離宮八幡宮から淀川の堤防の方へ歩いてみまひょかな。
ここ山崎の地は昔から京都へ入る水陸の要衝として大事な場所でしたんや。
関西の方ならご存じでっけど木津川・宇治川・桂川がこの辺りで三川合流して
淀川と名前が変わり大阪湾の方へ流れ下りまんねん。
対岸の男山とここに在る天王山が京都への喉首に見える地形になってまっしゃろ。
下の地図を参考にしてもらいまひょかな。
男山は八幡市の淀川の左岸になりま、わてが居るのが淀川右岸の大山崎町だっせ。
(淀川流域の見取り図)
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(淀川河川敷から天王山を望む)
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京都へ入るのに峠を越えなくても良いのはここ山崎からのルートだけでっせ。
そやから~ 現在でもJR東海道本線・阪急京都線・東海道新幹線・
西国街道(R171号)が接近して通り抜ける形になってま。
名神高速道路は割り込むスペースが無し、仕方がないので
天王山をトンネルで抜けてまんな。
逆に対岸から天王山を見たらこんな感じになりまんねんで。
この画像の一番左端の対岸ぐらいに立っている感じでっしゃろな。
(京阪電車の車中より 対岸の天王山を撮影)
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天王山(標高270m)低いどこにでも在るような山でっけど名前だけは
有名になって現在でも使われてまっしゃろ。
やはり歴史上有名な「山崎の戦い」が影響してまんねんやろな。
1582年(天正10年)6月13日(新暦で7月2日)後の豊臣秀吉さんと
明智光秀はんが天下分け目を争ったことで名前が残ったちゅうことですわ。
プロ野球なんかでも首位と2位が直接戦う場合「天王山」などと呼びまっしゃろ。
ヘボ将棋でも中央の「5五」地点を取り合いして「天王山」と使いましたな。
(大阪府と京都府の境界線 境川と呼ぶそうです)
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淀川に合流する直前の桂川に流れ込んでいる小川でっけど
木が茂っていて対岸や宇治川も木津川も見えまへんでしたんわ。
天王山の西側の山麓を流れ下った、この小川は昔から京都(山城の国)と
大坂(摂津の国)を分ける境目だったそうな。
現在は河川改修され、この地点では小川の20mぐらい左側に境界線があるようですけど。
今でも山崎の町中ではこの川で大阪府島本町山崎と言う地名と
京都府乙訓郡大山崎町と呼ぶ地域に別れるそうですわ。
(サントリー山崎蒸留所) (大阪府島本町になりますな)
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日本のウイスキー発祥の地とされ現在も操業する有名な会社でっせ。
皆さんから書き込みも頂いたので山崎と言えばこのサントリーさんの工場を
思い浮かべる方が多いようでんな。
わても関東へ単身赴任してた頃は新幹線の車窓からこの建物をみたら
大阪へ帰ってきたな~ とか、暫くこれで大阪ともお別れやと感じましたんや。
(JR山崎駅前の モニュメント)
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(重要文化財 妙喜庵) (JR山崎駅前)
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ここに国宝の「侍庵」と呼ぶ茶室がおますそうな、なんでも千利休が使用した
唯一現存する茶室やそうでっけど、完全に予約制で入れまへんでしたわ。
復元したのが大山崎町の歴史資料館に在るそうやけど本物じゃないのでパスしまっさ。
(妙喜庵の 石碑)
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豊臣秀吉の陣所だと彫られてまっけど、山崎の戦いの時はここより少しだけ
天王山に登った処のお寺だと歴史的な書物には出てまんねんけどな。
立ち寄り~ しはったんかも知りまへんけど陣所とは思えまへんな。
半年だけ城を造りはったのも天王山の中腹だったそうですし。
まあ~ いらん詮索は止めてJRで一駅だけ移動しまひょ。
(JR島本駅ホームから 天王山を望む)
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(JR島本駅 改札口)
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このJR島本駅は平成20年(2010年)に出来た新しい駅なんですよ。
(大阪島本町の マンホールの蓋)
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町を流れる水無瀬川(みなせがわ)に町の花である山吹にホタルをデザインした
大阪府の町とは思えないセンスの良いマンホールの蓋でんな。
この島本町は本来ならばお隣の高槻市に合併されるような位置におますけど
江戸時代から大山崎町との関係の方が強い町なんですわ。
町の東半分が昔の離宮八幡宮の所領で明治維新の時も、もめたあげく
お互いに京都府と大阪府に落ち着いた経緯もあったそうな。
平成になってからも府県を越えて大山崎町と越境合併を話し合ったとか。
現在はお互いに人口2万~3万ぐらいの町として存続しているようでっけど。
面白いのは電話の市外局番が大阪府なのに075大山崎町と同じなんですわ。
だから京都市内などへは市内通話で掛けられるそうでっせ。
郵便事業も大山崎町の局が管轄しているそうで、618で同じ
将来は合併しても問題が出る事が少ないのかも知れまへんな。
(櫻井駅址の石碑) (JR島本駅前)
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話には聞いたことは有るけど「櫻井駅」はこんな処に在ったんですか。
中世まで西国街道に在った宿駅でしたんや。
おそらくJR島本駅が無ければ訪れる事もない駅前の公園でっせ。
私も初めて訪れる処なのでデジカメで写してみましたんや。
(楠公父子 子別れの石像)
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戦前は修身にも記載され「桜井の別れ」の歌も暗記さされたとか聞きましたな。
もうこの歌を知っている方も少なく成ったでしょうが1番の歌詞だけでっせ。
「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下蔭(したかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か」
太平記に出てくる名場面で確か歌は6番まで在ったように聞きましたけど。
「父は 兵庫に赴かん 汝は故郷へ帰れ 将来かならず(足利)尊氏を討て」
楠正成は大半の部下を長男の楠正行(まさつら)に付けて
南河内の千早赤阪村に戻すという涙をさそう別れの場面でっせ。
生きて帰れないと悟った楠正成は正行の成長に後事を託しここ桜井の駅で
親子は別れ湊川の戦場(現在の神戸市)へ向かったそうでんな。
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ご承知の通り楠正行も吉野山から出陣し大阪府の四条畷で足利方の高師直と
戦い15年ぐらい後に戦死してしまいますね。
大阪人は楠正成公を「大楠公」(だいなんこう)息子の楠正行を
「小楠公」(しょうなんこう)と呼び
今でもどちらかといえば楠一族を親しく感じるようでっせ。
まあ~ 戦後に人気が急落したことも原因かもしれまへん。
大阪人は判官贔屓の考え方が強いだけで別に右翼という訳じゃおまへんからね。
(面白い 車止め発見)
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この辺りもお隣の京都府西山地区と並んでタケノコの産地には違いおまへんけど。
でもユニークな車止めを考え出したもんでんな。
ここから淀川の堤防へ歩いてみましたんや。
(水無瀬ゴルフ場 と対岸の枚方市)
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この辺りで三川が合流して淀川になっているんでっけど、木が邪魔でんな。
私が小学生の頃は合流する川が電車の窓から見えたんでっけどあきまへんわ。
(淀川の堤防から 対岸の男山方向を撮影)
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諦めて阪急電車で梅田へ戻ることにしまひょ。
実はこの日は夕方からOBと吞み会でしたんですわ。
(阪急電鉄 水無瀬駅舎) (みなせ駅と読みますよ)
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JRの島本駅が出来るまではここが島本町の中心だったはずでっせ。
水無瀬はその昔ですが後鳥羽上皇の離宮があったので名前が付きました。
現在の水無瀬神宮が置かれている辺りとの説がおますな。
(阪急電鉄の淀川橋梁から 梅田茶屋町方向を撮影)
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(阪急電鉄 6300系 特急電車) (梅田駅にて撮影)
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下車して車体番号を見たら阪急電鉄9300系の第1号製造車両でした。
このデラックスな転換クロスシートの座席が関西では普通の電車でんな。
これでJRと競合する為に特急料金は要らないんですわ。
京阪神を結ぶJR新快速や私鉄の特急は関東より乗客へのサービスは上でっしゃろ。
(阪急電鉄 6300系 車内)
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ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいまっさ。
次回は梅田の界隈を紹介しまっさ~ さいなら~