鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

北海道へ行ってきます~♪

2012-09-28 20:20:01 | 日記
9月29日関西空港発 ANA1715便  新千歳空港行き




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1泊目  夕張市   2泊目  網走湖畔  3泊目  十勝川温泉

滝の上公園・富良野・美瑛・大雪山旭岳・サロマ湖・遠軽コスモスの丘・
層雲峡・三国峠  こんなコースで行ってきます。


帰りが 10月2日 新千歳空港発 JAL2508便  関西空港行き


台風17号が追いかけて日本列島へやってくるようですね。

もし10月2日の新千歳空港発のJAL便が欠航となったらお笑いください。

それでは行ってきます~♪
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八幡さまの例大祭    鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩

2012-09-25 21:57:17 | 日記
八幡宮や八幡神社を名乗るお宮さんは日本全国で約25000社もあるそうでっせ。

稲荷神社約32000社に次いで多いそうでんな。

第三位が伊勢神明社 第四位が天満宮 第五位が諏訪神社だそうですわ。

我が町にも日本一古い八幡さんと称している「誉田八幡宮」がおまっせ。

伝説のようで本当は京都の石清水八幡宮から平安時代に
勧請したという説が濃厚のようでっけど。

でも否定する文献もないので、日本一古い八幡宮とPRしてまんな。


(誉田八幡宮 拝殿)  (こんだはちまんぐうと読みます)


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毎年9月15日に例大祭と呼ばれる一番重要な神事が行われるんですわ。

昔は陰暦の8月15日に行われたんですが、今はほとんどの八幡宮では
新暦の9月15日にやるように成ってますね。

全国の八幡宮でも概ね9月15日が大事な例大祭だそうでんな。


(謎多き神  八幡様) (石清水八幡宮 宮司 田中氏著書)


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八幡さんは応神天皇をご祭神に神社によって神功皇后(応神天皇の母親)や
比売大神(宗像の三女神)の他 色んな神様が含まれているそうでんな。

九州の宇佐八幡宮が総本社なんでっけど京都の石清水八幡宮が
平安時代から国家鎮護を司った関係で本家のような感じでんな。

よう分かりまへんけど、神さんは分霊と言ってパソコンのソフトのように
コピーができるちゅうのが不思議に思いまへんか?

宇佐八幡宮から分霊して石清水八幡宮へそこで又もや分霊して
鎌倉の鶴岡八幡宮ちゅう具合に全国へ分霊が広がったようでんな。

難しい話は止めて本題の「例大祭」の話をやりまひょ。


(国宝 神輿)  (源頼朝寄進の貴重な工芸品)


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源頼朝が寄進したとの書物が残ってるんでっしゃろな。

誉田八幡宮では毎年9月15日の昼間にはこの神輿を本殿の前に安置し
八幡さんが夕方に神輿に乗り移られると云う想定ですわ。

夜の20時から氏子衆が担いで隣に在る応神天皇陵へ渡御(とぎょ)しまっせ。

応神天皇陵で神事が行われて深夜に再び八幡さまは本殿へお戻りになるそうです。

宮内庁が管理する天皇陵に入れるのはこの神輿を担ぐ氏子さんに
宮司さんだけですが全国で唯一の珍しいことなんですよ。


(誉田八幡宮の 放生橋)  (鎌倉時代後期の石造り)


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誉田八幡宮と応神天皇陵の境界線となっています、普段は此処から先へは
入ると宮内庁のセンサーが働いて係員が飛んできまっせ。

9月15日の夜だけは国宝のお神輿がお渡りになりまんねんで。

明治維新までは放生会(ほうじょうえ)と言う魚や鳥をここから放し
普段の殺生を戒める行事が行われたそうです。

昔は神社には神宮寺というお寺が必ず在って神社なのに
僧侶がお教を拝殿でとなえていたそうでっせ。

廃仏毀釈で明治以降は仏教的な行事や仏具は無くなってしまった訳でんな。

そやから昔は八幡さんを「八幡大菩薩」と言う神仏習合の名前を
天皇が八幡宮に授けたようでっせ。


(HPから 拝借)  (応神天皇陵へ渡る神輿)


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この日は夕方から強い雨でデジカメ撮影を諦めたんですわ。

誉田八幡宮のHPから拝借して貼り付けて置きまっさ。

写りが悪いけど勘弁してくださいね。


(誉田八幡宮の 神楽殿)


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(お神楽を舞う巫女さん)


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巫女さんが「神剣」と思われる日本刀を抜いて剣の舞をされているようですわ。

八幡さんは「武」の神様だからこんなお神楽が奉納されるんでっしゃろな。


(国宝 神輿) 


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神輿をアップしてみました、神紋が二つ見えてまっしゃろ。

右側が「流れ左三つ巴」と呼んで八幡さんは全てこの紋が使われてますな。

左側は「橘」の紋ですが 石清水八幡宮にもこの紋が付いてます
なんでも宇佐八幡宮から歓請された「行教」という方の紋だったとか
又は石清水八幡宮の建物を造った「橘良基」の紋とも言われ定かじゃないようです。

この神輿は「塵地螺鈿金銅装神輿」(ちりじらでんこんどうそうみこし)と言う
難しい名前が付いてますが約820年前に造られた貴重な美術工芸品でっせ。

普段は収納庫に保管されていますので見ることが出来まへんで。

9月15日だけはこの神輿を担ぐ氏子さんにお願いして神輿の下を
潜り抜けることができるので地元の人は並んで潜るそうですわ。


(国宝 神輿を潜り抜け) (これもHPより拝借)


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神事の一つとは云う物の国宝を触ったり潜ったりできるとは驚きでんな。

来年はわても神輿を潜ってこようかとおもてまんねんけど。


(誉田八幡宮 拝殿)


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16弁菊の紋ですな~ 皇室の紋ですね、やはりご祭神が応神天皇さまゆえに
お祭にはこの菊の神紋が掲げられるんですな。


(石清水八幡宮 本殿)


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画像は本家とも言える京都府八幡市の石清水八幡宮の本殿です。

こちらは誉田八幡宮よりもっと凄い神事が行われまんねんで。

9月15日は「勅祭 石清水祭」と呼び早朝に天皇からの勅使が現在も山の麓で
神輿が降りてくるのをお迎えするそうですわ。

なんでも夜に神事が終ると「石清水祭無事終了す」と宮内庁へ電報を打つそうな。

昭和天皇はこの電報を聞かれてから寝室へ入られたそうです。

今上天皇もおそらく同じようにされているのではと
石清水八幡宮の宮司さんの本には書かれてますね。

何せ平安時代の貞観5年(西暦863年)から続く重要な神事だそうです。

応仁の乱から徳川の初期に中断されたけれども四代将軍徳川家綱の時代から
今日まで続けられているそうです。

朝廷では伊勢神宮と石清水八幡宮を「二所宗廟」と呼んで大事にしたようでんな。

八幡さんは源氏の氏神さんとなり各地の村々へ分霊が行われ
村の鎮守さんといえば八幡さんが多いのとちがいまっしゃろか。

武士には弓矢の神として庶民には五穀豊穣と安産の神様とは便利な神様でんな。

ほな~ 今日はこれでお仕舞い  さいなら~



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大阪の梅田を紹介します~♪   鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩。

2012-09-20 21:15:04 | 日記
大阪ではJRが大阪駅を名乗っていますが私鉄や市営地下鉄は梅田駅と言いますんや。

そやから梅田駅と大阪駅前とは同じ辺りと言うことになりまんねんで。

梅田地区は明治維新のころまでは淀川の氾濫原で湿地帯だったそうですわ。

「埋田」が縁起の良い梅の文字に換えられて「梅田」と成ったそうでっせ。


(JR大阪駅 時空の広場)


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大阪と東京を比べてみると鉄道関係では随分と趣が違っているように思いまんな。

東京はJRに右に倣えで私鉄はJRの駅に接続するというイメージでっしゃろ。

一方で大阪は戦前から私鉄王国と言われ国鉄(現JR)を潜り抜け大阪市内に
独自のターミナルを造ってきましたんや。

良きライバルとして現在でも互角の競争をしているんと違いまっしゃろか。

さすがにスピードはJRさんが抜けだした感じでっけど、私鉄は地域の住民に
便利な交通機関として乗客サービスの向上に努めているようでんな。


(阪急電鉄 梅田駅ホーム)


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阪急電鉄は三複線でじゅう十三駅(じゅうそうえき)から梅田駅まで
乗り入れているので関西私鉄では一番大きなターミナルとなってますんや。

1番線から9番線まで京都線・宝塚線・神戸線が入れ替わり立ち替わり
めまぐるしいほどの頻度で電車が発着してまんな。


(阪急梅田駅の 自動改札機)


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画像の手前に料金精算機コーナーと売店があって、その先にも自動改札機が
まだ10数台設置されていてデジカメでは一度に写せまへんのや。

何せ勘定して見たら40台前後の自動改札機が一列にならんでまんねんで。

全国でも一箇所にこんなに沢山な自動改札機が置かれているのは
わての記憶でもここ阪急梅田駅だけやと思いまんねんけど。

自動改札機を全国で初めて本格的に設置したのも阪急電鉄さんで
たしか北千里駅で1969年(昭和44年)のことでしたんや。

これは大阪万博に合わせての第一号として設置したようでっけど。

関東では国鉄さんの組合が反対したとかで本格的な導入は1990年以降の
JRになってからで関東の私鉄も同じ頃に採用したとか聞きましたけど。

自動改札機は関西の私鉄が20年ぐらい早くから採用したのも国鉄と
競合する為の合理化の一環としてスタートしたようでんな。


(阪急梅田ビル) (御堂筋側から撮影)(平成24年11月完成予定)


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手前の低層棟(13階建て)は2~3年前に完成して阪急百貨店本店として
一足先にオープンしてまっせ。

奥の高層棟(41階建て)もオフイスタワーとして入居が始まってますわ。

最後に高層部の13階まで(阪急百貨店の予定)とコンコースが最後の工事中で
まもなく完成となるようでんな。

阪急百貨店本店は完成したら8万㎡の売り場を持つ関西一の規模に成るようでっせ。

2年後にアベノハルカスの近鉄百貨店本店が出来るまでの期間でっけどな。

これが完成したら日本一の売り場面積12万㎡だとか言われてるようでっけど。


(阪急梅田ビル)  (扇町通り側から撮影)


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この高層棟の15階にスカイロビーが既にオープンしているそうですわ。

カフェもあり一般の人もここまでは利用できるようですな。

最近の新しい大阪駅前の人気スポットになっているそうでっせ。

コーヒーなど飲みながら下界を眺めるのも良い感じでんな。

1階から80人乗りのエレベーターが5基有り一気に15階まで搬送するそうでっせ。

そこからオフイスタワーの上層階には15階からA・B・Cのサンブロックの
エレベーターに乗り換えるシステムになっているようですわ。


(昔の 阪急梅田ビル)  (平成2年前後の撮影?)


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昔のビルのデザインを残して新しい阪急梅田ビルの低層棟を設計したようでんな。

関西の方なら今は無き懐かしい阪急百貨店の姿じゃないでしょうかな。

反対側に眼をむけると昔ながらの阪神さんのビルが残ってまっせ。


(大阪神ビル)   (阪神百貨店がメインのビルです)


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現在はエッチ・ツー・オーリティリングとか称して阪急さんと阪神さんは同じ
グループの会社になってましたな。

この大阪神ビルも阪急梅田ビルが完成したら来年ぐらいから建て替えるとかの話
お隣の新阪急ビルとツイン・タワーのビルを計画しているようでっせ。

昨年にJR大阪駅に伊勢丹・三越がオープンし従来からある大丸梅田店や
まもなく完成のNEW阪急梅田に比べ阪神百貨店は押され気味でんな。

建て替えて4つの百貨店が競合するようになるのは何年先でっしゃろな。

阪神百貨店は食料品では関西でも人気のある百貨店なんですよ。


(現在の 阪急百貨店本店)  (工事中の通路から撮影)


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(大阪駅前の マルビル30階建て)  


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細長くて丸いビルが見えてると思いまんねんけど、このビルに大阪の建築家が
蔦のような植物で10年がかりでビルを覆いかぶせるそうでっせ。

昔は高いビルで梅田周辺や大阪駅から良く見えたし電光掲示板でニュースが見れる
ユニークなビルやったんですが、今は電光掲示板も止めてはりますわ。

右側の細長い四角のビルは大阪のヒルトンホテル(34階)ですな。


(東梅田 お初天神通り商店街)


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それじゃ吞み会に出かけることにしましょうかな。

吞み会の写真を2~3枚貼り付けて置きます。

興味もないでしょうからスルーしてくださいね。


(最初の居酒屋です)  (夕方の5時前だから爺やが一番乗り)


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(シアマジの造り)  (関西では刺し身の事を → 造りと云います)


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(二次会は カラオケの熱唱です)


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ほんなら~ 今日はこれで失礼させてもらいまっせ  さいなら~





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大山崎から島本町へ  鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩

2012-09-16 14:18:55 | 日記
離宮八幡宮から淀川の堤防の方へ歩いてみまひょかな。

ここ山崎の地は昔から京都へ入る水陸の要衝として大事な場所でしたんや。

関西の方ならご存じでっけど木津川・宇治川・桂川がこの辺りで三川合流して
淀川と名前が変わり大阪湾の方へ流れ下りまんねん。

対岸の男山とここに在る天王山が京都への喉首に見える地形になってまっしゃろ。

下の地図を参考にしてもらいまひょかな。

男山は八幡市の淀川の左岸になりま、わてが居るのが淀川右岸の大山崎町だっせ。


(淀川流域の見取り図)


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(淀川河川敷から天王山を望む)


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京都へ入るのに峠を越えなくても良いのはここ山崎からのルートだけでっせ。

そやから~ 現在でもJR東海道本線・阪急京都線・東海道新幹線・
西国街道(R171号)が接近して通り抜ける形になってま。

名神高速道路は割り込むスペースが無し、仕方がないので
天王山をトンネルで抜けてまんな。

逆に対岸から天王山を見たらこんな感じになりまんねんで。

この画像の一番左端の対岸ぐらいに立っている感じでっしゃろな。


(京阪電車の車中より 対岸の天王山を撮影)


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天王山(標高270m)低いどこにでも在るような山でっけど名前だけは
有名になって現在でも使われてまっしゃろ。

やはり歴史上有名な「山崎の戦い」が影響してまんねんやろな。

1582年(天正10年)6月13日(新暦で7月2日)後の豊臣秀吉さんと
明智光秀はんが天下分け目を争ったことで名前が残ったちゅうことですわ。

プロ野球なんかでも首位と2位が直接戦う場合「天王山」などと呼びまっしゃろ。

ヘボ将棋でも中央の「5五」地点を取り合いして「天王山」と使いましたな。


(大阪府と京都府の境界線  境川と呼ぶそうです)


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淀川に合流する直前の桂川に流れ込んでいる小川でっけど
木が茂っていて対岸や宇治川も木津川も見えまへんでしたんわ。

天王山の西側の山麓を流れ下った、この小川は昔から京都(山城の国)と
大坂(摂津の国)を分ける境目だったそうな。

現在は河川改修され、この地点では小川の20mぐらい左側に境界線があるようですけど。

今でも山崎の町中ではこの川で大阪府島本町山崎と言う地名と
京都府乙訓郡大山崎町と呼ぶ地域に別れるそうですわ。


(サントリー山崎蒸留所)  (大阪府島本町になりますな)


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日本のウイスキー発祥の地とされ現在も操業する有名な会社でっせ。

皆さんから書き込みも頂いたので山崎と言えばこのサントリーさんの工場を
思い浮かべる方が多いようでんな。

わても関東へ単身赴任してた頃は新幹線の車窓からこの建物をみたら
大阪へ帰ってきたな~ とか、暫くこれで大阪ともお別れやと感じましたんや。


(JR山崎駅前の モニュメント)


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(重要文化財  妙喜庵)  (JR山崎駅前)


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ここに国宝の「侍庵」と呼ぶ茶室がおますそうな、なんでも千利休が使用した
唯一現存する茶室やそうでっけど、完全に予約制で入れまへんでしたわ。

復元したのが大山崎町の歴史資料館に在るそうやけど本物じゃないのでパスしまっさ。


(妙喜庵の 石碑)


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豊臣秀吉の陣所だと彫られてまっけど、山崎の戦いの時はここより少しだけ
天王山に登った処のお寺だと歴史的な書物には出てまんねんけどな。

立ち寄り~ しはったんかも知りまへんけど陣所とは思えまへんな。

半年だけ城を造りはったのも天王山の中腹だったそうですし。

まあ~ いらん詮索は止めてJRで一駅だけ移動しまひょ。


(JR島本駅ホームから 天王山を望む)


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(JR島本駅 改札口)


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このJR島本駅は平成20年(2010年)に出来た新しい駅なんですよ。


(大阪島本町の マンホールの蓋)


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町を流れる水無瀬川(みなせがわ)に町の花である山吹にホタルをデザインした
大阪府の町とは思えないセンスの良いマンホールの蓋でんな。

この島本町は本来ならばお隣の高槻市に合併されるような位置におますけど
江戸時代から大山崎町との関係の方が強い町なんですわ。

町の東半分が昔の離宮八幡宮の所領で明治維新の時も、もめたあげく
お互いに京都府と大阪府に落ち着いた経緯もあったそうな。

平成になってからも府県を越えて大山崎町と越境合併を話し合ったとか。

現在はお互いに人口2万~3万ぐらいの町として存続しているようでっけど。

面白いのは電話の市外局番が大阪府なのに075大山崎町と同じなんですわ。

だから京都市内などへは市内通話で掛けられるそうでっせ。

郵便事業も大山崎町の局が管轄しているそうで、618で同じ
将来は合併しても問題が出る事が少ないのかも知れまへんな。


(櫻井駅址の石碑)    (JR島本駅前)


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話には聞いたことは有るけど「櫻井駅」はこんな処に在ったんですか。

中世まで西国街道に在った宿駅でしたんや。

おそらくJR島本駅が無ければ訪れる事もない駅前の公園でっせ。

私も初めて訪れる処なのでデジカメで写してみましたんや。


(楠公父子 子別れの石像)


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戦前は修身にも記載され「桜井の別れ」の歌も暗記さされたとか聞きましたな。

もうこの歌を知っている方も少なく成ったでしょうが1番の歌詞だけでっせ。

「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ

 木(こ)の下蔭(したかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと

 忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か」

太平記に出てくる名場面で確か歌は6番まで在ったように聞きましたけど。

「父は 兵庫に赴かん 汝は故郷へ帰れ 将来かならず(足利)尊氏を討て」

楠正成は大半の部下を長男の楠正行(まさつら)に付けて
南河内の千早赤阪村に戻すという涙をさそう別れの場面でっせ。

生きて帰れないと悟った楠正成は正行の成長に後事を託しここ桜井の駅で
親子は別れ湊川の戦場(現在の神戸市)へ向かったそうでんな。



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ご承知の通り楠正行も吉野山から出陣し大阪府の四条畷で足利方の高師直と
戦い15年ぐらい後に戦死してしまいますね。

大阪人は楠正成公を「大楠公」(だいなんこう)息子の楠正行を
「小楠公」(しょうなんこう)と呼び
今でもどちらかといえば楠一族を親しく感じるようでっせ。

まあ~ 戦後に人気が急落したことも原因かもしれまへん。

大阪人は判官贔屓の考え方が強いだけで別に右翼という訳じゃおまへんからね。


(面白い 車止め発見)


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この辺りもお隣の京都府西山地区と並んでタケノコの産地には違いおまへんけど。

でもユニークな車止めを考え出したもんでんな。

ここから淀川の堤防へ歩いてみましたんや。

 
(水無瀬ゴルフ場 と対岸の枚方市)


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この辺りで三川が合流して淀川になっているんでっけど、木が邪魔でんな。

私が小学生の頃は合流する川が電車の窓から見えたんでっけどあきまへんわ。


(淀川の堤防から 対岸の男山方向を撮影)


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諦めて阪急電車で梅田へ戻ることにしまひょ。

実はこの日は夕方からOBと吞み会でしたんですわ。


(阪急電鉄 水無瀬駅舎)  (みなせ駅と読みますよ)


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JRの島本駅が出来るまではここが島本町の中心だったはずでっせ。

水無瀬はその昔ですが後鳥羽上皇の離宮があったので名前が付きました。

現在の水無瀬神宮が置かれている辺りとの説がおますな。


(阪急電鉄の淀川橋梁から 梅田茶屋町方向を撮影)


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(阪急電鉄 6300系 特急電車) (梅田駅にて撮影)


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下車して車体番号を見たら阪急電鉄9300系の第1号製造車両でした。

このデラックスな転換クロスシートの座席が関西では普通の電車でんな。

これでJRと競合する為に特急料金は要らないんですわ。

京阪神を結ぶJR新快速や私鉄の特急は関東より乗客へのサービスは上でっしゃろ。


(阪急電鉄 6300系 車内)


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ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいまっさ。

次回は梅田の界隈を紹介しまっさ~  さいなら~




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離宮八幡宮を訪ねて  鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩

2012-09-11 19:34:40 | 日記
大阪府と京都府の境界にちかい京都府乙訓郡大山崎町。

離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)と呼ばれる由緒正しい神社が在りまんねん。

今回はそんな訳でJR東海道本線(京都線)の山崎駅で下車しましたんや。


(JR東海道本線 山崎駅舎) 


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JR山崎駅には下り線のホームに大阪府と京都府の境を示す標識が置かれていまっせ。

ホームの下を小川が流れてまんのや、こんな小さい川が境目になっているようでんな。

この駅を含めて付近一帯は江戸時代までは離宮八幡宮の所領やったそうですわ。

明治4年(1871年)に東海道本線を造る為に手放しはったようでんな。

離宮八幡宮はこのJR山崎駅から徒歩3分の処にあります。

ほんなら 行きまひょか~


(離宮八幡宮 東門)


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お寺の門と間違いそうな感じだっせ、〆縄が張ってあるから神社でんな。


(離宮八幡宮 惣門)  (正門のようですな)


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幕末の蛤御門の変に際してこの神社は長州勢の集結地に使われたんでんな。

蛤御門の戦いに敗れここまで逃げ延びた長州軍は追撃した薩摩や会津の軍勢に
ここでも敗れ離宮八幡宮と付近の民家は全て焼け払われたそうでっせ。

唯一、焼け残ったのはこの正門と東門だったんやそうな。

ほな~ 境内へお邪魔しまひょかな。


(離宮八幡宮 大鳥居と中門)


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大鳥居の足の向こう側に「河陽宮跡」と書かれた石碑が建ってまっしゃろ。

少し遠いので見ずらいかもしれまへんけど。

平安時代初期の嵯峨天皇の離宮跡で淀川の北側に位置するので「河陽宮」と
天皇自ら名付けたそうですわ
だから、この八幡宮を明治以降は離宮八幡宮と呼ぶようになったようでんな。


(離宮八幡宮 拝殿と本殿)


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ここまでの画像じゃ何処にでも在る普通の八幡宮のお宮さんでっしゃろ。

ところが~ この神社は江戸時代までは凄い資格を持ってましたんや。


(離宮八幡宮  本邦製油発祥の地)


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(離宮八幡宮 油祖の像)


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平安時代に八幡宮の神官が「長木」と称する油を絞る器具を考えたんやそうですわ。

荏胡麻(えごま)の実を絞って荏胡麻油ちゅうのを取り出したんでんな。

当時は小さい皿に油を注いで明かりを灯すのに荏胡麻の油が使われていたようですわ。

ここ離宮八幡宮は京都の寺社仏閣を始め朝廷や幕府にも荏胡麻油を献上し
引き換えに全国に油を売る専売特許のような資格を得たそうでんな。

そんな訳で、離宮八幡宮は日本の製油発祥の地と呼ぶように成ったんですわ。


(荏胡麻 えごま) (シソ科の1年草)


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最近はこの荏胡麻油が健康食品だとか称して売られているそうでんな。

本来は灯明用の燃料として平安時代から使われていたそうですわ。

ここ離宮八幡宮の神人(じんにん)が大山崎油座ちゅうのを組織し
独占的に売り歩き室町時代には武器まで所持して往来したんやそうな。

三代将軍・足利義満は石清水八幡宮の出の母親の関係も在って離宮八幡宮には
特別な保護を与えたようですな
岐阜県の不破の関所の通行料を免除する許可書が神社に残されてます。


(大山崎油座  専売特許を示す標識)  (復元された物ですけど)


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こんな標識を持って全国を廻った1人に美濃の国を乗っ取った斎藤道三が居てま
彼かもしくは彼の父親が大山崎油座の神人だったと言われてまっしゃろ。

室町時代にはこの鑑札が無ければ油を取り扱えなかったそうでんな。

ここ大山崎は淀川を遡上する船の港として中世には「山崎津」と呼ばれ
荏胡麻の取り扱いは勿論の事
京都へ向かう物資の船着き場として最も栄えた町だったようでっせ。

最盛期には関所の通行料の免除や守護の立入り禁止など特別な権利を得て
我がもの顔で全国を闊歩し荏胡麻油を売り歩いたようでんな。

ただ大和(現在の奈良県)だけは興福寺の傘下にある符坂油座ちゅうのが在って
売りに入れなかったとの記録が残ってますけど。

江戸時代に入り大坂で菜種油や綿実油が出回るようになって大山崎油座は
急速に勢力を失ってしまったそうですわ。

それでも江戸幕府からは大きな所領を安堵され幕末の蛤御門の変までは
神社としては大きな勢力を保持していたようですわ。


(離宮八幡宮 石清水の囲い屋)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


平安時代に清和天皇の命で九州の宇佐八幡宮から分霊した八幡さんを
最初に安置し、ここから現在の京都府八幡市へ移したと記録されてます。


(石清水 現在も湧き出しています)


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(石清水の 由緒を書いた立札)


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現在は石清水八幡宮と言えば川向かいの京都府八幡市に在る方を言うんでっけど。

でも由緒書きに書かれているように元宮としての歴史がありまんので
江戸時代まではここも石清水八幡宮と呼んでいたようでんな。


(離宮八幡宮 石灯籠) (元禄八年の銘)


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(離宮八幡宮 石灯籠)  (安永五年の銘)


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江戸時代に奉納された石灯篭も数多く境内に残ってまんねんで。

元禄八年と言えば今から320年ぐらい前になりまっしゃろな。


(奉納 東京油問屋市場 創立100周年記念)


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現在でも製油メーカー10社及び油問屋さんはこの離宮八幡宮の氏子さんでっせ。

春と秋の例祭には献金されたり奉納をされてはりまんな。

昔はここのお祭を「南祭り=藤祭り」と呼び「北祭り=葵祭り」と並んで
京都の有名なお祭りの時代が在ったそうです。

昔は勅使が先に、ここ離宮八幡宮へお参りされてから船で対岸へ渡り
それから石清水八幡宮へお参りするという格式の高い神社だったようでっせ。

現在は勅使はここには来られず氏子と離宮八幡宮の神主さんだけでやられるそうな。


(サルスベリの花と  離宮八幡宮の正門)


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離宮八幡宮は国鉄に敷地を提供したり民間に土地を譲渡した為に現在は
江戸時代の三分の一ぐらいの敷地になってしまったそうですわ。

ここは有名な天下分け目の天王山の麓で豊臣秀吉と明智光秀が
合戦をした古戦場でもあります。

次回は大山崎町の風景を紹介したいと思っていまんねん。

ほな~  今日はこれでさいなら~
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藤原宮跡から大和三山を望む  鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩

2012-09-06 22:25:16 | 日記
順序が逆になりましたが「おふさ観音」から東へ向けて歩きまひょ~♪

約1kmぐらい歩いた処に「藤原宮跡」という史蹟が在ります。


(藤原宮跡への 道標)


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ここは唐の都に倣って日本が初めて造った都城の跡なんですよ。

西暦694年から~710年までの16年間でしたが持統天皇が夫であった
天武天皇の意志を受け継いで飛鳥からこの地に都を遷したそうです。


(藤原宮跡の 表示板)


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東西5.3km 南北4.8kmの広大な敷地は西暦710年に奈良の平城京へ
遷都する際にほとんどの建物を移し替えたので何も残ってはいません。

この大きさが正しいとすれば平城京や平安京を上回る規模になりまんな。

この藤原宮で大宝律令が編纂されました、「日本」を初めて名乗る遣唐使が
中国の唐へ向けて出発したのもここ藤原京の都からだったそうです。


(資料館に保管されている 藤原宮の柱)


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現在は広い敷地のみで当時の姿を想像できる物は何も残って居ませんね。

最近は建物が邪魔をしていますが昔はここ藤原宮から大和三山が
一望で見渡せる、素敵な風景で在ったようです。

大和三山は全て200mにも満たない低い山ですが奈良盆地の何処からも望める
伝説や万葉集にも登場する大和を代表する山なんですよ。

やはり一番有名なのは「天の香具山」ですかな。


(香具山  標高152m) (かぐやまと読みます)


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持統天皇がここ藤原宮から見て詠まれた和歌だと言われていますね。

「春過ぎて夏来るらし白妙の 衣乾したり天の香具山」 (万葉集1-28)

この香具山は藤原宮から東南の直ぐ近くにある山と言うよりは丘のような感じですな。


(耳成山  標高140m)  (みみなしやまと読みます)


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大和三山では一番低い山ですが円錐形で何処から見てもまん丸い山なんですよ。

藤原宮から眺めて北側にみえる山で「耳がない」(余分な処がない)の意味で
パンのみみがない~ と同じようなネーミングでしょうな。

近鉄電車の車窓からもまじかに見える美しい姿の山ですね。


(畝傍山  標高199m)  (うねびやまと読みます)


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大和三山の中で一番高い山で麓には橿原神宮と神武天皇陵が在ります。

「香具山は 畝火(うねび)雄々しと 耳梨と 相あらそひき 神代より
   
   古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそうらしき」  

中大兄皇子(天智天皇)の歌だったと記憶しますが万葉集に載っていますね。

高くて秀麗な畝傍山を愛しいと思い香具山と耳成山が争ったという意味で
昔から妻を争うのは大和三山も人々も同じなんだねと詠まれたそうです。 


(藤原京跡 広大な敷地のみです)


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藤原京跡は何も見る物はないので畝傍山の方へ足を延ばして見ますかな。

大和三山は大昔の死火山で奈良盆地は当時は海だったそうで海中に浮かんだ
島が噴火して頂上だけを地上に出したのが大和三山だそうです。

海は大阪の方へ後退し現在の奈良盆地ではそんな感じはとても見えませんけど。

数千万年前の話ですから跡形が残っていることはあり得ませんよね。


(道標)  (何故か香具山 → 香久山になってます?)


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お役所にしてはお粗末な間違いだけど、わざと香久山と書き変えたのかしら。

すぐ側を飛鳥川が流れています橋を渡って西へ急ぐことにしますかな。


(飛鳥川)


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名前だけは奇麗な川ですが何の特徴もない小川にすぎませんけどね。

明日香村の石舞台古墳よりもまだ南から流れ出して大和川の本流に注いでいます。


(神武天皇陵)  (奈良県橿原市大久保町)


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入口から約300mぐらいの参道は白玉砂利が敷かれて荘厳な感じはしますね。

神武天皇は紀元前660年1月1日にここ橿原市で即位されたと言われています。

1月1日は旧暦なので新暦に直すと2月11日=建国記念日ちゅう事ですな。

学問的には伝説の人物で実在しなかったとの説が濃厚ですけど。

でも初代の天皇として皇室や宮内庁は現在も敬って大事にお祀りしておられますよ。


(神武天皇陵 拝所を正面から撮影)


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実は神武天皇陵がこの辺りに在るのは知っていましたが訪れるのは初めてなんですよ。

時節柄とはいえ誰にも会うこともなく参拝だけ済まして引き揚げてきました。


(畝傍山東北陵)  (神武天皇陵)


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正式に読むと「うねびやまの うしとらの すみのみささぎ」と呼ぶそうです。

なるほど畝傍山から見たら「うしとら」の方角に在る御陵になりますね。

神武天皇は「かむやまと いわれびこの すめらみこと」とおっしゃいます。

古事記や日本書紀では「はつくに しらす すめらみこと」と書かれています。

不思議な事には「はつくに しらす~」の同じ名前が第10代崇神天皇にも
付けられていますので同じ人物だとの説も有ります。

日本書紀や古事記が天武天皇や崇神天皇をアレンジして神話の世界に造り出したのが
神武天皇だとの説が戦後は学説になっているそうです。


(近畿日本鉄道 畝傍御陵前駅)


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(30000系 近鉄特急 京都行が通過)


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これにて今回の大和路の日帰り旅行は、お仕舞いとなります。

9月7日は吞み会で大阪市内へ出かけますのでブログ訪問はお休みとさせて頂きます。

ほな~ これで、さいなら~

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鉄ちゃん爺やの (鉄道小話) JRの駅を訪ねて

2012-09-04 20:09:45 | 日記
おふさ観音を一足先に紹介しましたが私がデジカメで
写したい駅舎が在るので本当は訪ねた訳なんですけど。

JR桜井線(万葉まほろば線) 畝傍駅(うねびえき)

奈良盆地を走るローカル線の駅なんですよ。


(小房町の踏切から撮影)


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何処にでもある駅やけど、デジカメに撮る価値があるんでっか~♪

興味のない方には、わざわざ電車賃を払ってご苦労さんなことでんな。

そう言われるのを承知でブログを続けさせて頂きますからね。


(JR畝傍駅舎)


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現在は無人駅なので構内へは自由に出入りができまんな。

本来は入場券を買って入らなければ違反でっけど
誰も見てないのでご免なさいね~

画像の一番右端に貴賓室が設けられている駅なんですよ。

畝傍駅(うねびえき)も難解な駅名でっしゃろ。


(JR畝傍駅 改札口)


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現在は無人駅で1日の乗降客も400人前後。

寂れて忘れられたような駅に見えまっしゃろ。

この駅舎は1940年(昭和15年)に造られた駅舎なので
登録文化財に指定されている訳でもありませんよ。

皇紀2500年式典が橿原神宮で行われるのに合わせて当時の国鉄が
建て替えたのが現在の駅舎だそうです。


(JR畝傍駅  駅名標)


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(ホームから貴賓室への階段)


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1940年(昭和15年)には昭和天皇がお召し列車でこの駅に到着され
画像の階段を下りて正面の貴賓室へ入られたそうです。

駅前から神武天皇陵と橿原神宮へ向かわれる為の最寄り駅だったんですな。

この昭和15年は皇紀2500年とかで日本が一番輝いた時期で
ここ畝傍駅も多くの乗客が橿原神宮への下車駅として利用しました。

今では考えられない賑わいがあったようですね。

現在は板張りで閉鎖されて貴賓室には入れないようになっていますけど。


(JR畝傍駅 貴賓室)  (雑誌より拝借)


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雑誌の写真から拝借しましたので鮮明ではないですがこんな感じのようですな。

シャンデリアは外されて大阪の交通博物館へ応接セットはJR神戸駅へ移設され
現在は赤い絨毯と立派な総檜造りの部屋だけが保存されています。

年に1度~2度だけ町興しのお祭りに一般公開されますが普段は閉鎖のようです。


(JR畝傍駅 貴賓室) (正面出入り口)


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この貴賓室を最後に使用されたのは今上天皇で皇太子時代のご成婚まもなく
美智子妃殿下とお揃いで貴賓室から神武天皇陵と橿原神宮へ赴かれました。


(JR畝傍駅 構内)


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現在は2両編成の電車が1時間に1本しか上りと下りに到着するだけなんですよ。

でも昔はお召し列車が留め置かれた駅なので長いプラットホームがそのままですな。


(JR畝傍駅 ホーム)


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現在は皇族方が橿原神宮や神武天皇陵へこられても近鉄電車が最寄りの駅を
設置し近鉄特急をご利用されるのでこのJR畝傍駅はお役ご免になってますね。

ローカル線として存続するJR桜井線ですがこの畝傍駅舎は改装される事もなく
忘れられた存在で過去の栄光を知る人もほとんど居なくなった状態でしょうな。


(JR畝傍駅 旧手荷物取り扱い所)


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昔は手荷物も扱う橿原市ではメインの駅として活躍したようですね。

現在は近鉄電車の八木駅や橿原神宮前駅がメインになっています。

次回はこの畝傍駅から2kmぐらい離れた藤原宮跡と大和三山を紹介しますかな。

ほな~ 今夜はこれでさいなら~
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風鈴まつりのお寺を訪ねて  鉄ちゃん爺やのデジカメ散歩

2012-09-01 16:40:59 | 日記
本来の狙いは木造の古い駅舎をデジカメで写すつもりで出掛けたんですわ。

駅前の観光案内図が目に付き知らないお寺なので訪ねて見ることにしましたんや。


(ぼけ封じのお寺 おふさ観音)


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JRの駅から歩いて約10分、この辺りも古い民家が残っていまんな。

橿原市(かしはらし)は奈良県では奈良市に次いで人口の多い町でっせ。

ここは奈良県橿原市小房町(おうさちょう)と読むようですが、お寺の方は
同じ字ですが「おふさ観音」と呼ぶようでんな。


(橿原市小房町の 古い民家)


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(おふさ観音の山門)  (高野山真言宗 別格本山)


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わいも~ 古希を過ぎた事やし、ぼけ封じのお参りをしていきまひょ。

そんなに大きなお寺やおまへんけど、境内にバラ園がある花の寺ですな。

8月31日まで「風鈴まつり」 おやおや~ 今日が最終日だラッキー。


(おふさ観音 風鈴まつりのパンフレット)


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(おふさ観音の本堂とバラ園)


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本堂内部に入る以外は拝観料が無料とは有り難いお寺ですな。

早速ながら風鈴を色々と眺めてまわりまひょ。


(本堂前 風鈴のオンパレード)


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(今年のキャラだそうです~♪)


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全国から2500個もの風鈴を集めて境内に吊り下げてまっせ。

バラ園の遊歩道にも風鈴がよく似合いまんねんな。

この日も34度を超える残暑でしたが涼やかな音が響いてましたで。

むさくるしい年寄りが写ってまっけどご免なっしゃ。



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こんな面白い湯呑茶碗が売ってまっせ。

千円は高いでんな~ デジカメで写すだけにしまひょ。


(こんな~ 湯呑茶碗は如何かしら)


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なるほど~ 70歳だからお迎えがきたら留守だと云うんですな。

80歳でお迎えが来たら、まだまだ早いと云うんでっか。

90歳でお迎えが来たら、そんなに慌てずともいいと云うそうだす。


(おふさ観音の絵馬)


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その昔、この辺りは大きな池だったそうな、村の「おふさ」と云う娘が
白い亀に乗った観音菩薩を見たそうな。

村の人々がお堂を建て観音菩薩をお祀りしたのが「おふさ観音」のルーツ。

だから元は小房村のお寺ちゅうことのようでんな。

権力者や有名人が造ったお寺じゃないので、こじんまりとしたお寺でっけど
今でも地元の老人に篤く信仰されているんだそうですわ。


(バラ園秋の開花は、もう少し先でんな)


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11月頃にもう一度訪れますかな、今日はご朱印帖も持ってこなかったし。

なんでもイングリッシュローズを中心に1800種類のバラが咲くそうですわ。

花を用いて曼荼羅を境内に表現し「花まんだら」と称しているそうな。

ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいま~
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