鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

2031年まで見納め! 興福寺の五重塔

2023-07-29 15:25:14 | 京都・奈良

興福寺の五重塔が120年ぶりに令和の大修理が始まりましたで。

各層の解体修理も予定されているとか聞いてますんや。

五層の瓦を全面的に葺きなおすため、間もなく鉄骨で覆われまぁ。

猿沢の池から眺めるこの観光スポットも見納めになりますんや。

2031年(令和13年)3月に完成と言われてまぁ。

来月の8月20日で夜間のライトアップも終了だとか。

 

(猿沢の池から 興福寺の五重塔を眺める)

奈良観光のパンフレットでは東大寺の大仏様に次いで人気は

第2位を占めるとか噂の風景でおますんや。

 

奈良時代に光明皇后が父親の藤原不比等の供養の為に建立したとか。

落雷や兵火によって5回も焼失を重ね、現在の姿は室町時代の

1426年(応永33年)に再建され国宝に指定されてまぁ。

高さが50.8m 木造の五重塔では京都市の東寺さんの五重塔に次ぎ

国内では2番目の高さを誇り、年代の古さでは奈良は法隆寺の五重塔

そして京都市の醍醐寺の五重塔に次いで三番目の古い五重塔でおます。

(国宝 興福寺 五重塔)

1階の東に面して 薬師三尊像

1階の南に面して 釈迦三尊像

1階の西の面して 阿弥陀三尊像

1階の北に面して 弥勒三尊像

但し普段は拝観できませんので鉄ちゃん爺やも

昨年秋の特別拝観を考えてましたが残念ながら

大腸がんの手術と重なり断念したんでおます。

大修理が終わって再び見れるのは8年後ですから

鉄ちゃん爺やは90歳? 生きているのかしら?

 

腰痛の為にPCの前に長時間は座れなくなり

約90日間もお休みさせていただきました。

間隔が空くと存じますが復帰のご挨拶まで。

 

 

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五月人形 京兜 & 庭の花

2018-05-04 16:54:47 | 京都・奈良
五月人形を代表する「兜=かぶと」です。

我が家に広島の孫が持ち帰った「京兜」が

(京兜=きょうかぶと 飾りましたよ)


京兜(きょうかぶと)は金属を多く使い
派手な作りに見えますが、その中でも
凛とした姿と格式を重んじるそうです。

前立ちに「龍」を配置するのが特徴かも。

関東では「江戸兜」が一般的でしょうね。

こちらは実戦向きの「兜」を小さめに工夫し
力強い姿を表現すると言われてますかな。

我が家の庭の花などを写して見ました。

(白のクレマチス)


(クンシラン)


ランの名前が付いてますがラン科ではなく

ヒガンバナ科の花だそうです。

(イキシアの花)


こちらはアヤメ科の花なんだって。

元々は南アフリカが原産の花を交配して
園芸用に改良した植物だそうです。

霜に弱いので関東以北では育ちにくいかも?

(ブルベリーの実)


花が散りまして、まもなくブルーベリーの実が
付くようで、秋には収穫が期待されますね。

昨年も約500個前後の青い実が採れました。

生でも食べましたが、数が多いのでジャムにして
毎年ながら、ご近所におすそ分けしますよ。

(柏葉アジサイの蕾)


この花が咲く頃には梅雨がやってくるんでしたね。

最後は可愛らしい小さな花を張り付けて置きます。





内の奥さんはヒオウギの花だと言いますがね。

ヒオウギは確か7月ごろに咲く花で少し疑問が?

デジカメ散歩で「ヤマブキ」や「ボタン」に
「ツツジ」を撮ってきたんですが。

PCに取り込み中にミスをして全てが消滅!

ゴミ箱にも入ってなくて、どこへ行ったのかしら?

我ながら、お粗末なGWの失敗でした。









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奈良公園を デジカメ散歩

2017-02-11 19:38:28 | 京都・奈良
春日大社は有名なんで皆さんも訪れたことが~

有名な和歌の碑をみながら春日大社を後にしまひょ。

(安倍仲麻呂の 有名な和歌)




今回はあまり知られてない奈良公園の名所を
三つばかり選んで紹介してみまひょ。

(春日大社の神苑 万葉植物園)


ここは藤の花が咲く頃が見事でっけど今の時期は
冬枯れの万葉植物だけなんでパスしまっせ。

春日大社の「神紋」は藤の花なんですけどね。

まずは春日大社の境内を南の方へ外れまひょ。

樹木が途切れて「飛火野=とびひの」と呼ばれる
見通しのいい場所に出てきましたで。

(飛火野=とびひの & 御蓋山=みかさやま)




元々は御蓋山(みかさやま)を仰ぐ古代祭祀の地で
「春日野=かすがの」と呼ばれてたそうですわ。

奈良時代の貴族が蹴鞠(けまり)や花摘みなどで
楽しんだ場所だとも記されてますかな。

現在は芝が植えられて大きな広場になってますわ。

(飛火野=とびひの & 高円山=たかまどやま)




(鹿寄せの 看板)


冬の大和路の風物詩なんですよ、朝の10時ごろに
ホルンで「田園」の曲を奏でたら約100頭もの
鹿が林から飛び出して、ここに集まってくるんだって。

観光客に人気の写真スポットとして話題になってまぁ。

2月9日 ~ 3月12日 期間限定の催し!

(奈良公園の 案内標識)


(奈良公園 鷺池 & 浮見堂)




水面に写った六角形の東屋、ここも写真スポットでっせ。

建物の内部は休憩所になってますんや。

(浮見堂への 渡り橋)


(浮見堂の 内部)




カルガモかな? 見事な編隊で泳いでましたで。

この鷺池は春日山から湧き出た水が溜まったようで
周りには川らしきものが見当たりまへんな。

(カルガモ 編隊での遊泳)


(浮見堂を背景に 自撮り)


それでは再び春日大社の境内へ戻りまひょ。

途中でこんな土塀の遺跡を見つけましたで。

(奈良公園内の 古い土塀の跡)


やはり奈良には古い歴史を醸し出す雰囲気がおますな。

奈良公園ではあちこちで鹿に出会いますんや。

(奈良公園の鹿)


(生まれて間もない 小鹿が母鹿と散歩)


(奈良公園にて 東大寺の甍を眺める)


今回は奈良の大仏さま申し訳ないが他へ回りまっせ。

奈良市と言えば一番が東大寺の大仏さまだそうで
二番目は奈良公園の鹿と春日大社なんだって。

次は何十回も奈良市内を訪れたことが有るのに
鉄ちゃん爺やが初めて知った旧跡の地を紹介しまひょ。

(菩提院大御堂前の 説明板)


(伝説 三作石子詰之旧跡)


恥ずかしながら鉄ちゃん爺やの知らない伝説なので
戻ってからネットで色々と調べてみましたんや。

時は江戸時代のお話? ここ菩提院大御堂で興福寺の
子供僧侶が習字を習っていたそうですわ。

三作(みのさく)という子供僧侶が席を外した際に
鹿がやってきて習字の紙を食べてしまったんだって。

怒った三作(みのさく)が文鎮を鹿に投げつけた処
急所に当たって鹿が倒死してしまったんだとか。

当時は春日大社の鹿は神様の使いで殺傷したならば
石子詰めの刑で、死刑になるのが決まりだったそうな。

実際の記録では寛永5年(1628年)に春日社の
狛犬を盗んだ山伏が石子詰めの刑に処されたの記録。

(菩提院大御堂 外側から撮影)


まだ13歳の子供であっても法の裁きは死刑だとのこと。

ここ菩提院大御堂の境内で穴を掘って三作(みのさく)を
埋めてその上から、小石を詰めて死刑にしたんだって。

このお寺では明け七つと暮れ六つに「十三の鐘」を突き
市民に時を告げていたようですわ。

この鐘を撞く時刻に死刑が執行されたそうで、母親は
嘆き悲しんだとのことで、この伝説を浄瑠璃にして
近松門左衛門が「十三鐘」というのを創作したんだって。

画像の奥に見えるのが鐘楼で「十三鐘」が見えるとか
現在は興福寺管長の自宅だとのことで非公開なんだって。

伝説との話もありますが、奈良市内では江戸時代まで
鹿が自宅の前で死んだ時は死刑になることもあったとか。

此処を少しだけ下ると有名な「猿沢の池」に出ますんや。

(猿沢の池と 興福寺の五重塔)


この風景は奈良市を訪れた方なら、一度は見覚えがある
絵葉書にも登場する有名な観光スポットですかな。

でも池の南側にある率川(いさがわ)にある地蔵尊は
鉄ちゃん爺やも初めて気が付いた珍しいものですわ。

(率川=いさがわ地蔵尊)




川の中州を舟形に囲い約40体の地蔵さんが安置!
しかもすべての地蔵尊の、首がおまへんがな。

明治初めの廃仏毀釈に際して壊された地蔵尊だとか。

幕末に川を改修した際に出土した地蔵尊だとの説も。

現在は奈良町の皆さんが大事に保存維持しているそうで
夏の盂蘭盆には精霊流しの真似事もやるそうですわ。

(奈良町の 古い民家)








それでは、夕方も近づきましたんで帰ることにしまひょ。

大通りへ出た処で、こんな看板を発見しましたで。

(興福寺 中金堂再建完成図)


一昨年から工事が続けられてますけど完成は
平成30年(2018年)までかかるんでんな。

来年なら鉄ちゃん爺やもなんとか生きていて
完成した中金堂を拝観させてもらえるかも。

(奈良県庁前を 通過)


(近鉄奈良駅方向を撮影)


それでは甘党の内の奥さんに奈良の和菓子を
買って帰ることにしまひょかな。

(和菓子 萬勝堂)






関西では「三笠饅頭」と言いますんや、関東だったら
「ドラ焼き」とでもいうんでしたかしら?

(奈良市 マンホールの蓋)


(近鉄電車 通勤電車の塗装)


近鉄奈良駅からは2回乗り換えで自宅まで約1時間。

電車賃は片道で750円、近鉄は距離の割に高いでんな。

競争相手がJRだけなんで、相手にならないようですわ。

奈良県は近鉄電車の王国で鼻息が荒いんでっせ。

それじゃ、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵
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春日大社を デジカメ散歩

2017-02-05 17:03:41 | 京都・奈良
(近鉄電車 & 阪神電車の並列)(近鉄奈良線・西大寺駅にて)


(近鉄・奈良線 西大寺駅名標)


この日は近鉄電車で奈良の春日大社へデジカメ散歩でおます。

西大寺駅は近鉄電車が奈良線と京都線がクロスする駅で
阪神電車も神戸の三ノ宮から相互乗り入れしてますんや。

(関西で 大評判・駅のベンチ)


線路とベンチを90度向きを変えたら転落事故が減少!

この向きを変えたベンチでの転落事故は聞いてまへんで!

酔っぱらい客の多い駅から優先してるんだって!

そんな訳で関西ではJRも近鉄さんも急ピッチで改良中!

(近鉄 奈良駅前)




(行基菩薩像) (近鉄奈良駅前)


(春日大社 祝・正遷宮の提灯)


伊勢神宮では式年遷宮(せんぐう)と言いまっけど
春日大社では式年造替(ぞうたい)と呼びますんや。

でも~ 横幕には祝・正遷宮と書かれてまんな?

細かいことなど、どっちでもよろしおますけど。

2015年~2016年秋に完了したそうですわ。

前回に訪れた際には工事中でしたので、今回は
本殿まで入場して、デジカメ散歩をと考えましたんや。

(春日大社 一の鳥居)






(国道169号線 道路標識)


一の鳥居の前は国道169号線で左手の県庁前から
吉野・熊野を経由し和歌山県新宮市まで続いてまぁ。

一の鳥居を潜ると春日大社の参道が約1.5kmぐらい
両側の広大な森は全て春日大社の敷地なんだって。

奥の方では春日山原始林となる貴重な森になってまぁ。

(節分の万燈籠 が残ってまぁ)






(節分 万燈籠の 飾り門)




奥へ歩くうちに、やっぱり観光客が増えてきましたで。

中国語や英語が飛び交って外人さんが多いようでっせ。

関西は2016年だけで観光客が1000万人を超えて
今年も大阪・京都・奈良では減る気配もないそうですわ。

(春日大社 参道の灯篭)


(春日大社 神鹿の群れ)




奈良市では「鹿」は昔から春日大社の「神鹿」と呼ばれ
国の天然記念物になっているんだって。

奈良公園や東大寺や春日大社の境内では「鹿」が優先で
車は青信号でも停車しないといけませんのや。

のんびりと道路を横切る姿を見てると微笑ましいでっせ。

総数で「鹿」が何頭いるのか詳しいことは不明かも?

(春日大社 二の鳥居)


(奉納された 日本酒のこもかぶり)


(春日大社 伏鹿の手水場)


手水場も春日大社では「鹿」さんがお迎えでっせ。

二の鳥居から奥が正式には表参道と呼ぶそうですわ。

(春日大社 南門)


この南門を潜ると参拝所が目の前に現れますんや。

本殿には四神がお祀りされているそうですわ。

(春日大社の 四神の説明書き)


12月に大阪の枚岡神社で紹介しましたが鹿島の神
香取の神に、枚岡神社から天児子屋根の命(男神)と
そのお后である比売神(ひめがみ)を合わせて
「春日四所明神」として四神さまが祀られてますんや。

元々は平城京を鎮護する「藤原氏」の氏神様だったのが
国家や国民を守る平和の神さまになられたようでんな。

(春日大社の 参拝所)




普段はここで参拝して引き返すんでっけど、久しぶりに
新しい丹塗も鮮やかな本殿へお詣りすることにしまひょ。

(本殿 特別参拝 入口)




ここで500円を支払って入場しないと、春日大社の
本殿が正面から写せない構造になってますんや。

参拝所からでは少しだけ本殿が覗いているだけですわ。

春日大社さん良いアイデアを考え出したもんでんな。

(参拝記念の栞)


20年に一度の式年造替(しきねんぞうたい)に際して
舞われる舞楽で「太平楽」と呼ばれるんだって。

昨年が平安時代から続く第60次・式年造替だったとか。

本殿は国宝に指定されている貴重な建物でっせ。

各地に見られますが「春日造り」と呼ばれるんだって。

(春日大社 本殿を正面から撮影)


(春日大社 本殿前で撮影)


遠方から来られた同じぐらいの年齢の老夫婦さんと交代で
交互にデジカメ撮影をお願いしたのがこの画像でおます。

それでは本殿の各所をデジカメで写すことにしまひょ。

(本殿の説明書き)


(春日大社 本殿で結婚式のお二人)


本殿内部は写真撮影が禁止と大きな文字で書いてまっけど
中国人のようなふりして、失礼をばさせて頂きました。

観光中の中国人がデジカメを盛んに写してましたんや。

普通なら遠慮するところですが、ご免なさいね~

(本殿に奉納された 燈籠)




鉄ちゃん爺やが本殿にお詣りしたのは40年ぶりかも。

昨年の式年造替(しきねんぞうたい)で丹塗りが鮮やかで
国宝なのに新しい建物と間違えそうなイメージ。


(本殿 裏側から撮影)


四つの本殿が一列に並んでいるんでっけど、三つしか
鉄ちゃん爺やのデジカメでは写せまへんでしたわ。

(第5代将軍 徳川綱吉公 奉納の燈籠)


春日大社に約2000基の石灯籠や鐘燈籠がおます。

2月3日の節分と8月14~15日のお盆には
全ての燈籠に浄火を献じて、諸願成就や祖先の冥福など
「万燈籠」の行事が毎年続けられているそうです。

関西では有名な春日大社の神事なんですよ。

(直江兼続 奉納の燈籠)


慶長五年と銘が刻まれてますので西暦1600年でんな。

関ヶ原の戦いの後に、上杉家の安寧を祈願して直江兼続と
記載せずに、単に山城守とのみ書かれいるそうですが
春日大社の奉納記録には直江兼続と記されているとのこと。

(宇喜多秀家公 奉納の燈籠)


鉄ちゃん爺やの実家のご先祖に当たる方との伝説がおます。

半分は作り話だと考えてますが、江戸時代には徳川幕府を
憚って「浮田」と苗字を変更していたと言われてますんや。

幕末に菩提寺が水害で流失してますんで証拠は不明ですけど。

宇喜多秀家の叔父に当たる方が直系のご先祖だったとか?

(桂昌院 奉納の燈籠)




徳川綱吉公のご生母で京都や奈良の寺社に造詣が深く
この燈籠にも、葵の紋と本庄家の丸九ケ紋が燈籠の
頭の部分に描かれているのが写ってまつしゃろ。

(御蓋山 遥拝所)




現在は「三笠山と呼ぶことが多いようですが正式には
御蓋山(みかさやま)と書くのが正しいんだって。

ここから山上にある本宮を遥拝するそうですが、現在も
ここから先は立ち入りが禁止されているそうですわ。

伝説で鹿島の神様が白い鹿に乗ってこの山に下りられた
それが春日大社のルーツとされているようでんな。

(春日の大杉 樹齢約1000年) (高さ約23m)




(春日大社の 巫女さん)


頭の上に「藤の花」の飾りを付けておられるようでっせ。

確かに春には見事な「藤の花」が観られますけどね。

藤原氏の「藤」と兼ね合わせているんでしょうな。

(春日大社の ご朱印)


(春日大社の回廊にて 自分撮り)




(竈殿=へついどの) (国の重要文化財)




(酒殿=さかどの) (国の重要文化財)




この二つは式年造替(ぞうたい)に際しても建て替えは
されなかったので古風な感じが良く出ていますかな。

鉄ちゃん爺やとしては歴史の古い建物はこんな感じで
素朴な感じを残して欲しい気もしますんやけど。

酒殿(さかどの)では現在も春日の四神に捧げる為の
「濁り酒」がここで醸造されているようだっせ。



長くなりますので今日はこれでお仕舞にしまっさ。

次回は奈良公園の「浮見堂」や「飛火野」を紹介しまひょ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵

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江戸時代にも 皇室の危機がおました

2017-01-29 16:25:54 | 京都・奈良
今上陛下の生前退位とやらの報道から
世の中は議論が騒がしいようでんな。

鉄ちゃん爺やごときが、どうのこうのと
書き込むなど、恐れ多いんでっけど。

238年前に起こった話を紹介しまひょ。

それでは~ 京都御苑の方へ向かいまっせ。

(旧3000系 京阪特急 テレビカー)




5年前に引退するとの報道でデジカメ撮影をした
今では見れない、懐かしい特急電車でおます。

2013年に引退し富山地方鉄道と大井川鐡道に
譲渡されて、現在も運行がされているとの話も。

以下の画像は全て2012年7月のものなので
古いですがご容赦のほど、お願いしますね。

(旧 閑院宮邸の正門)




時は江戸時代で10代将軍・徳川家治公の晩年で
田沼意次さんが権力を握っていた頃のお話。

第118代・後桃園天皇が生まれたばかりの皇女
欣子(よしこ)内親王を残しただけで崩御されます。

男系の皇族が一人も存在しなくなったんでっせ。

(旧 閑院宮邸の 車寄せ)




伏見宮家や桂宮家に有栖川宮家など室町時代から
江戸時代初期に、天皇の皇子から成立した三つの
世襲親王家は、やはり血統が遠かったようですわ。

新井白石の建白で東山天皇の第2皇子である
直仁(なおひと)親王を新しい世襲親王家として
閑院宮家(かんいんのみやけ)を創設したとか。

この時代には東山天皇の皇子から閑院宮家が生まれて
第2代閑院宮典仁(すけひと)親王が当主でおます。

長男の美仁(はるひと)親王は21歳の成人ながら
先帝の忘れ形見である、欣子(よしこ)内親王が
1歳になるかならぬかでは釣り合いがとれまへん。

変わって第6皇子の師仁(もろひと)親王は8歳
欣子(よしこ)内親王を中宮(皇后)に迎えて
第119代天皇に推挙するのが最適と考えました。

先帝の内親王に合わせて新しい天皇を選ぶとは
江戸幕府も朝廷も苦渋の判断をした訳ですわな。

(旧 閑院宮邸の内部)








現在の閑院宮邸は明治初期に新築された建物だとの話。

旧閑院宮邸は現在も無料で一般公開がされてまっせ。

1779年(安永8年)旧暦11月15日ご即位。

光格天皇(こうかくてんのう)と称されますよ。

(第119代 光格天皇)


この方のご生母は「大江磐代=おおえのいわしろ」で
父親は浪人で町医者である岩城宗賢の娘だったとか。

閑院宮典仁親王の正妻として中御門天皇の第5皇女である
成子(ふさこ)内親王が、お輿入れの際に入内したとの説。

成子(ふさこ)内親王の侍女だったようですね。

だから民間人で、お目見えすらできない女性なんですわ。

でも男子が誕生すれば、立派な親王さまなんですから。

ご本人も聖護院のお寺に門跡として入られる予定が
天皇陛下に祭り上げられるとは、驚きだったでしょうな。

師仁は(しにん)と読めるとかで縁起が悪いとのことで
兼仁(ともひと)親王と新しく改名までされたんだとか。

時代のいたずらで、わずか8歳の師仁親王が新天皇になり
宮中へ入られることになったんでんな。

第125代・光格天皇とお呼びするお方です
今上陛下には直系のご先祖様になりまぁ。

「光格天皇」は明治天皇の曽祖父になるお方ですよ。

(京都御所 土塀)




即位の当時は幼帝だったので後桜町上皇などの庇護を得て
時代は、松平定信「寛政の改革」の頃を迎えますんや。

光格天皇は父親である閑院宮典仁親王が関白や大臣よりも
位が低いのはおかしい「太上天皇=だじょうてんのう」の
尊号を与えたいと幕府に要望するも、二度拒絶だったとか。

11代将軍・徳川家斉の父親である一橋治斉にも同じように
「大御所」の尊号を送ることに成るのを嫌ったとの説も。

当時の徳川幕府には天皇陛下の願いも拒絶できましたんや。

(京都御所 建礼門)


後桜町上皇や光格天皇の叔父などが幕府との和解に務め
光格天皇は先例があるにも関わらず断念されたとの話。

これを「尊号一件」とか「尊号事件」と呼びますんや。

時は流れて明治維新を迎えてからの話になりまっけど。

明治天皇は閑院宮典仁親王が高祖父に当たるお方だとして
「慶光天皇=きょうこうてんのう」の尊号を授与されます。

「太上天皇」としての尊号で歴代の天皇には入りませんよ。

(蘆山寺=ろさんじ  慶光天皇蘆山寺陵)


(慶光天皇 お墓)








光格天皇の皇女や関連する皇族方が多くお祀りされてまぁ。

でも~ 光格天皇のご生母さまは離れた別の共同墓地に
お祀りされているとは、厳しい身分制度の時代ですかな。

鉄ちゃん爺やが共同墓地を探しましたが不明でしたわ。

HPでは蘆山寺に葬られているのは確かのようですけど。

(蘆山寺 山門)


(蘆山寺 本堂)


(蘆山寺 仏殿内部)




現在の皇室は神道でお祀りされてますので、江戸時代の
天皇や皇族方の位牌はここ蘆山寺や泉涌寺などに置かれ
現在も「御寺=みでら」の格式が伝わってますかな。

光格天皇は1817年(文化14年)旧暦3月22日に
仁孝天皇(にんこうてんのう)に譲位をされますんや。

1840年(天保11年)旧暦11月18日に崩御まで
日本歴史上では最後の上皇さまであり太上天皇でおます。

(蘆山寺 紫式部の庭)






(蘆山寺の 由来書き)


現在の蘆山寺は豊臣秀吉により船岡山付近からこの地に
移転を命じられたそうで、平安時代には源氏物語で有名な
紫式部が育った邸宅が在ったとの説が有力でおます。

そんな訳で7月中旬から9月頃まで桔梗の花を咲かせて
観光客を迎え入れているようですわ。

(京都御苑 清和門)


光格天皇が崩御された後は中宮(皇后)であった
欣子(よしこ)内親王さまは剃髪して新清和門院の称号を
得られましたが、この清和門は京都御所から東へ下り
寺町通りの蘆山寺の近くに位置してますんや。

残念ながら欣子内親王は二人の皇子さまを、お産みに
なりましたが夭折されて、血統は絶えておられますね。

(京都御所 建春門)


処で、日本歴史で天皇陛下の名前を調べましたら不思議な
ことに気が付きましたんや、「光」の名前が送られた天皇。

光仁天皇  天武天皇系から 天智天皇系への復活

光孝天皇  陽成天皇を廃し 新しい天皇を即位へ

光明天皇  南朝に変わり  足利尊氏が北朝を成立

後光明天皇 徳川系の明正天皇が 弟皇子へ譲位

光格天皇  現在の今上陛下の  直系のご先祖様


偶然なのかも知れませんが、新しい時代を意味する
そんな意味から、「光」を贈位したのかもしれませんね。

それでは、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵














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