鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの一人旅   もう一つの国宝 如庵を訪ねて  

2014-10-24 18:33:16 | 旅行
愛知県の犬山市には国宝がもう一つだけおますんや。

名鉄犬山ホテルの敷地内に有楽苑という日本庭園が有りまんねん。

そこに名古屋鉄道が東京の三井家から譲り受けた茶室「如庵=じょあん」

江戸時代初めに織田有楽斎が京都の建仁寺の側に作った茶室なんだって。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

織田有楽斎(おだうらくさい)というお方は、織田信長の13歳年下の弟で
あの絶世の美人と伝えられるお市の方と同い年の生まれと記録されてまっせ。

歴史上では織田信秀の十一男で源五郎長益(ながます)と称したようですわ。

お市の方は正妻の土田御前の娘ですが、織田長益は母親が記録されてまへん。

おそらく父親の織田信秀の下級家臣クラスの娘で側室だと考えられますんや。

織田長益は武人と云うよりは、千利休の十哲と呼ばれる弟子の一人として
あるいは有楽流の茶道を生み出した人として名を知られてますかな。

有楽斎(うらくさい)如庵(じょあん)は隠居してからの名乗りだそうですわ。

(有楽苑の 表示板)


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織田有楽斎(1547年~1622年)は波瀾に富んだ人生でもおました。

この茶室「如庵=じょあん」も各地を転々としたようでっけど。

織田長益と呼ばれた頃にも歴史的事件に顔を出してはりまっせ。

武田攻めには甥の織田信忠の軍勢の一員として木曽口から攻め上り
松本市の深志城などを開城させてはるようでんな。

本能寺の変の時には二条城で織田信長の嫡男信忠の側に居られたが
間一髪で逃げ出して安土から岐阜へと脱出に成功してはりまぁ。

世間では織田信忠(甥)には自害を勧めながら自分は逃げ出したとか?

本当のことは分かりまへんけど京都市中に落書きがされたとか。

小牧長久手の戦いでは織田信雄(甥)と豊臣秀吉との和睦を纏め
その後は太閤秀吉のお伽衆として大坂城下に住んではりまっせ。

豊臣秀吉とも徳川家康とも話ができる立場には在ったようでんな。

淀殿(姪)の叔父として豊臣秀頼を何とか補佐しようと考えたのかしら。

関ヶ原の戦いでは東軍に付いて戸田重政親子を討ち取り大和で
3万石の大名になったけど、こんどは大坂城へ入り豊臣方に。

淀殿の叔父として徳川家康との戦いを防ごうと努力したんだけど。

でも~それが大坂方には徳川のスパイと見られて最終的には
大坂夏の陣の直前に京都市内へ向かって脱出してはりまぁ。

大坂城に居るころに京都の建仁寺の塔頭である正伝院を再興し
隠居場所と定めその側に作った茶室が「如庵」だそうですわ。

(有楽苑 旧正伝院書院への入口  岩栖門=いわすもん)


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この門も室町時代に細川満元が京都市内に作った物なんだって。

武家屋敷を代表する門だそうですわ。

この門をはいったら織田有楽斎が作らせた旧正伝院書院がおます。

(有楽苑 西側の唐門)


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この唐門は同じ織田家でも有楽斎の兄に当たる織田信雄の子孫で
大和松山藩の菩提寺であった元徳寺の門だったんだそうな。

この大和松山藩は丹波の柏原へ転封となりお寺が荒廃してしまい
門だけが奈良県大宇陀に残って居たのを移設したんだって。

織田有楽斎とは直接には関係がないんだけど同じ織田家として
尾張の国へ持ってくることにしたのかも。

名古屋鉄道さんは古い建造物を収集する趣味の重役さんが居たのかな?

鉄ちゃん爺やはこの門が入口だと思って入りかけたけど
どうも入口じゃないようなので表に廻ったんですわ。

(重要文化財 旧正伝院書院) 


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大坂夏の陣の直前に大坂城を出た織田有楽斎はここに入り隠居生活に
元和7年(1622年)ここで亡くなったと考えられてますんや。

この時の所領は3万2千石だったそうで四男長政と五男尚長に各1万石を
譲渡し自分は隠居分として1万2千石を確保したと記録には残ってますな。

長男は関ヶ原の戦いで親父と共に活躍し美濃野村で別に1万石の大名でおます。

長男・織田長孝の血統は子供の織田長則に子供が無くて無嗣改易で絶えますな。

だけど四男と五男の血統は無事に明治維新を迎えて華族に列してはりまっせ。

(有楽苑の 庭)


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まだ紅葉の時期には少し早かったんですが、これからが見頃でっしゃろな。

それでは国宝の茶室「如庵=じょあん」を紹介しまひょ。

(国宝 茶室 如庵)


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画像の入口の処で大工が二人で修復工事をしてはりまんがな。

これじゃデジカメで茶室を写してもサマに成りまへんわ。

無神経な大工が二人とも観光客を無視してまんがな。

ここに入苑する人は国宝の「如庵」がお目当てだと
係員も大工の二人も意味が分かってないようだね。

入苑料1000円も払って楽しみにしてたのが興醒めでっせ。

入苑料を半分の500円ぐらい返してほしい心境でしたわ。

こんな状態でで実物の「如庵」は写す気にもなりまへんでした。

この画像は帰りに名鉄の犬山遊園駅に掲げてあったポスターでおます。

(国宝 如庵  有楽苑の入場券です)


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この茶室は明治維新の直後に廃仏毀釈で建仁寺の敷地が没収され
取り壊される恐れもあったんやそうな、祇園の有志の方が残念に思い
東京の三井家に話を持ちかけて安く買い取ってもらったとか。

現在は祇園・花見小路の観光客で賑わう辺りに在ったんだそうでっせ。

何せ明治維新後は新政府や京都府もお寺には薄情な態度だったんだそうな。

土地が入用な時は大きな寺院から強制的に敷地を没収したような話でっせ。

三井家では一時は麻布今井町の三井家本邸に置いてあったようですが
戦前の昭和12年に神奈川県・大磯の三井家別邸に移動させたようですわ。

結果的には東京の空襲にも被害を受けずに済んだのは幸なことでした。

昭和26年に国宝に指定され、三井家では維持管理に苦慮したようで
昭和46年に名古屋鉄道に買い取ってもらうことにしたようでんな。

名古屋鉄道では織田有楽斎の生れ故郷である尾張にと考えて最終的には
犬山市の名鉄犬山ホテルの側の敷地に保存することにしたようですわ。

(重要文化財 旧正伝院書院 南側正室)


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画像の右端に国宝「如庵=じょあん」の壁だけが写ってますな。

旧正伝院書院と国宝の如庵は鍵の手の様に繋がって建てられてますんや。

おそらく京都市・建仁寺の側に在った時もこんな感じだったんでしょうな。

蛇足になりまっけど、東京の有楽町がこの織田有楽斎に関連するとか
云われてまっけど、漢字で書けば同じだけど「ゆうらくちょう」と
「うらくさい」と読み方が違うので俗説だ思いまんねん。

数寄屋橋に織田有楽斎が上屋敷を拝領したので、そんな俗説が出来たのだと
有楽町は明治時代になってから出来た地名だそうですわ。

(旧正伝院書院 内部の部屋)


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国宝の「如庵=じょあん」は勿論の事ながら重要文化財の
旧正伝院書院もこんな感じで遠くから写真を撮らせるだけでっせ。

これじゃ入苑料の1000円はどう考えてもボッタクリでんがな

(国宝 如庵への入口 萱門)


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(有楽苑内にて 自分撮り)


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(有楽苑の 庭園内部)


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庭の手入れは良く出来てまっけどな。

沢山ある茶室もほとんどが拝観できないとは、なんだ~ こりゃ!

これじゃ1000円を徴収する趣旨を間違っていると思うんだけど。

(有楽苑内 茶室 元庵)


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この建物は大坂天満に織田有楽斎藤が構えた茶室を古図にもとづき
正確に再現して復元した物だそうですわ。

ここで600円を払ったら、お茶とお菓子を味わえるんだそうな。

鉄ちゃん爺やは、気分を害した有楽苑だから退園することにしまひょ。

入苑料はどう考えても、犬山城の500円ぐらいが妥当でっせ。

拝観客が来たらいくら国宝の修理中でも写真を撮らすように
作業員に配慮の指示ぐらいすべきだと思うんだけどな。

それとも時間外に工事をやるべきじゃないかと思いまっせ。

(名鉄犬山ホテル)


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遠くに国宝の犬山城が見えてまっしゃろ、それでは木曽川の畔へ出まひょ。

犬山名鉄ホテルで昼食と考えていたけど、腹の虫が収まらないのでパス。

木曽川までやってきたら遊覧船の屋形船が見えてまっせ。

(犬山橋で 自分撮り)


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(木曽川の 日本ライン下り)


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鉄ちゃん爺やが乗ったのは昭和43年だから大昔の話になりまぁ。

当時は美濃太田からここ犬山橋まで14kmのコースでしたかな。

日本ライン下りは以前は奇岩を眺めたり急流のスリルを味わう
船頭さんの竿捌きで川を下る素敵な観光のコースでしたんや。

2011年に天竜川の川下りで事故が有り死者が5人出たのかな。

それで観光客も減ったことも有り今年の3月まで運休だったそうですわ。

犬山観光協会などが安全対策を決めて今年の春から再開されたとか。

でも危険な急流下りの部分は通らずに犬山橋から少しだけ遡上し
今度はライン大橋まで下ってから犬山橋へ戻るんだって。

安全第一は理解できるけど7kmの平凡な川下りでおます。

これでは日本ライン下りの興味は半減で、鉄ちゃん爺やなら
川下りの船に乗る気は、まず~ 起こらないでしょうな。

(救命胴衣を着用 義務付けなんだけど)


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観光客は救命胴衣を着用していないように鉄ちゃん爺やには見えたけど。

まあ~ ボヤキは止めて事故の無いことだけを願っておきまひょ。

(こちらは 鵜飼用の船かしら?)


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それでは名鉄電車で新鵜沼駅まで戻ることにしまひょ。

時計を見たら12時40分に美濃太田駅を出る列車に間に合いそうだ。

(名鉄犬山線 犬山遊園駅舎)


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(名鉄 6500系 通勤型電車)


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今日はこれでお仕舞いにしまひょ、次回はJR美濃太田駅から
飛騨川を走りながら車窓の風景などを紹介しまっさ。

ほんなら、さいなら~♪






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鉄ちゃん爺やの一人旅   先ずは国宝の犬山城へ  

2014-10-18 13:39:10 | 旅行
10月9日まだ薄暗いAM5時16分の電車でJR大阪駅へスタート。

JR大阪駅始発AM6時33分米原行き新快速電車がお気に入りですわ。

鉄ちゃん爺やの考えで、まずはJR大阪駅で座れる事が狙いの一番。

JR米原駅にAM8時ジャスト到着で、次のJR大垣駅行きに3分の接続。

JR大阪駅から新快速の先頭から3両目ぐらいが鉄道マニアの常識で
大垣行きの普通電車に飛び乗って、しかも座れるという悪知恵でんな。

(JR醒ケ井駅 駅名標)


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JR米原駅まではJR西日本のエリアなんで駅名標もブルーのラインでんな。

同じ滋賀県の米原市なのに次の「醒ケ井駅」からはJR東海さん管轄になりまぁ。

これから二日間はこのオレンジの駅名標にお世話になるちゅうことですわ。

画像がボヤケテいるのはJR東海さんの手抜きで車窓が洗車されてまへん。

先頭の運転台のところだけは奇麗に洗われてまっけど、  困りまんな~

それじゃ、運転手さん横でデジカメ使いまっけどご免だっせ。

(JR近江長岡駅に到着)


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画像の奥に見える山が伊吹山だっせ、今日は雲がかかり頂上が見えまへんわ。

この辺り冬場には雪の多い処でっけど今は10月だから、のんびりした駅でんな。

(滋賀と岐阜との 県境の風景)


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鉄ちゃん爺やは今までトンネルが滋賀県と岐阜県の県境だと思ってましたんや。

旅行のコース調べでネットで地図を検索してたら間違いに気が付きましたわ。

右手の国道21号線の先は昔の中山道は「今須宿」が在った場所だそうでんな。

現在は「オーツカ」という会社が見えたらそこから先が岐阜県になりまんねん。

正確にはトンネルの手前500m辺りから岐阜県と云う事でしたわ。

電車は右へカーブしながら関ヶ原駅・垂井駅と各駅に停まりながら
ままなく終点のJR大垣駅にAM8時37分に到着のようでした。

(JR東海 次は大垣の表示)


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鉄道マニアから苦情を言えばJR東海さんの米原駅~大垣駅間は悪評でんな。

本数は1時間に1本しかないし、車両は古くて乗り心地も最悪でおます。

青春18きっぷの期間などは増結もしないので立つ乗客も出まんねんで
JR東海道本線と言うよりは何処かの僻地のローカル線のような感じ。

(313系 新快速電車 車内を撮影)


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JR大垣駅で豊橋行きの新快速電車に乗り換えでっせ。

こちらはJR東海さんのドル箱だし名鉄電車との競合路線でおます。

だから~ さっきの鈍行電車とは随分とサービスも違う車両ですわ。

土日だけJR米原駅まで足を延ばすようでっけど平日も乗客の多い日は
JR米原駅まで延長して欲しいと云うのが鉄道フアンの声でんな。

今回は高山本線でのんびりと富山まで抜けますんでJR岐阜駅で下車。

(JR岐阜駅 北口駅舎)


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JR岐阜駅は県庁所在地なのに新幹線はお隣りの羽島駅にしかおまへん。

この駅舎は高架工事を終えて平成9年(1997年)にオープしたとか。

本来は2階部分に名鉄電車が入り3階部分にJR東海がの予定だったとか
でもJR東海さんと名鉄電車は昔からの「犬猿の仲」でっしゃろ。

やっぱり名鉄さんは近くに名鉄岐阜駅を別に完成させはりましたがな。

だから新幹線が停まるような駅に見えるのには、こんな理由がおますんや。

だからJR東海道本線やJR高山本線は3階部分から発着しまんねん。

(JR岐阜駅前の 織田信長像)


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確かに岐阜の名前を考え出したのは織田信長さんでしたな。

でも尾張の国から乗りこんできた織田信長さんをモニュメントにとは?

斎藤道三ではイメージが悪いし、織田信長さんで仕方がないのかな。

(岐阜市のマンホールの蓋)


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岐阜市と云えば長良川の鵜飼でっからこのデザインは納得でおます。

岐阜市と云えば人口41万を超える大都市なのに新幹線に乗るには
JR名古屋駅まで出て新幹線で東京へ行く方が多いと思いますんや。

逆に大阪駅や京都駅に行く時は岐阜羽島駅へ名鉄電車かバスでっかな。

こだま号しか停まらないし岐阜県民には気の毒な気もしますな。

なんでも岐阜の大野○○とかいう自民党の大物が地元の羽島に新幹線の
駅を作らせたとか、一時は畑や田圃の真中で変な噂になりましたな。

現在では少しだけ新幹線の駅前らしくは成ってきたようでっけど。

それではJR岐阜駅からJR高山本線で先へ急ぎまひょ。

(キハ47系 気動車 JR岐阜駅に停車中)


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JR高山本線は名前とは似合わない非電化の古いディゼルカーでおます。

当然ながら全区間が単線のローカル線というのが本当の姿でんな。

このキハ47系は国鉄時代にキハ40系として約880台製造されてまぁ。

昭和50年代の製造やさかいに、もうロートルで引退が近いのかも。

ところがJR6社が全国で今でも使っているんだって、しかも殆んどが
引退した形跡がないとは、こりゃまた不思議な気動車でっしゃろ。

エンジンを改良したとは言え山間部の勾配には弱い列車なんですわ。

JRに成ってから冷房設備を取り付けたので性能が精一杯という感じ。

それではJR岐阜駅AM9時10分の美濃太田行きで、 出発! 進行!

(JR鵜沼駅 駅名標)


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JR鵜沼駅に到着がAM9時32分の定刻通りでしたわ。

JR大阪駅からここまで丁度3時間かかった事になりまんな。

時間も有るのでここから国宝の犬山城まで歩くことにしまひょ。

(岐阜県各務原市  橋の欄干飾り金具)


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各務原市(かかみがはらし)には航空自衛隊の大きな基地がおますんや。

歩いてる間にも自衛隊の戦闘機が離発着を繰り返して騒がしいでんな。

一機がスピードを落として着陸の態勢に入ったのでデジカメで撮影。


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戦闘機なのか輸送機なのか鉄ちゃん爺やには分かりまへんけど。

上空の高い所では戦闘機が訓練をしてますんや、わてのデジカメでは
米粒のようにしか写らなかったので貼り付けは止めて置きまぁ。

(木曽川 犬山橋の中間地点)


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左手に見えるのが国宝の犬山城でここは愛知県犬山市になりまんねんで。

中央の低い山は伊木山(標高173m)と言い戦国時代の山城跡がおます
こちらは木曽川の右岸で岐阜県の各務原市になりますんや。

中央に見える橋はライン大橋と呼ぶそうで木曽川の堰きが在るようでんな。

この辺りかな~ 木曽川の中央で愛知県と岐阜県の県境になるそうですわ。

(愛知県犬山市  橋の欄干飾り金具)


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橋の欄干の金具も鵜飼の鮎を掴んだ図柄に変って愛知県に入りましたで。

木曽川の水が凄く濁っているので気になり、翌朝の地元新聞を読んだら
御嶽山さんの火山灰の濁りが中津川から木曽川下流に達したとの記事。

火山灰の色には感じなかったけど混ざってこんな色に濁ったのかしら?

(木曽川の畔 古いチャートの岩石)


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地元の観光協会資料の請売りになりまっけど、珍しい地層なんだって。

1億5千万年~2億5千万年前に海底で堆積したチャートと呼ばれる
海底の砂層が太平洋プレートに乗ってこの辺りの地下深くに紛れ込み
その後に隆起して木曽川の流れに浸食されて地表に現れたんだって。

赤・白・灰色 三色が木曽川で見られるのは珍しいんだそうでっせ。

地質学者の間では研究の貴重な岩石だそうですわ。

この辺りまでくると犬山城は直ぐ側で見れるようになりましたで。

(木曽川の畔から 犬山城を撮影)


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(犬山城への遊歩道)


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木曽川の畔から犬山城には入れまへん、入口は南側の大手門だけですわ。

画像の右側は小川が流れていて自然のお堀ちゅう感じでっかな。

(国宝 犬山城 入口)


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ここからは急な石造りの階段を登って行きまんねんで。

丘の上に造られたお城で標高差は40~50mぐいらでっしゃろか。

(犬山城の 城門)


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急な坂道を登って来てこの城門の手前で入場料500円が徴収されまぁ。

防御を考えたのか坂道を登っている間はお城が見えまへんのや。

城門としか説明はおまへんけど再建された大手門のような感じ。

(国宝 犬山城 入場登閣料 大人500円)


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500円を払って城門を潜り抜けると天守閣が見える仕組み。

上手く考えてまっけど大阪城など天守閣を外から撮影するだけなら
無料と云うのが各地のお城でんがな、ここは近くからは駄目でんな。

まあ~ 城門を通り抜けたら国宝の犬山城が見えるから仕方がないか。

(国宝 犬山城 天守閣)


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犬山城は天文6年(西暦1537年)に織田信長の叔父である
織田信康により築城されたと言われる日本最古の天守閣だとか。

面白いのは平成16年までは旧城主の成瀬家の所有物だったそうな。

明治維新で一旦は国か愛知県の所有物になったんだけど明治24年の
濃尾地震の際にお城が破損したんだって。

それを修復するという条件で旧城主の成瀬家に返されたそうですわ。

それからつい最近まで国宝が個人の所有物だったという
珍しいお城だったと、初めて知りましたがな。

平成16年に成瀬家では公益財団法人「犬山城白帝文庫」を設立して
天守閣と江戸時代の古文書や美術工芸品を一般公開する施設を
犬山城の城下町にあたる場所に建てて現在に至るそうでんな。

別名を「白帝城」と云うらしいので名前を拝借したようでっせ。

だから現在は国宝の犬山城は「白帝文庫」さんの所有物になりまぁ。

それじゃ国宝の天守閣の最上階へ登ってみまひょ。

(国宝 犬山城 3階武具の間)


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(国宝 犬山城 最上階からの展望)


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まずは北側の木曽川の流れから貼り付けてみました。

川の向こう側は昔は美濃の国で現在は岐阜県の各務原市になりまぁ。

こちら側の犬山城は昔は尾張の国で現在は愛知県犬山市でおます。

戦国時代には尾張の織田信長軍と美濃の斎藤家が争った最前線でんな。

織田信長軍は現在の岐阜市方面から何度も攻撃したけど
斎藤家の岐阜市には入れずに追い返されたとのこと。

最後はこの犬山城から東美濃の国人領主を味方に付けてから
西美濃の斎藤家の本拠地に攻め入ったのが歴史上の経過でんな。

(国宝 犬山城から北東方向を撮影)


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画像の中央に橋が写ってますけどツインブリッジ犬山橋と言いますんや。

白く見えるのは名鉄電車の鉄橋でその手前に鉄ちゃん爺やが歩いて来た
犬山橋がおますんや、地元ではツインブリッジ犬山橋と呼ぶようでんな。

橋の左手300mぐらいがJR鵜沼駅と名鉄の新鵜沼駅になりまんねんで。

この鵜沼に戦国時代は織田軍に対応する鵜沼城が置かれていたんだって。

木曽川が凄く濁ってまっしゃろ、翌日に下呂温泉で新聞を読んでから
御嶽山の噴火による火山灰が木曽川の下流に到達したとの記事でしたわ。

火山灰とは思わなかったけど山土と混ざった感じの濁り方でしたな。

お天気が良ければ犬山橋の左手遠くに御嶽山が見えるとパンフレットに
説明がおましたけど生憎と視界が20kmぐらいかな、駄目でしたわ。

(国宝 犬山城から南側を撮影)


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こちら側は名古屋市の方角になりますんや。

肉眼ではなんとか名古屋駅前の高層ビルや名古屋のテレビ塔が見えまぁ
でも鉄ちゃん爺やのデジカメでは写ってまへんわ。

手前に小牧山が在って徳川家康が本陣を張って、こちら犬山城には
豊臣秀吉が12万人の軍勢を引き連れて入城しただって。

歴史上に有名な小牧長久手の戦いの最前線ちゅうことでんな。

画像の左よりに白い建物が写っているのが、さきほど説明を書き込んだ
「犬山城白帝文庫」の施設のようですわ。

(国宝 犬山城から北西方向を撮影)


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犬山橋の上から写した画像と比べたらこちらの方が良い感じでんな。

ライン大橋の向こう側の伊木山(標高173m)を見下ろした気分。

伊木山の右手に岐阜市内のビル群が肉眼では見えますが
デジカメではやっぱり写りまへんわ。

(犬山城の屋根瓦 & 犬山市街地 )


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ここの城主は江戸時代には尾張徳川家の筆頭家老を勤めた成瀬家が
明治維新まで続いたそうでっけど、初代は成瀬正成というお方。

徳川家康公に小姓として仕え、家康公の九男徳川義直公が幼少の為に
傳役となりその後、2代将軍秀忠公から犬山城を拝領したそうですわ。

尾張徳川家の付け家老として重要なお城を任されたようでんな。

幕府から付けられた家老職だから他所の大名の家老とは違い
れっきとした大名格の地位を持つ成瀬家なんだっせ。

普通は元和一国一城令で名古屋城以外は取り潰される運命なのに
やはり徳川御三家の重要なお城だから別格に扱われたんでしょうか。

貴重な戦国時代の建造物なので国宝に指定されたのも当然でっかな。

(国宝 犬山城 最上階)


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お城の階段はこうあるべきで、大阪城のようにエレベーターじゃ艶消し
歩いたら床がミシミシと鳴るのも、やはり歴史を感じさせますよね。

急な階段なので高齢のご婦人方は苦労して昇り降りされたようでっせ。

(国宝 犬山城と撮影)


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城内のボランティアの方に写して頂いたので文句は言えまへんが
天守閣の屋根まで入れて撮って欲しかったな。

国宝の犬山城ですが天守閣と石垣や土塁だけが当時のままで
櫓や門は全て明治維新の時に取り壊されてしまったんだって。

だから国宝のお城が日本には四つあるんですがここ犬山城は
松本城・姫路城・彦根城よりはスケールが小さい感じですわ。

でも天守閣だけは16世紀のままだから値打ちはおますんや。

天守閣の下の広場に季節外れの桜が咲いてましたで。

(犬山城内の 四季桜)


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四季桜という名前から春と秋の二回ぐらい花を咲かせる品種かしら?

大阪の万博公園には「冬桜」という名前のが有ったけど同じ種類かも。

それでは城下町を少しだけ歩いて見まひょ。

(犬山の城下町)


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ここ犬山市は戦争中の空襲を殆んど受けなかったようで昔の城下町が
さほど変らずに残っているとのこと、でも見た感じは観光地化してまんな。

もう一枚さきほどから何度も書き込みました「犬山城白帝文庫」も
貼り付けておきまひょ、お城の入場券があれば無料で見れるとか。

でも犬山市のもう一つの国宝を見たかったのでパスしました。

(公益財団法人 犬山城白帝文庫)


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正式には犬山市文化史料館と呼ぶそうで「城とまちミュージアム」で
成瀬家伝来の美術工芸品や古文書などが展示されているそうですわ。

この画像を写したのがAM11時前後でしたので次の国宝を見て
名鉄電車で新鵜沼駅からJR高山本線に戻るということにしまひょ。

欲張ってJR美濃太田駅発12時40分に乗る考えなんですわ。

そんな訳で、次回はもう一つの国宝である「如庵」から先の
美濃太田や飛騨川の車窓風景などを紹介させてもらいまひょ。

ほんなら、今日はこれでさいなら~♪
































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スケジュール変更で 10月9日から出掛けてきます~♪

2014-10-08 19:59:18 | 旅行
台風19号が接近し10月13日ぐらいに西日本へ接近だとか?

そんな訳で秋の乗り放題パスを10月9日~10月11日に
変更してきました、220円の損失でした。

3日間で7710円は「春18きつぷ」よりは少しだけ割高でっけど
この時期は「秋の乗り放題パス」しかおまへん。

このきっぷは鉄道記念日を祝してJR全線を連続で3日間だけですが
普通列車や快速電車のみ利用できる鉄道マニア向けのきっぷでおます。

青春18きっぷは連続じゃなく、二人や三人でも利用できますが
秋の乗り放題パスは一人だけしか利用できません。

3日間連続ちゅうのが難点ですが、それはそれで鉄道マニアには
それを上手に使って元を取るのも楽しみの一つでしょうな。

(秋の乗り放題パス) (3日間 7710円)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

鉄ちゃん爺やは10月4日に10月13日~10月15日までを
購入してたんですが、台風接近とやらでスケジュールを変更しましたんや。

10月9日はJR大阪駅からスタートし下呂温泉で1泊し翌日は
秋の高山祭を見物して10月10日は高山市内で1泊。

10月11日はJR高山線で富山市へ抜ける予定です。

JR大阪駅から富山の高岡市まで普通運賃に換算したら約8900円

大きく元は取れませんが損はしないスケジュールに成りましたね。

(小型全国 時刻表 2014年10月版)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

10月11日は富山市内から高岡市内を見物して高岡で1泊。

10月12日はお天気次第ですが大雨でなければ途中で彦根城辺りを
散策して大阪へ戻るように考えていますが如何になりますやら?

台風19号が速度を上げれば何処かでもう1泊になるかもしれませんな。

そんな訳で10月9日は朝の5時15分初の電車でJR大阪駅へ向かいます。

天気が良ければ秋の飛騨路と越中富山をデジカメ散歩してきますからね。

10月13日まではブログはお休み致しますので宜しく~♪
コメント (20)
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今週は英気を養って 大人しくしてまひょ。

2014-10-05 13:27:27 | 
来週は13日から鈍行列車で3泊4日ぐらいのミニ旅行を計画中。

台風18号に続いて19号が後を追いかけてるんで心配なんだけど。

我が家の庭に咲いている花でも貼り付けておきまひょ。

(狂い咲きしたサツキ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

我が家の生垣に植わっているサツキなんですが、7~8年前から
秋に狂い咲きを始め、最近では毎年の事になりましたので
もはや狂い咲きとは呼べないかもしれませんな。

側にもサツキが植わってるんですが、この株だけが秋に咲きますよ。

(我が家の 生垣とサツキ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

我が家の庭では現在は「フジバカマ」が咲いていますな。

この花は秋の七草の「フジバカマ」とは少し違って
園芸用に品種改良したものだそうです。

(フジバカマ)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

お仕舞いは7月から4回に渡って咲いてくれました「月下美人」
9月25日の分で、おそらく今年最後の開花だと思います。

最近は今夜に開花するか、どうかが分かるようになりましたよ。

(月下美人)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

今日はこれでお仕舞い、簡単なブログでご免なさいね。

それじゃ、さいなら~♪






コメント (4)
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