黒門市場から足を延ばして道頓堀(どうとんぼり)へ
観光客が大阪市内で訪れるベスト3と言えば
一番が 「道頓堀=どうとんぼり」
二番が 「大阪城」
三番が 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」
現在はこんな感じになると思いますんや。
(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)
(大阪市営地下鉄 なんば駅)
この見慣れたロゴマークも今年の3月31日まで。
4月1日から民営化されて「大阪メトロ」という
名前の地下鉄になるとの発表がおました。
橋下市長の時代からモメてましたが市議会で
当分の間は株式を売却しないとの条件で可決成立。
日本最大の公営鉄道が民営化されるんですわ。
それでは道頓堀(どうとんぼり)の方へ向かいまひょ。
大阪では難波駅から道頓堀や心斎橋筋の辺りを
ミナミと呼び、梅田や曽根崎の辺りをキタと呼びまぁ。
(御堂筋から 道頓堀川を撮影)
有名なグリコの看板の前で観光船は停船しますんや。
観光客は一斉に写真撮影をしてはりますわ。
観光船から眺めるグリコの看板は趣が変わりますかな。
(御堂筋から 戎橋を撮影)
(中央区 心斎橋筋の住居表示)
道頓堀川の一つ北側で東西の通りを大阪では
宗右衛門町(そうえもんちょう)と呼びますんや。
「きっと来てねえと~ 泣いていた~ かわいあの娘は~
うぶなぁのうか~ 何故に泣かすか~ 宗右衛門町よ~」
大阪の名曲 宗衛門町ブルース
あの当時200万枚を超える大ヒット曲だったとか。
この歌が流行った頃は、鉄ちゃん爺やもまだ30歳代?
(宗右衛門町を示す 看板)
鉄ちゃん爺やも若い頃はこの辺りで良く遊んでましたで。
ミナミではスナックやクラブが並ぶ歓楽街なんですわ。
道頓堀川から南側は昔からの食事処となりまんねん。
今はおまへんけど芝居小屋も五つほどあったようでっせ。
宗右衛門町から北側が二次会用の繁華街となりまぁ。
(ミナミの名所 グリコの看板)
(グリコの看板を背景に 自撮り)
グリコの看板はこれが4代目だとか聞いてまんねん。
観光客なら必ず写真に収めるミナミで一番の名所ですわ。
鉄ちゃん爺やは2代目からを見てきたと思いまんねん。
(戎橋から 道頓堀川の東側を撮影)
(戎橋の標識)
(戎橋の 説明板)
(道頓堀通りから 戎橋方向を撮影)
この「戎橋」を挟んで北側を船場まで「心斎橋筋」と呼び、
南側は難波駅前迄を「戎橋筋」と大阪では呼びますんや。
今宮戎神社への参道として江戸時代に造られたそうで
道頓堀川に架かる橋を「戎橋」と呼ぶようになったとか。
大阪市内では南北の道を「筋」と言いますんや。
東西の通りは「通り」と言いますんで念のため。
(道頓堀通り かに道楽本店の看板)
この看板も昔から観光客の撮影スポツトですかな。
中国の方も韓国の方も、盛んに写真を写してはりますわ。
「かに道楽本店」は一度ぐらいしか入った記憶がおまへん。
(明治製菓さん カールの看板)
カールは東京など東日本では販売が中止になったとか。
三橋美智也さんの高いキーでのCMが懐かしいでんな。
関西ではカールはまだスーパーで買えるようでっけど。
(道頓堀通りの賑わい)
(大衆向け ふぐ料理の すぼらや)
「ずぼらや」さんは大衆向けで安いフグ鍋が食べれるので
今も昔も庶民には人気のある大阪の味とでも言いますかな。
トラフグのような高級なフグじゃないがフグには違いなく
手軽にフグ鍋を食べてみるなら、ここらあたりでしょうね。
(道頓堀通り 雛寿司さん)
女性に喜ばれる小さいサイズのお寿司屋さんでっせ。
鉄ちゃん爺やも女子事務員さんを連れて食べましたで。
お値段は高いけど話のネタになる、お寿司屋さんでっけど。
ここから南の方へ足を向けていきまっせ。
(法善寺横丁の 看板)
鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中に大火で焼けてしまい
再建に鉄ちゃん爺やも5千円だけ寄付をさせて貰いました。
昔ながらの法善寺横丁が再建されたようで良かったですわ。
本来は防火の関係でこんな細い通路は許可がでないんだとか。
大阪市が特例で昔ながらの通路の幅で許可をだしたんだって。
(有名な 水掛け不動尊)
ミナミでは水商売の女性には凄く人気のある「お不動さん」
水を掛ける と 願いを掛ける そんな語呂合わせかも?
不動尊は商売繁盛と恋愛成就の有り難い お方だそうです。
浪花情緒が残る数少ない光景がミナミの名所になってまぁ。
お寺は昭和20年の空襲で焼けてしまいまして不動尊と
金毘羅堂だけが残っているだけですわ。
江戸時代から千日供養をしたのが法善寺で庶民は
千日寺と呼び、千日前はこのお寺の境内だったとも。
(水掛け不動に 並ぶ観光客)
水掛け不動さんに水を掛けるのもこんな行列でっせ。
中国の方に水掛け不動さんの意味が分かるのかしら?
お隣は織田作之助の小説で有名な「夫婦善哉」だっせ。
(法善寺横丁の角 夫婦善哉)
(織田作之助 馴染みのお店)
割烹で「正弁丹吾亭」(しょうべんたんごてい)と読みまぁ。
戦前からここに有った割烹で店の前に「肥樽」が置かれてた。
飲み客の小便の為の「肥樽」だったと言われてますんや。
まさか「肥たんご」とは名乗れまへんので当て字にしたとか。
お店の前には織田作之助さんの句碑が置かれてましたで。
(織田作之助さんの句碑)
「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」 織田作之助
(法善寺横丁の 風景)
(月の法善寺横丁 歌詞を刻んだ石碑)
「包丁一本~ 晒に巻いて~ 旅に出るのも板場の修行~
待ってて こいさん~ 悲しいだろうが~ 」
これも大阪のミナミをイメージした名曲でしたかな。
鉄ちゃん爺やも、カラオケで時々でっけど歌いまっせ。
こいさんとは、船場言葉で一番年下の娘さんのこと。
通り過ぎて右へ曲がると千日前という通りに出ますんや。
(ビッグカメラの 千日前店ビル)
ここには鉄ちゃん爺やが若い頃には千日デパートビルが。
大きな火災で多数の死者を出した悲しいことがおました。
そもそも、この千日前という地名は江戸時代には刑場と
墓場が在った、大阪でも寂しい場所だったそうですわ。
明治の大火で刑場と墓場が立ち退きとなり大阪市が公募で
土地を売り出したけど、誰も買う人が無かったとか。
逆に遺骨の処理費を出してまで買ってもらつたとの話も?
なんでも近くの老婆が当時1円で数千坪を買ったとか。
現在の賑わいを見たら考えられないことですわな。
南海電鉄さんなどが進出し昭和になってから千日前は
ミナミの盛り場に仲間入りをしたと聞いてますんや。
(千日前の商店街)
(回転ずしの元祖 元禄寿司の看板)
(元禄寿司 千日前店)
今でこそ回転ずしと言えば、誰もが知っている店ですよね。
この元禄寿司の先々代がアサヒビールの吹田工場でビールが
瓶詰めされるラインを見て回転ずしを思い付いたんだって。
大阪の布施に1号店を出したそうですが、当時は売れなかった。
そんなわけで回転ずしの機械も特許を取らなかったとのこと。
昭和の30年代から継続したのが平成になってから爆発的に
回転ずしが流行りだして、元禄寿司さんは苦笑いしたとも。
逆に特許が取れていたら、今のような流行はなかったのかも?
(なんばグランド花月 吉本興業の本拠地)
(なんばグランド花月の前で 自撮り)
(なんばグランド花月 出演者の名札)
(吉本興業 芸人さんのゆるキャラ)
関西の方ならこの「ゆるキャラ」が誰なのかが分かるかも?
私は大阪人だから一緒に写してもらう気はおまへんけど。
地方からの観光客には良い記念写真に成ったかもしれまへん。
少しだけ戻ると昔は有名だった「大劇」さんの場所に。
(昔 大劇の在った場所)
田畑義夫が好きだった親父に連れられて実演を見に来たね。
美空ひばりさんも、ここで少女時代には歌っていたはず。
現在はビジネスホテルに代わってしまったようですわ。
(元 大劇跡 ホテルの玄関)
(千日前商店街の 垂れ幕)
これからもう一度だけ「戎橋筋」の方へ戻ってみまひょ。
昼食をと考えたがどこも中国人で満員の状態でおます。
諦めて、難波駅の喫茶店へでもと変更したんですわ。
戎橋筋から、なんなんタウンは次回に紹介しまひょ。
ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵
観光客が大阪市内で訪れるベスト3と言えば
一番が 「道頓堀=どうとんぼり」
二番が 「大阪城」
三番が 「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」
現在はこんな感じになると思いますんや。
(大阪市営地下鉄 ロゴマーク)
(大阪市営地下鉄 なんば駅)
この見慣れたロゴマークも今年の3月31日まで。
4月1日から民営化されて「大阪メトロ」という
名前の地下鉄になるとの発表がおました。
橋下市長の時代からモメてましたが市議会で
当分の間は株式を売却しないとの条件で可決成立。
日本最大の公営鉄道が民営化されるんですわ。
それでは道頓堀(どうとんぼり)の方へ向かいまひょ。
大阪では難波駅から道頓堀や心斎橋筋の辺りを
ミナミと呼び、梅田や曽根崎の辺りをキタと呼びまぁ。
(御堂筋から 道頓堀川を撮影)
有名なグリコの看板の前で観光船は停船しますんや。
観光客は一斉に写真撮影をしてはりますわ。
観光船から眺めるグリコの看板は趣が変わりますかな。
(御堂筋から 戎橋を撮影)
(中央区 心斎橋筋の住居表示)
道頓堀川の一つ北側で東西の通りを大阪では
宗右衛門町(そうえもんちょう)と呼びますんや。
「きっと来てねえと~ 泣いていた~ かわいあの娘は~
うぶなぁのうか~ 何故に泣かすか~ 宗右衛門町よ~」
大阪の名曲 宗衛門町ブルース
あの当時200万枚を超える大ヒット曲だったとか。
この歌が流行った頃は、鉄ちゃん爺やもまだ30歳代?
(宗右衛門町を示す 看板)
鉄ちゃん爺やも若い頃はこの辺りで良く遊んでましたで。
ミナミではスナックやクラブが並ぶ歓楽街なんですわ。
道頓堀川から南側は昔からの食事処となりまんねん。
今はおまへんけど芝居小屋も五つほどあったようでっせ。
宗右衛門町から北側が二次会用の繁華街となりまぁ。
(ミナミの名所 グリコの看板)
(グリコの看板を背景に 自撮り)
グリコの看板はこれが4代目だとか聞いてまんねん。
観光客なら必ず写真に収めるミナミで一番の名所ですわ。
鉄ちゃん爺やは2代目からを見てきたと思いまんねん。
(戎橋から 道頓堀川の東側を撮影)
(戎橋の標識)
(戎橋の 説明板)
(道頓堀通りから 戎橋方向を撮影)
この「戎橋」を挟んで北側を船場まで「心斎橋筋」と呼び、
南側は難波駅前迄を「戎橋筋」と大阪では呼びますんや。
今宮戎神社への参道として江戸時代に造られたそうで
道頓堀川に架かる橋を「戎橋」と呼ぶようになったとか。
大阪市内では南北の道を「筋」と言いますんや。
東西の通りは「通り」と言いますんで念のため。
(道頓堀通り かに道楽本店の看板)
この看板も昔から観光客の撮影スポツトですかな。
中国の方も韓国の方も、盛んに写真を写してはりますわ。
「かに道楽本店」は一度ぐらいしか入った記憶がおまへん。
(明治製菓さん カールの看板)
カールは東京など東日本では販売が中止になったとか。
三橋美智也さんの高いキーでのCMが懐かしいでんな。
関西ではカールはまだスーパーで買えるようでっけど。
(道頓堀通りの賑わい)
(大衆向け ふぐ料理の すぼらや)
「ずぼらや」さんは大衆向けで安いフグ鍋が食べれるので
今も昔も庶民には人気のある大阪の味とでも言いますかな。
トラフグのような高級なフグじゃないがフグには違いなく
手軽にフグ鍋を食べてみるなら、ここらあたりでしょうね。
(道頓堀通り 雛寿司さん)
女性に喜ばれる小さいサイズのお寿司屋さんでっせ。
鉄ちゃん爺やも女子事務員さんを連れて食べましたで。
お値段は高いけど話のネタになる、お寿司屋さんでっけど。
ここから南の方へ足を向けていきまっせ。
(法善寺横丁の 看板)
鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中に大火で焼けてしまい
再建に鉄ちゃん爺やも5千円だけ寄付をさせて貰いました。
昔ながらの法善寺横丁が再建されたようで良かったですわ。
本来は防火の関係でこんな細い通路は許可がでないんだとか。
大阪市が特例で昔ながらの通路の幅で許可をだしたんだって。
(有名な 水掛け不動尊)
ミナミでは水商売の女性には凄く人気のある「お不動さん」
水を掛ける と 願いを掛ける そんな語呂合わせかも?
不動尊は商売繁盛と恋愛成就の有り難い お方だそうです。
浪花情緒が残る数少ない光景がミナミの名所になってまぁ。
お寺は昭和20年の空襲で焼けてしまいまして不動尊と
金毘羅堂だけが残っているだけですわ。
江戸時代から千日供養をしたのが法善寺で庶民は
千日寺と呼び、千日前はこのお寺の境内だったとも。
(水掛け不動に 並ぶ観光客)
水掛け不動さんに水を掛けるのもこんな行列でっせ。
中国の方に水掛け不動さんの意味が分かるのかしら?
お隣は織田作之助の小説で有名な「夫婦善哉」だっせ。
(法善寺横丁の角 夫婦善哉)
(織田作之助 馴染みのお店)
割烹で「正弁丹吾亭」(しょうべんたんごてい)と読みまぁ。
戦前からここに有った割烹で店の前に「肥樽」が置かれてた。
飲み客の小便の為の「肥樽」だったと言われてますんや。
まさか「肥たんご」とは名乗れまへんので当て字にしたとか。
お店の前には織田作之助さんの句碑が置かれてましたで。
(織田作之助さんの句碑)
「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」 織田作之助
(法善寺横丁の 風景)
(月の法善寺横丁 歌詞を刻んだ石碑)
「包丁一本~ 晒に巻いて~ 旅に出るのも板場の修行~
待ってて こいさん~ 悲しいだろうが~ 」
これも大阪のミナミをイメージした名曲でしたかな。
鉄ちゃん爺やも、カラオケで時々でっけど歌いまっせ。
こいさんとは、船場言葉で一番年下の娘さんのこと。
通り過ぎて右へ曲がると千日前という通りに出ますんや。
(ビッグカメラの 千日前店ビル)
ここには鉄ちゃん爺やが若い頃には千日デパートビルが。
大きな火災で多数の死者を出した悲しいことがおました。
そもそも、この千日前という地名は江戸時代には刑場と
墓場が在った、大阪でも寂しい場所だったそうですわ。
明治の大火で刑場と墓場が立ち退きとなり大阪市が公募で
土地を売り出したけど、誰も買う人が無かったとか。
逆に遺骨の処理費を出してまで買ってもらつたとの話も?
なんでも近くの老婆が当時1円で数千坪を買ったとか。
現在の賑わいを見たら考えられないことですわな。
南海電鉄さんなどが進出し昭和になってから千日前は
ミナミの盛り場に仲間入りをしたと聞いてますんや。
(千日前の商店街)
(回転ずしの元祖 元禄寿司の看板)
(元禄寿司 千日前店)
今でこそ回転ずしと言えば、誰もが知っている店ですよね。
この元禄寿司の先々代がアサヒビールの吹田工場でビールが
瓶詰めされるラインを見て回転ずしを思い付いたんだって。
大阪の布施に1号店を出したそうですが、当時は売れなかった。
そんなわけで回転ずしの機械も特許を取らなかったとのこと。
昭和の30年代から継続したのが平成になってから爆発的に
回転ずしが流行りだして、元禄寿司さんは苦笑いしたとも。
逆に特許が取れていたら、今のような流行はなかったのかも?
(なんばグランド花月 吉本興業の本拠地)
(なんばグランド花月の前で 自撮り)
(なんばグランド花月 出演者の名札)
(吉本興業 芸人さんのゆるキャラ)
関西の方ならこの「ゆるキャラ」が誰なのかが分かるかも?
私は大阪人だから一緒に写してもらう気はおまへんけど。
地方からの観光客には良い記念写真に成ったかもしれまへん。
少しだけ戻ると昔は有名だった「大劇」さんの場所に。
(昔 大劇の在った場所)
田畑義夫が好きだった親父に連れられて実演を見に来たね。
美空ひばりさんも、ここで少女時代には歌っていたはず。
現在はビジネスホテルに代わってしまったようですわ。
(元 大劇跡 ホテルの玄関)
(千日前商店街の 垂れ幕)
これからもう一度だけ「戎橋筋」の方へ戻ってみまひょ。
昼食をと考えたがどこも中国人で満員の状態でおます。
諦めて、難波駅の喫茶店へでもと変更したんですわ。
戎橋筋から、なんなんタウンは次回に紹介しまひょ。
ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵