自分のことではありませんが…
62歳、末期膵臓がんの友人(♂)がいる。
子供の頃からの付き合いで、家族同様の仲である。
昨年4月の 告知後から相談を受けてきた。
抗がん剤のあと、ペプチドワクチン療法の治験を受けることができ、 小康状態が続いたが。
そのワクチンでは奏功しなくなり、肺に転移ができてしまった。
また、 膵臓がんが十二指腸(?)を圧迫し、 固形物を摂れず、流動食になったのが先月。
そこで、体重ががっくりと落ちた。
電車で 病院に通える体力がなくなり、治験も打ち切られたのが先週。
それで大変なショックを受けている。
地方に下宿している2人の子供の学費と生活費にお金がかかっていたので 治療費を圧迫し、
実の兄にお金を借りにいったら 「家族全員で来て土下座しろ」 「生活設計はどうなっているんだ」
嫁には「もういちど働きに出ろ」 など、 さまざまな「暴言」を吐かれ、 本人は「とてもショックだった」と言う。
標準治療ではもう見捨てられた、と感じている彼に
少しでも体調を改善するために
代替医療や東洋医学、副作用もないし、べらぼうなお金ではないものもいろいろあるから
何でも使えばいいよ、
と伝えて来たが それが届くのにも時間がかかった。
(彼はバリバリの理数系だったから)
歩けることは歩けるが、 痩せて面変わりしてしまった姿を 近所の人に見られたくなく、
日課の散歩も取りやめてしまった。
(痩せた姿を見て、心ない発言を浴びせてこられることもあるそうで。出たくないのももっともなことだ)
が、歩かないことでも筋力が落ち、
家の中に引きこもりがちになると
どうしても考えは悪い方に行ってしまう。
新聞もテレビも見なくなり、
見舞いにくる身内の声も刺激が強すぎて鬱陶しいと感じているようだ。
先日、やっと車で連れ出して
知合いの鍼灸院に連れて行った。
待合室に入るとマスクを脱いで、
わたしに顔を見せる。
「こんなに痩せちゃったんだよ、ひどいだろ」という意味を伝えて来たのが分かった。
待ち時間の間、いろいろ話をし、コトバを引き出した。
そのうちに
固まっていた顔貌(特に目に表情が全くなく、焦点も遠いところに結ばれていた)
また表情筋(ほとんど動いていなかった)に
動きが出て来て、やっと笑顔が見えたりもした、
「わたしのいうことがうるせえと思ってるよね!」とわざと悪態をつくと、笑って言い返したりもした。
家族以外と話をしたかったんだ、ということも最後には言ってくれた。
隣で、奥さんは黙って頷いていた。
息子たちが卒業して、就職する来春まではなんとかがんばろう、と話し
小指を差し出した。
冷えきった指だったが、指切りげんまんをしてくれた。
治療の中でも、鍼灸師さんから示唆深いことをいわれた。
終わって、
おそらく内臓の問題から来ているであろう腰痛が
「少し楽になった」と言う。
家まで送って行き、
車に戻って帰ろうとすると
雨の中、玄関先で
わたしたちが見えなくなるまで手を振っていた。
………
彼は、さまざまなショックを受けて、
すべてにおいて意欲が低下しているので
うつ状態になりかかっているのを感じる。
経験があるのでわかるが、
そういうときは生きたくても、生きようという意欲すら低下することがある。
何もできない。興味もわかない。ただ息をしているだけのような状態になる。
(奥さんの話では、時々吠えているそうだが)
何かできるわけでもないが、
とにかく最期まで寄り添うことができたらと思っている。
父の末期がんも看取り、
そのあと自分もがんになって何回もの手術と投薬治療を受けた。
看取る側/経験者側、双方のの体験を検証しつつ、
何がいいのかをじっくり考えつつ、
本人の気持を聴き取りつつ、
沿って行こうと思う。
何もできないけれど。
看取ることはつらいけれど。
でも、このプロセスが
とても大事なものなのだとどこかで「分かって」いる自分がいるようだ。
死と死にまつわる問題は
必ず誰にもやってくる。
送る側も、行く側も、
生きているうちに(そして体力がなくなり、絶望にうちひしがれないうちに)
考えておくべきことだと思う。
62歳、末期膵臓がんの友人(♂)がいる。
子供の頃からの付き合いで、家族同様の仲である。
昨年4月の 告知後から相談を受けてきた。
抗がん剤のあと、ペプチドワクチン療法の治験を受けることができ、 小康状態が続いたが。
そのワクチンでは奏功しなくなり、肺に転移ができてしまった。
また、 膵臓がんが十二指腸(?)を圧迫し、 固形物を摂れず、流動食になったのが先月。
そこで、体重ががっくりと落ちた。
電車で 病院に通える体力がなくなり、治験も打ち切られたのが先週。
それで大変なショックを受けている。
地方に下宿している2人の子供の学費と生活費にお金がかかっていたので 治療費を圧迫し、
実の兄にお金を借りにいったら 「家族全員で来て土下座しろ」 「生活設計はどうなっているんだ」
嫁には「もういちど働きに出ろ」 など、 さまざまな「暴言」を吐かれ、 本人は「とてもショックだった」と言う。
標準治療ではもう見捨てられた、と感じている彼に
少しでも体調を改善するために
代替医療や東洋医学、副作用もないし、べらぼうなお金ではないものもいろいろあるから
何でも使えばいいよ、
と伝えて来たが それが届くのにも時間がかかった。
(彼はバリバリの理数系だったから)
歩けることは歩けるが、 痩せて面変わりしてしまった姿を 近所の人に見られたくなく、
日課の散歩も取りやめてしまった。
(痩せた姿を見て、心ない発言を浴びせてこられることもあるそうで。出たくないのももっともなことだ)
が、歩かないことでも筋力が落ち、
家の中に引きこもりがちになると
どうしても考えは悪い方に行ってしまう。
新聞もテレビも見なくなり、
見舞いにくる身内の声も刺激が強すぎて鬱陶しいと感じているようだ。
先日、やっと車で連れ出して
知合いの鍼灸院に連れて行った。
待合室に入るとマスクを脱いで、
わたしに顔を見せる。
「こんなに痩せちゃったんだよ、ひどいだろ」という意味を伝えて来たのが分かった。
待ち時間の間、いろいろ話をし、コトバを引き出した。
そのうちに
固まっていた顔貌(特に目に表情が全くなく、焦点も遠いところに結ばれていた)
また表情筋(ほとんど動いていなかった)に
動きが出て来て、やっと笑顔が見えたりもした、
「わたしのいうことがうるせえと思ってるよね!」とわざと悪態をつくと、笑って言い返したりもした。
家族以外と話をしたかったんだ、ということも最後には言ってくれた。
隣で、奥さんは黙って頷いていた。
息子たちが卒業して、就職する来春まではなんとかがんばろう、と話し
小指を差し出した。
冷えきった指だったが、指切りげんまんをしてくれた。
治療の中でも、鍼灸師さんから示唆深いことをいわれた。
終わって、
おそらく内臓の問題から来ているであろう腰痛が
「少し楽になった」と言う。
家まで送って行き、
車に戻って帰ろうとすると
雨の中、玄関先で
わたしたちが見えなくなるまで手を振っていた。
………
彼は、さまざまなショックを受けて、
すべてにおいて意欲が低下しているので
うつ状態になりかかっているのを感じる。
経験があるのでわかるが、
そういうときは生きたくても、生きようという意欲すら低下することがある。
何もできない。興味もわかない。ただ息をしているだけのような状態になる。
(奥さんの話では、時々吠えているそうだが)
何かできるわけでもないが、
とにかく最期まで寄り添うことができたらと思っている。
父の末期がんも看取り、
そのあと自分もがんになって何回もの手術と投薬治療を受けた。
看取る側/経験者側、双方のの体験を検証しつつ、
何がいいのかをじっくり考えつつ、
本人の気持を聴き取りつつ、
沿って行こうと思う。
何もできないけれど。
看取ることはつらいけれど。
でも、このプロセスが
とても大事なものなのだとどこかで「分かって」いる自分がいるようだ。
死と死にまつわる問題は
必ず誰にもやってくる。
送る側も、行く側も、
生きているうちに(そして体力がなくなり、絶望にうちひしがれないうちに)
考えておくべきことだと思う。