ほな~ 旅籠 玉屋さんを見学しまひょかな。
昔の旅籠を修復して江戸時代の姿を再現している関宿の歴史資料館でっせ。
(入場券 300円) (旅籠玉屋 歴史資料館 & 関まちなみ資料館)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
関まちなみ資料館と共通の入館料のようでんな、まずは歴史資料館から入りまひょ。
前回にお話しました「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」
その関を代表した旅籠の「玉屋」さんでっせ。
入館券の浮世絵はその「玉屋」さんを描いた歌川広重の作品ですよ。
(旅籠の帳場を再現)
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リアルな人形の番頭さんがお出迎えでんな。
旅籠は江戸時代には公務ではない旅行の武士や庶民が泊まれる宿でっけど
料理などを出すのは高級な旅館だったそうですわ。
普通は木賃宿という旅籠で自炊しながら旅を続ける庶民の方が多かったとか。
(旅籠 玉屋の部屋)
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こんな部屋が1階と2階に大小合わせて15部屋ぐらい連なっていたようでんな。
襖1枚でお隣の部屋だから色々とトラブル事もおましたんやろね。
(旅籠 玉屋の中庭から部屋を撮影)
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(江戸時代の 食器が陳列されてま)
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旅の途中でこんな宴会ができるのは当時では大店の亭主や役人クラスでっしゃろな。
弥次さんさん喜多さんではこんな豪華な旅行はできなかったんと違いまっか。
(六曲屏風 東海道名所図界)
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右下がお江戸の日本橋で神奈川を通って駿河の沼津までで一曲になってまんな。
ご存知だと思いまっけど6枚で一つの屏風に作り上げているので六曲屏風でっせ。
(六曲屏風 東海道名所図界)
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右下が宮の渡しで名古屋の熱田から海を渡って5枚目の折り目の処が関宿。
6枚目が琵琶湖から京都の御所を描いてるでしゃろな。
(江戸時代に造られた 旅籠・玉屋の土蔵)
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歌川広重の浮世絵が飾られてまんねんけど残念ながら撮影禁止ですわ。
(旅籠 玉屋さんの台所)
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関西では京ことばで「おくどうさん」と呼んでましたけど関東では
なんと呼んでましたんでっしゃろ。
大阪では「へっついさん」と言いましたけど、竈(かまど)の事ですわな。
(旅籠 玉屋で使われた 徳利や半切り)
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半切りって言葉はご存知でっしゃろかしら、「半桶」「盤切り」とも言いまんな。
旅館などで料理を部屋へ運ぶ時の道具で餅箱の兄弟分のような道具だっせ。
旅籠・玉屋はこれぐらいにして「関まちなみ資料館」の方へ行きまひょか。
(関まちなみ資料館)
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ここは元は別所さんという方の町屋を1985年(昭和60年)に当時の関町が
買い取ってから解体修理をして一般公開してるそうですわ。
江戸時代・幕末に14代将軍・徳川家茂公が京都へ上洛された時に
「宿内軒別書上帳」ちゅう文書が関宿で作成されて今も残ってるそうだっせ。
そこに「別所屋勝次郎」の名前で「間口四間・畳数二十八畳・二階畳数十一畳」と
書かれているそうで、現在の建物とピッタリと一致するそうですわ。
ここの主人は宿場役人でも司っていたような町の有力者だったんでしょうな。
(箱階段と呼ぶそうです)
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側面は戸棚になってるような感じでんな。
ちょっと階段を登ってみまひょ。
(箱階段から1階を見下ろす)
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(銭箱だそうです)
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やはり庶民じゃこんな銭箱は必要が無いですわな、やはり町の名士だったんだね。
(長火鉢と言いましたかな)
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懐かしいでんな、長火鉢って時代劇に良く出てくる小道具とちがいましたかな。
受付に置いてあったイラストの案内図を貰ってまた関宿を歩きまひょ。
(イラスト入の 関宿 案内図)
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(関宿の通りで撮影)
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(関の地蔵院) (重要文化財に指定)
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「関の地蔵に振袖着せて 奈良の大仏婿に取ろ」と地元では唄われたとか。
スケールの大きな俗曲でっけどそれぐらい伊勢では有名なお寺ちゅうことでんな。
一休禅師も立ち寄ったと言われる天平時代創建の古いお寺だそうですわ。
建物自体は江戸時代に再建されたようですけど。
(白玉屋 説明版)
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(白玉屋の店舗)
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二階の格子戸と手すりに江戸時代の風情をかんじる和菓子屋さんですな。
表のソフトクリームの看板が一寸だけ邪魔な感じがするのは私だけかしら。
(関宿の通りから鈴鹿峠方向を撮影)
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関宿の散策も西の追分が近づいてきたようで鈴鹿の山が大きく見えてきましたな。
(元 旅籠・会津屋) (現在は食堂)
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現在は食堂になってるようでんな、山菜のおこわでも食べようと覗いてみたんでっけど
30分ぐらい掛かるとかでJRの時間が間に合わないのでパスしましたんや。
(会津屋の 説明版)
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「関の小万の物語」は次回に載せますけど鈴鹿の馬子唄にも出てくる
有名な親の仇討ちをここの旅籠で女中をしながら本懐をとげたようですわ。
(西の追分) (江戸時代の道標)
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「ひだりハ いがやまと」と彫られていますね。
ここは東海道五十三次と伊賀奈良街道との分岐点になってるんだそうな。
(東海道五十三次 鈴鹿峠へ向かう旧道)
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(伊賀奈良街道への分岐点)
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真っ直ぐ進むと鈴鹿峠を越えて近江の国から京都へ行く道になりまんねんで。
左へ曲がって国道1号線を横切って伊賀奈良街道がスタートしますんや。
伊賀奈良街道は加太越え(かぶとごえ)と呼ばれる難所を越えて行くと
伊賀上野から奈良市内へ街道が続いているそうですわ。
東の追分が伊勢神宮の鳥居が在るのに比べて西の追分は地味に感じまんな。
(関宿の 観光案内図)
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(歌川広重作 東海道五十三次 関の早立ち)
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この浮世絵を見られたことが有るかもしれまへんな。
これは関宿の本陣から大名が朝早く出発するのを描いた有名な場面ですわ。
歌川広重は安藤広重とも呼ばれた江戸時代の有名な浮世絵師でしたね。
本日はこれにて終了とさせてもらいまひょ。
次回は「関の小万の物語」と「鈴鹿馬子唄」を紹介させてもらいまっさ。
ほな~ これでご免なはれ さいなら~
昔の旅籠を修復して江戸時代の姿を再現している関宿の歴史資料館でっせ。
(入場券 300円) (旅籠玉屋 歴史資料館 & 関まちなみ資料館)
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関まちなみ資料館と共通の入館料のようでんな、まずは歴史資料館から入りまひょ。
前回にお話しました「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」
その関を代表した旅籠の「玉屋」さんでっせ。
入館券の浮世絵はその「玉屋」さんを描いた歌川広重の作品ですよ。
(旅籠の帳場を再現)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
リアルな人形の番頭さんがお出迎えでんな。
旅籠は江戸時代には公務ではない旅行の武士や庶民が泊まれる宿でっけど
料理などを出すのは高級な旅館だったそうですわ。
普通は木賃宿という旅籠で自炊しながら旅を続ける庶民の方が多かったとか。
(旅籠 玉屋の部屋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
こんな部屋が1階と2階に大小合わせて15部屋ぐらい連なっていたようでんな。
襖1枚でお隣の部屋だから色々とトラブル事もおましたんやろね。
(旅籠 玉屋の中庭から部屋を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(江戸時代の 食器が陳列されてま)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
旅の途中でこんな宴会ができるのは当時では大店の亭主や役人クラスでっしゃろな。
弥次さんさん喜多さんではこんな豪華な旅行はできなかったんと違いまっか。
(六曲屏風 東海道名所図界)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
右下がお江戸の日本橋で神奈川を通って駿河の沼津までで一曲になってまんな。
ご存知だと思いまっけど6枚で一つの屏風に作り上げているので六曲屏風でっせ。
(六曲屏風 東海道名所図界)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
右下が宮の渡しで名古屋の熱田から海を渡って5枚目の折り目の処が関宿。
6枚目が琵琶湖から京都の御所を描いてるでしゃろな。
(江戸時代に造られた 旅籠・玉屋の土蔵)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
歌川広重の浮世絵が飾られてまんねんけど残念ながら撮影禁止ですわ。
(旅籠 玉屋さんの台所)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
関西では京ことばで「おくどうさん」と呼んでましたけど関東では
なんと呼んでましたんでっしゃろ。
大阪では「へっついさん」と言いましたけど、竈(かまど)の事ですわな。
(旅籠 玉屋で使われた 徳利や半切り)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
半切りって言葉はご存知でっしゃろかしら、「半桶」「盤切り」とも言いまんな。
旅館などで料理を部屋へ運ぶ時の道具で餅箱の兄弟分のような道具だっせ。
旅籠・玉屋はこれぐらいにして「関まちなみ資料館」の方へ行きまひょか。
(関まちなみ資料館)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは元は別所さんという方の町屋を1985年(昭和60年)に当時の関町が
買い取ってから解体修理をして一般公開してるそうですわ。
江戸時代・幕末に14代将軍・徳川家茂公が京都へ上洛された時に
「宿内軒別書上帳」ちゅう文書が関宿で作成されて今も残ってるそうだっせ。
そこに「別所屋勝次郎」の名前で「間口四間・畳数二十八畳・二階畳数十一畳」と
書かれているそうで、現在の建物とピッタリと一致するそうですわ。
ここの主人は宿場役人でも司っていたような町の有力者だったんでしょうな。
(箱階段と呼ぶそうです)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
側面は戸棚になってるような感じでんな。
ちょっと階段を登ってみまひょ。
(箱階段から1階を見下ろす)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(銭箱だそうです)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
やはり庶民じゃこんな銭箱は必要が無いですわな、やはり町の名士だったんだね。
(長火鉢と言いましたかな)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
懐かしいでんな、長火鉢って時代劇に良く出てくる小道具とちがいましたかな。
受付に置いてあったイラストの案内図を貰ってまた関宿を歩きまひょ。
(イラスト入の 関宿 案内図)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(関宿の通りで撮影)
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(関の地蔵院) (重要文化財に指定)
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「関の地蔵に振袖着せて 奈良の大仏婿に取ろ」と地元では唄われたとか。
スケールの大きな俗曲でっけどそれぐらい伊勢では有名なお寺ちゅうことでんな。
一休禅師も立ち寄ったと言われる天平時代創建の古いお寺だそうですわ。
建物自体は江戸時代に再建されたようですけど。
(白玉屋 説明版)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(白玉屋の店舗)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
二階の格子戸と手すりに江戸時代の風情をかんじる和菓子屋さんですな。
表のソフトクリームの看板が一寸だけ邪魔な感じがするのは私だけかしら。
(関宿の通りから鈴鹿峠方向を撮影)
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関宿の散策も西の追分が近づいてきたようで鈴鹿の山が大きく見えてきましたな。
(元 旅籠・会津屋) (現在は食堂)
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現在は食堂になってるようでんな、山菜のおこわでも食べようと覗いてみたんでっけど
30分ぐらい掛かるとかでJRの時間が間に合わないのでパスしましたんや。
(会津屋の 説明版)
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「関の小万の物語」は次回に載せますけど鈴鹿の馬子唄にも出てくる
有名な親の仇討ちをここの旅籠で女中をしながら本懐をとげたようですわ。
(西の追分) (江戸時代の道標)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「ひだりハ いがやまと」と彫られていますね。
ここは東海道五十三次と伊賀奈良街道との分岐点になってるんだそうな。
(東海道五十三次 鈴鹿峠へ向かう旧道)
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(伊賀奈良街道への分岐点)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
真っ直ぐ進むと鈴鹿峠を越えて近江の国から京都へ行く道になりまんねんで。
左へ曲がって国道1号線を横切って伊賀奈良街道がスタートしますんや。
伊賀奈良街道は加太越え(かぶとごえ)と呼ばれる難所を越えて行くと
伊賀上野から奈良市内へ街道が続いているそうですわ。
東の追分が伊勢神宮の鳥居が在るのに比べて西の追分は地味に感じまんな。
(関宿の 観光案内図)
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(歌川広重作 東海道五十三次 関の早立ち)
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この浮世絵を見られたことが有るかもしれまへんな。
これは関宿の本陣から大名が朝早く出発するのを描いた有名な場面ですわ。
歌川広重は安藤広重とも呼ばれた江戸時代の有名な浮世絵師でしたね。
本日はこれにて終了とさせてもらいまひょ。
次回は「関の小万の物語」と「鈴鹿馬子唄」を紹介させてもらいまっさ。
ほな~ これでご免なはれ さいなら~