私の行っているワークショップには、
必ずしも健康状態がよい方ばかりが見える訳ではありません。
調子を崩していたり、仕事で燃え尽きそうになっていたり、
人生のターニング・ポイントで心身に大きな変化を感じているときなどに
訪れて下さる方がいらっしゃいます。
ココロの病もカラダの病も大変に辛いものですが
あるDr.のことばがとても印象に残っています。
それは、「病はギフトです」ということばでした。
日本語には「病を得て」という表現がありますね。
そして「一病息災」ということばもあります。
病気になることは
病というカタチで自分にメッセージをくれている、と私は思います。
病気になることで
今までの自分の生き方を振返ったり、じっくり考えることができるし、
周囲の人にどれだけお世話になっているかを感じるチャンスでもありますね。
そして、病気ではないまでも
日常の小さな身体症状(肩こり、姿勢、不全感)なども
カラダが送ってくるメッセージです。
個人セッションのときには
そのようなカラダのメッセージを細かく感じてみて、
痛みと対話することで
その方にとって生きるためのヒントが出てくる場合があります。
また、グループセッションでは
気づいていなかった身体症状が出てくることもしばしばあります。
痛いことは困る、だから痛みをとりさりたい、と思う方もおられますが
単に痛みがなくなったことを喜ぶよりも
自分のカラダがどういうときに痛みをメッセージとして送ってきたか、
ということや、どのようにしたら痛みがなくなったのか、
ということを考えてほしいと思うのです。
身体症状も病も自分の中に生み出されたものです。
ネガティブなものとして捉えずに、
そのメッセージの意味を考えたり、
自分のあり方に「気づく」ことは
私たちの人生を豊かにしてくれるものです。
そしてあたりまえに何かができることが
どんなにすばらしいことか、
カラダに時々感謝をして下さいね。
そうするとカラダは頑張ってくれるようですよ…


必ずしも健康状態がよい方ばかりが見える訳ではありません。
調子を崩していたり、仕事で燃え尽きそうになっていたり、
人生のターニング・ポイントで心身に大きな変化を感じているときなどに
訪れて下さる方がいらっしゃいます。
ココロの病もカラダの病も大変に辛いものですが
あるDr.のことばがとても印象に残っています。
それは、「病はギフトです」ということばでした。
日本語には「病を得て」という表現がありますね。
そして「一病息災」ということばもあります。
病気になることは
病というカタチで自分にメッセージをくれている、と私は思います。
病気になることで
今までの自分の生き方を振返ったり、じっくり考えることができるし、
周囲の人にどれだけお世話になっているかを感じるチャンスでもありますね。
そして、病気ではないまでも
日常の小さな身体症状(肩こり、姿勢、不全感)なども
カラダが送ってくるメッセージです。
個人セッションのときには
そのようなカラダのメッセージを細かく感じてみて、
痛みと対話することで
その方にとって生きるためのヒントが出てくる場合があります。
また、グループセッションでは
気づいていなかった身体症状が出てくることもしばしばあります。
痛いことは困る、だから痛みをとりさりたい、と思う方もおられますが
単に痛みがなくなったことを喜ぶよりも
自分のカラダがどういうときに痛みをメッセージとして送ってきたか、
ということや、どのようにしたら痛みがなくなったのか、
ということを考えてほしいと思うのです。
身体症状も病も自分の中に生み出されたものです。
ネガティブなものとして捉えずに、
そのメッセージの意味を考えたり、
自分のあり方に「気づく」ことは
私たちの人生を豊かにしてくれるものです。
そしてあたりまえに何かができることが
どんなにすばらしいことか、
カラダに時々感謝をして下さいね。
そうするとカラダは頑張ってくれるようですよ…


