飛騨の高山巡りの最終編をやらせてもらいまひょ。
(高山市政 記念館)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
上三之町の入口になる大通りに面して在るのが高山市政記念館でっせ。
ここは入場料が無料になってますんやけど、上三之町に観光客の目が向くんで
明治時代のお役所に興味がある方しか入りまへんな。
(上三之町の道標)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
高山観光に訪れる人は年間で300万人ぐらいやそうですわ。
その全ての人が足を向けるのが「上三之町」でっしゃろか。
1979年(昭和54年)に国指定の「伝統的建造物群保存地区」に
認定されましたんや。
丁度、同じ年に「高山祭」が重要無形文化財に認定されてますな。
「日本三大美祭」って聞いたことがおますか?
京都の祇園祭・秩父の夜祭、それにこの高山祭やそうだっせ。
「日本三大曳山祭」とも呼ばれているようでんな。
(高山祭のミニチュア屋台)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「高山祭」は春の4月14日~15日に開催される高山・日枝神社の山王さまの例祭
これは高山市内の南半分の氏神さんなんだそうですわ。
春の「高山祭」には12台の屋台が街へ繰り出すようでっせ。
秋は桜山八幡宮の八幡祭りで10月9日~10日と決まっているそうで
こちらは、上三之町を含む高山市の北半分の氏神さんだそうな。
秋の「高山祭」には11台の屋台ですので合わせて23台の屋台が残ってますんや。
両方を合わせて「高山祭」と呼んでいるようですわ。
でも~ この前後はホテルや宿が予約できないぐらいの賑わいですんや。
普段は桜山八幡宮の境内に「高山祭・屋台会館」がおますんで、11台の屋台が
交代で展示されているのを見るだけになりまんな。
でも飾ってあるだけなんで、お祭りの雰囲気は味わうことはできまへん。
丁度、平成に年号が変わった頃に飛騨に中田金太という方が居はりました。
「昔作られたものを守るのも大切だが、この技を現代に生かして
後世に伝えることができれば本望である」
動く陽明門とも称される「高山祭の屋台」の平成版を作ろうと考えたそうですわ。
同じ作るならミニチュアでなく本物以上の屋台を作ることにしようじゃないか。
(平成版 高山祭の屋台) (高山まつりの森 ミュージアム)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「木」は飛騨の匠、「塗り」は能登の輪島、「金具」は越中の高岡、
「織物」は京都の西陣、全国から一流の職人にお願いして完成させたとか。
この屋台には釘が1本も使われていない、昔のままに再現されているようでっせ。
6台の屋台が完成したのは平成の13年だったようで1台が数億円するそうですわ。
しかもコンピュータ操縦で「高山祭」のカラクリ人形を動かす工夫も考えたそうな。
この6台の平成版屋台を保存するために自分の所有する山をくり抜いて山の地中に
ミュージアムを完成させて実演することまで考え出したようでんな。
柱が1本もない直径40mのドーム天井式のミュージアムだっせ。
温度・湿度が安定して長期保存するには最適な環境のトンネルになってますんや。
(平成版 高山祭りの屋台) (高山まつりの森 ミュージアム)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
このカラクリ人形付きの屋台は1時間で10分間隔で交代しながら
一通り屋台の実演が観れるようなってますんや。
拝観料は1000円でっけど今回は時間が無くて、画像は平成19年10月に
訪れた時のものを貼り付けて置きまっせ。
屋台の高い所に8mぐらいの樋を伸ばしてカラクリ人形が動くようになってま。
この「まつりの森」は中田金太さんのグループ会社が現在も運営してはりまっせ。
ご本人は私が訪れた直前の平成19年6月に亡くなってはりますけど。
ここは、駐車場も広く観光バスが高山観光の昼食に使うことが多いようでんな。
高山観光が年間300万人に対してここ「まつりの森」は年間で70万~75万人
と安定しているそうで、高山の観光に大きな貢献をしてるちゅうことでっか?
(飛騨高山 まつりの森にて自分撮り) (平成19年10月撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここはお土産物の店も設置されてますんで、高山市へツアーで来られた方なら
見覚えがあるかもしれまへんで。
飛騨のお土産を一寸だけ貼り付けてみまひょ。
(飛騨 高山のお土産 さるぼぼ人形)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「ぼぼ」とは飛騨地方の方言で「赤ちゃん」のことでっせ。
だから「さるぼぼ」と言えば猿の赤ちゃんという事になりますな。
災いが去る(猿)とか家内円(猿)満とかでお守りにもなるんだそうでっせ。
(高山 銘菓 とち餅)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(飛騨の名物 赤かぶらの漬物)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「赤かぶらの漬物」は少し酸っぱい感じですが日持ちはするようでんな。
(観光バス トイレ休憩の駐車場)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
左側のバスの入口に立っている方が私と二日間だけツアーで相席したNさんでした。
私より4学年下で同じ高校でしかも私が卒業した後に入学された関係で
同じ担任の先生とは偶然とは言いながら不思議なご縁の方でしたね。
最後に「飛騨の匠」のお話をさせて頂きます。
奈良時代の養老律令により飛騨の國の1里ごとに10人の匠を奈良の都に
上らせて宮殿や寺院の建設に従事させることになったんだそうですわ。
当時の飛騨の國は10里だったそうで毎年100人の匠が1年交代で
都に上り平安時代末の500年間も続いたそうでんな。
だから~ この仕組みが無くなった後も「飛騨の匠」は別格で日本中で
名前が知られていたようでんな。
江戸時代に完成した「高山祭」の屋台にもその技が使われて、
今日我々が観て楽しめる形で残っているちゅうことになりますかな。
飛騨の国にはそんな関係で奈良や京都に伝わったような寺院が15箇所も
残っているとか聞きましたで。
4回にわたって「風の盆」と「奥飛騨」のブログを載せましたが
これでお仕舞いにしたいと存じます。
ほんなら~ これで、さいなら~
(高山市政 記念館)
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上三之町の入口になる大通りに面して在るのが高山市政記念館でっせ。
ここは入場料が無料になってますんやけど、上三之町に観光客の目が向くんで
明治時代のお役所に興味がある方しか入りまへんな。
(上三之町の道標)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
高山観光に訪れる人は年間で300万人ぐらいやそうですわ。
その全ての人が足を向けるのが「上三之町」でっしゃろか。
1979年(昭和54年)に国指定の「伝統的建造物群保存地区」に
認定されましたんや。
丁度、同じ年に「高山祭」が重要無形文化財に認定されてますな。
「日本三大美祭」って聞いたことがおますか?
京都の祇園祭・秩父の夜祭、それにこの高山祭やそうだっせ。
「日本三大曳山祭」とも呼ばれているようでんな。
(高山祭のミニチュア屋台)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「高山祭」は春の4月14日~15日に開催される高山・日枝神社の山王さまの例祭
これは高山市内の南半分の氏神さんなんだそうですわ。
春の「高山祭」には12台の屋台が街へ繰り出すようでっせ。
秋は桜山八幡宮の八幡祭りで10月9日~10日と決まっているそうで
こちらは、上三之町を含む高山市の北半分の氏神さんだそうな。
秋の「高山祭」には11台の屋台ですので合わせて23台の屋台が残ってますんや。
両方を合わせて「高山祭」と呼んでいるようですわ。
でも~ この前後はホテルや宿が予約できないぐらいの賑わいですんや。
普段は桜山八幡宮の境内に「高山祭・屋台会館」がおますんで、11台の屋台が
交代で展示されているのを見るだけになりまんな。
でも飾ってあるだけなんで、お祭りの雰囲気は味わうことはできまへん。
丁度、平成に年号が変わった頃に飛騨に中田金太という方が居はりました。
「昔作られたものを守るのも大切だが、この技を現代に生かして
後世に伝えることができれば本望である」
動く陽明門とも称される「高山祭の屋台」の平成版を作ろうと考えたそうですわ。
同じ作るならミニチュアでなく本物以上の屋台を作ることにしようじゃないか。
(平成版 高山祭の屋台) (高山まつりの森 ミュージアム)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「木」は飛騨の匠、「塗り」は能登の輪島、「金具」は越中の高岡、
「織物」は京都の西陣、全国から一流の職人にお願いして完成させたとか。
この屋台には釘が1本も使われていない、昔のままに再現されているようでっせ。
6台の屋台が完成したのは平成の13年だったようで1台が数億円するそうですわ。
しかもコンピュータ操縦で「高山祭」のカラクリ人形を動かす工夫も考えたそうな。
この6台の平成版屋台を保存するために自分の所有する山をくり抜いて山の地中に
ミュージアムを完成させて実演することまで考え出したようでんな。
柱が1本もない直径40mのドーム天井式のミュージアムだっせ。
温度・湿度が安定して長期保存するには最適な環境のトンネルになってますんや。
(平成版 高山祭りの屋台) (高山まつりの森 ミュージアム)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
このカラクリ人形付きの屋台は1時間で10分間隔で交代しながら
一通り屋台の実演が観れるようなってますんや。
拝観料は1000円でっけど今回は時間が無くて、画像は平成19年10月に
訪れた時のものを貼り付けて置きまっせ。
屋台の高い所に8mぐらいの樋を伸ばしてカラクリ人形が動くようになってま。
この「まつりの森」は中田金太さんのグループ会社が現在も運営してはりまっせ。
ご本人は私が訪れた直前の平成19年6月に亡くなってはりますけど。
ここは、駐車場も広く観光バスが高山観光の昼食に使うことが多いようでんな。
高山観光が年間300万人に対してここ「まつりの森」は年間で70万~75万人
と安定しているそうで、高山の観光に大きな貢献をしてるちゅうことでっか?
(飛騨高山 まつりの森にて自分撮り) (平成19年10月撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここはお土産物の店も設置されてますんで、高山市へツアーで来られた方なら
見覚えがあるかもしれまへんで。
飛騨のお土産を一寸だけ貼り付けてみまひょ。
(飛騨 高山のお土産 さるぼぼ人形)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「ぼぼ」とは飛騨地方の方言で「赤ちゃん」のことでっせ。
だから「さるぼぼ」と言えば猿の赤ちゃんという事になりますな。
災いが去る(猿)とか家内円(猿)満とかでお守りにもなるんだそうでっせ。
(高山 銘菓 とち餅)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(飛騨の名物 赤かぶらの漬物)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
「赤かぶらの漬物」は少し酸っぱい感じですが日持ちはするようでんな。
(観光バス トイレ休憩の駐車場)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
左側のバスの入口に立っている方が私と二日間だけツアーで相席したNさんでした。
私より4学年下で同じ高校でしかも私が卒業した後に入学された関係で
同じ担任の先生とは偶然とは言いながら不思議なご縁の方でしたね。
最後に「飛騨の匠」のお話をさせて頂きます。
奈良時代の養老律令により飛騨の國の1里ごとに10人の匠を奈良の都に
上らせて宮殿や寺院の建設に従事させることになったんだそうですわ。
当時の飛騨の國は10里だったそうで毎年100人の匠が1年交代で
都に上り平安時代末の500年間も続いたそうでんな。
だから~ この仕組みが無くなった後も「飛騨の匠」は別格で日本中で
名前が知られていたようでんな。
江戸時代に完成した「高山祭」の屋台にもその技が使われて、
今日我々が観て楽しめる形で残っているちゅうことになりますかな。
飛騨の国にはそんな関係で奈良や京都に伝わったような寺院が15箇所も
残っているとか聞きましたで。
4回にわたって「風の盆」と「奥飛騨」のブログを載せましたが
これでお仕舞いにしたいと存じます。
ほんなら~ これで、さいなら~