鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

京都 車折神社から 名勝嵐山へ 

2015-09-26 17:00:39 | デジカメ散歩
御室の仁和寺とお別れして嵯峨野の方へ向かいまひょ。

帷子ノ辻駅まで戻って嵐山本線に乗り換えでっせ。

(嵐電 モボ600形)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

映画村が近いので水戸黄門のヘッドマークを付けてまんな。

慌ててデジカメを構えたもんで少しボケてまっけど。

(嵐電 1日フリーきっぷ 500円)



鉄ちゃん爺やはこの日も有効にフリーきっぷを使いましたで。

途中下車しながら210円X5回 十分に元は取れましたな。

(帷子ノ辻駅 構内)





(嵐電 車折神社=くるまざきじんじゃ)





この駅名も普通には読めない難解な名前でっしゃろ。

鎌倉時代の14世紀に嵐山へ御幸された後嵯峨天皇の
牛車の車軸が折れて前へ進めなくなったんだって。

この社殿は何であるか!  後嵯峨天皇は尋ねたとか。

清原頼業(きよはらのなりより)をお祀りした社ですと。

後嵯峨天皇じゃなくて亀山法皇だとの説もあるんだって。

朝廷は「車折大明神」の神号と「正一位」の神階を与え
その後はそんな災いも起こらなくなったんだとか。

現在は小さな神社でっけど由来は凄いでっしゃろ。

嵐電の駅前が「車折神社=くるまざきじんじゃ」でおます。

(車折神社 正面入り口)



鉄ちゃん爺やも、ここは初めて訪れる神社ですわ。

とある~ 週刊誌に隠れたパワースポットと芸能神社だと
書かれた記事を読んでから、興味を覚えての参拝でんな。

この辺りから嵐山までを京都では嵯峨野と呼ぶんでっせ。

(車折神社 拝殿)(京都市右京区嵯峨朝日町)







お祀りされている清原頼業(きよはらのなりひら)は
平安時代の末期に学者として朝廷に仕えた方なんだって。

清原氏だから枕草紙を書いた清小納言と同じ一族でんな。

清小納言さんの方が180年ぐらい先輩になりまっけど。

(車折神社 清めの社)





ここの社務所で500円を納めて小さな石を一つ頂戴し
お守り袋に納めて、目線より高い処にお供えをして
毎日、お願い事が叶いますようにとお祈りをするんだって。

(祈念神石=きねんしんせき)



この祈念神石は、決してお守り袋から出したり触ったらダメ。

お願い事が叶ったら、自宅の近くから自然石を一つだけ拾って来て
感謝の言葉を書き込んで、車折神社へお礼参りに行くようでんな。

500円で頂戴した祈念神石は社務所に返納するそうでっせ。

自宅から拾ってきた石は感謝を込めて別の場所へ納めますんや。

願い事が叶った石が沢山に積み上げられてまっせ。



沢山の石に感謝の言葉が書き込まれているので、ご利益も多いんだ~

鉄ちゃん爺やも宝くじ3億円が当たりますようにと、お願いを考えたけど
神様は呆れてお願いを聞いてくれないだろうなと、諦めましたんや。

昔から京都商人の世界でこんな風習が伝わっていたそうでせ。

現在では若い方のパワースポットとやらで賑わってまんな。



ここ車折神社の境内に「芸能神社」と言う末社がおますんや。

芸能人は有名になりますようにと、足しげく通うんだそうでっせ。



(車折神社の境内 芸能神社)



ここには有名な芸能人が朱塗りの玉垣を奉納されてまっせ。

2~3枚だけ貼り付けて置きまっさ。







競馬騎手の武豊さんが「とんねるず」の仲間と並んで玉垣を?

他にも水戸黄門で活躍された里見浩太朗さんや歌手の五木ひろしさん。

茶道の家元である千宗室さんや藤原紀香さんまでおまっせ。

2年分で最低1万円を奉納したら誰でも奉納はできるようでっけど。

2000枚が並んでいるそうで、本家の車折神社よりもご繁盛でんな。

それじゃ~ 最後の訪問地である嵐山へ向かうことにしまひょ。

(嵐電 嵐山駅舎)


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(京都 嵐山公園)


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やはり嵐山とくれば大堰川の渡月橋を紹介せんとあきまへんな。

3年前の桂川の水害では大きな被害が出ましたが現在は痕跡も
見えずやはり嵐山は観光客であふれるような人出でおます。

(嵐山の 渡月橋)


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嵐山の渡月橋なら詳しくは貼り付けた説明書きを読んでね。

ここまで来たら京都五山の筆頭である天龍寺へ行きまひょ。

足利尊氏公が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建したお寺。

(京都五山 第一位の天竜寺)


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(天龍寺 法堂の天井絵 雲龍の図)


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八相睨みの龍で法堂内の何処から見てもこの龍は
こちらを睨んでいるように描かれているんでっせ。

あちこちの禅寺にもあるのでご承知の方も多いかな?


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平成22年11月に天龍寺で撮影した紅葉の庭園を貼り付けておきまひょ。

鉄ちゃん爺やと一緒に写っているのは2期後輩のOBなんです。

5年前の写真でっけど紅葉の気分でも味わって頂戴ね。

まだ紅葉には2か月ぐらい早い関西ですので今回は入場はパス。

(平成22年11月 嵯峨野 天龍寺の庭園)


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それでは夕方も近いので嵐電の駅の方へ戻りまひょ。

嵐山は紅葉の季節でもないのに観光客が多いでんな。

(嵐山 メイン道路の土産物店)


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(京扇)




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最後は嵐電のレトロ電車を待って四条大宮へ戻りまぁ。

この電車は平安京遷都1200年を記念して造られたそうな。

(嵐電 モボ21型(26号車) レトロな路面電車)


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(嵐電 嵐山駅構内の 足湯)



(嵐電の始発駅 四条大宮駅舎)


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これで4回に分けてデジカメ散歩した京都編はお仕舞い。

次は大阪へ戻して摂津の一宮である住吉大社を紹介しまっさ。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪



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鉄ちゃん爺や  仁和寺の御室御所を訪ねて~♪

2015-09-19 14:34:14 | デジカメ散歩
前回のブログで紹介しましたんやけど~

御室(おむろ)とは高貴な貴人がお住みになる
お寺の本坊を差しますが今では京都の地名になってまぁ。

だから歴代の門主さまがお住みになった僧坊でんな。

明治維新までは天皇の皇子さまや皇孫が門主に成られる
京都に数多くある門跡寺院でも最高位が仁和寺でおます。

(重要文化財 旧御室御所 仁和寺・本坊表門)



江戸時代に京都御所から移設された常御殿がおましたが
1887年(明治20年)に焼失してしまいましたんや。

この表門は幸いにも焼失を免れた江戸時代の建物でおます。

だから現在の御室御所(おむろごしょ)は明治時代から
大正時代にかけて再建された宮殿建築なんですわ。

(旧御室御所  前庭を撮影)


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平唐門の奥が御室御所の北庭になるようでんな。

御室の桜と同じように松の木も低く育ってる感じ。

(旧御室御所の 大玄関と皇族門)


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明治時代に再建された門でっけど、昔なら一般人は
この門をくぐることは出来なかったという訳でっしやろな。

現在は入口で拝観券を確認されるだけの場所でっけど。

(大玄関 金屏風を背に 御室流家元の生け花)


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御室流の家元は代々が仁和寺の門主さまがなられるとか。

京都御所・秋の一般公開などにも奉納されてましたかな。

二年前に京都御所に奉納されてた生け花を貼り付けまひょ。

(2013年度 京都御所 秋の一般公開)


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それじゃ内部を拝観させてもらいまっさ。

有り難いことに写真は自由にお撮りくださいだって。

拝観料もこの時期はお寺の伽藍も含んで500円
良心的な扱いには感謝をしておきまひょ。

(世界文化遺産の 登録書)


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内部は回廊で繋がっているような構造でんな。

明治時代の再建でも平安時代の趣は十分に感じられまぁ。

(旧御室御所の 回廊)


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回廊を進んでいくと左手が白書院で右手に
白砂を敷いた庭が広がってまっせ。

この場所を御室御所の南庭と呼ぶそうでんな。

(旧御室御所 南庭)


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奥に見えるのが勅使門を内側から見た画像でっせ。

お寺と言うよりは、やはり御所のイメージでっかな。

左手に目を向ければ宸殿(しんでん)と呼ばれる
京都御所の常御殿を模したような建物が観えてまぁ。

(旧御室御所の宸殿を 白書院から撮影)



(白書院の襖絵)


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(白書院の 説明書き)


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(白書院の仏画)


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仏画は真言宗のお寺だから大日如来さまでっしゃろか。

ここからは、又もや回廊を通って宸殿(しんでん)の方へ。

右手に白砂の南庭をみながら進むことになりますんや。

(宸殿へ向かう回廊)


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宸殿(しんでん)の手前から先程の白書院が見えてまっせ。

縁先に座って南庭を眺める観光客が居てはりまんな。

(回廊から白書院の 屋根を撮影)


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(宸殿前の廊下から 白書院を撮影)


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(宸殿前の廊下から 南庭を撮影)



御所の紫宸殿を模しているので右前には右近の橘が。

奥の右手には二王門が、その左手は勅使門でんな。

(宸殿前の廊下から 左近の桜)


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京都御所や平安神宮など左近の桜や右近の橘は外側から
撮影は出来まっけど、内側から写せるのはここだけかな?

(宸殿の廊下に 開閉式のしとみ)


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平安時代の寺社や住宅には開閉式の蔀(しとみ)と
呼ばれる建具が設置されているのが特徴でっしゃろ。

水平に開いた感じの処を撮影してみましたんや。

(宸殿の 説明書き)


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(宸殿内部 部屋の襖絵)


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(宸殿 上段の間 天井)


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(宸殿 上段の間)


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帰ってからネットで検索したらこの掛け軸のお方は
仁和寺・初代門主の宇多法皇さまでしたよ。

ここは歴代の門主さまが来客と面談される部屋でしょうな。

(旧御室御所 庭園の説明書き)


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(旧御室御所 北庭)


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宸殿の裏側に回り込むと南庭に出ますんや。

南庭は一転して日本式の庭園になってまんねんで。

遠くの五重塔を背景にして見事に造られてまっせ。


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(霊明殿への回廊)


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御室御所の一段高く造られた処に霊明殿がおます。

霊明殿とは歴代の門主さまの位牌が奉安されてまんねん。

屋根に宝珠を飾った立派な建物でっしゃろ。

(回廊から 霊明殿を撮影)


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(霊明殿の 説明書き)


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(霊明殿の内部 須弥壇を撮影)


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初代の門主さまは第59代宇多天皇が出家されて就任。

歴史上では宇多法皇さまとか寛平法皇さまと申します。

寛平とは宇多天皇が皇位に居られたころの元号でんな。

(霊明殿の廊下から 宸殿&北庭を撮影)


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ここで第二十一世の覚深入道親王さまのお話をしまひょ。

応仁の乱で全焼した仁和寺を徳川三代将軍の家光公に
直訴して京都御所の建物を移設させた門主さまでっせ。

だから仁和寺の中興の門主さまと呼ぶべきでっかな。

この方は第107代・後陽成天皇の第一皇子さんです。

太閤秀吉さんが亡くなる迄は良仁親王(よしひとしんのう)
と申し上げて第108代天皇にと当時の朝廷や太閤秀吉が
考えて居られたと歴史書では記されてますかな。

処が太閤秀吉が亡くなり徳川家康公が天下を取ると
親豊臣の後陽成天皇や良仁親王は遠ざけられますんや。

後陽成天皇の第三皇子である政仁親王が皇太子になり
後に第108代・後水尾天皇に即位される方ですわ。

そこで良仁親王は強制的に出家を命じられて仁和寺へ
第二十一世の覚深入道親王と成られたそうでんな。

蛇足ながら親王宣下を受けられた後に出家をされた方が
入道親王と申し上げ、出家の際に親王宣下がされた方を
法親王(ほつしんのう)と申し上げるようでっせ。

後陽成天皇の名前を付けたのは後水尾天皇だとか。

宮中で乳母の息子を撲殺し退位させられた陽成天皇の
名前を父親に授けるとは親子の仲が悪かったのかも。

普通は悪い記録の残る天皇の名前を付けないのが常識。

まあ~ この宮中殺人事件が無けれが仁和寺を創建した
宇多天皇さんや父親の光孝天皇は即位できなかったはず。

その為か長生きをされた陽成上皇さんの子供の処遇には
宇多法皇や醍醐天皇や孫の村上天皇まで苦労をしたとか。

自分の子孫に皇位を継続するために早めに譲位をし
皇位継承の安定を図るために宇多法皇さんは出家し
仁和寺で後の院政のような事を考えたのかも?

でも歴史は藤原氏の巻き返しで長男の醍醐天皇や孫の
村上天皇を経て摂関政治へ向かったとは皮肉な事実でんな。

(重要文化財 遼廓亭)

 
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江戸時代の画家・尾形光琳の屋敷を移設した建物で
明治20年の火災にも焼けずに残っているようでんな。

非公開に成ってますんで林の向こう側に見えるだけですわ。

(黒書院の 説明書き)


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(黒書院の 襖絵)


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(回廊から 黒書院を撮影)


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(旧御室御所 前庭にて自撮り)


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オムロンちゅう会社をご存じでっしゃろ。

昔は立石電機と言いましたがこの会社が終戦直後に
仁和寺の南東500mぐらいの処に工場がおました。

会社創業の地と言うことで、御室を片仮名にして
「オムロン」という企業名に採用したんだって。

今回は立ち寄れまへんでしたが記念碑があるんだとか。

長くなりまんので、今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は車折神社(くるまざきじんじゃ)と嵐山界隈を
昔の画像も加えながら紹介させてもらいまっさ。

ほんなら、これで、さいなら~♪

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御室の仁和寺へ行ってきましたで~♪

2015-09-12 20:20:16 | デジカメ散歩
皆さんが太秦映画村はご存知でしたが廣隆寺は
知らないと言う方が多かったんで画像を1枚だけ。

(太秦・廣隆寺の門前から撮影)


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画像の右手の道を奥の方へ行き初めての信号を
左折すると東映・太秦映画村になりまんねんで。

廣隆寺の霊宝殿の外側が映画村の南の端かな?

お寺の五筋塀が続いているので直接は行けないけど。

それじゃ御室(おむろ)の方へ向かいまっせ。

(嵐電 帷子ノ辻 駅名標)


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駅名を読めまっか? 檀林皇后の棺を運んでいる際に
風に煽られて帷子が飛んでしまったんだって。

この帷子の辻にご遺体を置いて風葬にしたとの説も。

埋葬はしないようにと遺言をされたそうです。

流石は古都の京都でんな1165年も昔の平安時代の
出来事が地名になって残っているのには驚き!

嵐電は一駅だけ乗ったら、ここで北野線に乗り換えでっせ。

(嵐電 御室仁和寺駅舎)


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駅舎には昔のままの駅名が残っているようでんな。

御室(おむろ)と言えば仁和寺(にんなじ)でっかな。

これから紹介する仁和寺(にんなじ)は明治維新までは
天皇の皇子か皇孫が法親王となり門主を務める故に
門跡寺院でも最高の格式を誇ったお寺なんだって。

まずは門前で腹ごしらえをすることにしまひょ。

(湯葉入り 茶蕎麦)


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そんなに美味しいとは言いまへんが京都では名物でっかな。

この日は、まだ暑つかんたので冷やし茶蕎麦にしましたで。

店を出たらそこは仁和寺(にんなじ)の二王門でおます。

(御室・仁和寺の 二王門)


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なんでも~ 京都の知恩院と南禅寺の山門を合わせて
京都の三大山門と書かれた本がおましたけど。

前回紹介した廣隆寺の楼門と比べたら倍ぐらいはおまっせ。

(二王門から 中門を望む)


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まだ先に中門が控えているようで伽藍は見えまへんわ。

仁和寺(にんなじ)は第58代・光孝天皇が
西山御願寺として着工されましたが崩御されてしまわれました。

第59代・宇多天皇が先帝の遺志を継ぎ仁和4年(西暦888年)
完成されましたので元号を取って仁和寺と名付けられたとか。


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宇多天皇は退位し法皇として初代の仁和寺の門主になられました。

天皇に即位した方が寺院の門主になるのは宇多法皇が初めて。

初代・宇多法皇さまから30代を数える歴代の門主さまは
五摂家の藤原道家公、及び足利義満公のご子息の例外を除き
全てが天皇陛下の皇子か皇孫が就任されていますね。

明治以降は民間の方が門主さまになられていますけど。

(仁和寺 中門)


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(仁和寺 由来を記した説明板)


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(仁和寺 全景の絵図)


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絵図の左側下半分は御室御所(おむろごしょ)と呼びます。

仁和寺御所とも呼ぶことがありますけど。

中央に中門があってその先が仁和寺の伽藍となりまんねん。

応仁の乱で堂塔が全て焼かれてしまい現在の建物は
江戸時代の寛永年間に再建されたものが殆どですわ。

第21世・覚深法親王という方が徳川3代将軍の家光公に
直訴して今に残る堂塔が完成したと書かれてますな。

(国宝 仁和寺 金堂)


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元は京都御所に在った紫宸殿を移設して檜皮葺から
仏堂なので瓦葺きに改修した立派な建物でっせ。

現存する日本最古の紫宸殿だと考えられるそうで
平安時代の宮殿建築の姿を今に残しているとか。

おそらくは慶長年間に造られた建物だとのこと。

本尊が阿弥陀三尊とは意外な感じを受けましたんや。

真言宗の御室派の大本山なので大日如来さんが本尊だと
想像しましたが宇多法皇の信仰が篤い阿弥陀如来さんですわ。

(仁和寺の ご朱印)


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境内をしばらく散策してデジカメの撮影をしましたんや。

美しい五重塔が見えるので近づいてみまひょ。

(仁和寺 五重塔)


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なるほど~ 京都・東寺さんの五重塔もこんな感じ。

真言宗だから、こちらに大日如来さんが祀られてるんだ。

(仁和寺の 境内で自撮り)


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(重要文化財 経蔵)


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京都の方は御室と言えば「御室桜」を想いうかべるとか。

遅咲きの桜で江戸時代から有名な桜の名所でっしゃろな。

当時は吉野の山桜より勝るとも書かれた書がおまっせ。

(仁和寺 御室桜)


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御室は土壌の浅いところに岩盤が有り、桜も根を深く張れずに
横に広がって伸びるんで背が低い、花も根元に近い枝から
湧き上がるように咲くそうでっせ。

「私やお多福 御室の桜 花(鼻)が低ても 人が好く」

お多福は(鼻)が低いけど 花の低い御室の桜も
どちらも好かれる人気者と、京都に伝わる俗曲でっせ。

「御室の桜」を始めて植えたのも宇多法皇だとの説。

それまでは御所にも梅が植えられていたそうでっけど
宇多法皇が右近の桜として初めて桜を植えさせたとのこと。

宇多法皇は桜の花を、すごく好まれたそうでっせ。

(史蹟 仁和寺御所跡の 石碑)


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(世界遺産 仁和寺 説明書)


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仁和寺境内の西南側に御室御所(おむろごしょ)とも
呼ばれる宇多法皇が住まれた場所がおますんや。

御室(おむろ)とは貴人が居られる僧坊のことで
この名前が後に地名となったようでっせ。

代々の門主さまがここに住まれることに成った訳でんな。

(仁和寺御所への 勅使門)


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(勅使門の 透かし彫り)


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(仁和寺御所 拝観 受付所)


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「御室桜」の咲いていない時期には仁和寺の伽藍への拝観は
無料で、ここ仁和寺御所の拝観は大人500円となりますんや。

時間がまだ早いので拝観して行きまひょかな。

(仁和寺御所の 中庭)


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(仁和寺御所 大玄関&皇族門)


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御室御所(仁和寺御所)の内部は次回のブログに
回しますので悪しからず。

ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪




















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太秦の広隆寺へ行ってきましたで~♪

2015-09-06 16:36:02 | デジカメ散歩
久しぶりの京都・太秦(うずまさ)でっから
「嵐電」と呼ばれる電車で行きまひょ。

国宝指定第1号の弥勒菩薩半跏思惟像で有名な

広隆寺(廣隆寺)を今回は紹介しまひょ。

(通称=嵐電 モボ100形 電車)


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この電車はパトカーのデザインなのでパト電と呼ばれ
子供さんには人気なんだとか。

正式には京福電鉄と呼ぶんでっけど「嵐電」の名前が
公式にも使われているようでんな。

昔は京都と福井県の両方で走ってましたんでっけど
現在は京都市内の嵐山本線と北野線のみですわ。

四条大宮~嵐山間を本線にしているので嵐山の名前を
PR用に採用したような感じ。

(廣隆寺 楼門)


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太秦の廣隆寺は、まだ都になる前から京都に建てられた
古いお寺で渡来人の秦氏の氏寺だったとの説がおますんや。

秦氏は日本に養蚕や機織りを伝えた技術者集団だったようで
大陸や朝鮮半島から他にもいろんな先進文化を伝えたとか。

(廣隆寺の 講堂) (重要文化財に指定)


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廣隆寺は平安時代に二度ばかり大火に遭ったようでんな。

だから飛鳥時代の建物は皆無でっけど、仏像だけは
数多く残っていることで有名なお寺なんですわ。

この講堂は1165年(永万元年)の再建と記録され
京洛では最古の建造物だと説明書には書かれてましたで。

(廣隆寺の 上宮王院太子殿)


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このお寺は聖徳太子さんの像を本尊にしているらしく
この建物が本堂にあたるようようでんな。

1730年(享保15年)の再建なので
国の重要文化財には指定されてないそうですわ。

横から見たら入母屋造りの見事な建物でっけど。


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それじゃ~ お目当ての弥勒菩薩さんを拝観させてもらいまひょ。

このお寺は国宝や重要文化財の仏像を50点以上も
現在は一同に並べて霊宝殿にお祀りしてるようでんな。

(廣隆寺 霊宝殿)


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このお寺はカメラ撮影が厳しく禁止されてますんや。

内部は2~3人の方が目を光らしているのでダメですわ。

ご朱印を貰う詰め所で写真を買いましたので
その画像を貼り付けさせてもらいまつさ。

(国宝第1号の 弥勒菩薩半跏思惟像)


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この弥勒菩薩さまは日本で一番美しい仏さまだと思いますんや。

笑みを含んだ優しいお姿は、引き込まれそうな雰囲気ですわ。

国宝の彫刻の部で指定第1号と成ったのも納得でっかな。

この弥勒菩薩さまを拝観するために訪れるわけでっけど。

他の50体以上も安置されている国宝や重要文化財を

皆さんがたは、素通りして弥勒菩薩さまの前だけは
しばらく佇んで眺めておられまっせ。

やはり~ この優しいお顔は誰の想いも同じでっかな。

(廣隆寺の ご朱印)


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(廣隆寺の 境内)


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(廣隆寺の 五筋塀を背景に自撮り)


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聖徳太子さまをお祀りしてあるから五筋塀が許可でんな。

門跡寺ではないんだけど格式が高い訳なんでおます。

(廣隆寺の 太秦殿)


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太秦明神・漢織女・呉秦女 の三神がお祀りされてま。

本来は秦氏の氏寺だから、こちらが本尊になるのに。

聖徳太子さまには勝てまへんから、小さいお堂のみでんな。

(モボ600形 嵐電)


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廣隆寺の裏手に東映の映画村がおますんや。

その映画のモデルをラッピングした電車でんな。

それじゃ~ またもや嵐電に乗って次へ向かいまひょ。

次回は御室の仁和寺を紹介させてもらいまっさ。

ほんなら~ これで、さいなら~♪








コメント (14)
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