鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

旧岩崎邸庭園から 上野公園まで

2024-06-09 16:02:17 | 東京の街
3月29日この日は都内を散策できる最終日でおました。
午前中は雨に祟られましたが、午後からお天気は回復に。

(旧岩崎邸庭園 入場券 シニア割200円)

(旧岩崎邸庭園 洋館の正面を撮影)

旧岩崎邸庭園は1896年(明治29年)岩崎彌太郎の長男で
三菱財閥3代目の社長・岩崎久彌の本邸として造られたそうです。

往時は1万5千坪の敷地に30棟の建物が並んでいたようですが
現在は3分の1ぐらい約5千5百坪の敷地に洋館・和館・撞球室の
3棟が保存され国の重要文化財に指定されているそうです。

(旧岩崎邸庭園への 馬車道)





(旧岩崎邸庭園 洋館の玄関)

(旧岩崎邸庭園 洋館1階)
































(階段から1階部分を撮影)
(これに気が付かず 係員さんから注意を!)





(結婚式の写真撮影のようです)

(旧岩崎邸庭園 和館大広間)











(洋館の玄関を 内側から撮影)

(和館を庭園から撮影)



(和館を背景に自撮り)

(和風の庭園)



(旧岩崎邸庭園  洋館を庭園から撮影)

(旧岩崎邸庭園 撞球室)

(撞球室の内部を撮影)

撞球室(どうきゅうしつ)はビリーヤード場のことで上流社会では必須
洋館と地下道で結ばれているそうですが、現在は非公開に成っています。

(三菱の社標の由来)

江戸時代の主家であった土佐の山内家の三ツ柏と岩崎家の家紋
三階菱を合わせて新しくスリーダイヤを三菱の社章としたようですね。

(南側から旧岩崎邸庭園 洋館を撮影)

(旧岩崎邸庭園  洋館を北側から撮影)

(旧岩崎邸庭園 洋館の玄関先のイチョウ)

(冬枯れでイチョウは枝のみでした)

(池之端1丁目の住所表記)



不忍通りへ出て本日最後の散策は上野公園の西郷さんの銅像前へ。

夕方の5時近くになりましたので有料の施設は時間切れですわ。

(上野公園 不忍池を南側から撮影)





確かこの日は東京都で桜が開花した日だったと記憶する。
昨日もここに来たけど1日で桜が咲き出した感じ。

(上野公園での お花見風景)

(上野公園の桜)

(西郷どんの銅像)



西郷どんの銅像も今日で見納めになりそうですわ。

西郷隆盛さんの銅像と反対側には明治維新に際し上野公園で
幕府方の彰義隊で命を落とした人々を供養する墓が。

顧みる人は誰もなく寂しいお墓、勝てば官軍負ければ賊軍ですか。

(彰義隊の墓)



(国立西洋美術館)

(ロダン作 考える人)




(ロダン作 カレーの市民)



(JR上野駅舎 公園改札口)



本日はこれにてお仕舞にしまひょ。

次回はJR新宿駅から「あずさ9号」で松本へ向かいます。

ほんなら、これで、さいなら~♪



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小石川後楽園を訪ねて

2024-05-20 19:05:19 | 東京の街
東京ドーム球場の西隣りと言う方が分かりやすいかも。

江戸時代には水戸・徳川家の上屋敷の庭園だったそうで
現在の東京ドーム球場も水戸・徳川家の上屋敷の領域なんだって。

今回に紹介する小石川後楽園だけでも7万㎡(約2.1万坪以上)

鉄ちゃん爺やも、お隣の場外馬券売り場は何度か訪れましたが
小石川後楽園を散策するのは初めてでおます。

(小石川後楽園の入場券)(シニア割150円)



(小石川後楽園の 説明板)

水戸・徳川家初代藩主=徳川頼房が当時は中屋敷だった
小石川の屋敷内に造園を始めたのが1629年(寛永6年)
水戸黄門でお馴染みの2代目徳川光圀が後を受けて完成。

後楽園の名前を付けたのも徳川光圀で中国の「岳陽楼記」から

「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」

為政者の心得を説くものとして名付けたように記されています。

(初代水戸藩主 徳川頼房)

徳川家康公の11男で家康公61歳で最後のお子さん。

末っ子なので家康公が亡くなるまで側で育てたとの説。

名前にも清和源氏の通字である「頼」の字を与えている。

徳川3代将軍・家光公とは一つ違いの年長になります。
そんな年齢の近さから、兄弟のようなお付き合いだったとか。

「そなたの事はわけても 心安く思い 何事も相談したいと思う
 そなたの事を 兄弟同様に思っている そなたもそう心得て欲しい」

実際は叔父と甥の関係なのにこんな書状が残っているそうですわ。

2代将軍徳川秀忠公が異母弟の頼房を年齢が近いこともあって
実子・家光の相談相手として意識して仕向けたような感じ。

家光公も江戸城から船で小石川後楽園へお成りが6回を数えるらしい。

実の弟である忠長とは仲が悪く、叔父の頼房とは亡くなるまで
徳川家光は仲が良かったと記されてますんや。

(2代目水戸藩主 徳川光圀)
徳川光圀は三男で6つ年上の頼重が健在なのに家督を継ぐ?

これは当時の御三家には子供がまだ生まれてない事を憚って
京都に隠し、その後に生まれた光圀を2代藩主に命じたようです。

将軍にお目見えしないと家督を継げなかったとされています。

三男の光圀が先にお目見えしたので家督を継ぐことに成ったとか。

清和源氏の通字である「頼」の字を徳川光圀は名乗っていない。

晩年に兄の実子を水戸藩主に奉じ自分の実子頼常は逆に
高松藩主だった兄の後継者に命じる子供交換を実施している。

だが頼常は子供が生まれなくて、水戸黄門さんの血統は断絶に。

長幼の序を重んじて水戸藩の将来を託したとされています。

テレビや映画でお馴染みの水戸黄門のお話は小説の世界で
本人は西は熱海まで北は勿来までしか訪れておりません。

結局は兄の子供が水戸家を継いで幕末まで続く事になりまぁ。

(小石川後楽園の風景)



(小石川後楽園の 寝覚ノ床) 
(寝覚ノ床の 説明板)
木曽川の名勝である寝覚ノ床を模して造られているようですな。

六義園が明るい日本庭園に対して小石川後楽園は暗い感じがし
中国風を好んだ光圀の意図があちこちに感じられるんですわ。

(小石川後楽園の 大泉水)

(小石川後楽園の 九八屋)
(九八屋の 説明板)
(九八屋の内部)

(水戸偕楽園から 里帰りした梅の木)



(お隣は東京ドーム球場になります)

(小石川後楽園の 愛宕坂)
(愛宕坂の 説明板)
(小石川後楽園の 藤棚)
(円月橋の 説明板)
(円月橋)
(円月橋 水面と合わせて注目!)
この円月橋が小石川後楽園を代表する風景とみられますかな。
中国式の石橋で日本では最古のものと言われてますんや。

(小石川後楽園の 一つ松)
(一つ松の 説明板)
(5分咲きの枝垂れ桜)

(小石川後楽園 西門にて撮影)
傘を差してるご婦人方の背景ですが雨は降っておりません。

入り口の警備の方に写して頂きました。

(外堀通り 飯田橋交差点)
(JR中央・総武線  飯田駅)
(首都高速5号池袋線)
(JR中央・総武線 飯田橋駅に到着)

蛇足ながら岡山の「後楽園」は江戸時代には「御楽園」と呼ばれ
1891年(明治4年)に池田家の当主が「後楽園」と命名し
小石川後楽園にあやかって「岳陽楼記」から採用したとのこと。

今日はこれでお仕舞い、さいなら~♪

次回は上野動物園を再度訪問しパンダを撮影する事にしました。

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汽笛一声新橋を~♪  4日ぶりの晴天でした。

2024-04-21 16:26:32 | 東京の街

3月27日は久し振りの晴天で朝早くにホテルをスタートでした。

JR新橋駅で下車して汐留口に降り立ちましたんや。

(新橋駅汐留口  鉄道唱歌の碑)

大和田建樹と言う作詞者の生誕100周年と鉄道開業85周年を記念し

1957年(昭和32年)10月14日に当時の旧新橋駅に向かって設置されたと

聞いてますんや、碑の上の機関車と客車の模型がユニークでっしゃろ。

明治時代に開業した旧の新橋駅はゆりかもめの新橋駅の北東側になるとか?

(ゆりかもめ 新橋駅舎と 自撮り)

鉄ちゃん爺やが関東へ単身赴任する直前に開業した新都市交通なんですが

当時は乗る機会が無くて、今回が初めての乗車となるんですわ。

ゆりかもめの先頭に座ってデジカメの撮影でおます。

(ゆりかもめ車内から撮影)

(ゆりかもめ 汐留駅へ進入中)

同じような新都市交通は大阪市や広島市でも走ってまっけど。

昔はレールに吊り下がったりレールの上に乗っかった型式の

モノレールが多かったんですが、最近は高速道路を4つの車輪で

走る感じの、無人の新都市交通に主役が移りつつあると言えますかな。

(ゆりかもめ車中より お台場の方向を撮影)

レインボーブリッジは残念ながら視界が悪くて撮影には適しません。

晴海側をループ式で一回転しつつ上昇してからレンボーブリッジの

本体の部分を海面から約52mの高さでお台場側に渡っている感じ。

(お台場駅で 下車)

昨日までは見えなかった富士山がビルの合間から顔を見せてますよ。

コンパクトデジカメではこれぐらいが限度ですね。

(お台場 自由の女神象 & レインボーブリッジ)

東京タワーの上半分だけが見えてますのであの辺りが港区になるらしい。

レインボーブリッジの上の部分は首都高速11号お台場線と一般道路が左右に

ギザギザの下の部分を新都市交通のゆりかもめが走っているようでんな。

(フジテレビ本社 案内図)

10時オープンで特別展をやっているようで入場料が2200円か!

700円で見学できるはずが、2200円とは痛い出費ですわ。

ここまで来たんだから「はちたま」の展望台には登りたいよね。

(フジテレビ 本社ビルと 自撮り)

球体の展望台はお台場の名所となっているようで高さが約100mのはず。

360度の東京臨海地区が見渡せるとの事で恐竜博覧会も見学でおます。

昨日も国立科学博物館で恐竜を見たのに今日もお台場で恐竜を見る羽目に。

(オダイバ 恐竜展覧会 2024 入場券)

第一会場前に並ばされて10時きっちりに入場となりました。

風が強い朝で屋外で待たされるのは辛い状態でした。

(ティラノサウルスの ロボット)

ティラノサウルスが生きていた当時を彷彿するような迫力で動きます。

鳴き声が部屋中に響き渡り、幼い子供さんなど怖がってましたよ。

(エスカレーターで7Fへ)

(第一会場を下に見ながら)

(7Fに到着 ここからはエレベーターで)

(レインボウブリッジが 下に見えてきました)

(オダイバ 恐竜博覧会の パンフレット)

(福井県勝山市で出土した テェラノサウルスの大腿骨)

(卵を育てる種類の 恐竜も居たとの事)

福井県立大学にこんなユニークな学部が出来るんだって。

北陸新幹線も延伸して今年は福井市もおお賑わいかも?

(スピノサウルスの ロボット) (世界初公開!)

顔の前を人間が通り過ぎると冷たい息を吹き付けますので皆が驚きますよ。

ここは「はちたま」25Fの展望台の内部になるようです。

(ティラノサウルスの 頭部骨格)

恐竜の展覧会はこれぐらいにして25F「はちたま」の屋外展望にいきまひょ。

この日は晴天で視界が良くて富士山や房総半島まで視界が開けていました。

(25F はちたま エレベーター前にて)

(東京ゲートブリッジを遠くに望む) (全長2618mの長い橋です)

 

遠くに千葉県の工場地帯が見えますがデジカメでは殆どみえないかも?

この東京ゲートブリッジは鉄ちゃん爺やが帰阪してからの2012年

平成24年に完成したので実物を見るのは今回が初めてでおます。

恐竜が向き合っている形なので「恐竜橋」とのニックネームが付くとか。

東京都の江東区若洲と中央防波堤を繋いでいるそうです。

(お台場海浜公園を はちたま25Fから望む)

右の端に東京スカイツリーが少しだけ頭を出しているのが見えますね。

予定ではこの海辺を歩くつもりでしたが風が強く諦めました。

(レインボーブリッジを はちたま25Fから望む)

このアングルは8チャンネルでフジテレビの放映ではよく見られますかな。

レインボーブリッジの手前に見えるのが江戸時代末に造られたお台場のはず。

中央に東京タワーが少しだけ見えています、18時がはちたまの門限で

日の暮れが早い冬場にはレインボウブリッジのライトアップもあるようで

夜景を見るスポットとして若い人達には人気があるようですよ。

(自由の女神像を はちたま25Fから撮影)

(反対側の羽田や川崎方面を撮影)

(はちたまを 25Fから撮影)

(7Fで入場制限の行列)

鉄ちゃん爺やは朝一でしたので時間待ちはゼロ、AM11時を過ぎて混雑が。

平日でしたが春休み中で家族連れの見物客が多いんでしょうね。

GW明けまで開催中だから現在もこんな風景が続いているのかも?

(フジテレビ 5F? 7F?)

今でもCDやレコードの売り上げ1位を維持している名曲ですね。

新しい絵本が発表されたそうです、ギネスにも登録されたとか。

(フジテレビ1F)

(ゆりかもめで 豊洲駅へ向けて)

(南極観測船 宗谷)

昭和の時代に南極観測船として活躍した「宗谷」が保存されているはず。

戦争中は特務艦「宗谷」として南方のラバウルやブーゲンビル島まで

何度も魚雷や機銃掃射を受けるも終戦まで無事に生き延びた海軍では

珍しい艦船で戦後は同名で南極観測船として活躍し最後は巡視船として

昭和53年まで従事した後は永久保存することになったと聞いています。

(新橋駅行きの ゆりかもめと すれ違い)

(ゆりかもめ 車内を自撮り)

(有明ビックサイドを通過中) (東京国際展示会場でしたかな)

(豊洲卸売市場を通過中)

(ゆりかもめ 終点の豊洲駅に到着)

ゆりかもめの線路が終点の豊洲駅から先で左折していますね。

延伸を計画したが頓挫したと聞いてますがどうなんでしょうね?

(東京メトロ 有楽町線 豊洲駅)

長くなりますので、今回はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は靖国神社と北の丸公園を訪ねたいと思います。

ほな~ 今日はこれで。さいなら~♪

 

 

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お別れ旅行のつもりが~  パート4

2023-03-04 15:28:40 | 東京の街

10月4日まではお天気も良かったんですが

10月5日から3日連続の雨に祟られてしまい、わやですわ。

JRで上野駅まできたんやけど、行く当てもなく立ち往生でんがな。

(上野動物園 入場券)

考えたらパンダは見たことが無かったはず、 行ってみるか?

動物園なんて何年ぶりかなと雨の中を歩きだしたんですわ。

(上野動物園 入口)

雨の中で普段は行列ができる入口も閑散としてまっしゃろ。

これならパンダも楽に観られるんじゃないかと考えた次第。

観客が少ないのでパンダちゃんもお昼寝中でおます。

一回りしてもう一度だけ立ち寄ってみました。

お天気が良ければ行列で二回も見ることは不可能かも?

二回目もお尻を向けてお昼寝を続行中でおますがな。

諦めて他の動物でも撮影して置きまひょ。

(雨の中元気なのは シロクマ君のみ)

(雨は苦手なようで タイガー君)

(サル山は 雨でも賑やかですね)

(へび喰いワシ)

(カメラブレ バイソンかな?)

(上野公園の  国立西洋美術館前)

この日は特に雨が強くて動物園なんて最悪の環境でおます。

ずぶぬれになりながらJR上野駅へ退散することにしましたんや。

(JR上野駅駅舎)

(JR上野駅 駅ナカ通路にて自撮り)

(JR上野駅 下のホーム)

寂しくなりました、10本の電車しかここを発着しないとは。

鉄ちゃん爺やが現役時代には通勤電車も近郊型の高崎駅や宇都宮駅などの

電車もここが始発、ほとんどがこのホームから出発して行くんでした。

特急列車は、みちのくへとスタートする駅でもありましたかな。 

 

ああ~上野駅♪  井沢八郎

どこかに故郷の 香りを乗せて~♪

入る~列車の  なつかしさ

上野は俺いらの 心の駅だ~♪ 

くじけちゃならない 人生が

あの日 ここから始まった~♪

 

こんな歌が流行ったのは1964年(昭和39年)

東京オリンピックの頃でしたかな。

単身赴任中に2年間だけ赤羽駅から上野駅で乗り換えて京浜東北線で

秋葉原駅から再び乗り換えて千葉駅へ通勤したことがおましたんや。

上野駅へ普段は上のホーム9番線に到着するのが下の14番線に

到着することがおました、帰りには寝台特急のカシオペア・北斗星など

当時はまだ北海道なんかも汽車の旅ができる時代でしたもんで。

一度は乗ってみたいな~と、普通電車を待ちながら見送ったもんですわ。

 

朝に赤羽駅から高崎線や宇都宮線の電車に乗ると上野駅で1本先発の

京浜東北線に乗ることができましたんや、おかしな乗り換えでっしゃろ!

(閑散とした上野駅 下のホーム)

都内の駅とは思えないほど、寂れたホームを見て寂しく感じるのは

鉄ちゃん爺やだけなのかしら?

上野・東京ラインが出来てから常磐線の特急も品川駅が始発駅に

したがって、ほとんどが上のホームを使用し上野駅は通過駅みたいな感じ。

閑散としたホームが昔の賑わいを取り戻すことは、ほぼ無いのかも?

(上野駅の上のホームに 到着する特急ひたち)

(終着駅品川へ向かう 特急ひたち) (東京駅にて)

今日はこれでお仕舞い  ほな! これで、さいなら~♪

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東下り(あずまくだり)最終編 東京都内を散策

2017-12-23 20:25:08 | 東京の街
東京スカイツリーを見たくなり上野駅から地下鉄で
浅草まで足を延ばしたんですわ。

(吾妻橋からの風景)


(スカイツリーを背景に 自撮り)


東京スカイツリーが完成してからは初めてのご対面。

前回は建設中で東京タワーを上回ったとのニュース
近くまで行ったのが2010年4月だったはず。

アサヒビール本社ビルの左側に並んで見えてまんな。

(東京スカイツリー 全景)




ポケデジなんで隅田川から写さないと全景は無理かな?

近くまで行ったら高すぎて全部が入らないような感じ。

展望台に登る気はなかったので、この辺で宜しおます。

スカイツリーの写真が撮れれば十分と考えましたんや。

(吾妻橋手前 地下鉄の出入口)


浅草寺の近くなので、お寺の雰囲気でっしゃろ。

浅草寺は改築工事中だったはずなのでパスしました。

(東武・浅草駅前を走る ゴーカート)


次は前日に訪ねた東京都庁を紹介しまひょ。

JR新宿駅から連絡通路を歩いたのは25年ぶりかも?

当時はホームレスが集団で段ボール箱を地面に敷いて
異様な雰囲気だったが、流石に追い出されたようで
連絡通路も現在は面目を一新したようでんな。

(西新宿への 連絡通路にて自撮り)


(西新宿の 地下通路で ゆるキャラに遭遇)


東京都庁の展望台なら無料だったと思い出しました。

前回に登ったのは平成4年に日立さんを訪問した際に
コーヒータイムを利用、お得意さんと一緒だった記憶が。

当時から東京の新名所になってましたかな。

(東京都庁舎の全景)


画面の右側が第一庁舎で左側が第二庁舎だったはず。

完成したのが平成2年12月だったので大阪から
出張した時はまだ2年目のピカピカの頃でしたかな。

(東京都議会 議事堂を背景に自撮り)


撮影したのは9月2日でしたので都議会選挙で
都民ファーストが大躍進して小池さんが絶頂の頃。

最近は小池さんも元気がないような感じがしまっけど。

(東京都庁第一庁舎 玄関口)


(東京都庁第一庁舎 1階部分)


(東京都庁第一庁舎 1階ロビーにて自撮り)


(都庁第一庁舎1階 エレベーター前)


ここからエレベーターで45階まで55秒で登れまぁ。

確か45階の展望台は202mの高さだったはず。

無料だから中国や韓国の観光客が沢山訪れてはりまっせ。

(東京都庁第一庁舎 45階展望台から)






東京都庁舎の周りは西新宿の高層ビルが乱立してまぁ。

だから高さ202mを誇る展望台なんでっけど
視界は今一なように思いますんや。

平成4年に訪れた頃よりも高層ビルが増えたんで
鉄ちゃん爺やには昔の方が展望が良かったの記憶。

(東京都庁第一庁舎 45階展望台から)






自慢したら東京の方に怒られそうでっけど、大阪の
あべのハルカスの方が見晴らしは数段上だと思いまぁ。

まあ~ あべのハルカスは入場料金を取られまっけどな。

(東京都庁第一庁舎 45階展望台から)




(東京都庁第一庁舎 45階展望台から)


遠くに見える一番高いビルは確か六本木ヒルズのはず。

あのビルの耐震用部材を納入したのも鉄ちゃん爺やが
埼玉に単身赴任中の平成10年頃だったかな?

(東京都庁第一庁舎 45階展望台内部)


(2020年東京オリンピックのエンブレム)


(鉄ちゃん爺やの 定宿の前で自撮り)


埼玉県のJR蕨駅の近くにあるビジネスホテルでおます。

なにせ5000円台で宿泊できる鉄ちゃん爺やの定宿。

東京都内なら1泊が8000円前後はしますからね。

(東京都立川市 マンホールの蓋)


9月3日は立川市のビジネスホテルに1泊でしたんや。

本来はここからJR中央線で甲府から松本へ抜けてから
大阪へ戻る予定でしたんですが、体調が悪く断念しました。

(JR中央線 立川駅舎)


(JR立川駅北口から 大通りを撮影)


(JR立川駅北口で 自分撮り)


(立川市の 都市交通モノレール)


これに乗りたかったけど、今回は諦めて八王子へ向かいまぁ。

立川市は東京の三多摩地区では最大の町のようでんな。

今回初めて市街地を歩いて見て、都会だと感じましたんや。

(JR中央線 八王子駅駅舎)


東京都内が雪になればテレビでこの場所が放映されまぁ。

東京都内が小雪でも、ここは5cm~10cmぐらい積る
全国にテレビで雪を見せることができる名所でっしゃろな。

夏にここがテレビで放映されることは、ほぼおまへんやろ。

(JR八王子駅 南口のロータリー)


平20年にこの先で1泊した際にはここは工事中だった。

9年が過ぎたので南口も綺麗に整備が終ったようですわ。

JR八王子駅は東京都西部の交通の要衝と言えますかな。

鉄ちゃん爺やは立川市より八王子市の方が大きい町だと
最近まで勘違いしていたようでんな。

昔から馴染みの駅と街並みだということも有りまっけど。

(JR八王子駅 連絡通路で 自撮り)


(八王子市の マンホールの蓋)


(JR中央線 八王子駅名標)


(JR横浜線 八王子駅にて撮影)




鉄ちゃん爺やは都内から信州へ回る旅が昔から好きで
八王子市はその中継点でよく1泊したもんなんですわ。

今回は体調が悪く残念ながら横浜駅から熱海駅へ抜けまぁ。

JR横浜線で取りあえずは横浜駅に向かいましたんや。

(横浜市 マンホールの蓋)


(JR横浜駅 ルミネ)


(JR横浜駅 北口ロータリー前)


(JR横浜駅舎 北口)


JR横浜駅って何回も来てまっけど、何時も工事中でんな。

大都市なのに、こんんな駅も珍しいかもしれまへんで。

元気ならもっとデジカメ散歩したかったが帰りを急ぎます。

(JR横浜駅 駅ナカのオブジェ)






それにしても、来るたんびに横浜駅の周辺は変化してまんな。

大阪市を追い抜いて日本第2位の大都会ですからね。

(JR横浜駅 連絡通路)




(JR東海道本線 横浜駅名標)


(JR東海道本線 快速電車)


(JR東海道本線 熱海駅舎)


普通なら普通電車を乗り継いで大阪駅まで向かうんですが
この日は、静岡駅から新幹線に乗ることにしましたんや。

(JR東海道新幹線 静岡駅名標)


(JR静岡駅 南口のロータリー)


(JR東海道新幹線 ひかり473号)


(JR東海道新幹線 特急券)


のぞみ号には新大阪駅から東京駅間を何度も乗りました
でも、ひかり号に乗ったのは30年ぶりかもしれまへん?

そんな訳で、新幹線で新大阪駅から在来線に乗り継ぎ
自宅に戻ったのが、夕方の17時48分でした。

鉄ちゃん爺やの「東下り」(あずまくだり)は結局
10泊11日の9月4日にて終了となりました。

9月から長々とブログに書き込みましたがこれで
「東下り」の旅日記は、お仕舞いとさせて頂きます。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵
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東下り(あずまくだり)9日目 上野周辺を散歩~♪

2017-12-05 21:06:12 | 東京の街
9日目は久しぶりでっけどJR上野駅に下車しまひょ。

JR上野駅は当時とは様変わりをしてまっけど。

お化粧直しをした上野駅舎だけはそのままでんな。

(JR上野駅舎) (昭和7年完成)


  あゝ 上野駅 ♪    井沢八郎 唄

どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ

上野は 俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が

あの日 ここから始まった ♫

昭和39年(1964年)のヒット曲


飲み友達のK君が マイクを持つと必ず歌った名曲。

彼は~ 越後の新潟から夜行列車で上京したんだって。

(常磐線 特急ひたち E657系)(上野駅16番ホーム)




平成10年代前半のJR上野駅のお話でっけど。

鉄ちゃん爺やが単身赴任中は、色んな特急列車や
ブルートレインがまだ発着してましたんや。

寝台特急の「カシオペア」が千葉から戻る際に
上野駅を発車して行く姿などは絵になりましたで。

その「カシオペア」も昨年で引退したそうですわ。

そんな訳で、現在は常磐線の「ひたち」と「ときわ」

高崎線・上越線の「草津」と「あかぎ」のみでっかな?

上野駅から出発する長距離列車は全て無くなった感じ。

(常磐線 快速電車 E531系)




東北・上越新幹線が走るまでは、ここ上野駅が東北地方や
北陸・新潟方面からの終着駅であり出発駅でしたんや。

井沢八郎さんの「あゝ 上野駅」が鉄ちゃん爺やと同じ
年代の方には、大きな支えと励ましになったそうですわ。

鉄ちゃん爺やは関西なので上野駅を天王寺駅に替え歌にし
歌いまっけど、やはり雰囲気は上野駅でないと合いまへん。

上野駅は地上を「低いホーム」と呼び高架のホームを
「高いホーム」と上野駅に到着する、高崎線や宇都宮線の
普通電車や快速電車では、到着前の車内放送がおました。

当時はここが山手線や京浜東北線を除く全ての電車が
JR上野駅が終点になってましたんや。

(JR高崎線の 快速電車)


鉄ちゃん爺やも当時は赤羽駅から上野駅まで乗車したら
一列車前を走る京浜東北線に乗り換えが出来ましたんや。

「高いホーム」に到着するのがミソでしたけど(笑い)

「低いホーム」に到着したら最悪の状態になりまぁ。

(JR京浜東北線の 普通電車)


京浜東北の普通電車に飛び乗って秋葉原駅で乗り換え
次いで錦糸町駅で千葉行きの快速電車に乗り継ぎでした。

30秒も遅れたら千葉駅到着が30分の遅れになりまぁ。

別に遅刻しても文句を言われることおまへんでしたけど。

昨年から高崎線や宇都宮線の電車は半分ぐらいでっかな?

東京・上野ラインと呼ばれるようになり上野駅を通過して
東京駅から先の小田原駅や熱海駅まで直行してまんねん。

便利ではおますけど、上野駅が通過駅になってますんや。

(JR上野駅 駅ナカの風景)


(JR上野駅 駅ナカで自撮り)


この駅ナカが出来た直後に戸田市から千葉市に住居を移転し
その1年後には、鉄ちゃん爺やは大阪へ戻りましたかな。

だから駅ナカをゆっくり散策するのは今回が初めて。

それでは上野公園でも歩くことにしまひょかな。

(JR上野駅前 パンダの置物)


(JR上野駅 パンダ橋口)


(JR上野駅 パンダ橋から浅草方向を撮影)


この辺りから東京スカイツリーも遠くに見えまっせ。

少し遠いので手前のビルが邪魔をしてまんな。

(JR上野駅から 東京スカイツリーを望む)


(パンダ橋 石碑)


こんなパンダ橋なんて陸橋が15年前に有ったかしら?

ここ記憶がないのか、それとも歩かなかったのかは不明。

(パンダ橋から アメ横方向を望む)


この坂道は昔から在ったので記憶にも残ってまっけど。

上野公園を歩くのは15年ぶりになりまっしゃろな。

(JR上野駅 公園口駅舎)


(東京文化会館)




(国立 西洋美術館)




有名な絵画のようだけど、鉄ちゃん爺やには無理かな。

「猫に小判」だ、と言われそうだからパスしまっさ。

(深海 開催ポスター 国立・科学博物館)


こちらは興味があるんだけど、入場料が1600円だって!

それに行列ができてるので諦めて先へ進みまひょ。

(上野動物園 入場門を望む)


パンダの赤ちゃんが生まれたんだね、お目見えは確か
12月中旬だったかな、子供連れの入場者が多いようだね。

そうそう~ この日は夏休み最後の日曜日だったんだ。

(国立 東京博物館を望む)


ここは、展示品の交代で本日は休館日のようだね。

おや、こんな大道芸の方がおられまっせ。

(大道芸を披露する 男性)




水と刷毛のみで路面にアートを描いてるようですわ。

芸術の才能が有るんだろうね、わかりやすくて見事!

(上野恩賜公園 案内図)


(上野公園 オリエンタル系の催し会場) 










久しぶりに上野の東照宮に向かうことにしまひょ。

ここは20年ぐらい前に一度だけ訪れて以来かも。

(上野 東照宮)




(上野 東照宮の山門)


昔は寛永寺の管轄だったから門もお寺の趣だね。

江戸時代は、この辺り庶民は近づけなかったのかも。

(東照宮に奉納された 燈籠)


(上野公園 五重塔)


元は寛永寺の管轄だったけど、明治初期の廃仏毀釈で
取り壊しを逃れて、東照宮の横に残ったようだね。

そうそう JR上野駅の敷地も江戸時代には寛永寺の
塔頭が所有していたんだと聞いたように思う。

だから現在の寛永寺はこじんまりした本堂のみで
江戸時代の栄華を知る人もいなくなったようだね。

(上野 東照宮の本殿)






(上野 東照宮 本殿前で自撮り)




(上野公園の 桜並木)



(上野公園内 お化け燈籠)




(上野公園 不忍の池)






この時期は蓮の葉っぱが茂ってるので池が見えまへんわ。

秋になると葉っぱを刈り取って池が蘇るそうだとの話。

名所の不忍池だけど、これは訪れて失敗だったかも。

(不忍池を背景に 自撮り)


(不忍池の 側にある弁財天)




(上野公園の 桜並木)




それでは西郷隆盛さんの銅像でも写すことにしまひょ。

上野公園の入り口近くにある有名な銅像ですよね。

(上野公園 西郷隆盛さんの銅像)




この銅像を見て西郷隆盛の奥さんは似ていないと言ったとか。

でも西郷隆盛さんはこのスタイルで知られてますよね。

実際の写真が残ってないそうで、お姿は永久に不明ですわ。

(上野公園 彰義隊の供養塔)




来年の2018年は明治維新で彰義隊が上野のお山で
官軍と戦った150周年になるそうでんな。

来年のNHK大河ドラマも西郷隆盛さんでしたかな。




長くなりますので、本日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は東京スカイツリーと東京都庁を紹介しまっせ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵



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東下り(あずまくだり)8日目 板橋宿を散策

2017-11-26 16:20:11 | 東京の街
まずはJR板橋駅前から昔の中山道を逆戻りしまひょ。

実はこの道が昔の中山道だと知ったのは大阪へ戻ったのち。

当時は中山道の知識も薄く、興味がなかったのかもしれまへん。

(東京都の マンホールの蓋)


(旧の中山道とJR埼京線の踏切)


来年は明治維新から150周年になるそうでんな。

JR板橋駅の東口を出た処に名所がおますんや。

幕末の歴史を一瞬だったが輝かせた「新選組」の隊長
近藤勇のお墓が、ここにおますんや。

(新選組隊長 近藤勇の墓所)


(近藤勇・土方歳三の 供養塔)


1868年(明治元年)4月25日に近藤勇が処刑され
ここは、その刑場の跡だと書物に記されてますかな。

頭部は京都に送られ「さらし首」に処されたが、胴体は
処刑後ここに埋められたと言われてるようでんな。

刑場の後に、新選組の生き残り永倉新八が明治9年頃に
当時の東京府知事の許可をもらって墓所にしたとの説。

彼は松前藩に復帰したので罪人にならなかったのかも?

(新選組顛末記 永倉新八 著作)(当時の定価1200円)


この方は新選組創立の13人の中で明治時代を生き残り
大正4年亡くなるまで生存した唯一の幹部の一人だそうな。

彼の記録を長男が世に伝え新選組の活躍が知られることに
なったのが「新選組顛末記」だと言われてますんや。

鉄ちゃん爺やが昭和52年に購入した単行本でおます。

新選組の史実を探るには貴重な手記だと考えられてまぁ。

(近藤勇の 銅像)


(近藤勇と新選組隊士の供養塔 説明書き)


確か処刑された時には39歳だったとのこと。

鉄ちゃん爺や、もっと歳とった初老の人だと考えてましたわ。

同じく最後まで徳川幕府の為に会津・函館まで戦い続けた
副隊長の土方歳三も亡くなったのが39歳だったとか。

(新選組隊士 戦死者・死没者の碑)


永倉新八が記録を残した戦死者60名が右側に、左側には
病死または刑死した64名の氏名が刻まれているんだって。

後に永倉新八の墓に戦没者の氏名を刻んで追善したようでんな。

若い歴女たちの新選組ブームを苦笑いされてるかもしれまへんで。

晩年は北海道の小樽でひっそりと暮らされたとか。

それでは旧の中山道に戻りしばらく歩くことにしまひょ。

(旧の中山道 現在の風景)


ここから先は単身赴任中に何度も歩いた道になりますんや。

記憶に残るお店や喫茶店など眺めながら西へ向かってまっせ。

(現在は 蕎麦屋さん)


ここ当時は「蛇の紋寿司」というお寿司屋さんが在った?

仕事が終わった後、接待したり逆に奢られたりだったかな。

江戸前の、にぎり寿司が美味しかった記憶が今も残ってまぁ。

(板橋の 金勝ビル)


(板橋の 金勝ビルを背景に 自撮り)


ここには日立さんの孫会社になる販売会社がおました。

首都圏の4県を統括する販売会社の本社でしたかな。

現在は日立のグループから外れてしまったようですけど。

(板橋  浄土宗・東光寺)




ここには関ヶ原の戦いで奮戦するも、敗れた後に薩摩に逃れ
最後は八丈島に流された、宇喜多秀家の供養塔がおますんや。

明治になってから東京に戻った子孫の方が建立したとのこと。

実は鉄ちゃん爺やの実家は、この方の分家筋に当たるとの説。

本家は「宇喜多家」を名乗り、分家は「浮田」を名乗ってます。

徳川家に憚って、「浮田」と名字を変えたとの説もおますけど。

末裔の一人として久しぶりに手を合わせて、南無阿弥陀仏!

(宇喜多秀家の供養塔)


宇喜多秀家は1万8千人の軍勢で西軍の中では石田三成と共に
半日間は東軍を撃退するぐらいの奮戦をしたと言われてますんや。

島流しになるも関ヶ原に出陣した誰よりも長く生きながらえて
明暦元年に亡くなった時には、徳川家は4代将軍の家綱公の時代。

当時としては珍しく84歳までの長命であったそうですわ。

奥方の実家である加賀の前田家から密かな仕送りが有ったとのこと。

蛇足になりますが大坂夏の陣で千姫を救い出したと言われる
坂崎出羽守も袂を分けるまでは宇喜多左京亮と名乗る方ですね。

宇喜多秀家の叔父さんに当たる一族だったそうですわ。

(板橋 日本橋から10kmの 距離標識)


(板橋 仲宿の通り)


ここで中山道は国道17号線をクロスして北側に抜けてますんや。

この先に同じく日立さんの住宅関連の事業本部がおました。

ここと、先ほどの孫会社の2軒を、鉄ちゃん爺が受け持って
茨城県の工場とトライアングル方式で動いてましたんや。

(板橋センタービル)


(板橋センタービル エレベーター前)


テナントは変わってしまいましたがエレベーターのフロア付近は
15年前と少しも変わってないので、懐かしくて眺めてましたで。

日立グルーから外れた際に、茨城の工場へ撤収したと聞いてまぁ。

それでは中山道の仲宿を歩いてみまひょかな。

(中山道 板橋宿 本陣跡の碑)






本陣跡は不動産会社を経営する昔からの飯田家。

当時の本陣と名主を司った、ご子孫だとのこと。

(旧中山道・仲宿)




板橋宿は江戸の日本橋からスタートして初めての宿場町。

逆にお江戸に入る際には最後の宿場となりまんねん。

江戸から平尾・仲宿・上宿と三つに分かれていたとか。

地元ブログ友の先輩から、そのようなご教授でした。

(板橋に 日本橋からの距離標)


(板橋の欄干から 石神井川を撮影)


(赤い欄干の 板橋)




(板橋の欄干を背に 自撮り)


ブログ友の先輩の話では、昔は板の橋だったそうで
現在の板橋区の名前の由来にもなった有名な橋だとか。

仲宿はここでお仕舞で板橋を渡ると上宿になるそうです。

石神井川の右岸は遊歩道の公園になってますわ。

(石神井川緑道の碑)


(石神井川緑道で 自撮り)


板橋宿は残念ながら江戸時代の面影は殆どおまへん。

やはり戦争中の空襲の影響なのかしら?

ここから引き返して地下鉄の三田線の駅へ戻りまひょ。



(国道17号線 道路標識)


(板橋区役所前の 銅像)


長崎の原爆の像を作成した方と同じ作者だそうです。

長崎のは座像で、こちらは立像ですがよく似てまんな。

ここから地下鉄に潜り込みましたんや。

夕方から強い雨との予報なので次へ急いだんですわ。

都営地下鉄の御成門で下車し地上に上がると怪しいお天気。

(東京タワーを 遠くに望む)


地図を見ないで何となくこの辺りと下車したんですわ。

浜離宮庭園を是非とも見たいと考えてのことでした。

途中で昔の得意先だった片岡物産のビルを発見。

(片岡物産ビルを背景に 自撮り)


鉄ちゃん爺やが、まだ30歳代の頃の大得意先の会社。

当時は虎ノ門の森ビルに賃貸で入居してたんですわ。

トワイニング紅茶で有名になり自社ビルを持つような
一流企業に出世したようでんな、ご立派です!

もう私の知っている人は誰も居ないと考えますけど。

(浜離宮恩賜庭園の 案内標識)


(浜離宮庭園 入園料の立て札)




(浜離宮恩賜庭園 入園券) (65歳以上 150円)


東京都立の庭園はどこも65歳以上は割り引いてもらえまぁ。

大阪府は残念ながらこんな優遇策がおまへんのですわ。

入園したとたんに雨が降り出してきましたがな。

(浜離宮公園にて)




(浜離宮庭園  潮入の池 説明版)


(浜離宮庭園 潮入の池)


(浜離宮庭園 お手伝い橋 説明版)


(浜離宮庭園 お手伝い橋)




(浜離宮公園 中島の御茶屋 説明版)


(浜離宮庭園 中島の御茶屋)


ここでデジカメの電池が切れてしまいました。

しかも雨が強く降り出してきて踏んだり蹴ったりでんがな。

スマートフォンを取り出して撮影を続行ですわ。



(浜離宮庭園を スマートフォンで撮影)








スマートフォンの画像を取り込んだのは今回が初めて~

少しだけ画像が小さくなりましたが、画質は問題ないのかも。

逆にデジカメよりもはっきりと写っているのかも?









(旧 浜離宮庭園 三百年の松)


(旧 浜離宮庭園 三百年の松 説明書き)


(旧 浜離宮公園 三百年の松)




(旧 浜離宮庭園 説明書き)


(旧 浜離宮庭園 正門)






(銀座8丁目付近)


銀座9丁目は水の上~🎵 

誰かがこんな歌詞で歌ってたはず。

銀座は1丁目から~8丁目までしか今もおまへんな。

でも銀座9丁目になる辺りは海じゃおまへんけど。

(JR新橋駅前の SL展示場)


(JR新橋駅舎)


夕立がなければ銀座8丁目から銀座1丁目までを
歩いて見たかったんですが、今回は諦めました。

とにかくJR新橋駅へ走りこみ8日目は終了でおます。

次回は上野公園から浅草辺りを紹介しまひょ。

ほんなら~ これで今日はさいなら~🎵
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東下り(あずまくだり)8日目 戸田市から東京の板橋区へ

2017-11-19 19:31:08 | 東京の街
8日目は午前中に元の会社を訪問して
昔の部下だったN君と面談しましたんや。

(JR埼京線の 電車)


画像で紹介するのは憚りますので、当時私が
発注した看板が今も健在なのでその画像だけ。

二つ発注して25万円ぐらいの出費だったかな。

戸田市に置いてあったのを鉄ちゃん爺やが大阪へ
戻る1年前に、ここへ移動した看板なんでっせ。

一つは事務所の壁に、画像のはトラックの
車庫の角に、ポールもそのままで懐かしい再会。

(会社の看板を背景に 自撮り)


現在はさいたま市南区に事務所がおますんや。

駐車場の横で珍しい当時の「浦和市」らしき
マンホールの蓋を発見しましたで。

2001年4月に浦和市と大宮市と与野市が
合併して新しく、さいたま市になったんですわ。

(旧浦和市の マンホールの蓋)


(さいたま市の マンホールの蓋)


何で16年近くも経ってるのに、こんな古い
マンホールの蓋が今も残ってるのか不思議ですわ?

両方共に市の花である「桜草」が描かれてまっせ。

(元の事務所前で 自撮り)


左に見えるのがJR埼京線でこの高架の向こう側は
埼玉県戸田市で、こちら側は「さいたま市」になりまぁ。

鉄ちゃん爺やの背中の遠くに見えるビル群は
JR武蔵浦和駅前にある高層ビルになりますんや。

懐かしい風景を見ながらJR北戸田駅へ向かいまひょ。

(東京外環道路とJR埼京線の交差地点)




JR埼京線は東京外環道をオーバーブリッジする関係で
この辺りが一番高い所を通過するることになりまんな。

この辺りは戸田市と「さいたま市」がS字型にクロスし
地元民でないと境界が分からないようになつてまぁ。

JR埼京線の向こう側は戸田市ですがこちら側に越境して
撮影した歩道橋の下からが「さいたま市」のようでした。

(JR埼京線 北戸田駅舎)


(JR埼京線 北戸田駅前の風景)



後輩のN君から、こんな情報を貰いましたんや。

「黒さんが 住まわれてた家が 残ってますよ!」

2日後に訪れたんですが、こちらを先に紹介しまひょ。

まずは荒川の堤防からお見せしまひょかな。

(国道17号線 大宮バイパス 20kmボスト)


荒川の堤防を戸田市側に超えた処におましたんや。

当時の鉄ちゃん爺やが住む家から約300mぐらい。

(荒川の堤防から 東京の板橋区方向を撮影)


この辺りは荒川が埼玉県と東京都の境になってます。

休みの日には、鉄ちゃん爺やの散歩コースでしたんや。

(荒川の幸魂大橋を 遠くに望み撮影)


橋の左側は埼玉県の和光市になりますんや。

東京外環道路が荒川を通過する橋なんでっせ。

幸魂大橋(さきたまおおはし)と呼びまんねん。

(戸田市側から 東京都側を撮影)


こんな写し方をしたら小さい川に見えてしまいまんな。

JRの車中より荒川の全体を写して見たらこんな感じ。

(JR埼京線の車中から 荒川を撮影)




この画像なら立派な一級河川に見えまっしゃろ。

遠くに見えるビル群は埼玉の川口駅付近の高層ビル。

鉄ちゃん爺やが住んでいた頃は三つか四つだったはず
随分と高層ビルが増えたもんだと、感心した次第。

(荒川の 遊水地の水門)


この大きい方の水門は東北新幹線やJR埼京線が
北戸田駅付近を通過する際に遠くに見えてますんや。

でもよほど関心を持って見ないと判別はできまへんけど。

(荒川の堤防で 自撮り)




鉄ちゃん爺やが平成8年から平成13年まで
単身赴任中に住んでいた住宅が残ってました。

約6年間を過ごした懐かしい建物なんですわ。

この2階部分が鉄ちゃん爺やの住み家でした。

現在は無人で放置されているのかもしれまへん。

(鉄ちゃん爺やの 住んでいた家)


この建物は鉄ちゃん爺やが単身赴任して物流会社を
立ち上げる際に、賃貸した仮眠室なんですけど。

運送事業の認可を受けるにはトラックの車庫の
半径500m以内に仮眠室が必要なんですわ。

実際は名前だけで仮眠室を必要とするような
事業は無くて、鉄ちゃん爺やが住むだけの
仮事務所として登記されていた建物でっせ。

だから光熱費や家賃は大阪の本社が負担して
鉄ちゃん爺やは気楽に過ごしたという訳でんな。

(桜の名所だった 聖橋の通り)




毎年4月には見事な桜が満開の並木道でしたな。

少しだけ排気ガスで桜の木が痛んでいるのが心配。

(ご当地の 氏神さん 笹目神社)






この神社の前を通って毎朝に通勤してましたんや。

さすがに笹目神社はちっとも変わってまへんでした。

(蕎麦屋さん さがみ戸田店)


着任当時によく利用した蕎麦屋さんも健在でした。

外観は20年が過ぎてますが殆ど変わりがない感じ。

それでは再びJR埼京線へ戻りまひょかな。

(JR埼京線 浮間舟渡駅舎)




実はこの浮間舟渡駅には一度も下車してまへんでした。

風車の見える公園があることはJR埼京線からは時々
見てましたんで、気にはなっていたんですわ。

今回は途中下車をすることにしましたんや。

(東京都立 浮間公園)




画像の左手に見える風車が印象的でしたんや。

この池は新河岸川を改修する際に残った川の一部で
現在は都立の浮間公園として親しまれているんだって。

(東京都立 浮間公園)






(東京・都板橋区と北区の  境界標識)


JR浮間舟渡駅は東京都の板橋区の舟渡という地名に
同じく北区である浮間の地名が、この駅で境界になる
それで、JR浮間舟渡という折衷案の駅名にしたんだとか。

JRさんでは、こんな駅名が各地で時々ですが見られまぁ。

それでは次の目的地であるJR板橋駅に向かいまひょ。

(JR埼京線 板橋駅舎と 自撮り)


(JR埼京線 板橋駅舎)


(むすびのけやき 提灯)


(JR板橋駅前の 大けやき)


こんな提灯は当時には置かれて無かったような記憶。

次回は鉄ちゃん爺やが、仕事で良く往復した板橋の
辺りを久しぶりに歩きましたので画像で紹介しまひょ。

長くなりますので、今日はこれで、さいなら~🎵

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東下り(あずまくだり)6日目 東京都内を散策

2017-11-05 15:38:42 | 東京の街
この日も朝からの雨でデジカメ撮影には
適さないが東京駅まで出かけましたんや。

(JR東京駅 駅名標)


現役の時に少しだけ関連した丸ビルや新丸ビルを
画像に撮って残したかったんですわ。

鉄ちゃん爺やが大阪へ戻る直前に丸ビルは完成し
新丸ビルは工事がまだ真最中だったように記憶。

(JR東京駅のホームから 丸ビル & 新丸ビル)


画像の左側が丸ビルで右側が新丸ビルでっせ。

ドーム天井が半分だけ見えてますのは
丸の内駅舎の南ドームのようでんな。

それと5年前に改修が終わったJR東京駅の
丸の内駅舎にも興味がおましたんや。

(JR東京駅 丸の内駅舎 北ドーム部分)


(JR東京駅 丸の内駅舎 中央部分)


(JR東京駅 丸の内駅舎 南ドーム部分)


2012年(平成24年)に改修が終わって
新しいJR東京駅の顔になったそうでんな。

駅前の広場が工事中でイメージ的に違和感がある。

それに雨が強くて路上からの撮影もできない状態。

2階建てだった駅舎が昔の3階建てになったとか。

(JR東京駅 丸の内駅舎) (北ドーム外側)


設計者の辰野金吾さんは大の相撲フアンだったそうな。

だから関取の髷である大銀杏をイメージにしたとも。

1914年(大正3年)に完成したと聞いてまぁ。

1945年(昭和20年)の空襲で大きく破損し
2階建てにして最近まで使用されていたとか。

(JR東京駅 丸の内駅舎) (北ドームの内側)




(JR東京駅 丸の内駅舎 北ドーム附近)


(JR東京駅 丸の内駅舎 中央部分)


重要文化財に指定された赤レンガの重厚な駅舎は
辰野金吾が設計した昔の姿に戻ったとのこと。

手前の工事現場の柵がデジカメ撮影に邪魔でした。

(雨に煙る 丸ビルの全景)


このビルを建設中に毎週1~2回は耐震補強用の
部材を早朝の6時前に現場へ納めてましたんや。

ドライバーが寝過ごしてないかと、午前4時頃に
鉄ちゃん爺やが宿舎から近くの車庫へ確認でした。

もしも寝過ごしてたら自分が運転することになりまぁ。

(こちらは新丸ビルの全景)


こちらは鉄ちゃん爺やが大阪へ戻ってから完成。

だから全景を観たのは今回が初めてなんですわ。

一寸だけ内部を拝見させてもらいまひょ。

(新丸ビルの 内部)






セキュリテーカードを持ってないと2階以上へ
無断では入れないようになつてるようでした。

東京駅の八重洲地下街も新しく改装されたとのこと。

ついでに昼食も兼ねて歩いてみることにしまひょ。

(JR東京駅 地下通路の 黒塀横丁)






全体が黒っぽい内装で目立つ飲食店街のようでんな。

鉄ちゃん爺やが東京駅を訪れるのは10年ぶりかも。

当時は確か丸の内と八重洲を結ぶ通路だけだったはず。

(フジテレビさんの アンテナSHOP)


テレビ会社や各企業のアンテナSHOPが並んでて
東京キャラクターストリートと呼ぶんだって。

東京一番街とも呼んでた八重洲の地下街でんな。

(NHKさんの アンテナSHOP)


(SNOOPY TOWN)


(テレアサ ショップ)


(東京キャラクターストリート)


ゆるきゃら・アニメ・テレビ局のグッツなど約30社が
ここに集まっていて、東京の新名所になっているんだとか。

(八重洲地下街の 中央通路附近)




10年前とはテナントも入れ替わってしまい、当時の
馴染だった喫茶店や居酒屋さんもなくなってました。

(ドコモショップ 八重洲店)


ここで携帯電話の電池切れ、充電のお願いに入店でした。

昼食をしながら約1時間ほど充電をしてもらいました。

続いてデジカメも電池切れとなりこの日の散策は中止!



翌日の訪問地に成りますが原宿と渋谷を紹介しまひょ。

(JR山手線 原宿駅舎)


JR原宿駅舎が建て替えられると聞いたので、今回は
ユニーな山小屋風の駅舎を撮影に出かけましたんや。

(陸橋から 表参道の方向を撮影)


(神宮橋で 歩行者の風景を撮影)


明治神宮は一之宮ではないのでパスして渋谷の方へ
ぶらぶらと歩くことにしまひょかな。

ご朱印帳をこの日は持って出なかったこともあって
明治神宮へは、お詣りをさせてもらいまへんでした。

(原宿駅の近く 神宮橋の道路標識)


ここから歩いて渋谷の駅前までは約20分ぐらいかな。

テレビで良く見かけるスクランブル交差点を歩いて
見ようと考えたんですわ、記憶では渡ったことはなし?

忠犬ハチ公だけ撮影して、電車に乗ったような記憶。

(国立 代々木競技場でしたよね)


遠くに見ながら坂道を下って行きましたんや。

途中でロードバイクの販売店を発見。

(ロードバイクの 陳列)


こんなに高いんだ! 鉄ちゃん爺やには無縁かな。

輸入物が多く並べられていたことが関係するのかも。

(横文字のハイカラなお店)


鉄ちゃん爺やには、とてもじゃないが似合いそうもない街。

でも渋谷の雰囲気だけでも味わってみようかな。

(渋谷 MODIビル)


(渋谷 スクランブル交差点)




(渋谷 スクランブル交差点で 自撮り)




完全にお上りさんのスタイルになってまんな。

この日は平日だけど、若者の街の雰囲気はおまっせ。

(渋谷駅前 広場)


(渋谷駅前 忠犬ハチ公の像)


(忠犬ハチ公を背に 自撮り)




忠犬ハチ公を見たのは確か単身赴任中だったはず。

もう20年近くなるけど当然ながら同じ姿でおます。

(JR山手線 渋谷~原宿間にて)


(JR山手線 運転台を撮影)


(特急スパーあずさ 新宿駅にて)


本日はこれにて終了としまっせ。

次回は小江戸で有名な川越市など紹介しまひょ。

ほんなら~ これで、さいなら~🎵
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