京都に都が定められたのは西暦794年(延暦13年)11月8日だった。
約1200年超の都だったので名所旧跡はあちこちに存在するはず。
さぞかし1000年を超える建造物も数多く有ると考えたが大間違い。
なんと1000年超える建造物は醍醐寺の五重塔が唯一なんだって。
(世界文化遺産 醍醐寺・五重塔)
京都は都が置かれた関係で幾多の戦乱に巻き込まれた経緯がおますんや。
特に室町時代の応仁の乱と幕末の禁門の変で多くの寺社や民家が焼失とか。
応仁の乱なんて戦と言うよりも寺院や神社を焼くことの方が中心だった。
勿論、寺社が両軍の軍事拠点になっていたのも大きな要因なんだけど。
そんな訳で京都市内には室町時代以降の建物しか残ってまへんのですわ。
江戸時代以降の建造物が今の京都市内では大半の観光地なんだとの話。
(醍醐寺の総門)(平成24年5月撮影)
醍醐寺も応仁の乱で本堂を始め多くの堂塔が焼失してまんねんで。
五重塔は少し離れた位置に在ったので戦乱を免れたのかもしれまへん。
醍醐天皇の冥福を祈るために西暦951年(天暦5年)に完成したそうですわ。
1000年を超える京都では貴重な建造物となってますんや。
醍醐寺は醍醐天皇の勅願寺とされ現在は真言宗の醍醐寺派の総本山でおます。
(国宝 醍醐寺 五重塔)(平成24年5月撮影)
高さは約38mで屋根の相輪が12mもある見事な五重塔なんでっせ。
初層(1階)の曼陀羅の壁画も国宝に指定されてますと書かれてました。
新幹線から見える京都・東寺の五重塔が約55mで高さは日本一。
奈良・興福寺の五重塔が約50m、第三位が京都・八坂の塔で約49m。
醍醐寺の五重塔は日本で四番めに高い五重塔になるんだそうですわ。
日本で一番古い奈良・法隆寺の五重塔は約34mとやや低い感じでんな。
(国宝 醍醐寺の金堂)(平成24年5月撮影)
元は紀州の湯浅に在った萬願寺の本堂を豊臣秀吉が焼き討ちする方針を
醍醐寺の座主の願いを聞き入れて醍醐寺に移設することで許可したとか。
後白河法皇の勅願寺だつた立派な建物で有ったのが幸いしたのかも。
平安末期の様式に織豊時代の様式を加えた立派な金堂になってますかな。
正面が約21mで奥行きも約17mと大きな建物でおます。
(醍醐寺 金堂のご本尊他) (平成24年5月撮影)
中央がご本尊の薬師如来坐像で左右に日光菩薩と月光菩薩が配置され
その左右に四天王立象が並ぶ重厚で威厳のある仏さまのようでした。
最近はご本尊など撮影禁止が多いのでこれは貴重な画像となりましたね。
(国宝 醍醐寺三宝院の唐門)(平成24年5月撮影)
勅使や位の高い人しか使用できなかった勅使門のようですね。
皇室の家紋と豊臣家の家紋が当時の権威を残しているようでんな。
(醍醐寺 三宝院の玄関口)(平成24年5月撮影)
(醍醐寺 三宝院の境内)(平成24年5月撮影)
三宝院は醍醐寺の塔頭で江戸時代までは醍醐寺の最高権力者である
醍醐寺座主が代々の居住する建物だったそうでっせ。
撮影が厳重に禁止されてますので邸内や庭園は写せまへんでした。
(醍醐寺の ご主印)
(西国第11番札所 上醍醐寺の ご朱印)
考えたら、これらの画像やご朱印は2012年(平成24年)5月11日!
来週の日曜日で丁度10年になるようですわ、現在も風景に変わりはないはず。
(醍醐寺の参道) (平成24年5月撮影)
醍醐寺は桜で有名でこの参道も桜の頃は見事な景色になりますんや。
しだれ桜に山桜とソメイヨシノまで現在は桜は約1900本だとか。
豊臣秀吉が醍醐の花見をした1598年(慶長3年)3月の話は有名!
それから6か月足らずで豊臣秀吉は亡くなるんでしたよね。
この2年ぐらい後に桜が満開の頃にもう一度訪れているんですが
桜の画像をPCで見失ってますんで、ご容赦ください。
ほな~ 今日はこれで、さいなら~♪
約1200年超の都だったので名所旧跡はあちこちに存在するはず。
さぞかし1000年を超える建造物も数多く有ると考えたが大間違い。
なんと1000年超える建造物は醍醐寺の五重塔が唯一なんだって。
(世界文化遺産 醍醐寺・五重塔)
京都は都が置かれた関係で幾多の戦乱に巻き込まれた経緯がおますんや。
特に室町時代の応仁の乱と幕末の禁門の変で多くの寺社や民家が焼失とか。
応仁の乱なんて戦と言うよりも寺院や神社を焼くことの方が中心だった。
勿論、寺社が両軍の軍事拠点になっていたのも大きな要因なんだけど。
そんな訳で京都市内には室町時代以降の建物しか残ってまへんのですわ。
江戸時代以降の建造物が今の京都市内では大半の観光地なんだとの話。
(醍醐寺の総門)(平成24年5月撮影)
醍醐寺も応仁の乱で本堂を始め多くの堂塔が焼失してまんねんで。
五重塔は少し離れた位置に在ったので戦乱を免れたのかもしれまへん。
醍醐天皇の冥福を祈るために西暦951年(天暦5年)に完成したそうですわ。
1000年を超える京都では貴重な建造物となってますんや。
醍醐寺は醍醐天皇の勅願寺とされ現在は真言宗の醍醐寺派の総本山でおます。
(国宝 醍醐寺 五重塔)(平成24年5月撮影)
高さは約38mで屋根の相輪が12mもある見事な五重塔なんでっせ。
初層(1階)の曼陀羅の壁画も国宝に指定されてますと書かれてました。
新幹線から見える京都・東寺の五重塔が約55mで高さは日本一。
奈良・興福寺の五重塔が約50m、第三位が京都・八坂の塔で約49m。
醍醐寺の五重塔は日本で四番めに高い五重塔になるんだそうですわ。
日本で一番古い奈良・法隆寺の五重塔は約34mとやや低い感じでんな。
(国宝 醍醐寺の金堂)(平成24年5月撮影)
元は紀州の湯浅に在った萬願寺の本堂を豊臣秀吉が焼き討ちする方針を
醍醐寺の座主の願いを聞き入れて醍醐寺に移設することで許可したとか。
後白河法皇の勅願寺だつた立派な建物で有ったのが幸いしたのかも。
平安末期の様式に織豊時代の様式を加えた立派な金堂になってますかな。
正面が約21mで奥行きも約17mと大きな建物でおます。
(醍醐寺 金堂のご本尊他) (平成24年5月撮影)
中央がご本尊の薬師如来坐像で左右に日光菩薩と月光菩薩が配置され
その左右に四天王立象が並ぶ重厚で威厳のある仏さまのようでした。
最近はご本尊など撮影禁止が多いのでこれは貴重な画像となりましたね。
(国宝 醍醐寺三宝院の唐門)(平成24年5月撮影)
勅使や位の高い人しか使用できなかった勅使門のようですね。
皇室の家紋と豊臣家の家紋が当時の権威を残しているようでんな。
(醍醐寺 三宝院の玄関口)(平成24年5月撮影)
(醍醐寺 三宝院の境内)(平成24年5月撮影)
三宝院は醍醐寺の塔頭で江戸時代までは醍醐寺の最高権力者である
醍醐寺座主が代々の居住する建物だったそうでっせ。
撮影が厳重に禁止されてますので邸内や庭園は写せまへんでした。
(醍醐寺の ご主印)
(西国第11番札所 上醍醐寺の ご朱印)
考えたら、これらの画像やご朱印は2012年(平成24年)5月11日!
来週の日曜日で丁度10年になるようですわ、現在も風景に変わりはないはず。
(醍醐寺の参道) (平成24年5月撮影)
醍醐寺は桜で有名でこの参道も桜の頃は見事な景色になりますんや。
しだれ桜に山桜とソメイヨシノまで現在は桜は約1900本だとか。
豊臣秀吉が醍醐の花見をした1598年(慶長3年)3月の話は有名!
それから6か月足らずで豊臣秀吉は亡くなるんでしたよね。
この2年ぐらい後に桜が満開の頃にもう一度訪れているんですが
桜の画像をPCで見失ってますんで、ご容赦ください。
ほな~ 今日はこれで、さいなら~♪