鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの  デジカメ散歩  (大和路を行くパート2)

2012-06-28 21:41:34 | 日記
奈良町を歩いて国道169号線へ出て来ましたな。

国道169号線はここから吉野を越え大台ケ原をかすめて
三重県の熊野市までの一級国道でんねんわ。


(国道169号線の 道路標識)


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ここから奈良公園と興福寺へなら目と鼻の先でっさかいに、行きまひょ~


(荒池に興福寺の五重塔が 逆さに写ってまっせ)


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(春日大社 一の鳥居)


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この鳥居をくぐって行くと奈良公園から春日大社や若草山へ行けまんねで。

奈良公園の鹿だけでも観ていきまひょか~


(奈良公園の注意書き)


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雄鹿はもう立派な角を生やしていますな。

秋にはこの公園の奥で鹿の角切りの神事が行われるのはご存じでっしゃろ。



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鹿煎餅を持っている人には寄ってきまっけど、わては持ってまへんから
鹿ちゃんは見向きもしてくれまへんな。



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ほな~ 興福寺の方へ向かいまひょ。


(興福寺 本坊)


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ここは残念ながら一般公開してないんですわ。

東金堂と五重塔の方へ行きまひょかな。

ここは外から観るだけやったら無料でっせ。


(興福寺 東金堂)  (国宝)


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柵の中へ入るにはお金が要りますので写真だけでご免やす~

2~3年前に修復工事が終わったんで漆喰の白壁が奇麗でんな。


(興福寺 五重塔)  (国宝)


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国宝を二つ並べてデジカメで写して見まひょうかな。

このアングルは関東の方なら修学旅行で関西の方なら遠足でと
お馴染の風景で懐かしく感じる方もおられまっしゃろ。


(東金堂 & 五重塔)  (国宝が二つ並んでますよ)


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(興福寺の五重塔前で 鹿の群れが一休み中)


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鹿煎餅を食べ過ぎたのか座りこんで居る雄鹿がおりまんな。


(興福寺 南円堂)  (西国三十三カ所第9番札所)


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八角形の奇麗なお堂でっしゃろ、ここは以前にご朱印は貰ってまんので
お参りだけして行きまっさ。

南円堂の横の階段を降りたら有名な猿沢の池にでまっせ。


(猿沢の池)


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ここからJR奈良駅までの大通りを三条通りと呼びまんねんで。


(登録文化財 南都銀行本店ビル)


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ギリシャの神殿を感じさせる建物でっしゃろ、まだ現役で使われてまっせ。



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ほな~ JR奈良駅の方へ歩いて行きまひょか。

観光都市の奈良でっさかいにバスもこんなのが走ってまっせ。


(奈良交通の 観光用路線バス) (JR奈良駅前にて撮影)


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JR奈良駅は数年目に高架工事により新しい駅舎に変わりましたんや。

旧の駅舎を巨大なコロを使って約100mぐらい移動して保存してまんねんわ。

現在は観光案内所として1階部分へは入れるようですね。


(旧 国鉄時代の 奈良駅舎)  (平成17年移動)


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ついでにこの日はJR桜井線の古い駅舎も写してきましたんですわ。

この駅舎はおそらく明治時代の姿を残す関西では珍しい現役の駅舎でんな。


(JR桜井線 櫟本駅舎)  (いちのもと) (天理市櫟本町)


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(JR奈良駅ホームにて)  (桜井線105系電車と撮影)


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ほな~ 今日はこれでお仕舞いにしまひょ。

次回は金魚の養殖で有名な大和郡山市を紹介しまっさ。

JR奈良駅から一駅だけ大阪方面へ戻るだけでんねんわ。

ほんなら これで、さいなら~
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鉄ちゃん爺やの  デジカメ散歩  (大和路を行くパート1)

2012-06-24 21:17:13 | 日記
貴重な梅雨の合間を利用して奈良へ行ってきましたんや。

ならまち(奈良町)が若い人に偉い人気だそうでんな。

暫く観てないので出掛けてみましたんや。


(奈良市のマンホールの蓋)


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ならまち(奈良町)辺りだけはマンホールの蓋もカラーで奇麗でっしゃろ。

ならまち(奈良町)ちゅう地名は奈良市内の地図を見てもおまへんで。

元興寺(がんごうじ)ちゅうお寺の境内が江戸時代以降に町屋になり
現在も江戸時代後半から明治時代頃の建物が保存されてまんねん。


(餅飯殿センターのアーケド)


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(下御門通りのアケード)


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この辺りは土産物や雑貨を売る店が多いですな、奈良町(ならまち)は通りから
曲がって東西の通りに出ないと味わえませんよ。


(漢方薬 菊岡さん) 


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創業800年の老舗で三条通りにあったそうですが、ここ奈良町で江戸時代の
町屋を買い取り改装して最近に移転されたそうです。

平安時代からここ奈良市内で商売をしてはったなんて想像もできまへんな。


(ならまちの風景)


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面白いポスターが掛かってまっせ。

今月だけの奈良町のイベントのようでんな。



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(これも招き猫のようです)


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それじゃ元興寺(がんごうじ)へ行きまひょう。

わてもお寺が在るのは知ってましたんやけど世界文化遺産とは知りまへんでした。


(真言律宗  元興寺の東門) (重要文化財でっせ)


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奈良町にある小さなお寺やと勘違いして何度も素通りしてましたわ。

入場料430円、パンフレット見てビックリしましたで。

この東門も室町時代に東大寺の西南院から移し替えた重要文化財ですし
内部の極楽坊という本堂とその奥にある僧坊はなんと国宝の建造物でんがな。

奈良市内には東大寺や興福寺あるいは薬師寺や唐招提寺と有名な寺院が
ごく自然に建ってまっさかいに気がつかへん国宝がおまんねんわ。

準地元に住んで居ながら、こんなお恥ずかしい事が有りまんねんで。


(国宝  極楽坊本堂) (鎌倉時代の1244年に改修)


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元々は飛鳥に在った法興寺ちゅうお寺を西暦718年(養老2年)に
平城京に移設したそうですわ。

鎌倉時代の改修でっけど内部や瓦の一部には奈良時代の物が
使われているという訳で国宝ちゅことも納得しま。


(ご本尊は 智光曼荼羅です) 


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このご本尊として吊り下げらている浄土変相図が有名な智光曼荼羅で
建物に極楽坊という名前を付けて祀られているようですな。

写真撮影は禁止やと思いまっけど誰も見てへんので失礼させてもらいまひょ。


(元興寺 左側の僧坊と右側は極楽坊の裏手)  (両方とも国宝でっせ)


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(裏側から撮影した 国宝の僧坊)


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パンフレットによると元興寺(2千町歩)は奈良時代には東大寺(4千町歩)に
次ぐ墾田を給付され格式は東大寺に次ぐ第二位の高い位置を占めたそうですわ。

薬師寺や興福寺が各千町歩で法隆寺や四天王寺が各五百町歩だったそうな。

中世に興福寺が勢力を増し鎌倉時代以降は元興寺は衰えたようでんな。


(元興寺の ご朱印)  (智光曼荼羅)


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ほな~ 奈良町の方へ戻りまひょかな。


(奈良町に残る 江戸時代の道標)


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右が「かすが」=春日大社 「大ぶつ」=東大寺

左が「なんえん堂」=興福寺・南円堂 「さるさわ池」=猿沢の池


(招き猫が店先に飾られてますよ)


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(奈良町の土産物雑貨店)


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(奈良町の お洒落なカフェ)


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一寸だけ歩き疲れたので小休止させてもらいまっせ。

疲れた時には甘いものが最高でんな~ ご免なっしゃ~



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(こんな暖簾も売ってまっせ) (にゃらまちねこ祭のイベント?)


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(重要文化財 今西家の書院)


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興福寺の塔頭で大きな勢力を誇った大乗院に仕えた寺侍か寺役を勤めた
旧家が自宅や庭を一般公開しているようでんな。

大乗院は室町時代まで興福寺を操るぐらいの勢力を誇り
代々の門跡は藤原の五摂家の中から選ばれたそうです。

明治初年に逼塞し現在は大乗院の旧庭園けが復元されているようですわ。


(旧 大乗院の庭園)


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林の奥に屋根だけが少し見えてるのは奈良ホテルで江戸時代までは
大乗院の敷地だったそうでっせ。

文化庁が敷地の一部を買い上げ庭園として保存したようでんな。



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(招き猫の売り物ですよ)


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ほな~ 今日はこれでお仕舞いにしまひょ。

次回はここまで来たので興福寺の方を紹介させてもらいまっさ。

おおきに~  ほな、さいなら~
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鉄ちゃん爺やの  デジカメ散歩  (和歌山県橋本市の巻)

2012-06-17 20:22:24 | 日記
南海高野線で紀見峠を越えればそこは紀州の国は橋本市ですわ。


(南海高野線 区間急行の車内から撮影)


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小さなトンネルを抜けたら橋本駅に到着しまっせ。

ここでJR和歌山線と南海高野線が乗り換えの連絡駅ですな。



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(駅名標  南海高野線 橋本駅)


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ここで途中下車をしてみまひょ。

昔は高野街道の宿場町でここで1泊して高野山へ向かったそうですわ。


(橋本駅舎)  (JRと南海電鉄の共同使用駅でんな)


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(橋本駅の近くの道路標識)


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紀の川が近いので少しだけ歩いてみまひょ。

鉄道は紀の川の河岸段丘の上にできてまっさかいに下り坂でんな。


(紀の川 流れ)


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紀の川は奈良県を流れる間は吉野川といいまんねんけど
この上流5kmぐらいで和歌山県になりまんので紀の川と名前が変わりまっせ。

画像の奥に見える鉄橋は南海高野線の物やねんけど
昨年の水害で橋桁がズレて半年ぐらい不通になってましたんや。

今日は紀の川も水量が少なくて穏やかな流れですな。


(橋本橋)


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(橋本市 マンホールの蓋)


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ほな~ 橋本駅の方へ戻りまひょうかな。

橋本駅は南海高野線では重要な駅になってまんねんわ。


(30000系 特急こうや)  (南海電鉄 高野線)


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この30000系は1編成だけしかおまへんので
デジカメで写す機会が難しくて今回が初めてですわ。

南海電鉄の高野線は難波駅からこの橋本駅までは20mの大型電車も
入線できまんねんけど、ここから先は凄い山岳路線になりまんねで。

だから18mクラスの電車しか走れないことになってまんねん。

特急こうやも18mの長さしかない特殊な電車になってま。


(2300系 普通電車)  (さくら号)


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普通電車でっさかいに座席指定券も要りまへんのや。

「特急こうや」に乗ったら高い特急券を買わされまっさかいに
難波駅からここ橋本駅まで急行で来てこれに乗る事をお勧めしまっけど。


(2300系 普通電車)  (コスモス号)


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今日は「さくら号」と「コスモス号」しかデジカメで写せませんでした。

あとは「はなみずき号」「しゃくなげ号」と四編成あるそうですわ。

この2300系も昔は難波駅まで足を延ばしていたそうでっけど
最近は橋本駅から高野山・極楽橋間でしか見れなくなってまんな。

ここから電車とケーブルカーそして路線バスを乗りついで
霊場の高野山までは確か2時間近く掛かりまっかな。

我が家から日帰りは出来まっけど主な処しか見れまへん。

やはり宿坊に1泊して精進料理を頂くコースがお勧めでっしゃろな。


(31000系 特急こうや)  


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わては 特急料金の要らないこちらで戻りまっさ。

河内長野駅で乗り換えて我が家まで1時間チョイでんな。



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ほな~  今日はこれで さいなら~♪
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鉄ちゃん爺やの デジカメ散歩  (あべの ハルカスビル)

2012-06-14 19:52:20 | 日記
本日6月14日にあべのハルカスビルが(263m)の高さに到達しました。

泉佐野市にあるりんくうゲートタワービル(256m)及び
大阪市住之江区にある大阪府咲洲庁舎ビル(256m)を追い抜きましたよ。

今日現在では西日本一のビルになったそうです。

今年秋には300mに成る予定で、横浜市のランドマークタワー(296m)を
追い抜いて日本一高いビルになるようですね。


(あべの ハルカスビル)  (大阪市阿倍野区)


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5月に完成した東京スカイツリー(634m)には及びませんけどね。

ここは海抜15mぐらいの上町台地に建設されています。

完成は2014年春ですが最上階60Fには展望台が出来るそうですよ。

ほぼ高さ300mぐらいの展望台ですから見晴らしは素敵でしょうな。

晴れていれば大阪市内は勿論のこと神戸市や淡路島も眺める事ができますね。

大阪名物の通天閣を見下ろすという感じになりそうですな。

このビルには地下から10階ぐらいまで近鉄百貨店の本店が入ります。

高層階には高級ホテルや企業の事務所が設けられるようですね。



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建設中のビルの左側の下が路面電車の天王寺駅前の停留所になっています。

超近代的なビルと阪堺電気軌道のレトロな駅がアンバランスですけどね。


(阪堺電気軌道 天王寺駅前)


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ビル建設中の辺りが大阪市阿倍野区でこのビルの1階部分に
我が町に向かう近鉄南大阪線の起点になっていますね。

我が町には急行ならノンストップで約18分で到着します。

道路を北側に越えると大阪市天王寺区と住所表示が変ります。

JR天王寺駅や駅ビルなどがあります、だから大阪人なら分かりますが
天王寺とアベノは同一の繁華街なんですよ。



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鉄ちゃん爺やの デジカメ散歩  (帝塚山&万代池)

2012-06-09 17:10:39 | 日記
大阪市内で一番の高級住宅地と言うたら帝塚山(てづかやま)でんな。

最近は芦屋が有名になってまっけど、明治や大正の頃は帝塚山が
関西の高級住宅でしたんや。

今回は帝塚山界隈をデジカメ散歩してみまひょ。


(大阪唯一の 路面電電車)  (阪堺電気軌道 上町線)


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姫松駅から帝塚山3丁目駅を経て帝塚山4丁目駅までを
大阪では帝塚山と呼びまんねん。

この路面電車の走る道路から脇へ入ると昔の高級住宅街でんな。


(帝塚山4丁目駅)   (大阪市住吉区)


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わいの記憶では60年ぐらい前から駅舎は変わってないと思いまんねんで。

中学校へ通学の3年間ほどこの駅で乗り降りしてましたんや。

ほな~ 少しだけ西の方へ歩いてみまひょ。


(高級住宅街 帝塚山)


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わいが中学校へ通うてる頃よりは減りましたけど、まだまだ大きなお屋敷が
今でも所々に残ってますな。


(大阪市立 住吉中学校)


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わいが卒業した中学校でんねんわ。

三階建ての校舎が当時とよう似てまんねんけど60年も前でっさかいに
建て替えられたのかどうかは分かりまへんでしたわ。

ここは一流の公立高校へ入りやすい、ちゅうことで住所を転居して
わいは越境入学してた訳でんな。

付近はすっかり変ってしまって見覚えのある建物はおまへんな。

そりゃ~ 55年も前の話やさかいに無理もおまへんけど。


(帝塚山学院の校舎)


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大阪でも超有名な「お嬢さま」学校なんですよ、わいのような貧乏人には
縁のない高嶺の花でおますけど。

中高一貫で昔は短期大学まで進学できる「お嬢さま」の学校でした。

最近は帝塚山大学が出来て泉北の泉ケ丘に移ったようで、
ここでは関西学院大へ進学できるコースが人気になっているそうですわ。

現在も男子禁制の「お嬢さま」学校やそうでっせ。

ここで路面電車の線路を渡って東の方へへ歩いてみまひょ。


(熊野街道の道標)


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熊野街道はここ上町台地を通って堺市から紀州の国へ繋がっていたようですわ。

八軒家浜ちゅうのは現在の京阪電鉄・天満橋駅の側の大川におましたんや。

当時は大坂の東側は湿地帯でっさかいに京都から船で八軒家浜まで下り
上町台地を通る熊野街道を歩くしか道がなかったんでっしゃろな。


(万代池)


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熊野街道を横切ると大きな池の畔に出てきましたで。

上町台地にこんな大きな池が有るとは地元の人しか知りままへんやろな。



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この池は学生時代に良う走らされたトレーニングコースでしたんや。

上町台地の一部を堰きとめて出来た池やそうですわ。

周囲が728mもある大阪市内でも珍しく大きい池でんな。



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地元の方にはジョギングコースとして親しまれているようでっせ。




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(住吉区の花  かきつばた)


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わいが住んでいた頃は「かきつばた」などは聞かなかったので
最近になってから決まったんだろうな。

区民のボランティアで池の周りに育てているようだね。


(八紘一宇の 石碑)


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戦争当時の遺物がここでは大事に保存されているようですな。

この万代池は戦前から桜の隠れた名所だったそうですわ。

この池の北側に在った女子高の学生に見送られて戦地へ赴いた
若者のほとんどが戻ってこなかったそうです。

八紘一宇の石碑は戦後にほとんど取り壊されましたが
ここでは地元の方により護られてきたようですね。

若い方には「八紘一宇」なんて言葉はご存じないでっしゃろけど。



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なんと言う花か知りまへんけど、八紘一宇の石碑を護るように咲いていました。



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阪堺電気軌道の路面電車も新しいのは東急車輌製でっせ。

この電車に乗って帰ることにしまっさ。

ほな~  おおきに~  今日はこれでさいなら~




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鉄ちゃん爺やの  鉄道小話  (東急車輌消滅?)

2012-06-03 12:13:33 | 日記
鉄道車輌メーカーの名門である「東急車輌」がJR東日本の100%子会社へ。

今年4月1日付で「(株)総合車両製作所」ちゅう名前に変わったそうな。

関西では南海電鉄ぐらいだけど、関東ではJRも私鉄も地下鉄も
この東急車輌製の電車を使わない会社がないぐらい有名なんだから。

横浜の工場は残るんだけどさすがにJRの名前は付けなかったようだね。

鉄ちゃんには「東急車輌」の名前が消滅するのは残念なことだな~


(東急車輌 & 南海車両工業 二つの銘板)


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二つの銘板が貼り付けてあるって珍しいのでデジカメで写しました。

何故なのか家に戻ってからPCで検索したらこんなことが分かりましたんや。

この電車は昭和41年(1966年)横浜の東急車輌で製造されたそうです。

昭和63年(1988年)に台車を交換している事が原因のようですな。


(南海電鉄 6000系 通勤型電車) (オールステンレスカー)
 

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1962年(昭和37年)から製造された東急車輌のオールステンレスカーは
「バッド社」のライセンス契約を保有する東急車輌しか製造できませんでした。

親会社の東京急行電鉄の7000系・当時の京王帝都電鉄の3000系
それに関西では南海電鉄が高野線用として採用した新型電車でした。

ステンレスは錆びないので塗装も必要としない利点がありますよね。

ただ加工が難しく事故などで破損すると修理が困難な欠点もありますよ。


(南海電鉄 6000系 電車の連結部) (1966年製造)


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独特の波板(コルゲート)は現在の新型車輌にも引き継がれていますが
コーナー部分の滑らかな曲線部分はこの当時の車輌にしかみられませんな。

最近は溶接技術の進歩で軽量ステンレスが使われるようになり
昔のような技術を要するオールステンレス車は減少していますね。

製造から45年も経過しているのにほとんど傷も無く見事な電車ですよ。


(南海電鉄 6000系 電車のドア部分)


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最近はJRや大手私鉄にしてもドアーは両開きで四ヶ所設けられているのが
普通のスタイルですが、この当時の車輌は片開きだったですね。

ドアエンジンを搭載しているので現在でも遅れは感じないとか。

ただドアエンジンの製造が終わりましたので問題はありそうですけど。


(南海電鉄 6000系 ドアを内部から撮影)


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(南海電鉄 6000系 電車の側面)


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この電車を採用した当時のお話しで南海電鉄は和歌山市へ走る南海本線には
使用せず高野線の難波駅~橋本駅間に投入することにしました。

当時の南海本線は踏切事故が多くてステンレスカーが事故で破損したら
修理が難しいので高野線にのみ走らせるようにしたそうです。

どちらも当時はほとんどが地上を走っていたんですが南海電鉄のアイデアは
正しかったようです、製造された72両が全て現役で走っているんですから。

だからこの6000系が台車を交換しただけで現役を続けているので
南海電鉄では一番古い車輌となっています。


(南海電鉄 6300系 電車) (元 6100系)


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こちらは両開きドアに仕様変更されただけで外見上の違いは6300系に
改良された時に先頭車両にスカートが付けられたちゅうことぐらいですかな。

6000系の改造版として1970年(昭和45年)から製造された
同じオールステンレスカーでこれも76両全てが現役で使われていますね。

南海電鉄のオールステンレスカーは全長20m車という特徴が見られ
東京急行電鉄や京王電鉄の18m車と少し趣がちがいますけど。

現在はJRを始め各社が20m車中心ですから先見の明はあったようですね。


(東急車輌 昭和45年製造の 銘板)


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この当時のオールステンレスカーは兄弟分の東京急行の7000系も
1999年(平成11年)に全て引退してしまいました。

同じく京王電鉄の3000系も昨年2011年(平成23年)で廃車。

大手の私鉄では製造された全て(148両)が当時から同じ区間を
走り続けるという南海電鉄の6000系と6300系はご立派ですな。

まあ~ 貧乏な電鉄会社なので高野線には行ける処までお年寄りの
6000系と6300系に頑張ってもらいたいちゅうことですかな。

地方に行けば東京急行電鉄の7000系や京王電鉄の30000系が
あちこちで活躍していますよ。

伊予鉄道3000系(30両)を始め両社のを譲り受けて北陸鉄道や弘南鉄道など
やはりオールステンレスカーは丈夫で長持ちする車輌なんですな。

全長18mという地方鉄道向きと言う利便性もありますけど。


(水間鉄道 1000系)  (元は 東急の7000系)


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先月のブログで紹介した水間鉄道も東京急行電鉄の7000系を10両譲り受け
車体を改造し1000系と変更した物の面影は残っていますね。

JR東日本の子会社になった旧東急車輌に対して私鉄各社は同じように
お付き合いが出来るのかしら、それとも他社へ流れるんでしょうかしら。

関西では近畿車輌と川崎重工が最近は新車の投入に目立っていますが
関東では東急車輌がダントツの企業でしたから如何になりますかな。

とにもかくにも東急車輌の名前は現役で走っている電車や気動車でしか
見ることが出来なくなるのは確実ですよね。

昔のオ-ルステンレスカーには、東急車輌の銘板の横に

「この車輌はバッド社のライセンスにより造られました」

こんなプレートが貼られていましたが現在は全て撤去されていますな。

これからは省エネタイプの軽量な電車が望まれますから高度成長期の
オールステンレスカーも忘れられてしまうんでしょうね。








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