庭=ごないてい)
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この御内庭(ごないてい)を含めて御常御殿(おつねごてん)から先は(北側)
天皇の私的な奥向の御殿と称されていますよ。
この奥には「皇后宮御常御殿」(こうごうきゅうおつねごてん)などが有り
これから奥には一般の人は入れないようになってますんや。
通路の折り返し地点にこんな立札と建物がおました。
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(京都御所 御涼所 & 迎春)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
普段はここ迎春(こうしゅん)の北の間に設置されている「花鳥図」と呼ぶ襖絵が
今回は特別に展示されていて今回しか見れない物なので貼り付けて置きまひょ。
御常御殿(おつねごてん)を通り越して御学問所の裏手に展示されてましたな。
(京都御所 花鳥図の襖絵)
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(京都御所 御三間=おみま)
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ここは天皇家の私的な行事に使われた建物で「七夕」「雛祭り」「盂蘭盆会」等が
行なわれたようで裏側で御常御殿(おつねごてん)と繋がっているような感じ。
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ここで京都御所の拝観はお仕舞いで出口の方へ向かうことになりまっせ。
振り返ったら御常御殿(おつねごてん)と御三間(おみま)の屋根が
夕日を浴びて綺麗に見えてましたので写しましたんや。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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その右手には御学問所(おがくもんじょ)の屋根だと思いまんねんけど。
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(京都御所 青所門=せいしょもん)
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春と秋の一般公開ではこの青所門(せいしょもん)が出口になりますんや。
普段に申し込んで平日に拝観すると時はここが入口と出口になりまっせ。
この門は年間を通して開門されていて皇宮警察の方が門前に控えてますんや。
この青所門(せいしょもん)は京都御所の通用門という感じですな。
皇子・皇女が初めて参内するときはここから入場したんだって。
六位以下の身分の低い者や下級役人もここが入口だったんでしょうな。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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御所善哉っちゅうのは、お餅は入ってない小豆と汁だけでしたわ。
(京都御苑の松林から 青所門を撮影)
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(京都御所 蛤御門=はまぐりごもん)
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1864年(元治元年)長州藩の軍勢がこの辺りで御所を警備していた
会津藩・薩摩藩と激突し歴史上で有名な「蛤門の変」と呼びますな。
長州藩が負けて南へ引き揚げる際に長州びいきだった京都の町屋を
会津と薩摩が焼き払った「どんどん焼け」という大火になりましたんや。
御所の南から現在のJR京都駅付近まで東は寺町通りから堀川通まで
現在の京都市内の中心部が丸焼けになりましたんや。
その当時の銃弾の跡が蛤御門の柱に今でも残ってまっせ。
この蛤御門は江戸時代には閉まってましたんで「禁門」とも呼ばれ
この「蛤門の変」を「禁門の変」と書かれた書物もおますかな。
これでわての~ 京都御所訪問のブログはお仕舞いでっせ。
次回は四国・讃岐の旅から岡山は吉備路の旅と称し続きをやらせてもらいまひょ。
ほんなら、今日はこれでさいなら~♪
(京都御苑 見取り図)
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京都御所の一番下に白く写っている処が
紫宸殿(ししんでん)の南庭でっせ。
この画像で上に見える建物が紫宸殿で
その右上にやや大きく見えるのが小御所(こごしょ)で
前回はここまで、お話させてもらいました。
今回の一般公開では京都御所の南側のほぼ半分ぐらいを
拝観できたちゅうことになりまんねん。
(京都御所 & 大宮御所の築地)(左=大宮御所 正面=京都御所)
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現在の京都御所は歴史の勉強で教わった桓武天皇の
平安京の内裏ではおまへんで。
桓武天皇が造営された平安京は現在の
JR二条駅の東側近くに在ったんやそうな。
何度も火災に会いその度に天皇は貴族の邸宅に移り
「里内裏」(さとだいり)と
呼ばれる仮の御所に移られたそうですわ。
その内に平安時代の末には桓武天皇の造られた平安京の内裏は
再建されずに里内裏(さとだいり)が
京都御所になってしまったようでんな。
現在の京都御所は「土御門東洞院殿」(つちみかどひがしのとういんどの)
と呼ばれる鎌倉時代に両統が並立した頃の持明院派の里内裏でしたんや。
1331年(元弘元年)光厳天皇(こうごんてんのう・北朝初代)が
ここで即位されて以後、1869年(明治2年)明治天皇が東京へ
遷られるまで皇居とされたのが現在の京都御所でおます。
江戸時代初期から整備されて京都御所の規模は大きくなったようでっけど。
京都御所は江戸時代だけで8回も焼失しその都度再建されたようで
現在の建物の大半は1855年(安政2年)に再建されたと書かれてましたで。
前置きが長くなりましたけど、京都御所の小御所(こごしょ)へ戻りまひょ。
(京都御所 小御所=こごしょ) (飾られていた雅楽の人形)
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小御所(こごしょ)の北側に小さい広場がおますんや。
丁度、小御所と御学問所(おがくもんじょ)の合間になりまんな。
(京都御所 蹴鞠の庭)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここで蹴鞠が行われ天皇も御学問所(ごがくもんじょ)から見物されたとか。
現在でも外国から要人が来られたときには宮内庁の蹴鞠担当が
この庭で優雅な蹴鞠の実演をしてお見せするそうでっせ。
(京都御所 御学問所=ごがくもんじょ) (蹴鞠の庭 付近から撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは御読書始めの儀や和歌の会など学芸関係のほか、天皇が臣下と
対面される行事にも用いられた建物だそうでんな。
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)で書院造りの建物になってますわ。
この御学問所と小御所の両方に面して東側は日本庭園になってますんや。
(京都御所 御池庭=おいけにわ)
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池を中心にした回遊式庭園で手前の洲浜から舟着の飛び石を配置し
対岸には樹木を配し欅橋が架かり様々な景色を楽しめる工夫がされてますんや。
回遊式庭園でっけど写真を写せるだけで、庭園には立ち入りが禁止されてまんな。
10年前に拝観した時はここでお仕舞いでしたが、今回は
もう一つさきの「御常御殿」(おつねごてん)まで見学させてもらえましたで。
(京都御所 御常御殿=おつねごてん)
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16世紀末に清涼殿(せいりょうでん)から移し替えて天皇が日常のお住まいに
使用される御殿として独立して建てられる様に成ったそうですわ。
京都御所内では最大の面積を持ち、内部は15部屋からなる
入母屋檜皮葺き(いりもやひわだぶき)の書院造りになってますな。
東側は御内庭(ごないてい)が配されているので全体を画像に収めるのは無理。
(京都御所 御常御殿=おつねごてん)
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明治天皇は東京へ遷られるまでは、この御常御殿にお住まいをされていたとか。
この建物は1855年(安政2年)の完成なのでその当時のままで
現在も保存されているちゅうことになりますんや。
(京都御所 御内庭=ごないてい)
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この御内庭(ごないてい)を含めて御常御殿(おつねごてん)から先は(北側)
天皇の私的な奥向の御殿と称されていますよ。
この奥には「皇后宮御常御殿」(こうごうきゅうおつねごてん)などが有り
これから奥には一般の人は入れないようになってますんや。
通路の折り返し地点にこんな立札と建物がおました。
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(京都御所 御涼所 & 迎春)
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普段はここ迎春(こうしゅん)の北の間に設置されている「花鳥図」と呼ぶ襖絵が
今回は特別に展示されていて今回しか見れない物なので貼り付けて置きまひょ。
御常御殿(おつねごてん)を通り越して御学問所の裏手に展示されてましたな。
(京都御所 花鳥図の襖絵)
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(京都御所 御三間=おみま)
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ここは天皇家の私的な行事に使われた建物で「七夕」「雛祭り」「盂蘭盆会」等が
行なわれたようで裏側で御常御殿(おつねごてん)と繋がっているような感じ。
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ここで京都御所の拝観はお仕舞いで出口の方へ向かうことになりまっせ。
振り返ったら御常御殿(おつねごてん)と御三間(おみま)の屋根が
夕日を浴びて綺麗に見えてましたので写しましたんや。
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その右手には御学問所(おがくもんじょ)の屋根だと思いまんねんけど。
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(京都御所 青所門=せいしょもん)
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春と秋の一般公開ではこの青所門(せいしょもん)が出口になりますんや。
普段に申し込んで平日に拝観すると時はここが入口と出口になりまっせ。
この門は年間を通して開門されていて皇宮警察の方が門前に控えてますんや。
この青所門(せいしょもん)は京都御所の通用門という感じですな。
皇子・皇女が初めて参内するときはここから入場したんだって。
六位以下の身分の低い者や下級役人もここが入口だったんでしょうな。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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御所善哉っちゅうのは、お餅は入ってない小豆と汁だけでしたわ。
(京都御苑の松林から 青所門を撮影)
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(京都御所 蛤御門=はまぐりごもん)
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1864年(元治元年)長州藩の軍勢がこの辺りで御所を警備していた
会津藩・薩摩藩と激突し歴史上で有名な「蛤門の変」と呼びますな。
長州藩が負けて南へ引き揚げる際に長州びいきだった京都の町屋を
会津と薩摩が焼き払った「どんどん焼け」という大火になりましたんや。
御所の南から現在のJR京都駅付近まで東は寺町通りから堀川通まで
現在の京都市内の中心部が丸焼けになりましたんや。
その当時の銃弾の跡が蛤御門の柱に今でも残ってまっせ。
この蛤御門は江戸時代には閉まってましたんで「禁門」とも呼ばれ
この「蛤門の変」を「禁門の変」と書かれた書物もおますかな。
これでわての~ 京都御所訪問のブログはお仕舞いでっせ。
次回は四国・讃岐の旅から岡山は吉備路の旅と称し続きをやらせてもらいまひょ。
ほんなら、今日はこれでさいなら~♪