原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

大野一雄さんへの感謝を込めて

2010-06-02 | 身体/ダンスから学ぶこと
大野一雄さんが亡くなりました。
享年103歳。

お見事!です。
病を得てからも踊られていたそうです。

大野さんの舞台を見て、
折りに触れ思い出すにつけ、

とにかく生きている限り
踊り続けよう、
といつしか思っていました。

おばあになっても。
ヨレヨレになっても。
身体が動かなくなっても。

もう大分前ですが、
セゾン劇場で大野さんを見かけました。
舞台にいるときとは違い、
足許もおぼつかないくらい
ヨレヨレでした。

そしてその後、車いすの生活に入られました。

それでも彼は踊っていました。

彼の踊りがなぜこれほどまでに絶賛されたか。
それは
魂が踊っていたから、だと思います。

表面だけの美しさではない、
テクニックでもない、
見た目ではない。
動きのカタチでもない。

彼の中のタマシイが
踊りというメディアを通して
身体という器を通して
立ち現われていたのだと感じています。

昨年、ピナ・バウシュが亡くなったときには
とてもショックで
コトバもでない感じでした。


大野さんの訃報を聞いて、
今は涙目です。

悲しい、というのもちょっと違う。

本当に真摯に
踊りを通してタマシイを見せて下さった大野さんへの
感謝の気持が
涙になっています。

そして、
ワークショップや
合宿のときに
参加して下さる方達の
タマシイの踊りを思い出しています。

タマシイのままに踊る。
あんなに美しいものはありません。

こうして、
踊りのサポートを生業とすることができていることにも
本当に、感謝です。


わたしも踊り続けます。

そしてこれから出会う方達とも
タマシイの踊りを分かち合って行きたいと
あらためて感じた今宵です。


大野さん、本当にありがとう。


コトバにできない思いでいっぱいです。


*******以下、報道より

訃報:大野一雄さん103歳=国際的舞踏家



世界に「BUTOHブーム」を巻き起こし最晩年まで踊り続けた
国際的な舞踏家の大野一雄(おおの・かずお)さんが1日午後4時38分、
呼吸不全のため横浜市内の病院で死去した。
103歳。葬儀の日取りなどは未定。

北海道出身。日本体育会体操学校(現日本体育大)在学中に 舞踏家を志した。
卒業後、横浜市の女子高に体操教師として勤める傍ら、
モダンダンスを習い始めた。
第二次大戦中は召集されて中国などを転戦。
復員後の49年、舞踏家として初公演。
以後も教員として働きながら、活動を続けた。

60年代に土方巽さんと共に、白塗りの化粧にすり足というスタイルで、
日本の大地に根差した前衛的な舞踏を作り上げた。
土方さんが「暗黒舞踏」と称されたのに対し、
大野さんは即興性を重視した「魂の舞踏」と呼ばれた。

80年「ラ・アルヘンチーナ頌(しょう)」を
フランスのナンシー国際演劇祭で舞い、絶賛を浴びた。
以後、海外公演が相次
ぎ、世界の「カズオ・オオノ」として名声を確立する。
他の作品は「わたしのお母さん」「花」など。

100歳を超えても舞台に立ち続け、
最晩年はアルツハイマー症とも闘ったが、踊りへの意欲は衰えなかった。
99年、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニ芸術賞。
息子の大野慶人さんも舞踏家。
コメント
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