原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

2023エナジーダンス合宿の感想その1(後編)

2023-10-26 | WS、合宿の感想
https://blog.goo.ne.jp/kyondance/e/0af6e2c1faaaae996e2fa32dd53291dd
の後編です。

6. 内側から湧き上がるものが、体を動かす


――絵の話をするのは後で。天気がいいうちに、滝に行きましょう。
ということで、宿の人に、バスで5分ほどの千ケ滝まで連れていってもらった。
森を抜けて急な道を降り、現れた祠の龍神さまにご挨拶し、しばらく滝を味わった後、なんとなくシートに寝転んで土のエネルギーや川の音を感じながら、空を眺めていた。どこからともなく始まる、太鼓や鈴の音。リズムがだんだん合っていって、2人が踊り始める。


私は持っていった沖縄の太鼓を弱めにたたいていた。ら、キョウコさんに「体、動かしてみたら」と言われた……できるかな……ちょっと戸惑いつつ、動かしてみたら、どんどん楽しくなり、気づけば自分の体がうきうきと踊っていた。楽器を鳴らす人、踊る人、ひたすらその音と光のシャワーを浴びている人……それぞれに気持ちよさそうで、自分もその中にいるだけで体が動いた。うわーー、こうやって体は勝手に喜び、動くんだなぁ。最初一人で自由に動いてみる。そのうちに、まわりのみんなのバイブレーションが感じられてきて、場に溶けたり離れたりする感じを味わった。聴くこと、受け取ること、出すこと、送ること、いろんな方向と距離感。なんて気持ちがいいんだろう。
気づくと動きも音もとまり、全身全霊、とても満たされた気持ちになっていた。


踊り、というか、気づいたら体を動かすことができた。嬉しくてじーーーんとした。「今だっていうタイミングは、見逃さないんですよ〜」。あとから、キョウコさんにそう言われた。


帰り道も、みんな思い思いに……水が時折一緒にぐるっと回ったり、静かに流れていったりするように歩きながらもと来た道を戻る。


――松の葉っぱ、おいしいのよ。スーッとして。
キョウコさんにそう言われて、
みんなそれぞれにもぐもぐスースーしながらの帰り道。
あ。と誰かが見上げた空に、小さな天使の形をした雲が浮かんでいた。
清らかな気持ちが、倍増する。


休憩時間、キョウコさんに言われた。
「内側から湧き上がるものが、体を動かすって、わかってきた?」
……はい。少しわかってきました!ぶんぶんうなずきながら答えていた。


・通路はできたから、スイッチをどう作っていくか、日常でどうそれを取り入れていくか
・イメージと体感がつながりやすくなる。言葉と考えがまとまらないときの言葉、感覚言語、感覚と言語をつなげる通路をもつこと


7.さわろうとしても届かない、世界世界世界

滝から戻ってきて、お昼休憩。再開して絵を説明した後は、「空(くう)になる」ワークが続いた。もはやこれも記憶があれこれ混濁しているのだが、たしか、脱力したあと、身をよじるワーク。これが妙に気持ちよかった。どろどろの状態で移動を続け、それから立ち上がって、ピントを合わせない広い視野で、初めて見るもののように目の前のものを見つめる。ジブリに出てくる、命の手前のものたちとか、森の精みたいなものって、この感じなんだ。。。。体だけが幸せにそこにあるもののイメージがひろがる。自分の体が、どんどんからっぽになっていった。そこにキョウコさんの言葉が次々と降りてくる。空っぽのまま、世界をみる。世界に触れようとする。「さわろうとしても届かない、世界・世界・世界」……

その言葉だけ覚えている。ただ見つめ、身をよじり、空になり、世界を掴もうとして届かず、やがて力尽き、倒れてしまう。倒れたまま、朽ち果てる。でも、とても豊かな気持ち。この場へ、豊かな森へ還っていく――自分が死ぬときは本当にこんな風に朽ち果てたい、と思った。リアルにその幸福感を味わった。あとでそう感想を言ったら、「その時はそばに行ってあげるから!」とキョウコさんに言われて、ますます幸福感に満ちあふれた。

8.見つめ合うことが、愛

夜は、ミュージシャンのオギタカさんが来てくれた。みんな思い思いの衣装を着て集合する。持ち物に「衣装」とあるのはなんだろう、と思っていたら、そうか、このためだったのだ。最初は、キョウコさんとオギタカさんとの即興のコラボレーション。

キョウコさんの踊りは、ひたすら美しく、力強く、大いなるものとともにあり、捧げているものであることが深く伝わってきた。場の色が深く濃くなり、スペースがぐっっっっっと広がった。こんなに美しい、人間の「動き」があるんだ。この合宿では、踊りという言葉の意味や体験が自分の中で変わり続けたけれど、その極みの一つがこのときだった。表現って表現しようとして生まれるものではなくて、そこにもうある「感じ」に出口を与えるとか、与える前に出てきてしまっているものを表現というんだなあと。そのエネルギーをいかにエゴとか余計なものを混じらせることなく表出させられるか、いかにコントロールを手放し、流れとか響き、振動に任せられるか。そういうことなのかもしれないと。

そのあと、一人一人が場に招かれ、オギタカさんの即興の演奏でみんなで踊り続けた。最初はどう動いたらいいかな、と思いながらだったけれど、そのうちにこれもだんだん意識が遠くなり、気づいたら楽しすぎて嬉しすぎてわけがわからないぐらいひたすら音と一緒に動いていた。この場のぐるぐるした渦とバイブレーションの中に踊れることがひたすら幸せで、ひたすらうれしく、一緒にいるみんな一人一人がとても愛しかった。なんの違いも隔たりも感じなかった。


「見つめ合うことが、愛」。たぶん最後のほう、キョウコさんは次々と降りてくる言葉の中でそう言った。命があるものと、旅立ったものが、空の上とこちらで見つめ合っているイメージ。朽ち果てた先に続く、さらに大きな世界が感じられた。感謝の先に愛があるんだと思った。深い安心感とともに、目に見えないものと見つめ合っている自分を感じたのだ。

9.古い細胞を脱ぎ捨てて、立ち上がれ。

緩急の波にまみれながらひたすら動き続け(あとから聞いたら45分)、最後は昼間のワークで練習したように、倒れ、そのまま朽ち果てた。。。。それからしばらくはそのまま朽ちていたらしい。外に出て一息入れて戻ってきたキョウコさんが言った。
「古い細胞を脱ぎ捨てて、立ち上がれ」。
朽ち果てていたみんなが、しずかにゆっくりと、立ち上がった。しばらくそのままつながっていた。そこから、オギタカさんと、私たちの間で起きたことはもうますます言葉にできず、あの場がさらにふわっとやわらかくなり、色づき、あったかいエネルギーが体を通り抜けていったこと、オギタカさんの顔が子どもみたいにぽわん、となっていったことだけを覚えている。私たちはひとつの気体で液体、ゆるいかたまりだった。(注:ヴォイスヒーリングをしました)

もう一つ驚いたのは、2日目も体が動かず、みんなの踊りを見ていたKさんが、途中からキョウコさんに手を引かれながらみんなの輪に入ってきて、最後は踊っていたこと。さらに驚いたことに、私に向かって「とてもすてきだった。Eさんが踊っているときの笑顔に癒された」と言ってくれたこと。

最初は意味がわからなかった。いまも半分わからない。でも、そういうことってあるのかもしれない。職場で「私が楽しそうにしていることが、その場にエネルギーを与える」と言われることがある。ここで踊っていた時に通じる、心臓がバクバクするぐらいに嬉しい瞬間が仕事でも起きることがあるのは確かで、でもそれって、自分では表現というよりも、ただそうなっているだけでどうしようもなく、再現もできないし、という感じなんだが、でもうれしく、ありがたいと感じた。よくわからないままだけど、大事に受け取ろうと思った。

10.  日常に戻ることは絶望ではない

最終日は、合宿が始まるところからいままでのジャーニーをして、それを絵に描き、振り返りをした。それぞれのメンバーの絵や言葉、イメージの変化が本当に愛おしく、たのもしく、面白かった。慌ただしくしめくくられたそのスピードがまた瞬間冷凍みたいな作用を起こし、溶けるのにさらに時間が必要になった気がする、そのじわじわした感じがまた心地いい。

最後に引いたカードは、「Trust」。ユニコーンの角を、天使がそのまま腕に受け止めている絵が小さく入っていた。ここで起きた夢のようなこと、体験したことを信じる。そういうことかな。うん、信じる。と思いながら受け取る。でも帰ってから4日めの夜。ふっとイメージが浮かんだ。Trust=ここで思い出した、ツノとか翼が生えてる自分をそのまま信じていいよっていうことかもしれないと。


帰り道、もうすぐ現実、終点の新宿駅に着く前、特急電車から外を見ていたら、ふっと虹が浮かんでいた。ほら、夢だけどリアルってこういうことよ。キョウコさんがウインクしているみたいだった。今もまだ、夢うつつな感覚がどこかに残ったままだ。

 

日常に戻ることは、絶望ではない。
これは、慌ただしく解散する別れ際にJさんが言っていた言葉。Jさんは、もう10年近くこのWSに通っているそうだ。それでもずっと、一瞬の馴れも奢りもなく、すべてのワークに緊張感をもって参加し、踊り続け、時に涙を流し、場に言葉を与えていた。
そのあり方もすてきだったが、さらに続いて笑顔で発された、
「自分の体はそうやって自分で作っていかないと、誰も作ってくれないんだよ」
という言葉。それぞれの場所に戻って、コツコツと地味に鍛錬を続け、1年後にまた会うんだ。遠くに住む人とは、また来年ね。そういって別れた。

よくわからないけれど、何か強く同じ衝動と喜びを持ち帰る結びつきと縁をもっている存在どうし。あの場を思い出すだけで、なんかこれからを過ごしていける力と確信が湧いてくる。Trustには、確信というニュアンスもありそうだ。

日常には戻ったけれど、確かに、どこかがいままでと確実に違う自分が、何かを脱ぎ捨てて立ち上がった感じがしている。自分が感じていることと、自分の体が同じ場所にいられるようになった。この体と共に生きている自分に気がついた。思い出した。

気を遣ったり、こうしたほうがいいのかなーと気を回したり、変に迷ったり。団体行動が苦手、と言ったのは、人の中にいるとそういう細かいジャッジを続け、気を遣い続ける自分に疲れるからなんだけれど、この合宿の団体行動は、団体行動ではなかった。安心安全のためのルールがしっかりとあり、あとはそれぞれがひたすら自分の感覚に集中しながらそこにいた。各自が集中するほど、その場全体のはたらきとか相互作用がよいものになっていった感じ。場のエンジェルカードのメッセージは、SynthesisからSupportへと移り変わった。場が作られる時、そこにはその人がいるというだけで役割を果たしていて、それ以外は何もいらないんだなー。

そして日常に帰ってきてからは、そういう無駄にまわりや自分の見え方に気を遣うクセが、少なくともこの1週間はとても減っている。もちろん、特に仕事の場面では普通にそういう古い自分が幅をきかせる瞬間もあるけれど、自分を満たすことを知ったという自覚が、私を落ち着かせている。無駄に人にあやまらなくなった。笑

何より、こうして思い出すだけでも、体が喜んでいる、それがわかる。
通路を開くスイッチを作る作業を、地味に続けてみようと思う。

と、まあすっかり長くなってしまってすみません。
キョウコさん!本当にどうもありがとうございました。Love!  


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