一人旅3日目 3月19日 天気は 雨のち晴れ
(ようこそ 北九州市へ)(JR小倉駅 新幹線北口)
ネットのお友達と待ち合わせ時間がまだ30分有ったので
昔の出張で下車した新幹線北口へ立ち寄ってみました。
でも記憶に残る駅前は何も無くリニューアルされた感じ。
そうですよね25年近くも昔でJR小倉駅舎も変わったし。
(メーテルと鉄郎 銀河鉄道999の銅像) (JR小倉駅・新幹線北口前)
松本零士さんは小学生から高校時代までを当時の小倉市に
育ち「銀河鉄道999」の構想を当時に思い付いたとか。
2012年(平成24年)に北九州市漫画ミュージアムが
完成し名誉館長に就任した縁で銅像が造られたそうですわ。
メーテルと鉄郎 が銀河鉄道に乗って宇宙へ旅にでる。
その昔、鉄ちゃん爺やの息子が好んで見ていたアニメ。
(宇宙海賊 キャプテンハーロックの銅像)
(銀河鉄道999 マンホールの蓋)
戻ってからネットで検索したんだけど9か所ほどあるとか。
マンホールの蓋は北九州市の水道事業100周年を
記念してJR小倉駅周辺に設置されたんだって。
在来線の改札口に戻り門司港駅までの切符を購入しまひょ。
(小倉駅 ~ 門司港駅 280円)
(JR小倉駅名標)
(JR小倉駅にて 自撮り)
それではJR門司港駅へ向かうことにしまひょ。
実は、一週間前にJR門司港駅舎がリニューアルするとの
情報を知って、北九州を訪れることにしたんですわ。
小倉駅から門司港駅までは三つ目で約15分前後でっかな。
(JR門司港駅 レトロなホーム)
(JR門司港駅構内 鹿児島本線の 0キロ標識)
現在は関門トンネルが出来て二つ手前の門司駅が本州と
九州を繋ぐ連絡駅なんですが、鹿児島本線の正式な起点は
現在もここ、門司港駅とされているんだっせ。
(JR門司港駅舎) (国の重要文化財に指定)
鉄道の駅舎で国の重要文化財に指定された第1号なんでっせ。
1914年(大正3年)に開業されたと聞いてますんや。
重要文化財に指定は1988年(昭和63年)でしたけど。
あのJR東京駅の丸の内駅舎より5年も先に決まったちか。
私たち鉄道マニアでは門司港駅舎・東京駅丸の内駅舎それに
大社駅舎(島根県)を、日本三大レトロ駅舎と呼びまんねん。
(門司港駅舎の構内)
1941年(昭和17年)に関門トンネルが開通するまでは
こここ国鉄・門司港駅は当時には国鉄・門司駅と呼んだそうです。
下関駅とは連絡船で繋がり多くの乗客が、ここ門司駅で
乗り降りした由緒ある駅として繁栄したんだそうです。
だから戦前には朝鮮半島や満州への貿易港でもおました。
(バナナの叩き売り発祥の地)
当時は台湾から送られてきたバナナは腐りやすいので
神戸港へ送れないものを、ここで即売したのが始まりだとか。
「男はつらいよ」で寅次郎さんが演じた場面を思い出しますかな。
当時のレトロな建物も併せて観光の名所に成ってるんでっせ。
(旧門司税関)
1912年(明治45年)に完成した建物ですが何度も改修され
現在は北九州市が買い取って使用しているんだとか。
(旧大阪商船 門司支店)
1917年(大正6年)に完成した古い建物で、現在は
国の登録文化財に認定されているようでんな。
鉄ちゃん爺やが若い頃に出入りした神戸市や大阪市に在った
大阪商船の建物に雰囲気が似ているので懐かしく感じました。
(旧門司三井倶楽部)
大正時代にアインシュタイン博士が訪れたこともある建物で
現在は高級な「ふぐ料理の」店が1階を使用しているとか。
「フグ料理」は大阪でも安く食べれますのでパスしました。
(門司港の はね橋)
ここまで来ると前回に掲載した下関市は目と鼻の先に。
目測では約2~3kmぐらいに感じまっけどな。
(前日に登った 海峡ゆめタワー遠くに望む)
(下関市の水族館を遠くに望む)
(関門大橋の方向を撮影)
画像の向こうに見える高い山は下関市の火の山でこの山麓の
付近が源平の合戦になった壇ノ浦と呼ぶ海岸に成ります。
山陽新幹線は火の山の山腹から関門海峡の海底を潜っています。
(パトロールに向かう巡視艇)
右手の遠くに写っているのは海峡ゆめタワーのようです。
関門海峡は船の往来が多くて海難事故も多いようですね。
それではJR門司港駅に戻って小倉駅に向かいますよ。
JR門司港駅は北九州市の門司区になるそうです。
(JR門司港駅構内の電車)
この日が小倉のホテルに宿泊する最後の日なので夕方に
小倉の名所を観光地図を観ながら散策してみました。
(森鴎外の旧居)
森鴎外は軍医として小倉城内の第12師団に配属されていた当時
ここを住居として、俳句や短編小説を執筆し始めたそうです。
(小倉城外に 森鴎外の文学碑)
(紫川の向こうに 井筒屋百貨店の本店)
(夕闇迫る 小倉城天守閣)
紫川に沿って暫く300mぐらい下ると常盤橋にでました。
ここは江戸時代には長崎街道の起点に成る橋だったそうです。
(長崎街道の起点 常盤橋)
長崎街道は現在の博多は通らずに斜めに大宰府をかすめて
佐賀市内を通過して長崎市に通じていたようですね。
筑前の黒田藩を避けていたのは何故なのか不明ですが
黒田藩が出来る前からの街道だったのかもしれませんね。
(長崎街道の説明書き)
(JR小倉駅前の 繁華街)
滞在中に全国の地価が発表されましたが北九州市ではこの辺りが
一番地価が高い繁華街の様でした。
(小倉の魚町界隈の繁華街)
小倉までやってきたのでモノレールに少しの区間だけ乗って見ました。
昭和50年代には、このモノレールは走ってましたが乗るのは初めて。
(都市モノレール 小倉線)
これで北九州の小倉と門司港駅の掲載を終わります。
次回はJR鹿児島本線で博多へ向かいます。
それでは~ これで、さいなら~♪
(ようこそ 北九州市へ)(JR小倉駅 新幹線北口)
ネットのお友達と待ち合わせ時間がまだ30分有ったので
昔の出張で下車した新幹線北口へ立ち寄ってみました。
でも記憶に残る駅前は何も無くリニューアルされた感じ。
そうですよね25年近くも昔でJR小倉駅舎も変わったし。
(メーテルと鉄郎 銀河鉄道999の銅像) (JR小倉駅・新幹線北口前)
松本零士さんは小学生から高校時代までを当時の小倉市に
育ち「銀河鉄道999」の構想を当時に思い付いたとか。
2012年(平成24年)に北九州市漫画ミュージアムが
完成し名誉館長に就任した縁で銅像が造られたそうですわ。
メーテルと鉄郎 が銀河鉄道に乗って宇宙へ旅にでる。
その昔、鉄ちゃん爺やの息子が好んで見ていたアニメ。
(宇宙海賊 キャプテンハーロックの銅像)
(銀河鉄道999 マンホールの蓋)
戻ってからネットで検索したんだけど9か所ほどあるとか。
マンホールの蓋は北九州市の水道事業100周年を
記念してJR小倉駅周辺に設置されたんだって。
在来線の改札口に戻り門司港駅までの切符を購入しまひょ。
(小倉駅 ~ 門司港駅 280円)
(JR小倉駅名標)
(JR小倉駅にて 自撮り)
それではJR門司港駅へ向かうことにしまひょ。
実は、一週間前にJR門司港駅舎がリニューアルするとの
情報を知って、北九州を訪れることにしたんですわ。
小倉駅から門司港駅までは三つ目で約15分前後でっかな。
(JR門司港駅 レトロなホーム)
(JR門司港駅構内 鹿児島本線の 0キロ標識)
現在は関門トンネルが出来て二つ手前の門司駅が本州と
九州を繋ぐ連絡駅なんですが、鹿児島本線の正式な起点は
現在もここ、門司港駅とされているんだっせ。
(JR門司港駅舎) (国の重要文化財に指定)
鉄道の駅舎で国の重要文化財に指定された第1号なんでっせ。
1914年(大正3年)に開業されたと聞いてますんや。
重要文化財に指定は1988年(昭和63年)でしたけど。
あのJR東京駅の丸の内駅舎より5年も先に決まったちか。
私たち鉄道マニアでは門司港駅舎・東京駅丸の内駅舎それに
大社駅舎(島根県)を、日本三大レトロ駅舎と呼びまんねん。
(門司港駅舎の構内)
1941年(昭和17年)に関門トンネルが開通するまでは
こここ国鉄・門司港駅は当時には国鉄・門司駅と呼んだそうです。
下関駅とは連絡船で繋がり多くの乗客が、ここ門司駅で
乗り降りした由緒ある駅として繁栄したんだそうです。
だから戦前には朝鮮半島や満州への貿易港でもおました。
(バナナの叩き売り発祥の地)
当時は台湾から送られてきたバナナは腐りやすいので
神戸港へ送れないものを、ここで即売したのが始まりだとか。
「男はつらいよ」で寅次郎さんが演じた場面を思い出しますかな。
当時のレトロな建物も併せて観光の名所に成ってるんでっせ。
(旧門司税関)
1912年(明治45年)に完成した建物ですが何度も改修され
現在は北九州市が買い取って使用しているんだとか。
(旧大阪商船 門司支店)
1917年(大正6年)に完成した古い建物で、現在は
国の登録文化財に認定されているようでんな。
鉄ちゃん爺やが若い頃に出入りした神戸市や大阪市に在った
大阪商船の建物に雰囲気が似ているので懐かしく感じました。
(旧門司三井倶楽部)
大正時代にアインシュタイン博士が訪れたこともある建物で
現在は高級な「ふぐ料理の」店が1階を使用しているとか。
「フグ料理」は大阪でも安く食べれますのでパスしました。
(門司港の はね橋)
ここまで来ると前回に掲載した下関市は目と鼻の先に。
目測では約2~3kmぐらいに感じまっけどな。
(前日に登った 海峡ゆめタワー遠くに望む)
(下関市の水族館を遠くに望む)
(関門大橋の方向を撮影)
画像の向こうに見える高い山は下関市の火の山でこの山麓の
付近が源平の合戦になった壇ノ浦と呼ぶ海岸に成ります。
山陽新幹線は火の山の山腹から関門海峡の海底を潜っています。
(パトロールに向かう巡視艇)
右手の遠くに写っているのは海峡ゆめタワーのようです。
関門海峡は船の往来が多くて海難事故も多いようですね。
それではJR門司港駅に戻って小倉駅に向かいますよ。
JR門司港駅は北九州市の門司区になるそうです。
(JR門司港駅構内の電車)
この日が小倉のホテルに宿泊する最後の日なので夕方に
小倉の名所を観光地図を観ながら散策してみました。
(森鴎外の旧居)
森鴎外は軍医として小倉城内の第12師団に配属されていた当時
ここを住居として、俳句や短編小説を執筆し始めたそうです。
(小倉城外に 森鴎外の文学碑)
(紫川の向こうに 井筒屋百貨店の本店)
(夕闇迫る 小倉城天守閣)
紫川に沿って暫く300mぐらい下ると常盤橋にでました。
ここは江戸時代には長崎街道の起点に成る橋だったそうです。
(長崎街道の起点 常盤橋)
長崎街道は現在の博多は通らずに斜めに大宰府をかすめて
佐賀市内を通過して長崎市に通じていたようですね。
筑前の黒田藩を避けていたのは何故なのか不明ですが
黒田藩が出来る前からの街道だったのかもしれませんね。
(長崎街道の説明書き)
(JR小倉駅前の 繁華街)
滞在中に全国の地価が発表されましたが北九州市ではこの辺りが
一番地価が高い繁華街の様でした。
(小倉の魚町界隈の繁華街)
小倉までやってきたのでモノレールに少しの区間だけ乗って見ました。
昭和50年代には、このモノレールは走ってましたが乗るのは初めて。
(都市モノレール 小倉線)
これで北九州の小倉と門司港駅の掲載を終わります。
次回はJR鹿児島本線で博多へ向かいます。
それでは~ これで、さいなら~♪