鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    あべのハルカス展望台へ

2014-03-29 19:14:57 | 日記
広島から娘と孫が昨日に帰ってきましたんや。

なんでも話の種にあべのハルカスへ行きたいとか。

夕方から雨の予報で見晴らしは悪いんやけど。

まあ~ お供しない訳にはいきまへんやろ。

(近鉄電車 あべのハルカスPRのラッピング)


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今月の3月7日にグランドオープンしましたんや。

そやけど3月31日までは当日券は売ってまへん。

娘が日時指定入場券を買ってくれたんですわ。

(日時指定 入場券) (3月29日 AM10:00)


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雨の降らない内にと家族四人で出かけましたんや。

本当は見晴らしの良い日を選んで登るべきですわな。

そやけど、入場券を無駄には出来まへん行きまひょ。

(近鉄電車の車中より あべのハルカスを撮影)


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横浜のランドマークタワーを4mだけ追い抜いて

地上300mの日本一高いビルが出来たんでっせ。

まずは16階の専用入場口へ行きまひょ。

(ハルカス300 16階の専用出入り口)


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この展望台へ昇るエレベーターは分速360mだそうな。

だから1分もかからないうちに60階まで到着ですわ。

扉が開くとそこは天上回廊と呼ぶフロアになりまっせ。

(ハルカス300 天上回廊の通路)


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総ガラス張りでここは標高288mの高さなんだそうな。

東京スカイツリーに次ぐ日本では二番目の高さにある
展望台ちゅうことになりますんやて。

(係員が 写真を撮ってくれました)


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(ハルカス300 60階から地上を見下ろす)


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天王寺公園と動物園が左手に見えてまんな。

右側の上下に延びる広い道路は谷町筋と呼ばれる
大阪の上町台地を南北に走るメイン道路でっせ。

(ハルカス300 60階から新世界の通天閣を見下ろす)


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HITACHIと文字が見えるのが通天閣でおます。

通天閣を下から眺めることは有っても上から
見下ろせるのはハルカス300だけでっしゃろな。

霞んでいるのが鉄ちゃん爺やには残念でっけど。

(ハルカス300から 西向きに撮影)


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晴れておれば神戸空港や明石海峡大橋が遠くに
見えるそうでっけど、今日は六甲山も見えまへんな。

大阪港も見えないので視界は10km前後でっしゃろか。

(娘が内の奥さんをスマーフォンで撮影中)


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(ハルカス300から 東の方向を撮影)


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天気が良ければ羽曳野丘陵にある病院や
PLの平和祈念塔が見えるはずでっけどあきまへんわ。

阪神高速道路の松原線が遠くに霞んでしまってますわ。

ここから我が家までは直線で15km以内でっかな。

(ハルカス300から 高層マンションを見下ろす)


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昨年に完成した高層マンションでこの辺りでは
あべのハルカスに次ぐ高さだそうで150m以上かな?

売り出したら即、完売したとかで人気の物件でっせ。

左側で上下に見えるのは近畿日本鉄道の南大阪線でおます。

この電車に乗ったら我が街の駅に20分で到着しますんや。

(ハルカス300から 58階の天空庭園を見下ろす)


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(ハルカス300 58階の男子トイレ)


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ここあべのハルカスは展望台も下に在る近鉄百貨店も
こんな背中側はガラス張りの構造になってますんや。

用を足して振り向いたら天空の部屋にいる感じ。

明るくて清潔に工夫したトイレルームでおます。

(ハルカス300 58階の天空庭園にて撮影)


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ここ58階の天空庭園は一部が吹き抜けになっていて
300m上空の空気を味わえるようにできてまっせ。

雨の時はどう成るのか一寸だけ心配になってきたけど。

300mの数字が見えている処が屋上になるんだって。

(ハルカス300 58階の天空庭園)


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ここからの展望でも60階の天上回廊うと大差は」ないかな。

ここは飲食しながら展望を楽しめそうだから
ひょっとしたら、こちらの方がゆっくりできそうだね。

(ハルカス300 SHOPのお土産)


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広島の娘と孫はハルカス展望記念に何らかのグッズを
買ったようだけど、鉄ちゃん爺やはパスしましたんや。

ほんなら下へ降りることにしまひょ。

(ハルカス300 59階の退出フロア)


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(ハルカス300 専用エレベーター内部)


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(ハルカス300 イメージキャラクター)


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「あべのべあ」と呼ぶそうで「空もよう」のくまだって。

やさしく、のんびり屋のユルキャラで売り出し中だとか。

(あべのハルカス16階 空中庭園)


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ここ16階までは入場券がなくても上がれますんや。

このフロアにはあべのハルカス美術館もおまっせ。

今日はこれで下へ降りて昼食にしまっさ。

(ハルカス16階から 近鉄百貨店へのエスカレーター)


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(ご近所の桜が 五分咲きでした)


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次回はお天気の良い冬場に来ることにしまっさ。

ほんなら、今日はこれで、さいなら~♪













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鉄ちゃん爺や    画像が種切れでおます~♪

2014-03-22 14:18:01 | 日記
寒かったんと足の状態をかばったので
デジカメ散歩が出来まへんでした。

そんな訳で、とうとう~ 画像が種切れでおます。

昔の画像を引っ張り出して貼り付けてみまっさ。

(昨年に廃車された 123系 近郊型電車)


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この電車は1986年(昭和61年)に
国鉄の長野工場で荷物車を改造して出来た車両で

中央本線の塩嶺トンネルが開通した為に支線になった
辰野駅~塩尻駅間を1日9往復するためにだけに完成した

クモハ123-1が最後のご奉公をしていた頃の画像です。

残念ながら2013年(平成25年)3月15日で引退し
その年にJR長野車輛センターで解体されてしまいました。

両側に運転台が設置されている珍しい改造車でしたので
一両で運行しミニエコーと呼ばれて親しまれていました。

(JR東日本 中央本線 塩尻駅)


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ミニエコーは小野駅を経由して辰野駅へ走ってました。

みどり湖駅の方が現在は中央本線のメインルートでんな。

123系は4~5両がJR西日本の宇部線と小野田線で
現在も走っているそうですが外観は随分と違ってますね。

昔の荷物車や郵便車の姿を残していたのはJR東日本の
123系でしたが鉄道マニアの希望も虚しく解体でした。

保存するほど価値のある電車ではなかったのかしら。

次は引退しても第二の人生を送る電車を紹介しまひょ。

(京阪電鉄 旧3000系 ハイデッカー車)


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京阪電鉄は1954年(昭和29年)から特急電車に
テレビを設置して大阪~京都間を走らせていました。

当時はテレビが珍しい時代で私も何度か乗りましたね。

この二階建て車両は3000系が残る1編成になった頃に
造られたもので昨年から富山地方鉄道に譲渡されて現在は

富山駅と宇奈月温泉駅や立山駅間で運行されているとか。

(京阪電鉄 新8000系特急電車)


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このハイデッカー車は人気が有り、京阪電鉄では後続の
新8000系の特急電車にも採用されてますんや。

この新8000系にはテレビは付いてまへんけどな。

(京阪電鉄 旧3000系 テレビカー 先頭車)


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この旧3000系で8531のナンバーを持つ先頭車は
京阪電鉄のテレビカーの最終車輛の栄光を残すために

枚方市のくずはモールで静態保存されることになりました。

特にこの旧3000系は1971年(昭和46年)に
京阪電鉄では初の冷房車であり初のカラーテレビを備えた

3代目のテレビカーとして華やかに登場しましたんや。


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当時は2代目のテレビカーである1900系が主力で
非冷房車だったので1~2台遅らせてでも冷房の効く

新型3000系を利用する乗客が多かったとかの話。

スピードではJRには勝てまへんでしたがユニークな
テレビカーの特急電車は最後まで活躍しましたんや。

(最後のテレビは 液晶でしたね)


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何故か京都行き方向に設置されていましたな。

テレビカーの旧3000系は一足先に引退したのが
大井川鐵道でも活躍していたそうでっけど、こちらも

京阪電鉄のテレビカーと同様に2013年(平成25年)で
引退したとかの噂を聞きましたで。

富山地方鉄道でハイデッカー車が第二の人生を送るのを

鉄道フアンとしては声援を送りたいと思いますんや。

(京阪電鉄 昔の塗装はこんな感じ)


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旧3000系のテレビカーも登場した当時はこんな色で
京阪電車の全ての電車がこんな地味な塗装でしたな。

昨年まで一部が旧配色で走ってましたが現在は全て
新しい塗装になって走ってるようですわ。

特急電車以外は、下に貼り付けたような色に
現在は変わってしまいました。

(京阪電鉄 13000系 新型車)


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画像が種切れしたんでこんなブログでご免なさいね。

ほな、 今日はこれでさいなら~











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鉄ちゃん爺や    道明寺の梅まつりへ

2014-03-15 18:20:03 | 大阪
お隣町に「道明寺」という処がおますんや。

「道明」(どうみょう)と言う地名は

平安時代の菅原道真公の別名なんだって。

この季節は梅が見頃でっしゃろ

ほんなら、道明寺天満宮から行きまひょ。

(道明寺天満宮 梅まつり 拝観券)  (300円)


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道明寺天満宮は大阪府では梅の名所としては

五本の指には入りまっしゃろな。

今年は寒さが厳しかったとの事で

一週間ぐらい遅れたそうでっせ。

(片岡仁左衛門さん 献木の枝垂れ梅)


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歌舞伎の演目に「菅原伝授手習鑑」ちゅうのがおます

ここ道明寺もその場面に出てくるんやそうな。

平成14年に歌舞伎役者の片岡仁左衛門さんが

献木した梅も12年が経過して立派になりましたで。

昨年も紹介したので3~4枚だけ貼り付けておきま。


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(道明寺天満宮の 拝殿)


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境内に在る神楽殿で古武道をやってましたんで

これも2~3枚貼り付けて置きまっさ。


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何でも固定しないで真剣で居合切りする

そんな流儀で有名なんだけど待ちきれなくて

移動してしまい戻ったら終わってましたがな。

迫力のない画像だけになり、ご免だっせ。

内の奥さんが隣にある尼寺は知らんちゅうんで

そこの方へ行ってましたんや。

(道明寺 尼寺  楼門)


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現在は真言宗の御室派(おむろは)のお寺でおます。

このお寺は昔は「土師氏」(はじし)の氏寺だったとか

菅原道真公は土師氏の一族で平安時代には

朝廷に仕え土師氏では出世頭だったようでんな。

(道明寺の 説明書き)


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ここ道明寺は現在も住職さまは女性で

代々が尼寺の伝統を守っているようでんな。

(道明寺 本堂)


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平安時代の901年(延喜元年)のお話で

太宰府へ左遷される菅原道真公が叔母である

覚寿尼さまを訪ねてこのお寺で別れを惜しんだとか。

その時に菅原道真公が彫られたと伝わる

十一面観音像が安置されていますんや。

毎月25日だけ一般公開される国宝だそうです。

(平成24年に頂戴した ご朱印)


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ご尊顔を一度だけ拝見したけど大きさは1mほど

一木造りでカヤの木だったと記憶します。

勿論ながら写真撮影は禁止になってまっせ。

(道明寺 住職さまの自宅)


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六條照瑞さまとの表札が掲げられてましたで。

六條家といえば村上源氏の血を引く公家さまかな。

(道明寺 住職さま玄関先の 枝垂れ梅)


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境内で珍しい物を発見しましたで。

石で描かれた文字が並べられてますんや。

前回に訪れた時にはなかったような記憶。

(道明寺 石で描かれた文字)


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住職さまの心と願いを表したものかしら。

道明寺天満宮は梅を見物する人で賑わっているけど

ここ道明寺(尼寺)は訪れる人もない静けさですね。

(道明寺 本殿前 サンシュユかしら?)


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別名をハルコガネとも呼ぶそうでんな。

もう一度道明寺天満宮の方へ戻ってみました。

例年通りの盆梅展を最後に見物して帰りまひょ。

(道明寺天満宮 盆梅展)


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ほんなら、今日はこれでお仕舞いにしまっさ。

さいなら~♪
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鉄ちゃん爺や    京都 今熊野を散策 (続編)

2014-03-08 17:05:11 | 大阪
にしん蕎麦で昼食を済ましたんで
再び東大路通りを北上しまひょ。

生憎の雨でしたが京都の町も
乙なもんでおます。

(東大路通りにて 道路標識)


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この東大路通りちゅうのは今熊野から
祇園や八坂神社の横を通過しまっせ。

それから京都大学の側を通り抜けて
修学院で北大路通りと繋がっている
東山を南北に走るメイン道路でおます。

北大路通りの交差点から先は細くなり
北山通りで終わるようでんな。

昔の「東山通り」と呼ぶこともます。

京都市内では「通り」→「通」と書き
平仮名は付けないようでっけど
読みやすいように「り」を付けて置きまひょ。

(智積院への案内標識)


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このお寺は訪れたことがないので
立ち寄ってみまひょかな。

仏教には詳しくない鉄ちゃん爺やでっけど
ネットの受け売りでご免なはれ。

(総本山 智積院=ちしゃくいん  冠木門)


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真言宗という宗旨は約50もの宗派に分かれている
大きな教団でっけど、ご本尊は大日如来さんですわ。

その中心的な18宗派が「真言宗十八本山」という
親睦と連携をするための組織を作ってますんや。

その名前を「真言宗各派大本山会」と呼び
ここ智積院に本部が置かれているんだって。

18のお寺の長老さんが1年交代で会長になり
真言宗では「長者」さんとお呼びするそうな。

(真言宗・智山派 総本山 智積院の 金堂)


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このお寺は江戸時代から1947年(昭和22年)まで
三度も大きな火災に遭遇し古い建物は残ってまへん。

ここに東山随一とも称される日本庭園がおます
なんでも利休好みの名園なんだそうですわ。

長谷川等伯の一門が描いた安土桃山時代の
障壁画が焼けずに25枚ほど残ってますんや。

(智積院 講堂への南門入口)


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元々は祥雲寺(しょううんじ)と呼ばれるお寺で
豊臣秀吉の夭折した鶴松を祀る菩提寺でしたんや。

大書院の裏手に残る庭園は豊臣秀吉時代の
祥雲寺の庭が残っていると考えられるとか。

その客殿に描かれていたのが長谷川東伯の障壁画で
三度の火災にも一部が持ち出されて現在は
国宝に指定されている名画なんだそうですわ。

その豊臣秀吉が亡くなった直後にこの祥雲寺を含む
広大な土地を伏見城に居た徳川家康公が
真言宗の玄ユウと言う僧侶に与えたんだって。

この玄ユウという方は根来寺の智積院に居られたが
1585年(天正13年)豊臣秀吉の根来寺焼き討ち
で京都に逃れて郊外で放浪しておられたとか
徳川家康とお付き合いがあったんようでんな。

入口で尋ねたら障壁画は宝物館に納められていて
代りにレプリカが展示されているそうなので
入場して拝観するのはヤメにしましたんや。

(智積院の大書院と講堂を撮影)


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豊臣秀吉が滅ぼしてしまった根来寺をよりによって
豊臣秀吉の長男の菩提寺を壊して再建させるとは
徳川家康公らしい陰湿なやり方ではおます。

お寺の建物や門は全てが阿弥陀ケ峯の豊臣秀吉の墓に
お尻を向けて、ご丁寧にも配置されてまっせ。

しかもお寺を建てさせたのが豊臣秀吉の部下である
加藤清正ですからどんな心境だったんでしょうな。

智積院はその苦労に報いるべくお寺の寺紋に今でも
加藤清正の「桔梗」の紋を使用してるようですわ。

画像に見える「桔梗」の紋は明智光秀の紋とは
少しだけ異なっているんだって。

(智積院 大日如来の ご朱印)


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このお寺は現在では真言宗・智山派の総本山となっていて
全国に約3000近い末寺を持つ真言宗のなかでは
一番大きな勢力を持つ教団のようですわ。

成田山・新勝寺  高尾山・薬王院

川崎大師・平間寺 名古屋では大須観音

関東や東海で有名なお寺が、ここの末寺の大本山でっせ。

真言宗・智山派と成ったのは明治以降のようでっけど。

でも智積院を参詣する方は少ないのでは。

私もネットで検索するまで知りまへんでしたから。

(智積院 本坊) (法務所&講伝所)


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ここで僧侶は新義真言宗の教義を学ぶ建物のようですな。

新義真言宗とは12世紀に真言宗中興の祖「興教大師」が
高野山の広義真言宗と別の考え方を唱えたそうで
後に高野山から根来寺への移動となったそうですわ。

広義真言宗とは本尊の大日如来さまが自ら説法する
本地説法身を説くんだと考える教学なんだって。

高野山・真言宗や四国・善通寺に京都・醍醐寺など
京都・東寺や同じく京都・仁和寺などもしかり。

前回に紹介した泉涌寺も広義真言宗に入りまっせ。

片や新義真言宗は大日如来さんが説法のために
加持身となって教えを説くという教義だそうな。

智山派・京都の智積院や豊山派・大和の長谷寺に
真言律宗・奈良の西大寺など。

関東では音羽の護国寺が豊山派のお寺なんだそうな。

開祖空海を最上に頂く広義真言宗の各派と
興教大師をも合せてお祀りする新義真言宗の違いは
わてらのような凡人には難しくて分かりまへんけど。

(智積院 正門)


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智積院を出ると豊臣秀吉の廟に向かう「女坂」と
呼ばれる二車線の道路が東西に走ってますんや。

ここは京都女子大や京都女子短大が阿弥陀ケ峯への
麓におますんで最近はそのように呼ばれるんやそうな。

この日は土曜日の午後でしたんで
女学生さん歩いてはりまへんでしたわ。

(阿弥陀ケ峯への 通称 女坂)


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奥の方に大きな鳥居が見えてまっしゃろ。

少し前にお話しました豊臣秀吉の廟に登れないように
徳川幕府が「新日吉神社」を移設して柵を設けた所で
現在は左へ道を曲げてから新しい参道を
明治になってから作り替えたようでんな。

画像の左側に「豊国廟」との石碑がおますんやけど
わてがカメラのアングルをミスして写ってまへんわ。

この画像の右手が智積院の境内で山の麓まででっせ
逆に左手に妙法院門跡というお寺がおますんや。

(妙法院門跡の 正門)


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このお寺は天台宗の三門跡寺院の一つなんでっせ。

三十三間堂は今でもこのお寺の所有物だと以前に
ブログに書き込ませて頂いたお寺でんな。

門跡寺院とは明治維新までは法親王さまか五摂家の
子息しか門主になれなかった格式の高いお寺でおます。

この妙法院も江戸時代の初め徳川幕府に接近し
大仏殿や方広寺や現在の国立博物館まで含めて
広大な土地を所有した有力な寺院だったようでんな。

(妙法院 庫裏) (国宝に指定)


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1595年(文禄4年)に豊臣秀吉が創建した
大仏の開眼法要や秀吉の祖先を供養するために
各宗派から合わせて千人の僧侶を集めた時に
ここで食事などを提供したとの記録がおます。

豊臣家が滅ぶまで千僧供養は行なわれたとのこと。

その後は火災にも会ってないので当時のまま
残っていると考えられての国宝指定でっしゃろな。

この妙法院は残念ながら一般公開はされてませんのや。

境内からこの国宝の庫裏と勅使門や車寄せを
外から眺められるぐらいでしたわ。

京都の寺院にはこのように一般公開しない
お寺や塔頭が多くおますんでね。

(妙法院門跡  唐破風の車寄せ)


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雨の中を方広寺の方へ足を延ばしてみまひょ。

現在は休館中の国立博物館を写してみました。

(国立 京都博物館 西門)


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(国立 京都博物館 本館)


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ここは江戸時代には先程の妙法院門跡の土地でしたが
明治維新後に政府が没収して国立博物館にしたとか。

この国立博物館の北側に巨大な石垣がおますんや。

これは方広寺の大仏を造った時に豊臣秀吉が
各大名に寄進させた物が残っているんだって。

(豊臣秀吉時代の 巨大な石垣)


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確認できなかったけど、加賀へ帰りたいと石が
泣いたとの伝説が残る「加賀石」が有るんだって。

京都市内には豊臣秀吉時代の史跡はこの石垣と
「耳塚」と呼ばれる供養塔だけだとの事。

だから貴重な石垣なんだね、知らなかったので
昨年秋に方広寺を訪れた時は写さなかったんだ。

(史跡 耳塚)


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太閤秀吉の朝鮮の役で戦死した軍民の耳や鼻を削ぎ
日本に持ち帰って戦果として報告したんだそうな。

残酷な話だけど当時は当たり前のことだったとか。

豊臣秀吉の命令でここに纏めて葬り供養塔を
立てたものが現在まで残っているんだって。

江戸時代の初期の絵地図に今と同じ姿で
描かれているので当時のまま残っているようでんな。

(豊国神社 境内から撮影)


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鳥居の先に見えるのが豊臣秀吉が大仏殿を造った際に
参詣の道として造らせた正面通りでっせ。

奥の方で現在は細くなって鴨川を渡ってその先の
東本願寺の庭園で突き当りとなってますんや。

耳塚はこの画像の左手で道が細くなる手前に
正面通りに面して置かれてま。

実はこの日は夕方にOBと飲み会を予定し
時間があるので祇園まで歩くつもりでした。

約15000歩足らずなんだけどフクラハギが
つってしまい中止にしましたんや。

最後に飲み会の画像を1枚だけ貼り付けて置きま。



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三人共に酔がまわってきたような顔でんな。

わてが三橋美智也の「哀愁列車」を歌っている
確かそんな処をマスターが写したようですわ。

ほんなら~ 今日はこれでお仕舞い  さいなら~♪
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鉄ちゃん爺や    京都 今熊野を散策

2014-03-01 18:47:25 | 日記
今熊野という地名は平安時代に後白河上皇が
1160年(永暦元年)に紀州の熊野から

熊野の諸神を三十三間堂の東側に招き
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を
創建したことから地名となったようでんな。

古い熊野に対して熊野の新宮・別宮という
ことで「今熊野」と呼ぶようになったとか。

昔はこの辺りは鳥辺野(とりべの)
又は鳥部野(とりべの)と呼びましたんや。

京都では「野」が付く地名が多いでっけど
これは殆どが昔の葬送地なんですわ。

「嵯峨野」に「化野」や「紫野」に
「蓮台野」や「高野」など。

「鳥辺野」は市内から近いことも有り
身近な葬送地だったようでっせ。

(鳥部山 現在は阿弥陀ケ峯) (標高192m)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


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前々回に紹介しました豊臣秀吉の廟がある山で
平安時代には鳥部山(とりべやま)だったとか。

現在は東海道本線や新幹線が山の南側を
東山トンネルで抜けてますんや。

この山から眺めて南西側を「鳥戸野」(とりべの)と
書き貴族など高貴なお方の葬送地になりますんや。

反対に北西側を「鳥辺野」(とりべの)と書き
こちらは京都庶民の葬送地になってたんだって。

現在もこの山の裏手には京都市の中央斎場が有り
国道1号線を挟んで清水寺や大谷本廟もおます。

現在でも京都を代表する霊園が多く見られまっせ。

だから平安時代などは遺体を捨てて風葬や鳥葬が
行なわれる、おどろおどろした場所でしたんや。

当時は鴨川を三途の川と考え、それから東は
人も寄り付かぬ寂しい場所だったとか。

現在の清水寺舞台の下などは死体を捨てた所で
死臭を防ぐために舞台が高いんだとの説も。

現在の賑わいなどとても考えられないのが
当時の「鳥辺野」界隈だったようでっせ。

(東大路通り 今熊野)


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東大路通りはこの先で右へカーブして鴨川を渡ると
九条通りと名前が変わり五重塔で有名な東寺の
前に出るようになってますんや。

画像の右手に見える森は「新熊野神社」ですな。

(新熊野神社=いまくまのじんじゃ)


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後白河上皇時代の新熊野神社は応仁の乱で焼失し
江戸時代になってから後水尾天皇の皇子で

聖護院宮(しょうごいんのみや)道寛親王が
約500mほど南の東大路通りに再建されたのが
現在の新熊野神社なんだそうですわ。

朝廷にはお金がなかったけど後水尾天皇に輿入れした
徳川秀忠の娘で東福門院和子さまのお金が
この、お社の再建に大きな援助になったんだって。

(泉涌寺道)


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ここから東大路通りとお別れして「泉涌寺道」へ
入って行くことにしまひょ。

源氏物語にでてくる「夢の浮橋」がこの先に
在ったそうでっけど
現在は暗渠になって居て何処なのか分かりまへん。

この辺りは先程に書きました「鳥戸野」(とりべの)で
昔は高貴なお方の葬送地ということになりま。

(泉涌寺 総門)


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泉涌寺(せんにゅうじ)は明治維新までは皇室の
菩提寺でしたので「御寺」(みてら)とお呼びします。

この総門の側に「即成院」という塔頭がおますんや。

(泉涌寺の塔頭 即成院)


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読みづらいですが昔は伏見寺とよばれるお寺で
明治の廃仏毀釈でここへ移されたようで
那須与一の墓と伝えられる石塔があるんだって。

今回はパスして泉涌寺の参道を奥へ進みまひょ。

(今熊野観音寺) (西国三十三ヶ所第十五番札所)


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平成の4年にこのお寺に来てますんやけど
どうも記憶に残ってませんな。

こんな赤い橋があれば見覚えがあるはずなのに
当時はまだ赤い橋がなかったのかしら?

(今熊野観音寺 ご朱印) (平成4年に参詣)


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まさかタクシーで乗り付けたことは無いはずだし。

見事に、わての記憶から忘却の彼方になってまんがな。

(今熊野観音寺 赤い橋で自分撮り)


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本堂を眺めても一向に昔の記憶が蘇りませんわ。

この日は同時に六角革堂へもお参りしてますんやけど
そちらの方は記憶が残っているのに何故でっしゃろ。

(今熊野観音寺 本堂)


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今熊野観音寺は昔は東山観音寺と呼んだそうな。

後白河上皇の頭痛を治したとかで上皇は生涯に
34回も熊野詣でをされているんですが
必ずここへお参りしてから熊野へ向かわれたとか。

そんな訳で「新那智山」という山号も
上皇さまから頂いたように記されてますので
後白河上皇が深く信仰されたお寺のようですな。

(今熊野観音寺 本堂の内部)


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これ以上は撮影禁止だから仕方がないですわ。

西国三十三ヶ所の第十五番札所としては
昔から有名なんでっけど
最近は「ぼけ封じ」のお参りが多いとか。

わても、「ぼけ封じ」をお願いをしときまひょ。

(今熊野観音寺 ぼけ封じの ご朱印)


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(ぼけ封じの観音様)


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(今熊野観音寺 境内の三重の石塔)


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平安時代の石塔だとは分かるんだけど応仁の乱で
由緒書きが焼失してしまったんでしょうな。

創建当時の三重の石塔とだけ説明されてましたよ。

ここの奥に霊園がおますんやけど、そこに
藤原三代のお墓が在ると聞いてましたんや。

係りの方にお聞きして足を延ばしてみましたで。

(藤原三代の墓) 


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画像の向かって右から天台座主「慈円」中央が
関白太政大臣「藤原忠通」一番左側が
摂政「九条兼実」と言われていますね。

中央が保元の乱に登場する後白河天皇側の関白
両脇は関白「藤原忠通」の息子に当たる
兄の九条兼実と弟の大僧正慈円になりますんや。

九条兼実じゃなくて藤原長実との説もあるとか。

天台宗の座主をした「慈円」さんが何故に、ここ
真言宗のお寺にお墓があるのかも不思議ですな。

供養塔かも知れないけど現在も京都の冷泉家が
この宝塔を維持管理されているんだって。

藤原摂関家に関連する石塔には間違いはなさそう。

それでは泉涌寺の方へ向かいまひょかな。

(泉涌寺への参道)


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(泉涌寺=せんにゅうじ 大門) (重要文化財)


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このお寺には今まで一度も訪れたような記憶がない。

京都の市内にもお寺は多く在るけど泉涌寺は割と
観光コースからは外れているような感じ。

(泉涌寺 本日は拝観無料)


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何だか得をしたような気分になりまんな。

ほんなら~ 泉涌寺の境内へ入りまひょ。

泉涌寺は真言宗の泉涌寺派の大本山なんだって。

江戸時代には皇室のお寺なので「御寺=みてら」
と呼ばれ、歴代の天皇が崩御されるとここの門主が
葬儀を主催しここの霊明殿にお祀りしたんだそうな。

(泉涌寺 仏殿)  (重要文化財)


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参道からこの建物を写すと良い感じなんだけど
残念ながら工事中でシートが被さってますな。

この工事が理由で拝観料が無料になってるのかな?

何度も同じコメントになりますんやけど
ここも応仁の乱で全ての建物が焼失してますんや。

京都市内では応仁の乱で焼かれなかったお寺ちゅうのが
珍しいということになりまんな。

徳川4代将軍家綱公の時代に再建されたとか。

戦前までは宮内省が修理などの費用は負担していたが
現在は普通の寺院と同じになっているとのこと。

(泉涌寺境内 大門を背景に自分撮り)


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(泉涌寺 本坊)


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読みづらいけど「香淳皇后」さまの月命日の表札が?

明治以降は皇室は仏教から離れて菩提寺もないはず。

でもここ泉涌寺では昭和天皇さまも香淳皇后さまも
江戸時代の天皇さまと同様にお祀りされていて
月命日に霊明殿でお祈りが続けられているようでんな。

江戸時代の天皇さまは「ご位牌」が残っているんだけど
昭和天皇さまや香淳皇后さまの「ご位牌」も
特別に泉涌寺ではお作りしてあるのかしら?

(泉涌寺の ご朱印)


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流石に皇室のお寺だけに16弁の菊の御紋が押してま。

この本坊の南側に「霊明殿」と言う大事な建物がおます。

江戸時代・歴代の天皇さまの「ご位牌」はここ
霊明殿にお祀りされているようでんな。

(泉涌寺 霊明殿)


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(勅使門) (霊明殿への正門)


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現在も天皇陛下から命じられた勅使しか入れないようですな。

このお寺には今上天皇も即位の直後と即位10周年の
二度だけ歴代の天皇さまへ報告に立ち寄られているとか。

(泉涌水屋形=せんにゅうすいやかた)


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泉涌寺の名前が付けられた由来がこの湧き出る泉のようでっせ。

現在も湧き出ているとかで大事に管理されているようでんな。

(四條天皇他二十四方御陵参道 石碑)


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四條天皇とは鎌倉時代・承久の乱の後に即位した
後堀河天皇の皇子で続いて即位されたお方ですが
このお方で後高倉院の血統は絶えていますね。

その他は後水尾天皇以降の歴代江戸時代の天皇さまと
皇后さま皇太后さまや内親王さまですな。

(霊明殿をサイドから撮影)


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この霊明殿から東側に向かってに山裾に
「月輪陵=つきのわりょう」がおますんや。

おそらく江戸時代だから石塔の簡素なお墓が
並んでいるんだと思いますね。

明治になってから宮内省が立派に改装して
現在の形になったんだと思いますんや。

(泉涌寺内 月輪二十四陵)


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泉涌寺の方は戦後になってから宮内庁の管轄から外れ
現在は「泉涌寺を護る会」が維持管理しているとか。

この月輪二十四御陵だけは現在も宮内庁の管轄でんな。

(宮内庁の 月輪陵&後月輪陵  御名前掲示板)


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歴史上に登場するお方が並んでいますね。

ここに掲げられてる天皇や皇后さまの他に

単独で孝明天皇さまと英照皇太后さまの御陵が
近くで別に設けられているのは
やはり明治天皇のお父君だからでしょうな。

この、お二方の御陵は墳丘もあり立派だそうで
やはり明治政府の天皇家に対する配慮でしょうか。

最後に泉涌寺の入口を入ってすぐ左手に
楊貴妃観音がおますのでそれを貼り付けまっせ。

(泉涌寺境内 楊貴妃観音)


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暗くて楊貴妃観音さまは写りませんでした。

100円だけ出費して写真を購入しましたんや。

楊貴妃観音さまの説明は上の掲示板を読んで頂戴ね。


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昼食は東大路通りへ戻って小さな蕎麦屋さんへ入りましたで。

なんでも幕末から続く4代目のお婆さまがご店主のよう。

化学調味料は一切使わない自家製の自慢の出汁を使っている
昆布に鰹節と薄口醤油で仕上げているような感じ。

(京都名物 にしん蕎麦)


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長くなりますんで今日はこれぐらいでお仕舞い。

次回は今熊野から少し北側にある妙法院門跡や
関東に多くの末寺を持つ智積院を紹介しまっさ。

ほんなら、これでさいなら~









コメント (14)
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