@animanma 関東も311以後は顕著にそうだったのよ。きちんと報道されなかったから、気にしない人も多かったけれど。特に野良猫と散歩されるいぬのことが気になりました。ともあれ、気をつけながらいこう。
誰の写真だったか、第2次大戦時、街で丸坊主にされたユダヤ人の女性の周りを多くの市民が取り囲んで嘲笑している写真があったな。丸坊主にすということはそのひとに恥と懲罰を植え付けるための行為だとそのときに思った。今回のAKBはそれをコマーシャル的に使っていることが、尚のこと気持が悪い。
セラピー、とかいうと表現系の方には敬遠されることがあるけれど、身体の軸を調えて、奥底から出てくる声に耳を傾けるということをやっているだけなのです。それを作品化するということでもなく、表現にしてしまえというものでもなく。ただ自分の持つ軸に気づいてほしいだけなのです。#ダンスセラピー
団十郎さんも亡くなってしまったのね。今年の歌舞伎界、若手の方たち、踏ん張りどころだ。/ 市川団十郎さんが死去 幅広い芸域、古典歌舞伎を復活 - 朝日新聞デジタル t.asahi.com/9mbm
昔所属していた歌の仲間達が何年か前からがんのチャリティイベントに参加している。それ自体はいいも悪いもないが、がん患者に対して理解を深めているかどうかが分からない。そこに疑問を感じることがある。チャリティって下手すると上から目線の自己満足で終わるから。
虐待臨床に関わったある方たちが早逝した話、虐待臨床の専門家から聞いている。それだけ身体も心もすり減らすことが多い立場にいる。セラピーを行うということはセラピストの消耗も激しい職業であると改めて思う。もちろん、そのひとなり、スタンスにもよるけれど。それを覚悟してやるべき、と。
どんな分野であれ、ひとの生老病死に関わる職業を選ぶというのは、ある覚悟が必要と思う。それを「自分の問題」として引き受けられるかどうか。クライアントは、鏡だから。それを感じないようにして仕事している人も多いんだよな。
自分の光も闇も受け止めることが、実は一番のチカラになってくれる。闇は見たくない、受け入れたくない、というひとが多いのと思うが、これをしようと思わない限りは自身の統合もあり得ない。痛いことは確かだけれど。しれなしに他者の違う意見も受け止めることはできないのではないかな。
ここ2年、著名人の方が多く亡くなっているがそれは明らかに世代交代であり、パラダイムが変わる時期だから、と思う。10~40代の人、あなたたちの時代です。誰かに評価されなくても、自分のやりたいことを信じてがんばってください。自分にできうることをバックアップしていきますから。
空前のゾンビブームになっていた「ユリイカ」ゾンビ特集(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース excite.co.jp/News/reviewboo…
人間はその全存在を外に向けなければならない。外の、何か非個人的なものに向けるべきだ。そうしてこそ救いが得られる。それができぬかぎり、自分自身の独房のなかで死んでしまう。-コリン・ウィルソン:小説家/評論家
水野和夫氏のすごく重要な記事。「資本主義は全員を豊かにする仕組みではないとだんだん分かってくるのが、これからの10年、20年なのでしょう」/デフレからの脱却は無理なのです:日経ビジネス nkbp.jp/XjEC4r
@flowerlife0802 よかったね?そういう時間でしみじみとした幸せを感じることってだいじよね。
「体力が」あるひとは、「お金」であれ、「心」であれ、「身体」であれ、そういう「体力」がないひとを思いやる気持が大事。「体力」があることで、自分に酔いやすいから。
「体力のあるマッチョ」が自分に酔って、その認識もなく政治をしているというのが最もヤバいパターン。
自分の筋肉大好きな「マッチョ」は基本、自分大好きなナルシスト、というのが基本形と思います。それに是非を言っているのではなく。
そうですね。自分が生きるのじゃなくなる危険性。周囲の人の枠を超えられない危険性。。。 RT @body_wisdom: 「評価される」ことを、自分の規範とするなかれ。それは最も危険なことだ。
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