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6/4の大阪WSに参加してくださったあにぃさんの感想をシェアします。
わたしのWSで行っているダンスは
開始と結末以外は
アクティブ・イマジネーションに近い部分がありますが
「動きを伴う」ということ、
その場にいる(あるいは見えない)
「他の存在との関わりが出てくる」場面がある、
というのが大きな違いかと思います。
その方の状態により
どこまでどう進んでいくのかは全く違います。
*******以下
6月4日(土)は原キョウコさんによるワークショップ
「大地とつながる身体」に参加してきました。
今回の午前のセッションの最後は、
各自が「動物になる」ワーク。
始める前にキョウコさんから声がかかりました、
「動物の真似をするのでなく動物になってください。本気で。」
と。
私は豹になって四つん這いでのそのそと動き回りました。
そして、途中で出会った他の動物と威嚇し合ったり、
争ったり、組みあったり、噛みつきあったり。
きっと今までの私なら、
本気で向き合う空気に耐えられず、
わざとやられたり、わざと逃げたりしてたんだと思うんです。
しかし、今回は違いました。
本気でいきました。
一度、熊になっていたたあさんと組み合った際、
たあさんが本気で来ているのがわかりました。
だから、私も「くそっ!負けるかっ!」と本気でいきました。
本気でいかなきゃ殺されると思って。
本気で食べに行かなきゃ自分が生きられないと思って。
そこで野生の生死のドラマを体験していたわけです。
これがですね、ムチャクチャ楽しかったんです。
本気で相手の動物と、
そして生死と対峙しているのが楽しかったんです。
噛み付かれるのだって、上から押し潰されるのだって、
それに必死で全身で抵抗するのだって、全部楽しいんです。
本気だから楽しいんです。
そして、午後は「死のワーク」。
まずは、少しずつ少しずつ死へと近づくプロセスを体験しました。
キョウコさんのワークショップで
私が初めて「死のワーク」を体験した際、
死後の私は身軽になってあちらこちらへと飛び回っては
色々な人に声をかけていましたが、
今回は違いました。
自分の中に生まれ出てくるのは懺悔と悔恨の情ばかり。
ここで心の中に過去の色々な自分の姿が浮かんできました。
まったく理由もわからず突然仲間はずれにされ
高校の3年間孤立し続け、
毎日、卒業までの日数を数えては
学校での時間を潰していた自分、
理不尽な精神的暴力を受け、からだに変調をきたし、
「このままでは40歳までも生きられない」
と思いながら仕事を休みがちになっていた自分。
気付けば私はその過去の自分たちに声をかけていました。
「大丈夫!大丈夫やから!今こうやって生きてるから!大丈夫!」
と。
過去にご自身が大変な経験をされたことのあるキョウコさんからは
これまで
「過去の自分自身に声をかけてあげて」
とよく言われていましたが、
それも今までの私は
思えばどこかずっと腰が引けていたのです。
気恥ずかしいとかいうのとは違い、
何か「私が踏み込んじゃいけないんじゃないか」という感覚。
それは色々な人間関係においてもそうでした。
でも、この日の私は本気でした。
というか、必死でした。
「大丈夫!大丈夫!」
必死で繰り返している間に、色々な身近な大切な人たちの顔が浮かびました。
その人たちにも
「大丈夫!大丈夫やから!」
と必死に祈っていました。
午前と午後のセッションの、
このひたすら「本気」の時間を過ごす中、
自分の中の
ずっと逃げ続けていたもの、目をそらしてきたもの、
無きものにしてきたものに気付きました。
これもキョウコさんによく言われたことですが、
「自分の中のリソースを見つけ出して」
という、そのリソースが自分の中にようやく見つかった気がします。
それは、先天的な能力とか磨いてきたスキルなんていうようなものじゃない。
自分のあり方そのもの。自分の魂の原点。
それがようやく目を覚ましたのを感じました。
そうだよ、これだよ。
こうだったんだよ。
ここに私の喜びがあるんだよ。
これが私なんだよ。
ここに至るまで長かったです。
そこに気長にお付き合いいただいたすべての方に心から感謝いたします。
そして、一期一会の出会いで色々な種を投げかけてくださったすべての方にも
心から感謝いたします。
今回掴んだ種を、私はこれから蒔いていきます。
人からもらったものは次の人に渡していくのです。