鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

えらいこっちゃ! PCの画像が消滅!

2018-06-17 20:58:22 | 
Windows11 ? アップデートしたら、えらいこっちゃ!

マイピクチャーがPCから全て消滅しましたがな!

更新を躊躇してたんでっけど、誤ってクリックしたんですわ。

ハードディスクの何処かに残ってるんだとは思いまんねん。

今日の画像は取り込めたんでシステムは正常なようですわ。

(我が家の アジサイ)






アジサイは土の関係で青色の花もピンクに変わってしまうとか。

先週のテレビでそんな話が出てましたで。

我が家の地植えしたものは確かにピンクに成りつつおますわ。

画像の2つは鉢植えしたもので何とか助かったような感じ。

(白いアジサイ アナベル)








アナベルは素人でも簡単に育てられる白いきれいなアジサイでっせ。

北アメリカ産の園芸種のアジサイだそうで、我が家から株分けして
進呈したご近所でも、最近は立派に育って喜ばれてますんや。

このアジサイは緑から白に変わり最後は茶色で枯れていきまかな。

(我が家の庭で 桔梗が開花しました)




秋の季語になる桔梗の花でっけど梅雨のころに咲き始めますんや。

次々と咲いて秋の10月ごろまで長く楽しめる花でっかな。

(我が家の庭の マリーゴールド)




(娘にロータリークラブから 生花)


依頼人は山口県の支部からですが、届けて来たのは地元の花屋さん。

5千円ぐらいの花束ですかな? 誕生日のお祝いだそうですけど。

(我が家の ブルーベリーの木)


まだ熟してませんが小鳥が実を狙ってますので油断ができません。

もっぱら~ 鉄ちゃん爺やが書斎から小鳥を追い払ってますんや。


最後にWindows10 の消滅した画像の復元方法をご存知の方は
私のブログにコメントで書き込んで頂ければ幸いに存じます。


そんな訳で、取り合えず今回のブログはこんな感じでご勘弁を。

ほんなら~ これで~ さいなら~♬



コメント (23)
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Osaka Metro & 自然史博物館 

2018-06-10 14:00:23 | 鉄道
大阪市営地下鉄が今年の4月1日から名前が変わり

Osaka Metro (オオサカメトロ)

正式名 大阪市高速電気軌道 ㈱ (民間会社に)

2018年(平成30年)4月1日に発足


鉄道と呼ばないのは道路の下を掘って出来た
地下鉄でしたもんで軌道法が適用されてまぁ。

鉄道とは道路以外の所を走る車両という法律が
大正から戦前には施行されていたんだって。

こちらは国鉄などで「鉄道法」と呼びましたんや。

だから路面電車がルーツなのが「軌道法」でんな。

大阪市の地下鉄は「軌道法で」認可されましたんや。

(オオサカメトロの ロゴマーク)


デザインと名前が横文字に変わったんでっけど。

でも大阪府民は今後も「地下鉄」と呼びまっせ。

公募で選ばれたオオサカメトロでっけどな。

大阪人には泥臭い「地下鉄」がお似合いでおます。



東京は地下鉄が2社あるので都営地下鉄と区別し
東京メトロと呼ぶのが定着してきたそうでんな。

大阪は地下鉄が、一つしかおまへんので新しく
オオサカメトロなんて呼ぶ人は少ないと思いまぁ。

それに東京メトロの真似したとか言われたら
大阪人は、けったくそ悪いもんでね。



ご丁寧に Osaka Metro だっせ。


いくらインバウンドで外国人が多いと言いまっけど
乗客の大半は日本人のはずだと思いまんねん。

日本語での表記が欲しかった気もしますんや。

他府県からお越しの方が迷わなければと思いまぁ。

決まったものは、仕方がおまへんけど。

(オオサカメトロ ロゴマークの変化)


オオサカの「O」が変化して ⇒ メトロの「M]に

らせん状に変化することを表現してるんだって。

左の上に 走り続ける 変わり続ける との表示が。

小さくて老人には読めないぐらいの文字でおます。

下の大きな文字は4月から暫くの表記でっしゃろな。

流石に駅の構内には日本語が併記されてまっけど。

(オオサカメトロ 梅田駅 改札口前)


地下鉄の車両はロゴマークの付け替えが遅れまして
5月の撮影でっけど、旧の「マルコマーク」のまま。

こんな車両が6月まで一部で見られるんだそうですわ。

現在では全ての車両が新しいロゴマークに変わったはず。

オオサカメトロには全部で約1344台の電車がおます。

(オオサカメトロ 御堂筋線の車両)(旧のロゴマーク)


(大阪市営地下鉄時代の 元のロゴマーク)


懐かしい感じがするのは鉄ちゃん爺やだけかしら?

何せ40年近くこのロゴマークを見慣れてたもんでね。

大阪の地下鉄はホームドアの設置が遅れてますんや。

特にメインルートである御堂筋線が問題なんですわ。

現在の所は天王寺駅と心斎橋駅の二か所だけでっせ。

(オオサカメトロ 天王寺駅のホーム)


天王寺駅に昨年の春にホームドアが初めてお目見え。

乗降客が一番多いオオサカメトロの梅田駅には
現在も何故かホームドアーが設置されてまへん。

過去の転落事数などから考慮したのかしら?

1日平均で約40万人が乗り降りする梅田駅だっせ。

悲惨な転落事故が起こらないことを願ってますわ。

一つの駅で設置に数億円の費用が掛かるんだって。

(オオサカメトロ 梅田駅のホーム)


(オオサカメトロ 長居駅名標)


(オオサカメトロ 長居駅構内)


セレッソ大阪のホームグランドらしいでっしゃろ。

遅れてた長居公園の自然史博物館を紹介しまひょ。

(大阪市立自然史博物館前にて 自撮り)


ここは10年ぐらい前に一度だけ入場したんですが
最近になって大きくリニューアルされたそうですわ。

(約6万年前の ナンマン象 & オオツノジカ)


約45万年前から約2万5千年前まで生存していた?

当時の大阪は今よりも相当に温暖だったようでんな。

1階のフロアは殆ど変わりがないように見えました。

2階の展示場が大きくなり展示品も倍増した感じ。



2階には大阪大学構内から出土したマチカネワニが。

(マチカネワニの 骨格標本)


自然史博物館のはレプリカでっけど有名な標本だっせ。

全長が約7mもある完全な骨格で出土したんですわ。

大阪大学の豊中キャンパスに本物が保存されてまぁ。

約42万年前に現在は標高20mぐらいの丘陵地に
住んでいた「待兼山」の名前が付けられてますんや。

大阪大学のキャンパスを造成中に発見されたんだって。

東京オリンピックの直前で1964年(昭和39年)
地元新聞やテレビで大きなニュースになりましたんや。

大阪府豊中市に「マチカネワニ」が居たなんて驚き!

大阪大学で一度だけ本物を拝見したが写真撮影は禁止!

現在も無料で大阪大学の豊中で見学ができますから。

(6500万年前の アンモナイトの化石)




ここ自然史博物館では小学生などが実物に触れるように
各所で工夫がされてるのが特徴なんですわ。

アンモナイトの化石は10年前も置かれていたような記憶が。

触られすぎてピカピカに光っているのは仕方がないのかも。

(こちらは 石炭)


鉄ちゃん爺やなどは、石炭ストーブを使った世代なので
珍しくもないけど、現在の小学生なら珍しいんでしょうな。

最近は外国からの輸入するのが石炭なんだから。

昭和30年代までは日本にも多くの炭鉱が有ったけど。

(小学生も大人も モニターで検索)


鉄ちゃん爺やも近所に植わっている知らない樹木を検索。

今回は鉄ちゃん爺やも新しい発見でしたのを紹介しまひょ。

日本人が大好きな「カニ」の事で目からウロコでした。

「カニ」は学問的に5本が対になる足が10本なんだって。

(タラバガニの 標本)(足が8本)


(タカアシガニの標本)(足が10本)


タラバガニは4本の対で足が8本になってまっしゃろ。

タラバガニや花咲ガニは正式には「蟹」の仲間じゃなく
「ヤドガリ」の仲間に入るんだと初めて知りましたで。

10脚目なのが学問的には「蟹」なんだそうですわ。

ヤドガリと呼んだらタラバが売れなくなるでしょうな。

別にタラバを「蟹」と称しても違反じゃないんだって。

学問的には「蟹」じゃないだけの話なんでしょうな。

(大阪府に生息する 蝶々)




右側の一番下のが鉄ちゃん爺やの庭に飛んでますがな。

最近になって大阪府で増加している蝶々なんだって。

(自然史博物館の 展示室を拝観する子供たち)


(これはタヌキだったはず?)


(こちらは日本イタチだったかな?)


尻尾が短くて丸みを帯びているのがタヌキなんだね。

タヌキは一度だけ早朝に我が家の前で見かけた記憶。

最近は近くの山へ帰ったのか見ることおまへんけど。

(マガもと カルガモの違い)


本来はくちばしの部分の色が異なるとの事。

本来の「マガモ」は渡り鳥の冬鳥ですよね。

最近は交雑種が増えて夏場も住み着くのがいるとか。

この日はカメラのご機嫌が悪く30枚ぐらいがダメでした。

大阪府の樹木や地層や生物などの画像が全滅でしたんや。

どうやら変な所を触って動画モードに化けてしまった感じ。

(オオサカメトロ 新型車両)


(オオサカメトロの ロゴマーク)


写真がネタ切れに成りましたんでお仕舞にしまっさ。

ほんなら~ これで さいなら~🎵





コメント (8)
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世界三大微笑像の一つ  中宮寺にて ご対面

2018-06-03 19:33:36 | お寺
法隆寺は他府県の方でも修学旅行や遠足で
一度は訪れられたことが多いと思いまんねん。

でも法隆寺の「夢殿」の東側にひっそりと佇む
「中宮寺」は、ご存知ではないでしょうな。

(中宮寺門跡 案内の道標)


このお寺は江戸時代には皇族の姫宮様が門跡を務める
門跡尼寺として、高い格式を持つお寺でしたんや。

内親王様が門跡(住職)に成られたことも有ったとか。

明治になって皇族の姫宮様が降下されることは廃止に。

民間の女性が住職を務める尼寺として今も健在だとか。

現在でも尼さんが住職を務める奈良尼寺三か寺の一つ。

(中宮寺=ちゅうぐうじ 遠景)


現在は法隆寺の子院である敷地にひっそりと佇む
お寺なんですが、約400mほど東側に基礎石だけ
残る奈良時代から中世までは大きな寺院でしたんや。

寺伝によれば、聖徳太子の母親である間人皇后さまが
斑鳩御所を中央に置き、西の法隆寺と対照的な位置に
創建されたのが、このお寺だったそうですわ。

創建当時から法隆寺は僧寺として、ここ中宮寺は
尼寺として造られた事が基礎石から判明するんだとも。

(中宮寺 入口)


ここまでやつて来る観光客も、素朴な山門を観たら
素通りするか、引き返す方が多いかもしれまへん。

実は「世界の三つの微笑像」と呼ばれる国宝の
菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)が有るなんて
知らない方が多いのは、当然だと思いまっけど。

鉄ちゃん爺やは学生時代から知ってましたで。

美しい仏さまだと日本史の先生から教わった記憶が。


中宮寺・本尊 菩薩半跏像 (飛鳥時代の製作?)

別名 如意輪観世音菩薩像 (平安時代以降)


写真撮影は禁止なので中宮寺のパンプレットから。

(国宝 中宮寺 菩薩半跏像) (案内書から転写)



「世界三大微笑像」とは

中宮寺 本尊の       菩薩半跏像

エジプトの         スフインクス

レオナルド・ダ・ヴィンチ作の  モナリザ


この三つをそのように呼ぶんだそうですわ。

これを知ったのは15年ぐらい前の事でっけど。

(中宮寺 表御殿=おもてごもん)


おもてごてんと読みそうですが、おもてごもんが正解。

皇族方が来られるので格式の高い「御座の間」を含む
六部屋からなる建物で見事な襖絵が施されているんだって。

建物自体は江戸時代の再建で登録文化財になってますんや。

(中宮寺 本堂)


鉄ちゃん爺やが前回に訪れたのは1958年(昭和33年)

この本堂は1968年(昭和43年)完成との事なので
今回が初めて、ここには小さいお堂が在ったのかしら?

ご本尊さまには記憶がおますんやけどお堂は分かりまへん。

珍しい池の中に建てられた本堂なのが印象的でっかな。

高松宮妃さまのご提案で再建がされたようでっけど。

(中宮寺 本堂の柱と周囲の池)




(山吹の花で囲まれた 中宮寺の本堂)


(中宮寺の パンフレット) (黄色い花は山吹)


「山吹の寺」として春には黄色い花でさぞかし綺麗なはず。

「山吹の寺」だとは今回訪れて初めて知ったんでっけど。

この本堂には現在はレプリカでっけど「天寿国曼荼羅繍帳」が

(天寿国曼荼羅繍張=てんじゅこくまんだらしゅちょう)


国宝で現在は奈良の国立博物館に保存されているんだって。

聖徳太子が622年(推古天皇30年)御年48歳で薨去
遊ばした後、お妃の橘大郎女(たちばなおおいらつめ)が

いたくお嘆きになり、太子様をお慕いのあまり宮中の采女に
命じて聖徳太子様の往生されている天寿国という世界を想像し
刺繍によって織らせたとの貴重な曼荼羅なんだそうですわ。

飛鳥時代の繊維が残っている貴重な物で鎌倉時代に法隆寺の
蔵から発見されたを何度も修復したと伝えられてますんや。

保存が難しいので奈良国立博物館に寄贈されたようでんな。

(中宮寺 門前の掲示板)


菩薩半跏像は京都広隆寺の弥勒菩薩像と似ているのでは?

鉄ちゃん爺やの独断でっけど、ほぼ同じ時代の製作かも?

共に朝鮮や中国から伝わった技法で製作されたはず。

中宮寺の菩薩半跏像はクスノキの寄せ木造りだとの事。

(京都太秦 広隆寺の弥勒菩薩像)




共に右足を左膝の上に置き右手を曲げて、その指先は
ほのかに頬に触れる、優美なお姿になってまっしゃろ。

広隆寺の弥勒菩薩さんの方が庶民的なお顔のようでんな。

もう一度中宮寺の菩薩半跏像の方を貼り付けて置きまひょ。

コピーなので分かりずらいかもしれまへんが
美しいお姿を、是非とも拝見にお越しくださいませ。

それにしても美しい仏様だと思いますんや。

法隆寺の百済観音様と甲乙が付けられないお姿でんな。

台座から1m40cmぐらいの小さな仏様なんですよ。

(中宮寺 菩薩半跏像)


本堂でご本尊さまを写真で撮影することは禁止でおます。

本堂の中でテープの説明を受けるだけになってますんや。

あの天寿国曼荼羅も、ご本尊様の前に掲げられてまっせ。

蛇足ながら中宮寺の菩薩半跏像は、鉄ちゃん爺やが若い頃
50円の郵便切手の図柄に採用されてましたはず。

昭和の50年代まで流通していたような記憶がおます。

(中宮寺 本堂への参道)




(中宮寺の ご朱印)


(法隆寺 国宝 南大門の柱と自撮り)


国宝・南大門の柱と写真を撮って戻ることにしました。

法隆寺と中宮寺の紹介はこれにてお仕舞にしまひょ。

ほんなら~ これで、 さいなら~🎵
コメント (13)
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