鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの一人旅  博多駅から 山口市の瑠璃光寺へ

2019-05-26 21:39:42 | お寺
3月21日(木) 一人旅は折り返しの5日目となりました。

早目に朝食を済ましJR博多駅前を散策してましたんや。

先ずは昭和時代に出張した際の「都ホテル」が在った筑紫口から。

当然ながら33年が経過、ホテルは新しく建て替えられてましたわ。

(JR博多駅 筑紫口モニュメント)


新幹線を降りて改札を出たら、そこが筑紫口という駅前になりまぁ。

5月3日~ 4日の「博多どんたく松ばやし」と同じく
7月1日~15日の「博多祇園山笠」が描かれてるようですわ。

(JR博多駅構内 連絡通路)


反対側の博多口の方へ回ってみまひょかな。

昔は博多ステーションビルだったが10年ぐらい前に建て替えられ
博多駅ビルとリニューアルされたそうですわ。

当時は井筒屋さんがテナントでしたが新しく阪急さんが入店したとか。

(JR博多駅舎&博多駅ビル)



(JR博多駅 博多口より  はかた駅前通りを撮影)






道路の下を福岡市の地下鉄が走ってますんや、二つ目が有名な博多中洲
三つめが繁華街の天神となりまぁ、反対に行けば福岡空港なんだって。

博多駅からはのんびりと在来線で大阪まで帰る予定で、こんなきっぷを購入。

(JR福岡市内 ~ JR柏原駅 普通きっぷ) (9980円)


(JR博多駅 在来線改札口)


(JR九州 博多駅名標)


この日は早朝から九州地方は雨になり、鉄ちゃん爺やの一人旅もコース変更に。

取り合えずAM7:46発の快速電車で小倉駅行きに乗ることにしました。

(JR博多駅 上りホーム)


(JR九州 特急かもめ)


JR肥前鹿島駅をAM6:39に発車してAM7:43に博多駅に到着。

隣のホームに着いたので待ち時間を利用して撮影しました。

JR長崎駅の方へ行くのならこの特急に乗ることになりまぁ。

(鹿児島本線 快速電車 小倉駅行き)




鉄ちゃん爺やは反対側の小倉駅の方へAM7:46に発車となりまぁ。

福岡県を走っている間は雨が強く車窓から風景も写せまへんでした。

定刻通りAM8:58にJR小倉駅に到着で、次はJR下関駅行きの
AM9:11発の普通電車に乗り継ぎとなりました。

(JR九州 小倉駅駅名標)


前回も紹介しましたが関門トンネルは直流区間なので、ここからは
交流・直流併用の415系でしか走れまへんのや。

本州へは小倉駅から下関駅まで駅数で二つなんですが現在は必ず
在来線では乗り換えになってしまい、不便な気がしまんねん。

(415系交流・直流 併用電車)




(JR下関駅名標)


九州からお別れしてJR下関駅に到着したらJR西日本さんの管轄。

駅名標も関西と同じブルーの配色に変わり、なんとなくほっとした気分。

JR下関駅で途中下車して散策を考えてたんですが生憎の雨模様。

駅前のバスターミナルだけを写して先へ向かうことにしました。

(JR下関駅前の バスターミナル)




(JR西日本 113系 近郊型電車)


この車両は岡山から広島や山口までの山陽本線を走ってますんや。

何せよ国鉄時代からのロートルですので最後のご奉公でしょうな。

瀬戸内海のミカンの色をイメージする「瀬戸内色」と呼んでますんや。

(山陽本線の車中より 日清食品下関工場)


昭和の時代にここから関東や関西へカップヌードルを運んでました。

訪問したことはないですが電話ではよく取引を交わしましたかな。

雨に煙ってますから写真の写りが悪いのでご容赦の程。

(JR山口線の きっぷ)


鉄ちゃん爺やはJR山陽本線と大阪までのきっぷは持ってますが
JR山口線には乗れませんので240円のきっぷを購入。

このような場合は飛び出しというルールを使うことになりまぁ。

だからJR新山口駅で途中下車して飛び出しということになりまんねん。

(JR山口線 周防下郷駅)


ここは昔の国名では「周防の国」になりますんや。

JR新山口駅から約12kmほど内陸に入りますことになりまぁ。

(JR山口駅名標)


(JR山口駅前の置物)


(山口市の  マンホールの蓋)


山口市の赤提灯のお祭りが描かれているようですわ。

賑やかな祭りだと娘婿から聞いてましたが観てはおりません。

娘婿も3月から関東へ転勤に成り、今は住んでまへけど。

(瑠璃光寺の表示板)


日本で一番綺麗な五重塔だと何かで見たことがおます。

娘婿からも一度ぐらいお越しくださいと言われてましたが
機会がなく、彼が転勤になってからの来訪になりましたかな。

(国宝 瑠璃光寺 五重塔)












記念にご朱印を貰いに本堂へ向わせてもらいました。

曹洞宗の古いお寺で、中世に繁栄した大内氏の文化財だそうです。

(瑠璃光寺の山門)




(瑠璃光寺の本堂)




(瑠璃光寺の ご朱印)


大内氏が滅んだ後は毛利氏が入り同じく篤く保護されたお寺の様ですな。

大内氏は室町時代には西国一の大名で応仁の乱には大内氏が西軍に
参戦してから、東軍有利が一夜にして西軍有利に傾いたとか。

大内氏が撤退して応仁の乱が終ったことに成っているようですかな。

(瑠璃光寺の 境内から 五重塔を望む)


(瑠璃光寺境内の つくばい)




(大内弘世の銅像)


(毛利氏の家紋)


(山口市の コミュニテイバス)


(御掘堂の 外郎=ういろう)


娘からお土産に買ってきての希望で立ち寄った店でおます。

外郎(ういろう)ってこんな漢字を書くんですね知らなかった。

外郎は名古屋が有名ですが、ここ山口市でも名物だそうです。


長くなりますので、今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は周防の国の一之宮と防府天満宮他を紹介しまっさ。

それじゃ~  これで、さいなら~♪









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鉄ちゃん爺やの一人旅 九州国立博物館 & 住吉神社

2019-05-18 21:15:03 | 旅行
九州国立博物館は2005年(平成17年)10月に
日本で四番目の国立博物館としてスタートしましたんですわ。

東京・京都・奈良の国立博物館が美術系の博物館なのに対し
九州国立博物館は歴史系の博物館としての部分と
中国や朝鮮半島との文化交流史にも重きを置いてるとか。

太宰府天満宮の横に設立したことで見学者も予想外に多いはず。

(九州国立博物館の全景)






九州で最大の初詣客を誇る太宰府天満宮に配慮してなのか
元日も拝観ができるので年間約100万人の入場者を数えるとか。

12月25日~31日まで早めの休館日が設けられてまっけど。

70歳以上は常設館は無料なのも有りがたいことでした。

鉄ちゃん爺やも有り難く無料で拝観させて貰いましたで。

(九州国立博物館 4階常設館へのエスカレーターから撮影)


(九州国立博物館 4階常設館の入り口)


(九州国立博物館 常設館前で撮影)


誘導員の方が親切にデジカメのシャッターを押してくれました。

館内は国宝や重要文化財が多く展示されてますので
予想通りの撮影は禁止なのも、仕方がおまへんわな。

モニターで写されていた画像のみ貼り付けて置きまひょ。

(大宰府政庁跡から 出土した鬼瓦)(重要文化財)


(唐三彩を模して作られた 奈良三彩の壺)(重要文化財)




(大宰府政庁の復元模型)


大宰府は奈良時代から平安時代まで九州全土を統括する役所で
「遠の朝廷=とおのみかど」と呼ばれていたそうですわ。

新しい元号の「令和」にも関連して最近は賑わっているとか。

大宰府政庁跡は太宰府天満宮から約2kmぐらい西南の方向で
当時の基礎石などが残っているだけで建物は残っておまへん。





画像では紹介できませんが東京や奈良の国立博物館などと
年間で200点ぐらい展示品の入れ替えを行っているとのこと。

その他、九州各地から歴史的展示品が持ち込まれていますな。

縄文・弥生の時代から中世や近代に至るまで幅広く展示され
鉄ちゃん爺やが簡単に拝観しただけで約2時間かかりましたな。

(九州国立博物館の 垂れ幕)


もっと時間をかけて拝観したかったんですが博多駅前の
筑前の国・一之宮 住吉神社に寄りたかったので退散しました。

大宰府政庁跡と「令和」の語源となつた「梅花の宴」の
博物館など機会が有ればもう一度訪ねることにしました。

(名物 梅ケ枝餅)




太宰府天満宮へ来たなら「梅ケ枝餅」を食べる人が多いとか。

確かに参道の店は何処も「梅ケ枝餅」の店ばかりでんがな。

宅急便で大阪へ送ると共に1個だけ賞味させてもらいまひょ。

(太宰府天満宮の ご朱印)


(西鉄 太宰府駅にて)








(西鉄・太宰府駅~西鉄・福岡駅  400円)


西鉄電車で福岡駅に戻り地下鉄で博多駅に着いたのが午後4時前。

一之宮の住吉神社までは住吉通りを西へ約1km弱でっかな。

(福岡市の住吉通り)


画像の奥の方角に歩くと、JR博多駅の正面に通じてますんや。

道路から参道を200mぐらい歩くと住吉神社になります。

(筑前の国 一之宮 住吉神社の本殿)








最後は「令和」に改まった初日に奈良県の橿原神宮へ参拝。

約90分の行列で頂いたご朱印を貼り付けて置きまひょ。

紀元2679年と朱印があるのは日本書紀による年号ですよ。

鉄ちゃん爺やが生まれた頃に皇紀2600年とか言いました。

(令和元年5月1日 橿原神宮のご朱印)


新しいキャノン製のデジカメで試し撮りをしましたんや。

Wi-Fi に接続で悪戦苦闘しやっと成功した次第。

USBケーブル が別売りだとは知りまへんでした。

(令和元年5月1日 久米寺のご朱印)


久米の仙人の伝説があるお寺ですが、こちらは待ち時間ゼロ。

あの日は東京の明治神宮では10時間待ちだとかでしたね。

鉄ちゃん爺やの1時間30分待ちは早い方だったのかも。

次回はJR博多駅から在来線で山口市内への旅に戻りまっさ。

ほな~ これで、さいなら~♪
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鉄ちゃん爺やの一人旅 筥崎宮 & 太宰府天満宮 

2019-05-06 19:25:05 | 神社
一人旅4日目はJRの在来線で福岡市へ向かいました。

博多駅前で2泊したかったんですが次に行く山口県で
週末の土曜日がキープ出来ず、この日は強行軍でしたんや。

筑前の一の宮が2か所あり、それに大宰府八幡宮にも
行きそびれていたので立ち寄りたかったんですわ。

JR小倉駅から快速電車でJR香椎駅で普通電車に
乗り換え、ここは早くむ福岡市東区となりまねん。

(819 コンピュータ トレイン)




隣のホームに停車中の電車で一つだけ西へ向かえば
香椎神宮駅へ逆に東へ行けば世界遺産に登録された
宗像神社となり、通過するには残念な駅なんですよ。

博多で2泊出来ていたら立ち寄っていたでしょうな。

(JR香椎駅名標)


普通電車に乗り換え、二つだけ博多駅の方向へ。

筑前の国・一の宮である「筥崎宮=はこざきぐう」

(JR箱崎駅舎)


駅名や付近は箱崎の名称で、九州大学のキャンパスが
昔からおまして九大の学生の街と言う趣がおました。

最近は福岡市の西区にある伊都キャンパスに
大半が移り、昔のイメージは薄くなりましたかも。

(JR箱崎駅構内の 筥崎宮への案内ルート)


(福岡市の マンホールの蓋)


筥崎宮(はこざきぐう)はJRの駅から約500m前後。

先を急いでますので九州大学の古い建物などはパスし
ひたすら「筥崎宮」をめざし、歩きましたんですわ。

(筥崎宮 一ノ鳥居) (国の重要文化財に指定)




筑前黒田藩の初代藩主・黒田長政が寄贈した物とのこと。

貫と笠木が同じ長さと言う異色な鳥居になってまぁ。

笠木の両端が反り返っている「筥崎鳥居」と呼ぶんだって。

鳥居の先に見えるのが筥崎宮の楼門の様でした。

ここは本宮の近くに一ノ鳥居、次が二ノ鳥居と並び
国道3号線に面して大鳥居が立っているそうでした。

(筥崎宮の楼門) (国の重要文化財に指定)




扁額に「敵国降伏」と書かれているのが分かりまっか?

鎌倉時代の「蒙古襲来」の際に本殿が焼かれています。

時の亀山上皇が「敵国降伏」のご宸筆を納められて
再建した楼門に模写し扁額としたと、記されてまぁ。

(楼門から 筥崎宮の本殿を撮影) (国の重要文化財に指定)








第一の ご祭神  応神天皇

第二の ご祭神  神功皇后(応神天皇 母君)

第三の ご祭神  玉依姫命(神武天皇 母君)

日本三大八幡宮の一つで、蒙古襲来を防いだことで
「厄除・勝軍の神」として有名な神社となったとか。

(筥崎宮の ご朱印)




(筥崎宮の楼門を 背景に自撮り)


(筥崎宮の境内から 一ノ鳥居を望む)


先を急いだために千利休の奉納した石燈籠や
「筥崎宮」の名前の由縁に成ったと言われる
ご神木の「筥松」を写すのを忘れて退散しましたわ。

(福岡市営地下鉄の きつぷ)


地下鉄で西鉄の天神(福岡)駅に向かいましたのが
午前11時前だったと記憶しますんや。

(西鉄 福岡駅ホームにて自撮り)




平成4~5年に柳川市へ出張した際に、この駅から
特急電車で向かった記憶が有るんですが当時とは
変わっている感じで見覚えのある物は皆無でした。

(西日本鉄道 福岡駅~太宰府駅間 きっぷ)


(西日本鉄道 太宰府駅改札前にて自撮り)


(西日本鉄道 太宰府駅舎)


西鉄の大宰府駅を下車して右に曲がると参道でした。

やはり有名な神社なので観光客も多いでんな。

(太宰府天満宮 参道と一ノ鳥居)




太宰府天満宮は901年(昌泰4年)に京都から
流人に近い形で大宰府に着いた菅原道真公が
2年後に亡くなられ墓所が造られました。

最後まで仕えた味酒安行(うまさけのやすゆき)が
小さい祠を造ったのが起源だとのことのようですわ。

京都の朝廷から怨霊を鎮めるために大きく建て替えられ
現在では学問の神様として崇められているようですね。

(太宰府天満宮 重要文化財の立て札)


(太宰府天満宮の太鼓橋)


(太鼓橋を 横から撮影)


(太宰府天満宮の境内)


(太宰府市の マンホールの蓋)


太宰府市と太宰府天満宮は「太い」の漢字を使いますが
奈良時代から平安時代まで九州全域を監督したと言われる
大宰府は「大の」漢字を使うのが正式なんですよ。

今回の令和の改元に関連してマスコミやネットの掲載で
大宰府:太宰府市 の漢字の使い方に混乱が見えますね。

(太宰府天満宮 楼門)


(太宰府天満宮の 本殿)




(太宰府天満宮 本殿を背景に自撮り)


菅原道真公の和歌と言えば、これが一番有名でしゃろ。

 「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
 
   あるじなしとて 春な忘れそ  菅原道真」

(太宰府天満宮の 飛梅)


  

 
  
菅原道真公を慕って京都から一夜で飛来したとの伝説。

現在は本殿前の向かって右側で、ご神木とされてますんや。

(太宰府天満宮 本殿の内部)






(太宰府天満宮 菖蒲池)




訪れたのは3月20日でしたので菖蒲やアヤメは咲いてません。

まもなく菖蒲もアヤメも池一面に咲くんでしょな。

(太宰府天満宮の 紅梅)




本日はこれにて、お仕舞にさせてもらいまっさ。

次回は太宰府天満宮の近くに在る九州国立博物館と
二つ目に筑前一の宮・住吉神社を紹介しまひょ。

ほんなら これで さいなら~♪


コメント (11)
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