野暮用で大和郡山市へ出かけてましたんや。
自然史博物館は後回しにさせて貰いまっさ。
世界遺産の法隆寺を今回は紹介させて貰いまひょ。
(大和郡山市の マンホールの蓋)
大和郡山市は日本で有数の金魚の養殖が盛んで
マンホールの蓋にも金魚が描かれてまっせ。
福島県の郡山市の方が先に市制を敷いたんでしょうな
大和の名前を付けて大和郡山市と呼びますんや。
江戸時代後半には柳沢15万石の城下町でしたかな。
大坂にも近い戦略的な場所でもあったようですわ。
(JR大和小泉駅舎)
(JR大和小泉駅から 西側を撮影)
遠くに見えるのは二上山でその右側の奥に
鉄ちゃん爺やの住む街がおますんや。
ここから約20kmぐらいの距離になりますかな。
野暮用が早く終わったんで奈良交通の路線バスで
隣町にある法隆寺を久しぶりに訪れましたんや。
(奈良交通 法隆寺前 バス停)
(国道25線 道路標識)
ここは奈良県生駒郡斑鳩町という地名になりまぁ。
斑鳩町(いかるがちょう)と読むんでっけど。
「法隆寺」が在る、ご存知の地名では有りますけど。
そんな訳で、難解な地名だとは言えないのかも?
(斑鳩町の マンホールの蓋)
当然のように「法隆寺」が描かれてまっしゃろ。
他には百人一首にも詠まれる龍田川やモミジで
昔から有名な人口2万7千人の小さい街でおます。
(史跡 法隆寺旧境内)
(法隆寺 旧境内の松並木)
「法隆寺」に来たのは鉄ちゃん爺やが高校3年の頃。
久しぶりも久しぶりで約58年ぶりになりまっかな。
昔はこの松並木の道を「法隆寺」へ向かった記憶が。
現在は両側に立派な車道と両脇には歩道も出来て
観光客が安全に歩けるようになってますやろ。
(現在の 法隆寺への参道)
(法隆寺の 石碑)
(法隆寺山門前の 土産物店)
(法隆寺門前の 下馬の石碑)
(法隆寺の由来書き)
まずは法隆寺の総門になる「南大門」でっせ。
室町時代に再建された物で、これも国宝でおます。
飛鳥時代の国宝や重要文化財が多数残ってますんで
室町時代といえば、法隆寺では新しい建物になりまぁ。
(国宝・法隆寺 南大門)
何せ法隆寺には国宝や重要文化財が合わせて約190点。
現在の境内だけでも約6万坪(18万平方メートル)
奈良でも有数の規模を誇る大きな寺院なんですわ。
(国宝の南大門を 内側から撮影)
南大門から中門に向かう両側の土塀も全てが重要文化財。
高校時代にはそんな意味も分からず素通りしたような感じ。
(法隆寺 境内図)
(法隆寺 中門の付近の参道)
大きく分けて金堂と五重塔が在る西院伽藍(さいいんがらん)
有名な夢殿などが在る東院伽藍(とういんがらん)になりまぁ。
(世界文化遺産 法隆寺の石碑)
画像が鮮明じゃないんですが日本最初の世界文化遺産の文字が。
1993年(平成5年)12月にユネスコから姫路城と共に
日本で最初の世界文化遺産に登録されたんでしたかな。
今年に福岡県の宗像大社と沖ノ島が新しく登録されるそうで
世界文化遺産が17件と世界自然遺産が4件になるんだとか。
(修理中の 国宝・法隆寺の中門)
これは残念なことで最高の被写体が写せまへんがな。
12月に完成だから来年に来れば良かったなと少しだけ反省。
中門から金堂や五重塔を撮影するのが最高のアングルのはず。
(法隆寺 五重塔を 回廊の外から撮影)
(法隆寺 一般参拝券) (大人1500円)
入口で参拝するのに1500円も要るとは驚き!
幾ら3か所見学できると言ったって1500円は高い!
普通のお寺では500円~800円が通常なのにと憤慨!
ここまで来て帰るのも残念なので、渋々の入場でおます。
(国宝・法隆寺 金堂)
(国王・法隆寺 五重塔)
この二つの建物は世界で一番古い木造建築物なんでっせ。
一度は7世紀に焼けたとか、焼けてなかったとの論争が
昔からおますんやけど、最古の木造建築には変わりが無く
飛鳥時代の姿を現在に伝えることで知られてますかな。
(国宝・法隆寺 五重塔と金堂)
(国宝・五重塔と金堂を背景に 自撮り)
残念ながら逆光だったの気が付いてまへんでしたわ。
(国宝・法隆寺の大講堂)
こちらは一度焼けて平安時代に再建されたそうでっせ。
落雷で焼けて正暦元年(990年)に再建だそうですわ。
それでも約千年を超える立派な建物には違いがおまへん。
(国宝・法隆寺の金堂 東側から撮影)
この内部には有名な金銅釈迦三尊像が安置されてまっせ。
法隆寺の内部は全て写真撮影が禁止されてまぁ。
だから写真を300円奮発して買ってきましたんや。
(国宝・法隆寺 金銅釈迦三尊像) (絵葉書から転写)
この仏像だけは58年前に拝観した記憶がはっきり残り
その時は悪友5人で誰かに似ていると冗談を言ったはず。
不謹慎なれど同行した女の子の彼氏だったように思う。
(国宝・法隆寺 金堂と五重塔)
西院伽藍の出口から写すとこんな感じになりますんや。
それでは次の拝観に向かうことにしまひょ。
(国宝・法隆寺 聖霊院=しょうりょういん)
西院伽藍の回廊の外側で東西に東室(ひがしむろ)と同じく
西室(にしむろ)が南北に細長く置かれてるそうですわ。
僧侶の住居だった僧房で、特に聖徳太子の尊像を安置する
東室(ひがしむろ)の南端部を聖霊院と呼んだんだって。
現在は法隆寺のご朱印を頂くような設備になってますんや。
(法隆寺の ご朱印)
(朱印帳を 新しく購入)
ご朱印帳が満杯になりましたので今回は法隆寺で購入。
「以和為貴 = 和を以って貴しとなす」
聖徳太子さまの有名な、お言葉でしたよね。
それでは二つ目の拝観である、大宝蔵院へ向かいまっせ。
貴重な法隆寺の宝物が保管されている場所なんでっせ。
(大宝蔵院前で 自撮り)
(大宝蔵院と 奥に百濟観音堂)
ここは法隆寺には珍しい平成になってから出来た建物で
貴重な宝物を保管し展示する、大宝蔵院と奥の位置に
国宝・百済観音像を安置する百濟観音堂がおますんや。
(国宝・法隆寺 百済観音像) (絵葉書から転写)
日本で一番美しい仏像だとの声がある優美なお姿でっせ。
八頭身の珍しい仏像でこの慈悲深い百済観音像を安置する為に
平成になつてから建設されたのが百済観音堂だそうですわ。
(国宝・法隆寺 玉虫厨子) (絵葉書から転写)
大宝蔵院には1400年に渡る法隆寺の歴史を伝える
仏像や宝物が数多く保蔵され一般展示されてますんや。
それでは三つ目の東院伽藍の方へ向かうことにしまひょ。
(東院伽藍の 夢殿への案内掲示板)
(東院伽藍へ向かう参道から撮影)
(東院伽藍への参道で 自撮り)
東院伽藍の「夢殿」がこんなに離れていたとは記憶がおまへんな。
当時と風景や建物は変わりが無いのに全く覚えがありまへんのや。
当時は高校生で法隆寺の名前だけで興味も無かったんでしょうな。
(国宝・法隆寺 夢殿の甍)
やはり1500円も納めたんだから全部拝観しないとダメですよね。
国宝や重要文化財のオンパレードだから、興味のある方には
1500円でも安いんでしょうが、鉄ちゃん爺やはその域に至りまへん。
(国宝・法隆寺 東大門)
寺院の僧門としては日本で一番古い奈良時代の建物なんだって。
三棟造りと言う珍しい四脚門になってますんや。
(重要文化財 法隆寺 東院伽藍の入口)
(国宝・法隆寺 夢殿)
奈良時代の天平年間に聖徳太子の宮殿があった跡に
造られたのが東院伽藍の「夢殿」だそうですわ。
斑鳩宮(いかるがのみや)と呼んだそうで現在も
法隆寺を斑鳩寺(いかるがてら)とも呼ぶそうでんな。
(国宝・法隆寺の舎利殿&絵殿)
聖徳太子が合掌された掌中から出現したと言われる
舎利を納めたお堂で、聖徳太子の一生を描いた
障子絵が納められてるので絵殿とも呼ばれるんだとか。
鎌倉時代の建築で裏側の伝法殿と共に国宝に指定。
(国宝・法隆寺の夢殿を背景に 自撮り)
夢殿を囲むように回廊があり、こちらは重要文化財だとか。
お隣の中宮寺は次回に紹介することにしまひょ。
(重要文化財 東院伽藍の回廊)
(重要文化財の 法隆寺参道の土塀)
こう云う土塀は奈良の古い街にはお似合いかも知れまへん。
京都とは少し違ったイメージがするように思いまんねん。
奈良の東大寺の付近も同じような風景がおましたけど。
(法隆寺 塔頭の見事な鬼瓦)
(斑鳩町のゆるキャラのようですな)
長くなりますので本日はこれにてお仕舞にしまひょ。
次回は法隆寺のお隣にある中宮寺などを紹介しまっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
自然史博物館は後回しにさせて貰いまっさ。
世界遺産の法隆寺を今回は紹介させて貰いまひょ。
(大和郡山市の マンホールの蓋)
大和郡山市は日本で有数の金魚の養殖が盛んで
マンホールの蓋にも金魚が描かれてまっせ。
福島県の郡山市の方が先に市制を敷いたんでしょうな
大和の名前を付けて大和郡山市と呼びますんや。
江戸時代後半には柳沢15万石の城下町でしたかな。
大坂にも近い戦略的な場所でもあったようですわ。
(JR大和小泉駅舎)
(JR大和小泉駅から 西側を撮影)
遠くに見えるのは二上山でその右側の奥に
鉄ちゃん爺やの住む街がおますんや。
ここから約20kmぐらいの距離になりますかな。
野暮用が早く終わったんで奈良交通の路線バスで
隣町にある法隆寺を久しぶりに訪れましたんや。
(奈良交通 法隆寺前 バス停)
(国道25線 道路標識)
ここは奈良県生駒郡斑鳩町という地名になりまぁ。
斑鳩町(いかるがちょう)と読むんでっけど。
「法隆寺」が在る、ご存知の地名では有りますけど。
そんな訳で、難解な地名だとは言えないのかも?
(斑鳩町の マンホールの蓋)
当然のように「法隆寺」が描かれてまっしゃろ。
他には百人一首にも詠まれる龍田川やモミジで
昔から有名な人口2万7千人の小さい街でおます。
(史跡 法隆寺旧境内)
(法隆寺 旧境内の松並木)
「法隆寺」に来たのは鉄ちゃん爺やが高校3年の頃。
久しぶりも久しぶりで約58年ぶりになりまっかな。
昔はこの松並木の道を「法隆寺」へ向かった記憶が。
現在は両側に立派な車道と両脇には歩道も出来て
観光客が安全に歩けるようになってますやろ。
(現在の 法隆寺への参道)
(法隆寺の 石碑)
(法隆寺山門前の 土産物店)
(法隆寺門前の 下馬の石碑)
(法隆寺の由来書き)
まずは法隆寺の総門になる「南大門」でっせ。
室町時代に再建された物で、これも国宝でおます。
飛鳥時代の国宝や重要文化財が多数残ってますんで
室町時代といえば、法隆寺では新しい建物になりまぁ。
(国宝・法隆寺 南大門)
何せ法隆寺には国宝や重要文化財が合わせて約190点。
現在の境内だけでも約6万坪(18万平方メートル)
奈良でも有数の規模を誇る大きな寺院なんですわ。
(国宝の南大門を 内側から撮影)
南大門から中門に向かう両側の土塀も全てが重要文化財。
高校時代にはそんな意味も分からず素通りしたような感じ。
(法隆寺 境内図)
(法隆寺 中門の付近の参道)
大きく分けて金堂と五重塔が在る西院伽藍(さいいんがらん)
有名な夢殿などが在る東院伽藍(とういんがらん)になりまぁ。
(世界文化遺産 法隆寺の石碑)
画像が鮮明じゃないんですが日本最初の世界文化遺産の文字が。
1993年(平成5年)12月にユネスコから姫路城と共に
日本で最初の世界文化遺産に登録されたんでしたかな。
今年に福岡県の宗像大社と沖ノ島が新しく登録されるそうで
世界文化遺産が17件と世界自然遺産が4件になるんだとか。
(修理中の 国宝・法隆寺の中門)
これは残念なことで最高の被写体が写せまへんがな。
12月に完成だから来年に来れば良かったなと少しだけ反省。
中門から金堂や五重塔を撮影するのが最高のアングルのはず。
(法隆寺 五重塔を 回廊の外から撮影)
(法隆寺 一般参拝券) (大人1500円)
入口で参拝するのに1500円も要るとは驚き!
幾ら3か所見学できると言ったって1500円は高い!
普通のお寺では500円~800円が通常なのにと憤慨!
ここまで来て帰るのも残念なので、渋々の入場でおます。
(国宝・法隆寺 金堂)
(国王・法隆寺 五重塔)
この二つの建物は世界で一番古い木造建築物なんでっせ。
一度は7世紀に焼けたとか、焼けてなかったとの論争が
昔からおますんやけど、最古の木造建築には変わりが無く
飛鳥時代の姿を現在に伝えることで知られてますかな。
(国宝・法隆寺 五重塔と金堂)
(国宝・五重塔と金堂を背景に 自撮り)
残念ながら逆光だったの気が付いてまへんでしたわ。
(国宝・法隆寺の大講堂)
こちらは一度焼けて平安時代に再建されたそうでっせ。
落雷で焼けて正暦元年(990年)に再建だそうですわ。
それでも約千年を超える立派な建物には違いがおまへん。
(国宝・法隆寺の金堂 東側から撮影)
この内部には有名な金銅釈迦三尊像が安置されてまっせ。
法隆寺の内部は全て写真撮影が禁止されてまぁ。
だから写真を300円奮発して買ってきましたんや。
(国宝・法隆寺 金銅釈迦三尊像) (絵葉書から転写)
この仏像だけは58年前に拝観した記憶がはっきり残り
その時は悪友5人で誰かに似ていると冗談を言ったはず。
不謹慎なれど同行した女の子の彼氏だったように思う。
(国宝・法隆寺 金堂と五重塔)
西院伽藍の出口から写すとこんな感じになりますんや。
それでは次の拝観に向かうことにしまひょ。
(国宝・法隆寺 聖霊院=しょうりょういん)
西院伽藍の回廊の外側で東西に東室(ひがしむろ)と同じく
西室(にしむろ)が南北に細長く置かれてるそうですわ。
僧侶の住居だった僧房で、特に聖徳太子の尊像を安置する
東室(ひがしむろ)の南端部を聖霊院と呼んだんだって。
現在は法隆寺のご朱印を頂くような設備になってますんや。
(法隆寺の ご朱印)
(朱印帳を 新しく購入)
ご朱印帳が満杯になりましたので今回は法隆寺で購入。
「以和為貴 = 和を以って貴しとなす」
聖徳太子さまの有名な、お言葉でしたよね。
それでは二つ目の拝観である、大宝蔵院へ向かいまっせ。
貴重な法隆寺の宝物が保管されている場所なんでっせ。
(大宝蔵院前で 自撮り)
(大宝蔵院と 奥に百濟観音堂)
ここは法隆寺には珍しい平成になってから出来た建物で
貴重な宝物を保管し展示する、大宝蔵院と奥の位置に
国宝・百済観音像を安置する百濟観音堂がおますんや。
(国宝・法隆寺 百済観音像) (絵葉書から転写)
日本で一番美しい仏像だとの声がある優美なお姿でっせ。
八頭身の珍しい仏像でこの慈悲深い百済観音像を安置する為に
平成になつてから建設されたのが百済観音堂だそうですわ。
(国宝・法隆寺 玉虫厨子) (絵葉書から転写)
大宝蔵院には1400年に渡る法隆寺の歴史を伝える
仏像や宝物が数多く保蔵され一般展示されてますんや。
それでは三つ目の東院伽藍の方へ向かうことにしまひょ。
(東院伽藍の 夢殿への案内掲示板)
(東院伽藍へ向かう参道から撮影)
(東院伽藍への参道で 自撮り)
東院伽藍の「夢殿」がこんなに離れていたとは記憶がおまへんな。
当時と風景や建物は変わりが無いのに全く覚えがありまへんのや。
当時は高校生で法隆寺の名前だけで興味も無かったんでしょうな。
(国宝・法隆寺 夢殿の甍)
やはり1500円も納めたんだから全部拝観しないとダメですよね。
国宝や重要文化財のオンパレードだから、興味のある方には
1500円でも安いんでしょうが、鉄ちゃん爺やはその域に至りまへん。
(国宝・法隆寺 東大門)
寺院の僧門としては日本で一番古い奈良時代の建物なんだって。
三棟造りと言う珍しい四脚門になってますんや。
(重要文化財 法隆寺 東院伽藍の入口)
(国宝・法隆寺 夢殿)
奈良時代の天平年間に聖徳太子の宮殿があった跡に
造られたのが東院伽藍の「夢殿」だそうですわ。
斑鳩宮(いかるがのみや)と呼んだそうで現在も
法隆寺を斑鳩寺(いかるがてら)とも呼ぶそうでんな。
(国宝・法隆寺の舎利殿&絵殿)
聖徳太子が合掌された掌中から出現したと言われる
舎利を納めたお堂で、聖徳太子の一生を描いた
障子絵が納められてるので絵殿とも呼ばれるんだとか。
鎌倉時代の建築で裏側の伝法殿と共に国宝に指定。
(国宝・法隆寺の夢殿を背景に 自撮り)
夢殿を囲むように回廊があり、こちらは重要文化財だとか。
お隣の中宮寺は次回に紹介することにしまひょ。
(重要文化財 東院伽藍の回廊)
(重要文化財の 法隆寺参道の土塀)
こう云う土塀は奈良の古い街にはお似合いかも知れまへん。
京都とは少し違ったイメージがするように思いまんねん。
奈良の東大寺の付近も同じような風景がおましたけど。
(法隆寺 塔頭の見事な鬼瓦)
(斑鳩町のゆるキャラのようですな)
長くなりますので本日はこれにてお仕舞にしまひょ。
次回は法隆寺のお隣にある中宮寺などを紹介しまっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵